第7話(下)エンディング・ワズ・ゴーン
師とはよく会ったりして、喫茶店で各々の近況を語ったりした。だがそれ以上に
素直にペン字で送ってくるときもあれば、気まぐれに英文をタイプライターで打って
私が結婚したときも、私たちが典人を授かったときも師はわざわざ電報を送ってくれた。真心をもって上等な品を添えて返礼した。
結婚式の際、教授は欠席した。だから電報を送ってきたのだろうが、これが本当に謎めいていた。
『
この言葉の解を未だに得ない。
典人にはこの文言について語ったことはない。ただもしかしたら、妻が話題にしたかもしれない。
意識を一度、仄明るいこの部屋へ向ける。
私はゆっくりと立ちあがってガラス戸まで歩み寄り、同じように
空気は未だ冷めやらず、酷暑の
何かを切り替えたかった。だから歩いた。
空を見ながら息子を想った。
典人。お前は本当に飛行機が好きだった。
空が好きなのではないのは分かっていた。
何故なら、エンジンを搭載した機械の複合体が空をもがいていくさまを見つめるその眼差しで、私はお前の憧れを知った。
誰しもがそうであるように、年を
そういえば、お前がまだ中学生だった頃。十四年か十五年ほど前だろうか。
柳さん家のお嬢さんにこっぴどく怒られたらしいことがあった。夜分、お前は私の部屋を訪ねてきた。
まだかろうじて反抗期の前だったかもしれないな。当時の妻は喋るごとに
まだまだ未熟だったお前は私の部屋に入ってから若干の半べそをかきつつ、事の次第を説明した。
このあとどうしたらいいか、を私に尋ねた。
上手く頭が働かないときなんていくらでもある。そんなときは、他人の頭を借りればいい。
だから私は、
「とりあえず、喋ることよりも聞くことに徹しなさい。女の子が相手なら特にね」
と助言した。私は憶えている。的確ではなかったろうが、後々に通用するようにいったつもりだった。
そして典人は改善した。おそらく、苦心しただろう。
お前はそうやって例えば
途中から、お前は滑走路に強く着目するようになった。その後のことは、もはや知ることができなかった。
妻と私は典人と親しくできていることが嬉しかった。
一度だけ師が、我の家を訪ねてきてくれたことがあった。
憶えている。
かつての大学教授は私に向かって典人をこう称えた。
「お前と同じで聡明だ。お前と違ってハンサムだ」
随分と気分の良さそうな顔でいい放った。
典人は苦笑いを浮かべながら、
「ありがとうございます」
と述べた。
この様子があまりにもおかしかったから、妻と私は顔を見合わせてから、からからと大いに笑った。なにせ、典人はイケメンなのではなくハンサムなのだから。
私たちにつられて師が、典人が順に笑った。
そう。
あの日笑った四人のうち三人が既に黄泉に渡った。
四人で笑った日、この日の翌年四月に師は逝かれた。昼寝の最中に、胸元に『ご冗談でしょう、ファインマンさん』を抱えたまま。白寿まで
妻は一昨年に病で。
前々から私は、先に死んで妻を悲しませるくらいなら私が残されればいい、なんていう考えを持っていた。
実際は大変に辛く重々しかった。
彼女は私と典人へ宛てて病床から遺書を残していた。お互いに、他方の手紙に何が書かれているかは知らない。
ただ、私の手紙には忘れることのできない文言があった。
『心残りなのは、あなたの好きな麻婆豆腐を作ってあげることも最早叶わず、あなたが淹れてくれたコーヒーを飲むことも決して許されないことです。これだけが、特にです。しかしながら今なおも、あなたと居られた日々は輝いています。これから失う、ということはこういうことなのでしょうね』
この手書きの文字に私は揺さぶられた。
もし逆の立場だったならば、私の言葉で私の立場から同じ内容を書いただろう。
三番目に、およそ二週間前に、典人が死んだ。
連鎖的に死が訪れたように錯覚する。
死を受け入れなければ、と思うがために理解しようと努める。
どこかでジョバンニの心情を悟った。ひとかけら分の心情を。『永訣の朝』ではなく『銀河鉄道の夜』を思い起こしたのは、まぎれもなく真夜中だったからだろう。
私は為す術なしの老人だから、ただ先ほどの窓辺から星の夜を仰いだ。
心はあまりにも、くたくたになり、ぺしゃりと潰れそうになった。
そのとき、師が思い出から私へ電報を打った。
『叙情的な憂鬱は黄昏時の天敵である』
心中でこの文言が光った。
打ち上げ花火のようだった。心身の闇を光彩がきらりと照らした。
言葉には種類がある。例えば、口ずさんでいくうちに刻まれていくものがある。
一方で、摘みたての
打ち上げ花火のように、適切な時に打ち上げなければ真価は分からず、一瞬の光となって消える。苺のように、旬を逸すれば
謎めいた言葉の意味を受け止めたと確信した。
本懐、つまり真意とはこういうことだった。
黄昏、あるいは黄昏時。盛りの過ぎて衰えの見えだした人のこと。人間が落ちぶれたり、弱り果てたときに最も警戒すべきもの。これはなんとなく感じる憂鬱ではない。耐えがたき怒りを、憂いを、自責を、あるいはこれから先に望みなしと悟らせるような如実な色を持った憂鬱だ。憂鬱は様々な色彩を帯びて憂鬱たらしめる。この様々な濃色がお前の心を
この意味を圧縮し、一見一聞では到底結びつかないフレーズで表現したのが先ほどの言葉だ。
皆死んだ。私は生きている。つまり私だけが自分の意志で動くことができる。リア王のような絶望を選ぶことも拒むこともできる。
あぁ、そうだった。
典人は夢を持っていた。されど夢半ばにして散った。今の私に夢はないが息子の抱いた夢を少しばかり知っている。日々進んでいたことも知っている。
今、私は生きている。故に死者にはできないことができる。
かつて私は師に対して、
『日本人が簡単に満足して使えるようなタイプライターを作ることができない』
と述べた。
だが、あらゆる技術革新がこの主張を退けた。
コンピューター技術。
キーボードによって入力し、平仮名や片仮名、漢字を使い分ける。フォントや文字の大きさ、字間や行間の幅も設定することができる。段組みの設定も、図や写真を加工しつつ添えることも可能になった。修正も容易になった。
カラー印刷さえも、最早当然だ。
不可能はいずれ可能になる。絶望さえしなければ、というたった一つの条件を達成し続ければ。
先程まで私は悲しみに暮れていた。
昔をなつかしみ、先立たれたことに俯いた。まだ生きている自分は、力を持つ何者かに
それらの激しい、テンペストとでもいうべき翻弄は全て去った。
「シェイクスピアかぶれめ」
空耳を聞いた。皮肉交じりの笑い声だ。
私は、自分の足をもう一度見た。
裸足で、しわの多い足。
まだ歩ける。まだ十分に歩ける、と心の底から思えた。
こう思えた瞬間、私は生ける者として存分に動かねばならないと腹を決めた。
決意。
この決意を記すために万年筆を取りに行こうと回れ右をした。方向を転換してから、やはりタイプライターの方が
足を動かす間、自室にある収納の中を探る間、私は典人へ祈った。
典人、お前は無念だったろう。
お前は夢に向けて草案を編んでいた。いくつかのバックアップを施しているだろうが、お前が作り上げようとしていたものは大変に有益だ。加えて、大変に時間のかかる夢であり、否定的見解はいくら見積もっても、ゆうに超えてくるだろう数を浴びせてくる。
容易に予想できる。それでも難題に取り組んだ。
今回までのあらゆることで学ばせてもらった。
死は平等の調律師だ。
生ける者には未だ、
さらに生誕には、満足と不満足がある。
その上で、死はあらゆるものを取り払う。
死せる者の、その後の扱いや評価は生ける者がなす。死者にできることはもうないのだ。
断じて、存在しない。
幸いにも、私は生きている。生きているのだ。
私ができること。私が死ぬまでの間、典人の夢を守り、共感してくれる者を探すこと。
この分野に経験のある人、これから主な担い手となってくれる若い人は特に探して託さなければならない。
私はしぶとく生きている。だが老い先が短いことに変わりはない。
できることを探す。あとは託せる人の一助となり続ける。
明白だ。迷うことなどない。
どこにもない。
だから
私は祈りながらタイプライターを机の上に置き、準備を終えた。
時折、整備しているからしっかり動く。
椅子に腰かけてキーを押す。心地よい音が身に染みた。
自分の、自分による、自分のための決意を打ち込むのだ。
これが終わったら、久しぶりに徹夜をしようか。コーヒーを用意して、随分と見ていなかった映画を、お気に入りの中から選ぶのもいいかもしれない。
こんなことを考え始めた。やるべきことを見つけたからだ。
私の決意表明はたった二文だった。
ENDING WAS GONE.
THEREFORE,WE MUST START.
――終わりは去った――
――故に、我々は始めなければならない――
群像の鳥 上月祈 かみづきいのり @Arikimi
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