同居人とのこと

あめすきとおる

同居人との記憶のひとひら

0.

 同居人の話をするとしよう。

 間宮巽、タツミというのは私の同居人である。二十六歳の女性である。若手小説家である。躁鬱の激しい気質である。滅多なことでは食事をしようとしない。失踪癖を持つ。義母に育てられた。それ以外は未知数である。

 人間とはあらゆる属性という一面を幾つも組み合わせて作られる多面体であって、一度にすべての側面を見ることはできない。うまく光を当てる場所を変えなければたった一つの属性でその人を知る、知った気になることになる。どんな人間と関わるときも浅慮は避けるべきだ。それは巽も同じ。けれど巽はなによりも自分を理解されることを嫌うようで、いつでも月のように決まった一面しか見せないのだ。それが小説家で躁鬱が激しくて食事嫌いで失踪癖持ちの間宮巽。私がそこから先に立ち入ることはない。立ち入る術を持たず、立ち入るべきという責任感も感じず、また立ち入ることを嫌がる巽の気持ちを無視したくなるほど巽が好きではないからだ。適切な距離感は程よい無関心があってこそ。

 閑話休題。

 私と同居人は、おもに私の仕事の都合でほとんど一緒にいることはない。巽は一日中家にいるが、私は日によって早朝から深夜まで外に出ていたり、未明から出勤だったり、震度五の地震が来たら問答無用で出勤だったりとかなり変則的な働き方を強要される職についている。ゆえに同じ部屋で同じ時間を過ごすことはごく稀にしか無い。その同じ時間を過ごすというのも主に深夜帯である。夕方から夜にかけてに一番執筆が捗る巽にとっては執筆を終えた後の自由時間。出勤前か帰宅直後の私にとっても自由時間。規則に守られた自由、砂漠の中のオアシスのような時間。夜が明けるまでの我々にとっての天国。そんな話をさせてほしい。





1.

 私が仕事のときに誰かの白い肌や寝顔、死顔を見るときはいつも、巽の素肌が月明かりに仄白く晒されているあの瞬間を思い出す。呼吸することも苦しいような熱帯夜だった。そして月が綺麗な夜だった。共用の寝室で、カーテンも開けたまま先に眠っていた、ほとんど裸の巽。大切なところがタオルケットで隠れているだけの姿だった。日中の目隠し用のレースのカーテンは杜撰な閉め方をしたせいで隙間が開いていて、満月の放つ冷ややかな光が四角く部屋に差し込んでいた夜。月光は、浮いた肋の骨の隙間にくっきりと影を落としていた。胸鎖乳突筋の筋が目立つ細長い首。薄くて柔さのない、骨に皮を張っただけの平たい腹が呼吸のたび僅かに上下した。それだけが生の証明とでも言うように。四肢が長くて頭蓋骨の小さい、バレリーナのような体躯。女体の曲線美のことごとくを捨て去った、重たい耽美を香らす中性の美術。カストラートのボーイソプラノのような危うさ、均整のとれた計算づくのアンバランス。思わず息を詰めた。その体には肉や内臓なんかじゃなくて赤く透ける柘榴のゼリーやベリーのジャムが詰まっていて、骨はオパールなんかでできていて、魔法か何かで体を動かしているように思えてしまうほど、人間らしさから乖離した静かな肢体。暴いてはいけない気がする。ただ漠然と魅了される。知識を使ってその魅力を分析する間も与えられず、あらゆる語彙は淘汰される。巽が私の情緒の上で跳躍を、フェッテを、ピルエットを。ひとの情緒の上で踊るな、めちゃくちゃになる。血に温度があるようには見えない。彼女は死んだように眠っていた。一滴の汗すら見せずに。

 それに抱いてしまったのは劣情なのか、あるいは美術品への耽溺なのかは判らない。判ってしまったらきっと以前のように巽に接することが出来なくなる。違う、以前のように接しながら私一人が苦しむのだ。ただ一人の人間に崇高な美を見出してしまったら、そこに向けられる感情は恋とも崇拝とも名前のつかぬモノになってしまう気がしてやまない。理解してしまったら何かが終わってしまうような劇薬。脳の処理能力を灼く情報量で、破滅に導く情動がいつでも目を覚ましかねないような感情。まだ人間が名前をつけていない、定義していない、発狂への片道切符。巽の肉体にそれを感じてしまった。なにも道徳に逆行するようなことはしていないのに、冷たい罪悪感が腹の底に満ちる。行動せず口にも出さず、ただ思うだけで重罪。そういう感覚。一生開くことのなかった、ずっと閉じているはずだった扉の先にあるアンテナの感度が急激に上がったような。本来キャッチし得ない電波を浴びている。

 私は結局その晩、眠れずに朝まで起きていた。巽の眠る寝室から離れたくて、リビングのソファに転がってただ携帯を弄ったりしなくても良い仕事をして時間を潰した。狂気の線を超えかけた、思考と五感が一気に開かれてゆくあの瞬間を忘れてしまいたくて、余計な情報を取り入れて脳の昂りを中和した。朝七時になって起きてきた巽の姿には深夜に感じた魔力のような美は感じられず、いつも通りの不健康そうな蒼白の痩躯がぼんやりとあった。「おはよう、寝なかったの?」「うん、仕事で徹夜」と嘘を織り交ぜた何気ない会話から一日が始まる。昨晩のあれは夢か、疲れて脳が勘違いしたのだと思うことにした。巽はいつも通り朝食の席に着こうとせず、汗を流すといい真っ直ぐシャワーを浴びに浴室へ向かった。私は徹夜明けの、鉛になってしまったような倦怠感の残る身体を引き摺るように出勤の支度を始めた。瞳が痛くなるほど輝かしい朝の太陽を免罪符に、すべては何事もなかったこととして許されてまた社会性の歯車は回り始める。人間の体というものはどうしても個性という個性が無くて、太いか細いか大きいか小さいかの違いの他はだいたい一緒である。それゆえに、たったひとつのうつくしいを見つけてしまうと、人はこうも変態になってしまうのだなあとぼんやり理解した。愛とか恋とか情動とか猥褻とかと縁遠い生活をしてきたのであまり理解の及ばない領域の話である。なので一般的なそれとは解釈も定義も大幅にずれるかもしれないけれど、たしかに実感してしまった。ああ、なんて、罪深い。


2.

 巽は夜になるとジャズを聴く。軽快に、誘っては焦らすように跳ねたり調和したりをくり返すピアノだったり。メロディの中で聴覚に錨を下ろすように印象的なトランペットやトロンボーンの、膝まで海に浸かったときに感じる波の引き際のような浮遊感だったり。ウッドベースの、奏者の筋の浮いた爪の短い手をありありと想像してしまうような肉質のサウンドだったり。いつだったか、ジャズというものはこの世の素敵な夜をすべて煮溶かしたジャムのことでさ、そんなものがあったらまずはパンに塗らないでスプーンですくってひと口食べてみたくならないかい?きっとエモーショナルの過負荷でくたばっちまうぜ、と巽はたいそうご機嫌にコーヒーを飲みながら語った。私は音楽にこだわりがないのでいまいちその感覚や巽の比喩は分からなかったが、素敵なものは素敵なものでしか喩えられないということはわかった。

 素敵なもの。

 マザーグースの詩だったか。女の子はお砂糖とスパイスと素敵なもので出来ている。そんな言葉があったと思う。私はこれまでの人生で女の子として尊重された経験が少なく、また女の子としての意識は希薄であることこそが美徳だと教育されてきたせいか、その詩を聞くと妬ましくも屁理屈を言いたくなってしまうのだ。お砂糖もスパイスも歴史の中では何千という命を軽視して踏み台にして血の滲むような工程と路を経て素敵な人たちが手に入れてきたものだね、とか、スパイスにはとんでもなく酷いにおいのするものもあるんだよ、とか。言っても無駄で、特別面白くもなくて、人を不快にさせる稚拙な文句が私の中を這い回っている。でも巽はどうだろう。巽は女の子というよりは、正々堂々人間の形をしている。性別という、人間を二つに分類するときに一番古典的でわかりやすい指標が、うやむやで胡乱でどっちつかずである。本人曰く「私はどちらでもないという性的指向ではなく、ただただ女の役割を放棄しただけのダメ人間」である。そうか、巽の分類は「真人間」と「ダメ人間」のうちの「ダメ人間」に属するのか。言葉を額面通りに受け取って遊ぶ趣味のある私はそう取ってみた。しかし巽は間違いなくお砂糖とスパイスと素敵なもので出来ている女の子なのである。お砂糖とスパイスで出来ていなければウエストを測るたびに細くなったりしない。お風呂に入るたびに表面から飴のように溶けているんだろう。困った奴である。けれどそうだとしたら巽を作っているもう一つの要素、素敵なものってなんだろう?巽の大半はきっと素敵なもので出来ている。そうでなければ小説家なんてしていないだろう。巽のペン先からは金平糖とか花とか黒鳥の羽とか隠された剣とか、そういう素敵なものがぽろぽろと溢れて出てくる。お砂糖とスパイスに何を練り込んだら巽の形に固まるのだろうか?巽に聞いてみた。そしたら「私にもわからないから死んだら解剖してくれ」と言ってお風呂に入ってしまった。また溶けるじゃん、と思ったけれどよくよく考えてみれば巽は人間もダメ人間なので、お砂糖とスパイスなんかで出来ていないので溶ける心配はなかった。齧ったら美味しそうだな、と少し思ってしまったのはまた別の話である。

 そして私はその夢のような錯乱から思考が整然と醒めてくるうちに、自分はなんでナンセンスなことを考えていたのだろうと思うようになってきた。仕事が辛すぎて頭が幼児退行をはじめたか。それとも精神力に限界が来たのか。巽はなんて思っただろう。混濁の自覚のあるなしに関わらず、すこし変だと気づいたら誰かに話しかけるのをやめよう。人間関係を損なうから。巽がお風呂から上がってきたらちゃんと「さっきのはナシ」と言おう、私は正気を失っていましたと言おう、と思った。けれど三十分たっても一時間たっても巽は浴室から出てこず、心配になった私はおそらく眠っているであろう巽を起こしに浴室へ向かった。扉の前でいくら呼んでも起きてこないので恐る恐る浴室の扉を開けてみると、湯船に巽は浸かっていなかった。そのかわり浴室の蒸気はシナモンやオレンジピールや砂糖で煮たリンゴの匂いで満たされていて、浴槽に張られたお湯は水飴のように粘り気のある粘着質のかたまりに変わっていた。指をそっと入れてみる。指先に感じたのは人肌ほどの熱で、その指をそっと口に含んでみると頭の中に火花が散ってスゥイングのリズムがよく響いた。私の空っぽの頭の音響事情は良かった。奏者たちの生き生きとした表情が脳幹を内側から貫いて聴覚の異常が止んだのち、鼻から甘ったるい芳香が抜けた。浴室の壁には酸化した血の色の、巽の文字が書かれていた。「お前の空想が私を殺した」。私は泣いた。お砂糖とスパイスで出来てるんじゃん。素敵なものはお前の好きな音楽だったじゃん。何がダメ人間だよ、完璧にお砂糖とスパイスと素敵なもので作られている女の子じゃん。騙された気になって泣いた。そして人間ってこんな死に方をするんだ、という未知への恐怖に慄いた。巽をこうも唐突に失うことが信じがたかったのである。興味がなくても、好きでもなくても、失うとこんなにも大きな空白が心に出来てしまう。私はなんて強欲で醜い生き物なんだろう。ひととおり狂ったように泣き喚いて、いつの間にか声も掠れて、酸欠の頭が酸素を求めて涙を止めた。深く深呼吸して、今度は涙でしょっぱくなった水飴を口に含んだ。蕩けるような甘さの後に、やっぱり瀟洒なジャズが聞こえる。やさしくて心地よい。これが巽。私は少しでも長い時間巽と一緒にいようと、キッチンからありったけのタッパーを浴室に運んだ。お玉ですくって保存容器の容量の限界まで詰めて、冷凍しよう。そうすればずっといっしょ。私はすっかり水飴で重たくなったタッパーを持ち上げて冷凍庫へ仕舞おう、と立ち上がった瞬間。

 ばつんと何かが切れる音がして、自分の体が布団に横たわっていることを暗闇の中で自覚した。巽が瞼の向こうで私を呼んでいる。目を開けると天井がぼやけていた。現実でも泣いていた。私は夢を見ていたんだと、動きの鈍い頭で気づいた。起き上がりながら両目の涙をパジャマの袖口で拭う。巽が「おはよう。めちゃくちゃにうなされていたけど大丈夫?」と背中をさすってくれた。うん、大丈夫。変な夢を見ただけ。どんな夢?私がお前を殺す夢だよ。どんなふうに。銃で?毒で?私はゆめのいきさつを覚えている限り説明した。あまりの展開に巽は「人間の夢の文脈のメチャクチャ具合って改めてすごいよね」「空想で人を殺すのはどちらかと言えば小説家の役目なのにね」「それに私は女の子じゃないと思う。どうでもいいほど人間だよ」と言って笑った。そうであった。いかに人間というものが強かで頑健で、生きようとする力の強いものかは私が一番知っているのである。ゆえに空想なんかでは人は死なない。それゆえに世界には凶器がごまんと存在するし、人間の体にも急所というものがいくつか存在する。夢は当人が有する記憶や記録という限られた情報の反芻行為でありながら、なぜかその夢において要といえる知識や発想を隠されている。夢の掌はあたたかく、酸化する幻惑の世界の奥深くにヒトを誘う。私は腫れた目の、薄く暈けたフィルター越しに清澄な朝の太陽を見た。時刻は朝の五時半を少しすぎている。夏といえどまだ静に満ちた早朝の空気は、肺の深いところまで熱を帯びた体を涼しくしてくれた。記憶が蘇る。深夜三時ごろに家に戻ったはずで、私は仕事着のまま靴下だけ脱いで布団に入ってしまった。首の詰まったシャツ、ネクタイもそのままに。これは誰だって圧迫感で変な夢を見てしまう。起き上がる動作の中で、ジャケットの内ポケットにごつごつとした硬いものを脇腹の柔らかいところにもろに感じて痛くて呻いてしまう。なんだっけ、と思ってポケットをまさぐると、それはセーフティのしっかり掛けられたハンドガンであった。巽はそれを見ても何も言わない。慣れたように「寝ぼけて誤射しなくて良かったね」と言った。そして足音が遠のく。呆然と昨日の記憶を探るわたし。何があったかってことが思い出せなくなるような何かが、確かにあったのだろう。遠くで巽がコーヒーを淹れている匂いがして、それに気づいた時にわたしの自我は像を結んだ。そういえば私の職業は殺し屋である。


3.

同居人が裸足で失踪した。

 それ自体はよくある事なのだ。それは十代前半、彼女が精神を病みはじめたというころに現れた特徴。二十代になって回数こそ減ったものの、失踪の手口が巧妙になったので注意してほしいと彼女の母親から同居にあたり忠告を受けていた。太宰二世などと謳われる新進気鋭の小説家の巽。多少の奇行には「小説家」という便利な記号で説明が付いてしまうと彼女の担当編集者が溜息まじりに語っていた。しかし彼女の服の趣味、和服趣味が幸いして失踪されても常に発見は容易だった。私の職業柄警察は頼れないが、防犯カメラにツテのある人間や事情があって一日中外を見張ってなければいけない人間に「和服の若い女を知りませんか?」と聞けば大概半日も経たずに見つかる。目立ちすぎる上に、裸足ということもあって不審者扱いされ警察への問い合わせも相次ぐのだそうだ。市内には精神病院が幾つかある。そこから逃げ出したのでは無いか、と。しかし巽は、今回も着の身着のままの和装姿だろう。今日は椿の模様が入った涼しげな白縹の浴衣。貝の口に締めた、梵字の刺繍が入った帯はとても目立つ。巽の趣味は奇抜である。服装についてはいつも通り目立つので特段気にすることもない。気がかりなのは、服装ではなく書き残された一通のメモにある。二人で共有しているシンプルなメモ帳に、走り書きのボールペン字で書かれた言葉。「今までありがとう。探さないで。死にます」。そしてその裏には「愛してる、巽より」と殴り書かれている。私はその文字をじっと眺めた。遺書。彼女には自傷癖というか自殺趣味もある。これまではそう問題にならないような、浅く引っ掻くようなリストカットをしたり首を吊る縄の結え方が分からないと泣いたり、甘噛みのような希死念慮の発露、その程度だった。しかし今回雰囲気からしてこれまでと違う。鉄道か入水か焼身か、誠心誠意、正真正銘の自殺をしようとしている気がした。何故?何処で?北の地方都市の女二人暮らしには少し危険なボロアパートの我が家の近所には、小説家の死ぬような名所は、玉川上水や陸自駐屯地とかは無い。メモ発見時直ぐに巽の携帯に連絡を入れてみたものの、巽の携帯は部屋に残されていて着信の電子音が虚しく六畳間に響いた。財布も電子定期券も持って行かなかったということは鉄道を利用して何処かへ行ったという線は無いと言っても良いだろう。徒歩圏内にいる。‪ここは市街地といえ田舎のそれなので、三十分も歩かないうちに見通しの良い田んぼの通りに出る。人間はとても目立つ。街の目抜き通りも大した栄え方もしていない。それに彼女はつい最近、自殺なら溺死が良いとぼやいていた。それらの情報を統合してアタリをつけた彼女の居場所、それは街の小中学校なら皆々一度は校歌で歌って通る一級河川。そこは年間百と数十人が飛び込んだり溺れたりしているので、橋には成人男性の身長の二倍ほどのフェンスが付けられている。巽の命をその流れに巻き込んでいても、嫌な話だが当たり前だと思ってしまうのだ。現在夜の九時を回っており、今から外に出るのはあまりにも億劫である。けれど探し出さなければどうしてもダメな気がする。おふざけと看過できない。

‪ 私は仕事着のまま外に飛び出し、玄関に鍵をかけると同時に、胸ポケットを弄った。そこには煙草が一箱、最後の二本が眠っていた。カバンからジッポを取り出して火をつける。蠍の炎のように、煙草の先端が呼吸のたび赤く脈打って燃える。私は煙を宙に吐き出した。タバコを吸うことについて同居人は良い顔をしないが、十九から始めて七年来の習慣というものは中々抜けないのである。しばらく道なりにゆく。自分の靴の音しか聞こえない。メトロノームのように一定。ある程度のところまで来たときに、吸っていたタバコを携帯灰皿に押し付けた。私は賑わう街の目抜き通りを抜けて、川へ続く国道の歩道を歩いている。ただ焦って歩いている。巽が川に居なかったらどうしよう?川じゃなければ何処にいるんだろう。案外神社の神木で首を吊っているかもしれないし、町外れの山に入ったかもしれない。そうすれば発見が遅れる。発見が遅れることは死に直結する。五分ごとに交通ニュースをチェックする右手のスマートフォンは、最寄駅に人身事故が起きていないことを示している唯一の安心材料だった。それでも私の心理はひりつく。街の中の何処にも居ない。ふと、死期の近い猫の話を思い出した。「死期の近い猫は、人間から身を隠す」という旨のそれは、猫のように飄々と気紛れな巽の行先への不安を煽るのに十二分だった。巽は猫で、死期を悟って何処かへ消えてしまったのではないか?今は藁にも縋りたいのである。でもできれば感情が負の方向に働くものに縋りたくはない。私は猫の話を忘れることにした。嫌な想像をしているうちに、視界は目的地を捉えていた。

 河川敷のサイクリングロードから川を見下ろした。柳の下にひとつの人影が、濡れた人影が有った。

「…巽」

 私はサイクリングロードから水際へ続く急勾配の傾斜をパンプスで駆け下りた。人影に目を凝らす。濡れてぽたぽたと水を垂らしているショートカット、流されなかったのか黒縁の眼鏡。巽そのものに間違いない。夜の河川の黒い流れに映り込む。規則的な橙の街灯がボウと灯る、その周りに蛾と羽虫が集る音がする。その微細な光源を頼りに、見つけた。ようやく。清らかな白縹の浴衣はすっかり薄茶色い。私は巽に何て声をかけるか決めあぐねて右往左往していた。今、巽は二人分の生殺与奪を手中に握っている。とても繊細な状況である。なるべく迅速に、穏やかに。穏便に。安全に。ことを進めるべきなのである。私の職業柄警察に頼れないというディスアドバンテージが存在する以上、自力で達成するしかない。即ち、近隣住民の騒ぎにならないうちに陸へ誘導し、家に連れて帰る。そのためにはまず川から上がってもらわなきゃいけない。巽は俯いて、こちらに気づいてもいない状況だ。いきなり背後から声をかけるのは驚くだろう、なるべく巽に寄ってから声をかけるべきである。私はなるべく足音を立てないように巽に近づいた。巽の視界に嫌でも入るであろう目の前まで寄っても、彼女は硬く身を強張らせたまま、俯いたまま動かなかった。何か言わなければなにも進まない。意を決して私は、言の葉の逡巡に終止符を打つ。

「突然いなくなるからびっくりした」

 沈黙。やはりもう少し巽を気遣ったことを言ったほうがよかったのではないか。二言目を選ぶ。

「夏でも水が体温を持っていくでしょう、上がりなよ」

 またしても沈黙。どうやら本当に巽の精神は擦り切れているらしい。人間、憂鬱が過ぎると身体が固まると誰かに聞いたことがある。きっと巽もそうなのだろう。微動だにしない。ただ、伏せた睫毛の影が瞳に落ち込んでいた。

「……巽」

 名前を読んでも、返事がない。曇った瞳は憂いも失意も映さず、人形然として巽の眼窩に嵌っていた。もしかしたら寒さで唇が震えてしまいうまく口がきけないのかもしれない。

「……巽、寒い?」

 頷いても首を振ってもくれない。こうなると本当に人形と会話している気分だ。巽が視界から消えてしまうかもしれない、その瞬間に怯えている。この人形が黒い流れに拐われてしまいそうで恐ろしかった。

 私は、無言で巽に手を差し出した。それでも巽は動かない。そのかわり、ぽつりと何かを言った。

「ねえ」

 消え入りそうに小さな声で、わたしを呼んだ。わたしの方は向かない。俯いたまま、声帯だけが動いているようなか細さで、呼んだ。

「……巽?」

 久しい相手の反応に驚いてしまう。川の流れの音が邪魔でよく聞こえないというのもあり、私の注意力の全ては巽の声に注がれた。

「私、死ねなかった」

 訥々と語られるのは。死ねなかったことへの後悔。そんなことを言わないで、と言いたかったけれど、巽の口は止まらなかった。

「私、死ぬはずだったのだけれど。私、もう死ななきゃいけなかったのだけど。神様も仏様も閻魔様も私に死の門戸を開いてくれなかった。私ってば何かした?私、死ねない。死にたいのに死ねない。家で薬も沢山飲んだのに吐くばっかりで効かなかった。だから仕方なく河に来た。本当にもう限界なんだって。自死は獣と人間との明確な境界で、人間にだけ許された特権だろう。私は人間として生まれ落ちて人間であることに苦しんだ。物心ついたときから、理由も無くだ。だからせめて人間の特権たる自死でもってこの命を終わらせようと思った。それで救われる気がした。私にとって死は救済だ。だから救われる為に死ぬ。でもまだ救われることを誰も許してくれない。誰も彼も私に生きろと言う。赦されたいのに、死にたいのに。私を許してほしい。せめて、君だけにでも。ねえ、死んでいいって、君が認めてほしい。君の手で殺して。君が私を許して」

 激しく嗚咽しながら言う。こんなに衝撃を受けたのは初めて。私は巽にさしたる興味はないし、愛情はないし、殺し屋という職業である以上巽のことも依頼があれば殺すのだ。しかしいざ生死の係った場面で、巽の消失を躊躇っている私がいる。当然だ、一個人の喪失は一個人が悲しんでしかるべきなのだから。ただ生きていてほしい願う自分が、心象の歪みから叫んでいた。けれどこんなに苦しんでいるならいっそ死んでしまったほうが巽のためなんじゃないかと思う自分もいる。絶叫しそうなアンビバレンス。私はここまで悪趣味な感情を知らない。でも今は巽の質問に答えを出すことだけでキャパシティを軽く凌駕しているので、その感情の正体を放っておくことにした。今放って置いたら一生引き摺ることになるだろうが、人命が掛かっているこの状況で人命以上に優先できるものはなかった。

 途端に夏の湿度が、全身にべったりと絡み付く。息を吹き返した思考が先細る。脳裏を流れる文法が、余りに覚束なくて幼い。

 私は巽に生きていてほしい、けれど巽が苦しんでいるところをもう見たくない。それは私の感情が出した答えで、理性による精査も推敲もされていない。それでも。土壇場で、何を信じられるかと言えば、自分の意思しかないというのも嘘ではないはず。けれどこの答えを伝えて、巽が発狂してしまったらどうしよう。その心配で心臓が痛くなった。

「……巽」

 私は、巽を、呼んだ。

「私が巽の死を決めていいの?」

 ……微妙な切り出しになってしまったが。とにかく対話に持ち込むことにした。私は小説家でも何でもない、順序だてた議論をする訓練は高校以来であるので言葉に強い巽に言い負かされるかもしれない。それを度外視した決断だった。巽は伏せていた顔を上げた。きっと、私が対話に持ち込んで、巽が冷静になる時間を稼ごうという魂胆を隠していることには気付いただろう。

「……君以外の誰がいるというのさ、私の愛しい同居人。君は銃も毒も沢山持っている。苦痛なくやってくれ。それとも何?判子を貰うなら上司にしなよ、なんてアドバイスは聞かないよ」

 あり得ないほどの平坦な声で重い球を返される。自暴自棄や錯乱からは程遠い、静的な、情緒の失せた音。あるいは絶望と名付けられるであろう、凪よりももっと静かで海の底よりも深い失意。それでもわたしは求められた決断を、しっかり返さなければいけない。受け止めたものを。受け止めた倍の強さで。

「巽がなんと言おうとわたしは巽が死ぬのを許さない。天命以外で死ぬことを許さない」

 二人の間を流れる時間が止まる。二人の間の万有引力が凍てつく。私はいま、確信を持って、故意に。特大の地雷を踏み抜いた。

「……この流れでそう言うかね。君はわたしの価値観もろとも否定してくれるのか。ここは素直に死ねって認めるところだろ。君の世間体のためにわたしを生の椅子に縛り付けて首を絞め続ける、そんなことって酷いと思わない?そもそも殺し屋の君に守るべき世間体があるの?」

 世間体。世間とはあなたでしょう。遠い昔になにか小説で読んだ気がする言葉。実にその通りで、私は巽を殺したら世間に、巽に顔向け出来ないから巽に死んでほしくない。諦観と達観のかたまりが服を着て歩いているようなあなた。自罰的で死にたがり。そんなところがあまりに心配で、だからその手をどうしても離したくなくなる。私の体温の芯たる部分が泣き叫んでいる。最も耐えがたいものは自分自身の嘘であり、他人の嘘に比べてその後悔も絶望感も身を裂くほど苦しい。ならば、だからこそ、私は嘘をつけないのである。今際の際に落ちようとする巽の、どこを掴んでも、握り潰すほど掴んでも止めなくてはいけない。

「わたしは巽が死にたいのが、死を望むのが、こう、心の奥の脈みたいなところが引きちぎれそうなほどなんて言ったらいいか分からなくて判らなくて解らなくて、巽が楽になるならいっそ死んじゃったほうがいいのかなって思っちゃった。でもそう言い切れない言い訳をさせてよ巽。わたし巽に生きていてほしいの。巽の最高の幸福が自死にあるっていうんなら止めたく、ない、けれど、止めたい」

 矛盾が暴発する。人間の、理性の特権が自死という巽の傍らで理性を失いかけているのはわたしだ。情動のまま言葉を繰るのはわたしだ。それは理性という冷ややかなギロチンの下にその首を臆面もなく差し出す巽に引き換えて、あまりに醜い。喪失への恐怖。微細な脳の血管から爪先の端まで、拍動と共に巡る血と語彙が煮え立つ。叫ぶほどの熱を、泣き出すほどの熱を、その吹きこぼれる限界で我慢している。情動は芽吹き、その根は伸びて熱を帯びる精神を絡めとる。

 それでもわたしは伝えなきゃいけないのだ。

「わたしは巽が幸福に生きていたらって思う。勝手で残酷なことを言っているのはわかる。でも聞いて。私が願うこと。巽にただ命があるだけじゃないの。巽がそのまま、いろんなものに守られながら生きていること。私はそれしか望まない。自死も一つの可能性かもしれないけれど、それをそうと割り切れない、どうしても。まだ早いという私の言葉を信じてくれ。その責任はわたしにある」

 彼女の希死念慮が何に由来しているものかは知らない。巽はなんでも煙に巻くので何一つ本当のことが分からない。感情を成分に分解できない。鈍感極まる私でさえ二十六年の人生経験上、生きていても良いことがないのは身に染みているし、ただ五感から得られる情報を持て余して生きていくのは苦痛とも呼べると思う。しかしどうしても、巽に生きてほしいのである。巽が巽のままで、巽という人間であることを謳歌してほしい。その道行きは電飾で飾られたブランド街のように幸福が充満していて、青空の下の草原のように嘘がない。あるべき場所で肺の底から息をしてほしい。だから死なないでほしい。ただ「存命している」という事実に安心したい訳ではないのだ。その為ならば私は、何も惜しまない。言葉の責任は果たす。巽の人生に幸福を、万象からの祝福を、と願ってやまない。枷も首輪もなく、快晴のもとにその命が尽き果てるまで。身をやつす辛苦のすべては花吹雪となって散る。そんな人生をあなたに。

 その言葉は滅茶苦茶で、形が崩れて、美しくない。それでも精一杯の熱と硬度だった。巽の心の装甲がダイヤモンドで出来ているなら、その靭性の弱さを突いて力押しで砕いてから素手で触れる。硬くて脆くて美しい。無骨なわたしの手が砕いてしまうことが恐れ多いほど。

 巽は、笑っていた。こけた頬で、酷い隈で、笑っていた。心底楽しそうに、笑っていた。

「つまり君は私を愛しているということで良いんだね?」

 いくらなんでも情緒がピーキーすぎる――発狂したのかと身構える。

 しかしそんなことも無意味なほどあっけらかんと巽は笑っていた。

「は?」

 何事もなかったかのような目の前の巽が少し信じ難かった。

「何でそんなに不満げな顔してるのさ。そう言ったでしょ。私ってば罪な人間だな、こんなに愛されている」

 精神の感度が繊細になっているためか、感情の起伏が変だ。

「仕方ないな、今日は死ぬ気が失せたよ。またいつでも死ねる。次は地獄への門戸が開かれていると信じよう。でも今日は帰る。それで良いかい?」

 勿論、と私は答えた。次があるのは本気で嫌だが、ひとまずここを繋ぐことが出来ただけで良いだろう。次があっても何度だって逃さない。その意を込めて、私は巽に手を差し出した。「帰ろう」と一言紡ぎ、巽が手を掴むのを待つ。巽は濡れた浴衣の袖を重たそうにしながら、冷えて皺の寄った手で私の手を握った。握って、思いっきり私のことを引き寄せた。不意打ち。南無三。私の身体は宙に浮く。なんと無様な有様で。瞬きをし、短い悲鳴を上げたその口に水が入ってくる。妙に生臭い水だった。目を開く瞬間、私の身体は黒く唸る水溜りに白い飛沫を作っていた。腰ほどまで水に漬かる。半分脱げかけたパンプスに、水中で無理やり足を押し込めて身体が安定したところで、安心して咳込んだ。温いと冷たいの中間の温度の水を吐き出した。目に水が入って視界がぼやけて暫くは何も鮮明に捉えることができなかったが、右手に繋がれた巽の手の冷たさがじわりと溶けて温かくなってゆく感覚だけが確かにあった。巽の、鈴のような笑い声が水の入った耳に残響した。

「あったかい。子供体温だね、君は」

 解像度の上がりつつある視界で、巽のシルエットが徐々にそれとわかるようになってゆく。

「君の優しさに絆された訳ではないことは分かるね?私は今日死ぬことを諦めただけなんだ。でも私に生きていいと、生きてほしいと望んでくれるのか、同居人。私の生活は金銭面以外殆ど君任せで君に生かされているようなものだし」

 いつも飄々と猫のように、愛されることが当然のように振る舞う巽の口からそんな心配が出るとは思っていなかったので驚いた。案外、行動こそ虚飾するが自己評価は低い性質なのかもしれない。そうであれば、尚更色々心配な気がする。

「そんなに気にしてるんなら感謝するべき人を水に落とさないで」

 視力が戻り、明確に像を結んだ巽が見えた。彼女は笑顔で言った。先程の能面のような憂鬱のおもかげは無い。快活な、生きている人間が、そこにいた。

「ねえ、また私が死にたくなったら、今度は私と死んでくれる?ここを私の玉川上水にする」

「まっぴら御免だね!今度もクソも無い」

「今度も夏がいいな。でも私は薔薇が好きだから春夏秋冬の四回死ぬのだね」

「その都度わたしはこうやってお前が生き返る手伝いをするの?」

「そう。君はわたしの紅茶に水仙の砂糖漬けを添えて、夾竹桃の矢で射抜いて、ダチュラの花を飾ったケーキで誕生日をお祝いするんだよ。そしてカメラが回ってないところで解毒してくれるの。良いでしょ、毒花で死ぬのって、耽美と蠱惑の合わせ技で、なかなか麗しいニュースになりそうだよね」

「本当に冗談に聞こえない」

 ふたり、笑った。太宰二世の玉川上水なんてわりと冗談ではない。花と死ぬのもうれしいことではない。それに二十六歳では早逝にもほどがあるのでもう少し頑張ってほしい。でも、私は、不思議と。巽の笑顔にひどく安心した。

‪ ギリギリのところで濡れなかったわたしのスマートフォンは、現在が午後十一時四十五分であることを示す。結構な時間。車通りもかなり減っている。治安が良い街とは言え女二人がこの時間までふらふらしていると、少々身に危険を感じざるを得ないので私たちはなるべく明るい道を通った。真昼に焼けたアスファルトの熱を空気づたいに感じる。巽は裸足でそれを踏み締めているので、思わず熱くは、痛くないのかを聞いてみた。熱くも痛くもないよ、と巽は答えた。巽は痛みや温度に鈍感なのである。

‪ ひどく脱力した。普段使わない頭を使いすぎたせいでかえって興奮してしまっている。今夜は眠れるだろうか。枝垂柳が慰めるように頬を撫でる。掠めた場所がほのかに痒くて、頬に触れた。その時耳に軽い違和感を憶えたので触ってみたら、五つのピアスのうち二つを無くしていた。川に落ちたときに落としてなくしたのだろう。

並んで歩く私たちの夏は、私たちの夜は、風がそよぐたびに記憶から薄れていくような気がした。オレンジ色の街灯に集まる羽虫の音のように小さく消えてゆく。さざめく街路樹の葉がネオンサインに透ける。二つ並ぶ足音を聞いて、私たちの本当の夏がはじまった、という不思議な感覚にとらわれた。きっと彼女の代わりに、夏に立ち込めていた春の余熱が死んだのだと思う。この瞬間からいよいよもって純粋な夏が始まる。夏を頑強に覆い隠していた春の仮晶が砕けて、胸を貫く群青が、真夏が目を覚ました。そんな夜だった。



おしまいに

同居人の話をするとしよう。

 人間を一度にすべて理解したいと思ったことがあるだろうか。その人という多面体をいちどに切り開いて展開図にしてしまう。それでも我々人間が世界を認識するときは、どうしたって平面なのである。切り開いた展開図は表裏を有する以上、片面からしか見ることができない。やはり人間の全てを一度に理解することは不可能なのである。そも一個人という多面体の中身は空洞か?密度は?多面体を構成するものの質感は?重量は?体積は人によって変わるものだろうか?その答えは死んだときに初めて分かるのだろうか。死んでもわかるまい。我々は未知と未知とで補い合って生きている。誰も誰かを暴くことはできず、また自分でも自分を暴くことはできない。巽の秘密主義、不干渉にして不感症な態度、そして希死念慮に取り憑かれる姿。私の同居人は強くて脆い秘密の塊である。暴きたいと、理解したいと思ってしまった。その度が過ぎれば人間関係は破綻する。私と巽も同じように。夜しかまともに顔を合わせない私たちはお互いの狂っているところしか知らないし、眠っているお互いを見てなにを考えているかも知らない。互いの倒錯も狂乱も見せなければ分からない。奇妙な平行線の関係性である。それが良い。春の柔らかな陽射しの下の銀の薄氷が美しいのと同じように。

 そして夜というものはどうしたって人間を開放的にする性質がある気がする。太陽に正しく律されている日中とは違って、暗闇の中なら何をしても怖くない。ので私たちは存分に狂うのだ。夜に、深夜に。また今日も、骨の軋む音が聞こえそうなほど静かな夜がやってくる。暗闇を満たす静謐の水がすぐそこまで迫っている。手首を浸せば、爪先を濡らせば、たちまち私たちは人間の人間たる部分が溶け落ちて、形の定まらない私の私たる部分が蛍光灯のもとに曝される。私は、自分と巽に、透き通る天使の翼が背中の肉を割って生えてくるイメージをした。目を醒ました私たちの獣性と陰鬱が行き着く先はどこだろう。きっと今夜もまた、なに一つ得られずに明日の朝を待ち、陽光の神聖に怯えて眠ってしまうのだろう。

わたしたちはどう祈っても人間以外の何者にもなれないのだから。


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同居人とのこと あめすきとおる @amsk1066

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