最終話 消滅と息吹
《境界渡り》が完全に停止してから、十分が経過した。
通信機から海馬の声が響く。
「こっちの《揺り影》は消えた。今から弓玄の方に向かい、《境界渡り》を始末する」
「待ってください。まだ葛切が出てきてない」
「何か変化があってからでは遅い。《境界渡り》が動かないなら、今のうちに仕留めるべきだ」
合理的で正論だった。
しかし、佐垣は反論する。行け、と促したのは自分なのだ。
「可能性はまだ残ってる。浦元と葛切まで呑み込んだからには、《境界渡り》にも何かの反応が出るはずです。もう少し待った方がいい」
「その反応が出てからでは遅いと言ってるんです。弓玄、重殻を使ってとどめを刺しなさい」
「断ります。俺は、あいつが出てくるまで力は使いません」
通信機越しに、海馬が珍しく動揺した気配があった。
しばらくの沈黙を経て、矛先が変わった。
「南郷、お前から見て《境界渡り》の状態はどうだ?」
「悪い感じはない」
「……なら、あと十分だけ待つ」
「ありがとうございます! 海馬さん」
「動きがあったらすぐに連絡しろ。私も向かう」
ぷつっと通信が切れた。
佐垣はほっと胸を撫で下ろしつつ、眼前の《境界渡り》の動きを見逃すまいと腕を組む。
海馬に言われるまでもない。
もしも、状況が最悪に向かって転がるようなら、自分の全力をもって葛切と浦元ごと、《境界渡り》を消滅させるつもりだ。
それが、強い意思を持つ《世得》の背中を押した者の責任だ。
どんな結果であれ、見届けなければならない。
「早くしろよ」
しかし、焦る気持ちはどうにもならない。
いつでも動けるようにと、《世斬蔵》を維持し続けて膨大な《曜力》を消費していることも大きい。
大技を使うためには、早いにこしたことはない。
「偉そうに俺に説教したんだ。死んだら殺す」
悪態をついた時だった。
《境界渡り》の口元に別の大きな穴が開いた。
そこから白い鎧を纏った光矢が浦元を抱えて飛び出した。
空中で親指を立てた姿を見て、佐垣はすべて察した。
相馬はやはり助けられなかった。境界を渡って、無事に戻ってきた《世無》はいない。その前例は覆せなかった。
しかし、一人、光矢もいれれば二人が帰ってきた。
これ以上は望みすぎだろう。
「よくやった」
人知れず褒めた佐垣は、最後の始末を開始する。
「《世斬蔵》全開錠」
扉にかかった錠前が弾けるように開いた。
限界まで開いた扉から、紅い光輝があふれ出す。
佐垣はその光を全身に浴びる。
すると、黒曜鎧が見る間に溶け去り、燃えるように紅い鎧が現れた。
「じゃあな、相馬」
背後で無数の紅い波紋が生じた。渦巻く《曜力》も紅く、動きは激流だ。
両脚で大地を踏みしめ、腰を落とす。
両腕を密着させると、四肢に紅い渦が巻きついた。
「《紅竜砲》」
地響きが共鳴するように鳴る。
周辺に嵐のような風が巻き起こり、視界が塞がっていく。
その中を、紅い竜に似た砲撃が影絵のように通り抜けた。
《境界渡り》の背後に黒い渦が巻いた。
存在を引きずり込む死のゲートだ。すさまじい大きさの渦に押し当てられるように、《境界渡り》の巨体がずぶずぶと沈んで消えていった。
「終わったな」
静けさとともにやってきた一陣の風が、佐垣の頬を撫でた。
***
「浦元は無事か?」
「寝てるだけみたい」
白い鎧を纏う光矢と、紅い鎧を纏う佐垣が向き合う。
二人の鎧は酷似していた。
「なあ、葛切……体、なんともないか?」
「今は大丈夫」
「今は、ってどういう意味だ?」
「《境界渡り》の中で相馬と話してるときは、自分が自分じゃないような違和感があった。映像を見てるって感覚が近いかもしれない。どうやれば助けられるとか全然知らないのに、なぜかわかるんだ」
光矢の言ったことに佐垣は心当たりがあった。
過去、同じ経験をしたことがある。
《境界渡り》の中では、まず時間の感覚が狂う。さらに常に誰かに見張られているような無数の視線を感じるうえ、上下感覚や方向感覚が失われることもある。
その異常な現象から身を守るための自己防衛が働いた結果だと思っていたが、知らないことが突然わかるようになるところまで同じだとすると、偶然と言い切るのは難しい。
「あっ、佐垣――お願いが一つある」
「お願い? なんだ?」
「蹴らせてくれ」
「……は?」
「一発でいい」
「一発も二発も嫌に決まってるだろ」
「相馬の頼みなんだ」
「……相馬と話せたんだな。なんて言ってた?」
「ありがとうって」
「そうか……って、その話でどうして蹴りがいるんだ? いらないだろ」
「まだ、全部話してない」
「全部聞いてから、考えてやる」
「全部聞いても蹴らせないだろうから。先に蹴ろうかって」
佐垣の端整な眉の片方が上がった。
「先に話せ」
「ホームに帰ってからにする。みんな心配してるだろうから」
「おい、葛切、今話せ」
「海馬さん、大丈夫かな」
「白々しいんだよ。それに、海馬さんをお前ごときが心配していいと思ってるのか?」
「浦元さんも早く寝かせないと。相馬に怒られる」
「おいっ、待てって!」
光矢は空中に浮かび上がった。
佐垣が慌ててついてくる。
気になることは気になるのだ。
***
一週間後。
ようやく三途渡町の修復方法に目途が着いた頃。
ニンブルマキアの会議室に、メンバーが勢ぞろいしていた。
千丈が中央に立ち、八重山が「入場です!」と勢いよく扉を開けた。
開け間違いを防ぐために、中から開けるようになったらしい。
「よ、よろしくお願いします。浦元千衣です!」
茶髪で丸い瞳の少女が入ってきて、勢いよく頭を下げた。
「そんなに緊張しなくても」
「で、でもでも、ニンブルマキアのみなさんの活躍はずっと聞いてたから。すごい人ばかりだし」
「ほう……」
千丈がぴくりと反応する。
「千衣ちゃんは、特に誰がすごいと思ってるのかな?」
「それは……もちろん弓玄さんです!」
顔を真っ赤にした浦元は、部屋の奥で物憂げに立つ青年にちらりと視線を向けた。
しかし、当の本人に反応はない。
「まーた、弓玄かよ」
「おもしろくないわ」
石榴が口を尖らせ、白友がわざとらしく困った表情を作る。
「佐垣、うらちーになんか言ってやれよ」
「あっ、亜美ちゃん先輩優しい!」
「ちゃんは余計な。次ふざけたら、肉おごらせるから」
北大我の援護射撃を受けて、物憂げな男が浦元を一瞥する。
「《世得》昇格おめでとう」
「あ……ありがとうございます!」
「早く自分の力にしろよ」
佐垣はそう言ったきり、部屋を出て行く。用事は済ませたという意思表示だ。
北大我がふくれっ面で言う。
「あいつ、一言多いな」
「いいって亜美ちゃん。ほんとのことだし。相馬からもらった力が半分以上だから。半人前と半人前を足してようやく一人分なんだもん」
しんみりし始めた空気の中、八重山が笑顔で尋ねた。
「相馬さんの《黒曜》はもう馴染んだんですか?」
「あっ、はい! 光矢さんから渡された瞬間に手の中で消えちゃったんですけど……全部、もらえたみたいです。あいつ……一人だけ満足して死んじゃって……私が寝てた時に全部聞いてたって知らなかったんだろうなって……ほんとになんなんでしょうね」
尻すぼみに小さくなる声に、海馬がかぶせるように言った。
「減点1。ニンブルマキアに入るからには強い意思を持ちなさい。浦元が誰から力を受け継ごうとそれはもうあなたのものです。どう使うかは、活動次第。もやもやするなら、胸を張れるまで、まずは走りなさい」
「海馬さん……ありがとうございます! がんばります!」
海馬が「パーフェクト」とつぶやき、眼鏡を上げた。
そして、鋭い視線を壁際に立つ光矢に向けた。
「簡単ですが、浦元の入団式はこれで終了。で、葛切は?」
「俺も――ニンブルマキアのメンバーとして戦わせてください」
一際大きな拍手が鳴った。
一番強く叩いているのは八重山だった。
海馬がそれらを身振りで制止し、尋問するように言った。
「その理由は?」
「俺も、みんなと同じ場所で守りたいからです」
「何を?」
「手が届くものを全部」
「パーフェクト。改めて歓迎する。葛切光矢」
海馬が大きな手を伸ばし、光矢が握手で応じた。
「光矢さん、がんばりましょうね! 私のカウンセリングもたまに来てください」
八重山が側に来て小さく拳を握りしめる。
「私は、とっくにメンバーだと思ってた」と北大我が気だるそうに言うと、石榴が「今夜は祝い酒だな」とカップを呷る仕草を見せ、白友が「一気に大人になっちゃった」と残念そうに眉を下げた。
そして、千丈が「そういや弓玄には光矢くんの件は言ったのか?」と問うと、誰かがふき出した。
「どうした?」
「なんか色々あって、弓玄のやつ、光矢くんにケツを蹴られて痛いらしいですよ」
「はあ?」
石榴の説明に、千丈が首を曲げた。
何人かは知っているようだったが、誰も詳しく説明しなかった。
ただ、浦元が控えめに付け加えた。
「罰だからってことで、弓玄さんは我慢して蹴られたそうです」
「さっぱりわからん」
肩をすくめた千丈に、浦元は楽しそうに笑みを浮かべた。
~END~
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
回収できていないネタもありますが、一区切りついたのでこの辺で。
黒白のニンブルマキア 深田くれと @fukadaKU
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