第28話 相馬という少年

「浦元っ!」


 呑み込んだ口元に、佐垣が《旗艦斬刀》を突き刺した。

 障壁が割れたのか、《境界渡り》が激しく暴れる。


「吐き出せ、相馬! そんなことは認めない! 浦元はお前を好きだったんだぞ!」


 佐垣は凄みのある眼差しで暗い口の中を広げようとした。

 しかし口内が黒く光る。

 一瞬で弾けた暗い閃光。

 無情にもゴロゴロとグラウンドに吹き飛ばされた佐垣の上半身の鎧が崩れかけていた。

 《境界渡り》の表情がぎしりと固まった。

 そして、喜悦の表情を浮かべ、急に悲哀の顔に変わる。

 それを何度も繰り返す。


「佐垣っ」


 光矢が舞い降りる。


「あいつ……浦元を喰いやがった。相馬の背中を誰より追いかけてたやつを……くそっ」

「――俺が突っ込むよ」


 光矢が言った。声に切り込むような緊迫感がある。

 佐垣の整った顔から表情が消えた。


「……何言ってるかわかってるのか?」

「俺なら入れる」

「何も根拠が――」

「根拠があるかないかじゃないんだ。なんて言うんだろ……確信?」


 口から滑らかに言葉が出た。

 呆気にとられる佐垣は、「ふざけんな」と肩を押した。


「お前、《境界渡り》の体内がどうなってるか知らないだろ!? あそこは別世界だ。内臓の中を泳げって言われた方がまだマシだ。意識を保つことすら難しいんだぞ! 仮に入れたとしても――今度は葛切が帰れない」

「賭けはやってみなくちゃわからない」

「それは賭けじゃない。ただの無謀だ!」


 荒い息を吐く佐垣に対し、葛切は腹の中の空気をすべて吐き出すように、すうっと息を漏らした。


「ニンブルマキアは、強い意思を尊重する」

「……お前」

「やらせてくれ、佐垣。このまま放っておいたら、相馬も浦元も死ぬんだろ?」

「……死ぬ気じゃないだろうな?」

「そんな気はないよ。本の仕入れの仕事をもらったところだし」


 光矢は勝ち誇ったように笑う。


「葛切……だいぶ印象が変わったな」

「狭い家で死んで、人に会うようになった。守りたいって思うことも増えた。変わったとしたら、俺じゃなく、みんなのおかげだと思う」

「――行け。援護は俺がする」


 佐垣が膝を抑えて立ち上がる。

 そして――


「《世斬蔵》」


 空中に波紋が生じた。

 蔵が大地からせり出してくる。黒い屋根瓦から白い漆喰の壁、頑丈な錠前。


「《世々開闢》」


 佐垣が右腕を突き出すと腕に砲台が乗った。

 紅い光が渦を巻いて、銃口に吸い込まれていく。

 極限まで圧縮された弾丸が発射された。


「行けっ!」


 光矢はその言葉の前にはすでにスタートしていた。

 全力で空に飛びあがり、待機する。

 遅れて佐垣の砲弾が、《境界渡り》の紅い障壁に衝突した。瞬く間に割れ、そのまま首元に弾丸が命中し、爆発した。

 ぐらっと巨体が揺れ、遅れて後ろに倒れていく。


 光矢は意識を集中する。

 経験はなくとも、何かの直感が教えている――このタイミングだ、と。

 全身に障壁を纏い、直滑降で《境界渡り》が大きく開けた口の中に飛び込んだ。

 視界が暗くなった。

 最初に訪れたのは上下左右の感覚の麻痺だった。

 体がぐにゃりと曲がったような気味悪い感触を抜け、薄暗い道に出た。

 ふと、自分の体に目をやった。

 いつの間にか黒曜鎧が完全に溶けている。しかし、白い鎧は健在だ。

 周囲を見回すと、とある方向に光があった。

 光矢は走った。

 不思議なことに《黒曜》の力は機能しない。通信もダメだ。


「ここは……」


 出た場所は、初めてみるT字路。幅の広い交差点だ。

 背の低いビルが並ぶ国道沿いといった光景だった。

 自動車が先を競うように車線変更して前を走っていく。

 大型トラックがやってきた。

 右折指示器を点灯させ、横断歩道を横切る形で曲がった。

 歩行者信号は青だ。

 そこに、一台の自転車が走ってきた。

 光矢は気づいた。

 乗っている人間は――浦元千衣だ。

 けたたましい衝突音が鳴った。一方的な重量の暴力だった。

 浦元千衣の体は原型をとどめないほど崩れていた。


「違うだろ?」


 光矢はその映像を見せた主に、尋ねるように言った。

 交差点の現場に近づいた。

 揺らめくように映像がぶれた。

 現れたのは、道路に膝をついて涙を流す、相馬だった。

 周囲の映像が止まった。


「俺はこんなこと望んでない! 千衣を傷つける気は絶対ない――」


 相馬は光矢に走り寄った。

 顔がくしゃくしゃだった。


「本当なんだ! 俺は千衣を死なせたいなんて思ってない! でも、何かがやれって! 頭の中から声が消えないんだ!」

「そうか。なら――本当の映像を見せてくれないか? 浦元さんじゃない映像があるんじゃないのか?」


 その言葉に、相馬はぎょっとした顔で後ずさった。

 何か後ろめたい気持ち、そして恐れが透けて見えた。

 光矢は答えを待った。

 その答えは、相馬自身が口にしなければならないと直感していた。


「俺は――」


 相馬の一言で、映像が巻き戻った。

 同じだ。

 右折指示器を出した大型トラックが、横断歩道を横切る形で交差点に進入した。

 ――『歩行者信号は赤』だ。

 完全に赤色のそこに、自転車にのった相馬が無理やり侵入した。

 トラックが止まると思ったのか、スピードは落ちなかった。

 そして、同じ結果となった。


「これが……君が死んだ原因か」

「ち……違う……、俺は信号を守ってた。トラックが全部悪いんだ……」

「佐垣は、浦元さんが君の背中を追いかけてたって言ってた」


 光矢はいたたまれない気持ちで言った。

 相馬の瞳からぽろっと雫が溢れた。


「……あの日、急いで塾に向かってたんだ」


 相馬は腕で涙をぬぐった。


「この信号を逃したら遅れるって思って自転車で突っ込んだ。それで死んだ……《世無》になったときに、どうしようもなく後悔したんだ。ケンカした母さんへの申し訳なさと、でも自分がバカやったせいだっていう情けなさが、ずっと嫌だった」

「それを振り払う為に訓練を?」

「うん……《世得》になれたら、全部なんとかなるって思って。そんな時に千衣がやってきた。千衣は普段は不真面目だけど、陰でずっと訓練してるのは知ってた。いつからか、そんな千衣のことが……気になった。でも――そんなバカがばれた日が来た」


 相馬が諦めたような表情で、トラックの荷台を見つめた。


「自分は間違ってないって認めてほしくて、加部先生に全部話したんだ。そしたら、いつの間にか、千衣が廊下で聞いてたみたいでさ――『それ、あんたが悪いでしょ』って」

「そうか……」

「千衣に言われるまで、そんなことにも気づけなかった俺はバカだなって思って、すごく自分勝手で恥ずかしくなった。それから、千衣の視線がつらかった。どれだけ頑張っても認めてもらえないんじゃないかっていう恐怖――それと弓玄の言葉が変わったのがそれ以上にきつかった」

「佐垣の言葉が?」

「うん……あいつって、隠すの下手だろ? いつだったかな。『よくやった』『いい攻撃だった』って気色悪い笑顔で言ったんだぜ。昨日まで『そんな攻撃がきくかよ』『へたくそ』って冷たい目で言ってたやつが」


 相馬がやるせない顔で天を仰いだ。


「バカな俺でも気づくって。ああ、俺はダメなんだって。千衣の手前、がんばらないわけにはいかないけどさ……さすがに無理だった。だから、《境界渡り》に捕まったときは、どっかでほっとしたんだ。これで終われるかなあって。――そういや知ってる? 俺の体」


 そう言った相馬はTシャツをめくった。

 脇腹の辺りが石化し始めていた。


「《黒曜》って残酷なんだ。心が折れたら、一気にくるんだよ。もう千衣の膝よりひどいんだ。あんなに《黒曜》と戦える千衣はすごいよ」

「……浦元千衣を狙ったのは、妬み――じゃないよね?」


 光矢はおどけたように首を傾げる。

 相馬が降参とばかりに両手を上げた。


「好きなんだ。ずっと前から。冷たいのに温かいっていうのかな……芯の強さっていうのかな……とにかく全部いい」

「《境界渡り》としてこっちに戻れた理由だろうね。もし、全部つらくて逃げたいだけだったら、ここには戻りたくないだろうから」

「でも、何度も言うけど、化け物になってからは俺の意思じゃない。千衣を傷つけたいって思ったことはない。千衣が欲しい――って思いだけが、勝手に使われてるんだ」


 相馬がぐるりと視線をめぐらせた。


「浦元さんは今どこに?」

「そこのトラックの荷台」


 光矢が飛び乗ると、確かに浦元千衣が眠っていた。

 頬に涙が伝った跡がある。

 抱えて飛び降りると、相馬が嬉しそうに言った。


「寝顔見るのは初めてなんだ。じろじろ見るのは怒られそうだけど」


 光矢が相馬に手を伸ばした。


「二人なら、連れて行ける」

「わかってて言うのは残酷だろ、兄ちゃん」


 相馬はTシャツを完全に脱いだ。

 さっき見たときよりも、格段に石化が広がっていた。

 浸食が目に見えて早くなる。


「もう意識が保てなくなる。頭の中で、千衣を殺せって誰かが怒鳴ってる。だから、代わりにこれを連れていってくれ」


 伸ばされた手に、三センチほどの黒い塊が載せられた。


「嫌じゃないなら、千衣に。今までの俺の全部」

「確かに受け取った。あとは?」

「弓玄に――バレバレで傷ついたぞ、って言ってから蹴ってやって。あと――ありがとうって」

「確実に言って、蹴りを入れとく。じゃあ、俺はこれで」


 光矢は踵を返した。

 その背中に声がかかった。


「なあ、兄ちゃん――あんた、弓玄と一緒に来た人だよな? 別人じゃないよな?」

「どうしてそう思う?」

「雰囲気が全然違うから」

「鎧が違うから、じゃないかな」


 相馬からそれ以上の言葉は返ってこなかった。

 浦元千衣を担いで、光矢は暗闇に向けて歩き出した。

 道が目の前に一直線に現れていた。

 光の中で、「良い人生を」という声が響いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る