二 流行(トレンド)
僕は、高校に入ってから小遣いとして月に五千円ほど母親からもらえることになった。今思うと、大金を使う機会は少なく、スポーツ用品なんかは買う時々に親に金をもらっていたもので、足りないと思うことはさほどなかった。主な使い道は食費であった。中にはバイトをしてライブに行ったり旅行に行ったといというような高校生もいたのかもしれない。しかし、僕みたいな部活生にはバイトをするような暇はなかったし、別に金が無くったって良いとすら思っていた。
金のことはさておき、僕が入部したラグビー部は僕の予想を遥かに超える厳しい集団であった。まず、一人称は「自分」以外許されない。「僕」や「私」でも通用しないのである。続いて、先輩に会った際は、大きな声で挨拶をしないといけない。それも「こんにちは」を表す「ちわ!」や、「ありがとうございます」を意味する「した!」、「お先に失礼します」を意味する「しゃす!(します?)」がはっきり大きな声で言えないといけないのである。他にも様々な決まり事があるが、これらのことが守れていない場合、「指導」というものが執り行われる。内容は名の通りで、いわゆるお説教である。早速自分たちラグビー部一年の中では、「自分」が流行した。何にせよ、今まで自分の場合一人称は「僕」であったし、他の人間も気取って「俺」を使っていたわけで、「自分」という言葉に新鮮さを感じていたことに間違いない。皆ふざけて何時も一人称を「自分」にしたものだ。
そんなもんで、自分は先輩がいない時でも「自分」という言葉が出てくるように意識した。もちろん、理由は先輩から指導を食らいたくなかったからだ。万が一指導を食らった場合、ラグビー部一年全員が先輩に呼び出され、グランド横の路地で説教を食らうのである。近所迷惑だが、何年も前から続く伝統行事みたいなもので、近隣住民も文句を言ってはこなかった。自分は常日頃から、誰か文句を言ってくれれば、自分たちがこんな思いをしなくても済むのにと思っていた。
こんなこともあり、一年の間では、先輩たちの愚痴が絶えず語られた。遅れてないのに遅れただの、大きな声を出しているのに声が小さいと言われただの、理不尽極まりない部活動生活の不満を互いに吐き散らかしていた。また、自分たちには部室が与えられていなかったため、しばしば近くの東公園という公園に集っていた。この公園は高校の近くにある福岡県庁の目の前に位置する公園で、中央には噴水と豊臣秀吉の銅像が飾られている。都市伝説では、朝鮮出兵で豊臣秀吉に捕らえられた朝鮮人の鼻や耳が多く埋められている耳塚なのではないかと噂されているが、自分らには特に興味はなく、金がなくても時間潰しになるからこの公園で屯していただけである。洒落た高校生ならば、スタバでなんたらフラペチーノを買い、それを吸いながらデートをしたりするのだろうが、自分たちにはそれをする金も相手もいない。当時はワンダイレクションやシュプリームが流行の最先端を飾っていた。多くの高校生はBluetoothイヤホンを耳に挿し、高価なものなのか知らないがシュプリームのシールを貼ったペンケースを出し、単語帳を広げながらマックで勉強ごっこをしていた。流行りの鞄を背負いすらっとしてイケメンな男子高校生と、チェックの短いスカートを履いたポニーテールで韓流メイクの女子高生が手を繋いで人気の少ない場所を歩いてる様子を見て、自分は流行になんて乗りたくない、乗ってしまっては自分らしさが欠けてしまうなんて思っていたものである。率直に、羨ましかっただけだと思うが・・・。
そんな彼女も金もないただのラグビー部一年で流行ったことは「自分」や先輩の愚痴だけではない。とある曲が自分たちの人生を変えたのだ。
「新町」である。
知る人ぞ知る曲であるが、自分ら九十七年生まれもしくはその近辺の世代では知っている人も少なくはないだろう。この曲は青森最後の詩人ひろやーという人物が作詞作曲した曲であり、YouTubeにて動画として投稿されていた。金がない自分たちにとってタダで聴ける曲ほど画期的なものはなかった。そして何よりこの曲は歌詞が最高なのである。
まず、イントロでアコースティックギターの音色を嗜んだ後、
「あ〜あ〜、した〜い〜よセックス。オリオン座の下で〜セックス」
で始まるのである。
十五、六の思春期真っ只中にあった自分たちにとって、どれだけこの歌詞がキャッチーだったか、世の中の男性には分かってもらえるはずだ。とにかく、自分たちは登下校中や休み時間、どんな時もこの曲を口ずさんでいた。下品といったらそれまでかもしれない。しかし、後々わかることだが、こんなもの序ノ口である。
こんな感じで始まってしまったラガーマンライフであるが、こんな自分にも女友達がいなかったわけではない。中学で塾が一緒だった女子の中で最も親しかった歩実とは時たま喋る仲であった。廊下や登下校の際に会えば少し喋るくらいの間柄であった。彼女は性格が良く、普段女性と喋るのが苦手な自分でもフランクに喋れる存在であった。おそらく、ボーイッシュな彼女の雰囲気が自分をそうさせていたのかもしれない。彼女の口癖は「ウケる」だった。「ウケる」と言う時、その人の心は笑っていないことを自分は知っていたが、気に留めず無頓着なそぶりをした。彼女の笑顔は自分にとってモチベーションでもあり、癒しでもあったからだ。要するに、空気を読まずに図星を突き止めると、嫌われるような気がしていたのだ。
そんな歩実とは、たまに一緒に帰る機会があった。というのも彼女は塾に通っており、普段は部活が終わると天神の方へと行ってしまうのだが、週に一度だけ、塾がなかったもので、私はそのタイミングを見計らって、偶然を装ったかのように待ち伏せをしていた。彼女を待っている時のもどかしさと、ワクワクというかドキドキというか、なんとも言えない精神状態は今でも忘れていない。
「ごめん、お疲れ」
歩実のこの一言が、トレーニングやフィットネスで疲れ切った自分の体を軽くさせた。
たかが十五分、されど十五分。
彼女と話す何気ない時間が自分を変えていった。内容なんて、部活であったことや授業のことばかりだけれども、楽しかった。その日の中で、最も素敵な時間であったことに違いはない。
二人でいる時の彼女は普段学校で見かける姿と違って見えた。普段はクールでフレンドリーな、なんというかイケメンと言った方がいいような雰囲気で、女性らしさが見受けられなかった。しかし、二人でいると、バッグを両手で持ったり、信号待ちのときにゆらゆらしてみたりして仕草が女子らしくなるもんで、それが自分にとっては愛しく可愛かった。お互い馬が合うもんで、学校にいる時はクールに接してくるのに、二人でいる時は驚いて見せたり、たまには本気で心配してくれることもあった。そんなギャップに自分がハマりつつあることにも気づかず、自分は毎日明日も会えるかどうかばかり気にしていた。
何度か歩実と帰るうちに、歩実が他の人のものになって欲しくない気持ちが自分の中に芽生えてきた。
まだ、告白する勇気は多分無かったような気がする。というより、自分が歩実のことを好きなのかどうか、自分自身が気づけていなかったのかもしれない。
ある日歩実が髪をショートにした。
今まではおさげに近い、肩くらいの長さだったが、より短くなり、余計ボーイッシュな雰囲気が増した。それでも、自分にとっては素敵に見えた。
唐突に彼女がこう言った。
「最近男性の短い髪に流行っとるっちゃんね。」
自分は「そうなん」の軽い相槌で返したが、心の中では明日切るしかねえなと心に決めていた。
当時、私はラグビーを初めてまもなく、五郎丸が流行りではあったものの、他の選手を知らなかったため、床屋へいくなり、
「五郎丸みたいな髪型ってできますかね?」
そそくさにお願いしてしまった。
要するにショートモヒカンみたいなもんで、もっといい頼み方があったはずだが、自分はなんとしてもかっこいいラガーマンになってやりたかった。
これで歩実の心を射止めたら、彼女は自分へ思いを寄せてくれる、そんな期待が自分の胸を騒がせた。
次の日の学校で、ショートモヒカンのような髪型になって初めて歩実にあったが、やはり彼女からの返事は「ウケる」だった。
道草優等生 ロマニティック @romanitic
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