第12話 番外編
わたしの名前はサンディ・マークレンガー。宮廷音楽団で中型の弦楽器を担当して二年になります。
今日は王様からの個人的な依頼で特別勤務が入りました。
そしてその勤務には特別手当てが支給されるそうです。
出張先は東の離宮。ふむふむ。王太子のお住まいね。確か王太子様は最近ご結婚されたばかりよね。
場所は庭園。ふむふむ。お茶会でも開かれるのかしら?
時刻は今宵の月が真上に上る頃?え?そんな夜更けに庭園で?
夜会などの演奏で夜の勤務には慣れている。だからといって夜の野外は夜露が楽器に悪い。メンテナンスが大変だし、譜面は見づらいし、メンバーとの呼吸が合わせづらいから気が進まない。
東の離宮への出張は、指揮一名、小型弦楽器一名、中型弦楽器二名、大型弦楽器一名、現地設営二名の計七名で赴いた。
いつもより早めの夕食を済ませると、東の離宮の執事をされているエドモンド様との打ち合わせや簡易舞台等の設営作業をする。
演奏時刻は王太子様と王太子妃様の就寝前に寛がれている時間。
演奏時間はおよそ五曲分。
演奏開始と演奏終了の合図は携帯用のランプで大きく円を描く動作をした時。
準備や撤収はなるべく静かに。という事だった。
すっかり日も暮れた夜のとばりの中、目立たないよう、最小限のランタンの灯りを頼りに舞台を建物に向かって演奏するよう設営した。
執事のエドモンド様との打ち合わせの内容や、舞台以外の会場準備(テーブルや椅子、料理、会場の装飾)が一切無いこと、それに舞台の向きなどで、今回の演奏依頼の趣旨がようやく理解できた。
新婚蜜月中である王太子様の寝る前のいちゃいちゃタイムをロマンティックに演出しろってことでしょ?
やってられないわ。婚約者も恋人さえもいないわたしにはやる気の出ない仕事ね。
特別手当てが支給されるとはいえ、つい心の中で悪態をついてしまう。
設営も終わり控え室で待機していると、王太子様が戻られてご就寝の準備に向かわれたと連絡が来た。
私たちは急ぎ楽器を手にして庭園へ向かった。庭園では一足先に設営担当の者が舞台上をぐるり一周と置かれたランタンの火を灯していた。
簡易舞台は近寄って良く見てみれば、ただの板を張った木枠の寄せ集めでしかないのにランタンに明かりを灯せば、闇夜にぼんやりと浮かんでどこか幻想的な風景だった。
それを見てこんな所で演奏するのかぁ、綺麗に見えるのかなぁ。などと考えたりする。
舞台に上がると、なるべく音を立てないように譜面の準備をしたり、椅子の位置を微調整する。
暫くすると建物の壁際に待機していた使用人さんが、持っていた携帯用ランプでぐるぐる円を描いた。
王太子様が寝室に入られたようだ。
その合図に合わせて指揮者が音合わせの指示を出す。
「ラ──────────♪」
予め楽器は調弦してあるが、気温と夜露の影響で少し音が狂っていた。暫くしてメンバー全員の音が合った所で、指揮者が左手のこぶしで『止め』の合図を出す。
一瞬、吸い込まれる様な静寂に包まれた後、指揮者の最初の一振りと共にメンバーと息を合わせて演奏が始まった。
演奏曲はスローテンポのしっとりとしたものだ。静かな夜に溶けて広がっていく。
しばらくするとあちらこちらの部屋から、寝着姿の女性が窓を開けてわたしたちの演奏を聴いている。
テラス付きの部屋では、テラスまで出て来る女性もいる。
すると女性にそっと近付いた男性が肩を抱き寄せている。
どの部屋の男女も似たような行動だ。
視界の隅でそれを捉えると、軽く苛立ちを覚える。はっきり言おう。それは妬みだ。
あの人達の中にはきっと王太子様と王太子妃様がいらっしゃるのね。
どんな会話を交わしているのか手に取るようだわ。
『ダーリン、見て。素敵な演奏よ。』
『そうだね、ハニー。君を驚かそうと思ってパパにお願いしたんだ。』
『まぁ。わたしのために?嬉しいわ。』
『夜露は体に悪いよ。さぁ、中に入ろう。』
『えぇ、ダーリン。』
『一緒に踊ってくれるかい?ハニー。』
『えぇ、喜んで。』
とか何とか言ってるんでしょ!!どうせ!!安っぽい会話ね!!ふんっ!!
妬みすぎて変な妄想までしてしまったわね。落ち着け、わたし。
心を一旦落ち着かせて再び視界の隅で建物を見れば、窓には部屋の灯りで人影が映し出される。
多くの部屋では、お互いの頬が触れてしまいそうなほど体を寄せ合い緩やかに踊っているのが分かる。
あの部屋はご高齢の夫婦かしら?ああいうのって憧れるわね。
あの部屋は少年と母親、少女と父親の組み合わせね。ふふ。仲の良い家族。そんな元気に踊る曲調じゃないわよ。でも楽しそうだからいいわね。
あの部屋は・・・。一人で仮想のお相手と踊っているわ。あぁ、わたしの仲間。あなたのためにも心を込めて演奏するわ。
あら?あの部屋は男性同士かしら?同僚の演奏家にも多いのよね。男性カップル。あの人達が言うには『一生好きな人とは踊れない。』って言っていたわね。
今宵は存分に踊りなさい。
この建物に住んでいる人達に少しだけ気を取られていたら、携帯用ランプで合図を送る使用人さんが、ランプで円を描いていた。演奏も終わりに近づいていた。
最後は曲の終わりの八小節を、パートが分かれる事なく同じ音階で繰り返す。
そして繰り返す度に一人ずつ演奏から抜けていく。
一巡目は全員で。そして小型弦楽器の演奏が終わる。
部屋の灯りが少しずつ消えていく。
二巡目は三人で。そしてわたしの演奏が終わる。
三巡目は二人で。もう一人の中型弦楽器の演奏が終わる。
四巡目。大型弦楽器のみの演奏。
その頃にはほとんどの部屋の灯りが消えていた。
最後の大型弦楽器の演奏は、まるで『お休み』と語りかけるようにゆっくりと、そして静かに演奏を終えた。
演奏が終わるとそこには闇夜と静寂しかなく、わたしたちがその静寂に溶けてしまいそうでしばらく動けなかった。
だけど心は充実しているのを感じた。
この仕事、まんざら悪くはない。
寒い季節じゃなければ、また引き受けてやらないこともないわね。
さ、音をたてずに撤収よ!
新婚王太子はようやく妻を上手に愛せるようになりました【改】 斉藤加奈子 @kanak56
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