腹八分目
292ki
メガ盛り牛丼チーズのせ生タマゴ付き
借金のカタに怪しいバイトをさせられている。
変態御用達の地下クラブの従業員。世間知らずのいいカモだったおかげでこんなところに放り込まれたと思うと、過去の自分の能天気さに頭が痛いばかりだが、こんな場所でもいいことはある。
ここには女神がいるのだ。
源氏名はアリス。ふわふわひらひらフリルだらけの汚れひとつない真っ白なワンピースドレスに黒くて艶やかなロングヘア。髪に映える鮮やかな青色のリボン。その貌は神様が悩み通して作ったのだろう。バランスよく、美しいパーツが配置されている。
見た目は文句なしの満点。加えて、彼女の商売道具は歌だ。時に少女らしく、時に大人らしく高らかにその美しい歌声で皆を魅了する。地下クラブの美貌の歌姫。俺の女神。
彼女を一目でも見ることが出来るのが、この何時しょっぴかれるかもわからないブラックな職場での俺の唯一の楽しみで、救いだった。
惜しむべくは、俺は彼女のことを知る機会がないことだ。下っ端従業員は彼女に話しかけるのこともできないのだから。
今日も今日とて馬車馬の様に働かされ、ボロボロの体を引きずって帰路に着く。腹の虫は随分前から限界を訴えており、疲労困憊の体では家で自炊する気も起きなかった。痛い出費だが、今日の夕飯は外でとることを決める。余計な出費の原因は、確実に俺のことをいらないパーツだとでも勘違いしている店長のせいに違いなかった。
「あのクソ店長め…死なない程度に苦しんで禿げろ…」
呪詛を吐きつつ、俺が入ったのは全国チェーンの牛丼屋だ。ここの牛丼は安くて中々にボリュームがある。貧乏人にも優しいお店だ。
店先に置かれたメニューを見て、とりあえず並盛にするかと決める。店内に入ると、フワッと牛丼のタレのいい匂いに包まれた。はやく食わせろと腹の虫が一際うるさく騒ぎ出す。
「らっしゃませー」
やる気のない挨拶をする店員に注文をし、手を消毒してカウンター席の一つを陣取る。
隣にはマスクをした大学生くらいの青年が一人。足を組みながらスマホを弄って自分の注文を待っているようだった。
「おまたせしましたーメガ盛り牛丼チーズのせ生タマゴつきでお待ちのお客様〜」
俺がお手ふきで手を拭いていると、ちょうど隣の青年の注文した品が席に運ばれてきた。それは思わず二度見してしまうくらいにはインパクトの強い代物だった。
メガ盛り牛丼チーズのせ生タマゴつき。名前に違わずご飯も肉もモリモリに盛られている。その上に雪の様に積もっているのは大量のチーズ。傍らには生タマゴが鎮座している。正にザ腹ペコ男子向け特盛メニューだった。
「あ、ありがとうごさいます」
青年は礼を言って店員からトレイを受け取る。普段の俺ならばそこでその青年を観察するのは止めていただろう。大学生くらいの年頃の男の子ってやっぱりよく食べるんだなぁ。それくらいの感想しか抱かなかったはずだ。
だが、俺の目線は青年に釘付けになっていた。いや、青年ではない。青年が店員に顔を向けたことで見えたその髪を彩る青色のリボン。それから目を離せなかった。
それは、俺があの地下クラブで遠目から何度も何度も見ていたものだ。あの、憧れの歌姫の、俺の女神のトレードマーク。
いや、まさか。いやいやいやまさか。目の前にいるのはどう見たって男だった。いや、マスクしてるから顔まではわからんけど!見える範囲はめちゃくちゃ整ってるけど!
俺が混乱しているうちに青年はメガ盛り牛丼に向かい、卵を割った。金色の輝きが頂点に煌めくとそれを箸でかき混ぜ、さっさとマスクを外して大きく口を開けて牛丼を食らった。マスクの下から現れたのは女神の美貌だった。
ずっと知りたいと思っていた女神がそこにいる。
女神がメガ盛り牛丼を食らっている。
「ええぇぇえええええぇぇえええええええぇぇえええええええぇぇえええええ!!??」
俺は思わず、店内だということも忘れて叫んでいた。
いきなり叫び出した俺に店内中の視線が集中する。特に目の前の女神(仮)は俺が自分を見て叫んだのが分かっているので、一際怪訝そうな顔をしていた。しかし、俺と顔を突き合わせ、モゴモゴと暫く咀嚼を繰り返しているうちにその表情は次第に得心がいったという風に変わっていく。
「んぐ。あー、あんた。地下の人だろ」
飲み込み終わったと同時にかけられた言葉に俺は驚愕した。まさか認知されているとは思わなかった。
「は、はい。そうです。あのー、貴方はアリスさんですよね?」
「バッカ、一般人の前で呼ぶなよ!」
「あ、すいません!」
怒られて反射的に謝る。ここで女神(仮)が女神本人であることが確定した。
「俺のことは…そうだな、ネジシマとでも呼んでくれ。あんたは?」
「は、ハシキタといいます…」
「そっか、ハシキタさん。あんたどうやって俺に気付いた?顔を見せる前からずっと見てただろ。じっと見てるからなんなのかって思ってたんだ」
女神もとい、ネジシマさんは不思議そうに尋ねる。どうやら彼は自分の頭に気付いていない様だった。
「あの、頭です」
「頭?」
ネジシマさんがポンと頭に手を乗せる。それがスルスルと下に降りていき、リボンに当たって止まった。
「…外すの、忘れてた」
顔にはでかでかとやっちまいましたと書いてあった。あっという間にリボンは髪から解かれ、パーカーのポケットに仕舞われる。それを少し残念に思いながら見送る。
「あーあ、やっちまった。あそこからずっとかよ…身バレすると上に叱られるから嫌なんだよな」
「あ、言いません!もちろん、ネジシマさんのことは誰にも!仕事先でもです!」
「そ?それなら助かるわ」
慌てて手を振りながら言わないと約束すると、ネジシマさんは花が咲くように破顔する。それは、俺が舞台の上で何度も見た女神の微笑みとは全然違った。だけど、思わず見惚れてしまうくらい美しかった。
「いやー、あんたもガッカリしたろ。噂の歌姫が男で。いつも俺のこと、見ててくれたもんな。だから覚えてたんだけど」
「ガッカリなんて!!ネジシマさんはどうあっても、すっごい綺麗です!」
聞き捨てならない言葉に反論すると、ネジシマさんはまた楽しげに笑う。
「あっははは!!あんた、変わってるなあ!」
顔が赤くなるのがわかった。牛丼屋の店内で何を言ってるんだ俺は。
「お待たせしました〜牛丼並盛でお待ちのお客様〜」
そこに空気を読まない店員が俺の注文した牛丼を持ってきたおかげで何とか気まずさは霧散した。
「あ、ハシキタさんのも来たね。冷めないうちに食べよ食べよ」
「は、はい」
俺はノロノロと箸を掴んで牛丼を食べ始める。食事を再開したネジシマさんも豪快にメガ盛り牛丼を食べ進めており、もっもっもっとリズム良く咀嚼している。どんどん減っていくメガ盛り牛丼はこちらが気持ちよくなるくらいの食べっぷりだった。
「んぐ、ごくっ、ぷはーっ!ごちそうさまでした」
最後にピッチャーから注いだ水を飲み干し、山のような肉と米はネジシマさんの細い体に収まった。本当にどこにあの量が入っていったのか。
「あれ、ハシキタさん、全然進んでねーじゃん。はよ食べな?」
「あ、はい!すみません!」
ネジシマさんに急かされて、慌てて自分の分を食べるが、正直味がしない。俺は今、憧れの女神(男)と並んで飯を食っている。一体、どういう状況だ。
ネジシマさんは懐から安い銘柄の煙草を取り出すと、100円ライターで火をつけて吸い始めた。その姿も宗教画の様にとんでもなく様になる。ふーっと煙を吐き出しながらネジシマさんが口を開く。
「ハシキタさん、地下の人にしては珍しいよな。なんか雰囲気はふつーの人っぽいっていうか。いや、相当変わりもんだけどさ」
「ん、そうですか?」
「うん。何?借金でもした?」
「うっ、ごほっごほっ」
図星をつかれて思わず言葉に詰まる。はずみで変なところにご飯が入っていって慌てて水に手を伸ばした。
「お、当たった?」
楽しげにネジシマさんが俺の顔を覗き込む。キラキラとした光を携えた瞳で見られると一切の隠し事は出来ない。
「そうです。友達の、保証人っていうか。ま、逃げられたんですけど。それで返せないってなってあそこに」
「あー、あるあるだな。あそこ、ろくでもないところだからさっさと逃げなね。これ、一応アドバイス」
「あ、ありがとうございます」
ネジシマさんの言葉は実感がこもっていた。やはり、あの場所で女装をさせられて歌姫としてちやほやされるネジシマさんにも、相当の理由があるのだろうか。
「ネジシマさんは、何故あそこに?」
「ん?ただのバイト」
「バイト」
「そ。時給がめっちゃいいバイト。あ、俺こう見えてクリーンだから。借金とかヤバいオクスリとかには手を出してないよ」
帰ってきた答えが予想外すぎて呆然としてしまう。バイト。強制的にとか無理やりとかじゃなくて、自分の意思であの仕事をしてるって言うのか?
「あの女装は?」
「そっちの方が実入りが良かったから。安心してほしいんだけど、エッチなこととかされたことないからな?そういう奴は素直にぶん殴ってるし」
「なるほど」
彼はただただろくでもない仕事が平気な部類の人間だったらしい。
「俺はろくでなしだからあそこで働いてても平気だけどさ。あんたみたいなのは潰されてくだけだよ、さっさと逃げた方がいい」
ギュッと吸い終わった煙草を彼は備え付けの灰皿に押し付ける。
ネジシマさんの言葉には同意しかない。犯罪スレスレのアングラ空間。従業員は全員訳あり。上は裏組織とツーツーの人を人とも思わない人でなしども。あんなとこ、はやくやめた方がいいし、実際、借金だって何とか返せそうだ。
けれど、辞めると即答できない理由が俺にはあった。
「うーん、そうなんですよね。そうなんですけど」
「?何か働かないといけない理由が他にもあるのか?」
「はい」
何とか食べ終わった牛丼の皿をトレイに置く。
そして俺は今この数十分だけで散々色々な面を知ったネジシマさんを見つめた。
相も変わらず美しい。そして、とても男らしくて、かっこいい。
二つの面を持った俺の女神。
「貴方の歌が聞けなくなるのは、寂しくて」
「あっ、はははははははは!!ははははははははははははは!!!」
今度は店内の視線が集中したのはネジシマさんにだった。彼は今日一番、楽しそうに笑って笑って笑って笑った。あんまり笑うもんだから心配になった。
「ね、ネジシマさん?」
「ひっ、ひい…はーっ、笑った笑った」
笑い倒してようやく落ち着いたネジシマさんはとても嬉しそうだった。
「最初はさ、いつも見てくれる奴とたまたま会っちゃったなって思ってて。そんで前から言ってやろうと思ってたことを言おうと思っただけなんだよ。まさか、こんなことになるなんてな」
向いてるよ、あんた。
ネジシマさんはそう言うと、俺の分の伝票もまとめてレジへと持っていってしまう。
「ちょ、ちょっとネジシマさん!?」
「いいよいいよ。愉快な気分にさせてもらったからさ、ここは俺の奢り」
「あ、うー、ありがとうございます」
悪いと思いつつも財布が助かるのは本当で、素直に甘えてしまう。それにもネジシマさんは楽しそうにくっくっくと笑う。
「ほんとに今日はありがと。楽しかったよ、ハシキタさん」
「お、お喜びいただけたなら幸いです?」
「あ、そうだ。流石に今日は羽目を外しすぎたから、本当に他の奴には内緒にしてな?」
しーっと唇に指を当てて、ネジシマさんが微笑んだ。
「ありやとございましたー」
店員の声を背に受けながら、俺とネジシマさんは外に出る。
今日だけでネジシマさんの意外な面をどれだけたくさん見ただろう。俺は俺と彼しか知らない秘密をこんなに持っているのだ。
ステージの上の女性らしさと違って男らしい本性。
めちゃくちゃ美味しそうにたくさんご飯を食べるところ。
煙草を吸う手馴れた仕草。
それだけで目の前が輝くようだった。
「じゃ、俺こっちだから。約束、頼むぜ」
「はい。もちろんです」
そうして、俺のネジシマさんはまた他人に戻った。
名残惜しくその後ろ姿を見ていると、ネジシマさんはすぐ隣のラーメン屋に入っていった。
ラーメン屋に。
「は?」
「あ、ハシキタさんも食う?」
ひょっこり暖簾から顔を出したネジシマさんに手招きされる。
「あの、ネジシマさん。俺の間違えでなければメガ盛り牛丼、食べてませんでした?」
「俺を女の子だと思ってんのか?あんなん、腹八分目だよ」
あれが、腹八分目。
なんだそれ。まだ俺はネジシマさんを知らないのか。
「…俺、もっとネジシマさんのことが知りたいです。食べれないですけど、ついて行ってもいいですか?」
「おー、俺もハシキタさんのこともっと知りたいしいいよ。なんの話する?俺が店長に酒盛りで勝った話とか?」
それはめちゃくちゃ気になる話なので、絶対に聞きたい。
俺は思わずダッシュでネジシマさんの元に向かった。ネジシマさんはまた、美しい顔を綻ばせて笑う。
それが、俺とネジシマさんが友人になった日のことだった。
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