エピローグ
エピローグ
麗らかな春の陽射しを一身に浴びながら、東京都台東区浅草の中心地である浅草寺から程近い一軒の牡蠣小屋の店先で、二人の成人女性が少し遅めの昼食、もしくは随分と早めの夕食にありついていた。
「ああ、やっぱりこのお店の生牡蠣は美味しいんじゃないかしら? このままだと、幾らでも食べられちゃいそうじゃない?」
新鮮な牡蠣を提供する牡蠣小屋のオープンテラスとでも言うべきか、とにかく店先に設置されたテーブルを囲みながらそう言うと、ベトナムの民族衣装である純白のアオザイに身を包んだ若い女性は新たな生牡蠣を咀嚼する。
「ねえ始末屋、あなたもそう思わない?」
生牡蠣を嚥下したアオザイ姿の女性、つまりグエン・チ・ホアはそう言って、テーブルを挟んだ向かいの席に腰を下ろす駱駝色のトレンチコートに身を包んだ褐色の肌の大女に同意を求めた。
「いや、以前も言った筈だが、あたしは生牡蠣は苦手だ。勿論生でも食えない事は無いが、どうせなら牡蠣は、火を通した方がずっと美味い。やはりこの点に関しては貴様とは意見が一致しないようだな、チ・ホア」
黒い三つ揃えのスーツと真っ赤なネクタイ、それに駱駝色のトレンチコートと革靴と革手袋に身を包んだ始末屋はぶっきらぼうな口調でもってそう言いながら、テーブルの上のカセットコンロで焼いた焼き牡蠣をむしゃむしゃと頬張る手を止めない。
「あらあら、そう言われてみれば、そうだったかしら? てっきりあなたってばどんなゲテモノでももりもり食べちゃう女丈夫だと思ってたのに、それって意外じゃない?」
グエン・チ・ホアは語尾の音程が上擦ってしまう少しばかり訛った日本語でもってそう言うと、手にしたワイングラスを傾け、生牡蠣との相性が良いとされるシャブリ産の白ワインを優雅に飲み下した。そしてそんなグエン・チ・ホアの優雅さとは対照的に、酒を飲まない
「それにしても、牡蠣ってどうしてこんなに美味しいのかしら? 幾らでも食べられちゃうじゃない?」
「ああ、そうだな。確かにこうも美味いと、幾らでも食えそうだ」
そう言った始末屋とチ・ホアの二人がそれぞれの口中へと焼き牡蠣と生牡蠣を放り込んだ、まさにその時であった。牡蠣小屋の前を走る伝法院通りの左手から小さな人影が姿を現し、その人影が右手の浅草寺の方角へと駆け抜けようとしたところで、不意に聞き慣れぬ外国語による罵声が彼女らの耳に届く。
「■■! ■■■■■■!」
罵声を耳にした始末屋とグエン・チ・ホアが顔を上げれば、全力疾走でもって伝法院通りを駆け抜けようとする小さな人影は、真っ白いブラウスと濃紺色のエプロンドレスに身を包んだアジア人の幼女であった。そしてその幼女をやはり数人ばかりのアジア人の、半袖シャツから覗く腕や喉元にびっちりと刺青が彫られたガラの悪い男達が罵声交じりに追跡し、その男達の手には鋭利に研ぎ上げられた青龍刀が握られている。
「やれやれ、無粋な連中も居たもんだ」
せっかくの知己との食事に水を差される格好になった始末屋はそう言って、冷静沈着を旨とする彼女にしては珍しく如何にも残念そうに溜息を吐くと、焼き牡蠣を口に運ぶ手を止めてテーブル席から腰を上げた。そして牡蠣小屋の敷地内から伝法院通りへと足を踏み入れたかと思えば、今にも眼の前を走り去ろうとするアジア人の幼女と男達との間に割って入る。
「おい、そこの貴様ら。いい歳した大人が刃物を振りかざし、よりにもよってこんな小さな子供を追い掛け回すとは、恥ずかしくないのか?」
始末屋がそう言って彼らの眼前に立ちはだかれば、突然現れた身の丈が210㎝にも達する褐色の肌の大女の姿に、青龍刀を手にしたチャイニーズマフィアだかコリアンマフィアだかの男達の一団は警戒せざるを得ない。
「■■■! ■■■■!」
しかしながら青龍刀の男達も、いつまでも始末屋の姿にビビっていられる筈も無く、やはり聞き慣れぬ外国語でもってそう言いながら手にした青龍刀を構え直した。どうやら彼らもまた裏稼業のならず者らしく、今ここで始末屋と一戦交えるに、やぶさかではないものと見受けられる。
「そうか、どうやら貴様らは、あたしの忠告に耳を貸す気は無いらしい。ならばこのあたしに刃を向けた事を、地獄で後悔させてやる」
やはりぶっきらぼうな口調でもってそう言った褐色の肌の始末屋は、トレンチコートの懐に両手を差し入れ、やがて引き抜かれたその手には左右一振りずつの手斧が握られていた。
「■!」
すると手斧を眼にした青龍刀の男達はそれを宣戦布告と解釈したのか、口々に死と殺害を意味する忌まわしき言葉を発しながら始末屋に襲い掛かる。
「死ね」
始末屋が端的にそう言えば、彼女は鋭利に研ぎ上げられた青龍刀を振り
「■■! ■■■■■■■!」
先頭に立つ髭面の男と坊主頭の男が見るも無残に死に果てると、多勢に無勢とばかりに残りの男達は一斉に始末屋に襲い掛かるが、そこから先は一方的な殺戮劇そのものであった。彼女が手斧を振るう度に一人また一人と新たな犠牲者が誕生し、気付けば死屍累々とばかりに男達の死体が積み上げられ、やがて最後尾に立っていた一人を残した全員が鏖殺の憂き目に遭う。
「■■!」
仲間が鏖殺の憂き目に遭った事に怯んだ最後尾の男はそう言って悲鳴を上げながら、まさに尻尾を巻いて逃げ帰るような格好でもって、伝法院通りを西の方角目指して逃走し始めた。そしてその最後尾の男の背中が見えなくなると、始末屋は彼女の陰に隠れていた幼女、つまり青龍刀の男達に追われていた真っ白いブラウスと濃紺色のエプロンドレスに身を包んだアジア人の幼女に向き直る。
「ねえあなた、お願い、助けて!」
するとその幼女は開口一番そう言って、結果的に彼女を助ける格好になった始末屋に改めて助けを求めた。
「それは、貴様からあたしへの新たな依頼か?」
「え? ……まあ、そうかな?」
何が何だか分からないまま幼女がそう言って首を縦に振れば、始末屋はトレンチコートの内ポケットから自身のスマートフォンを取り出し、液晶画面に触れて掛け慣れた電話番号をタップする。
「もしもし、貴様だな? そうだ、あたしだ。始末屋だ。これより、新規の依頼人より受諾した依頼に取り掛かる。至急、そちらで
「
するとスマートフォンの受話口越しに、妙にテンションの高い声と口調でもって何者かがそう言うと、その場に屈み込んだ始末屋が彼女のスマートフォンをアジア人の幼女に手渡した。
「初めまして、新たな依頼人様ですね?
「あたしを追い掛けて来る
「
始末屋のスマートフォンの受話口越しに、依頼内容の最終確認の意味も込めながら、
「あたしのお小遣いを全部あげる! 全部あげるから、だから、だからあたしとパパとママを助けて!」
そう言った幼女の言葉が、彼女の依頼が効力を発揮する合図となる。
「
「■■! ■■■■!」
最後尾の男が始末屋を指差しながら聞き慣れぬ外国語でもってそう言えば、もう一人の小柄な人影、つまり中国武術の功夫着に身を包んだ白髪の老人が顎から生えた長い髭を弄びつつも一歩前に進み出る。
「ほほう、お主か、
やはり中国武術に於ける半馬歩の歩型を維持しつつ、右の掌をこちらに突き出した構えのままそう言って立ちはだかる
「悪いが、一度引き受けた依頼は何があろうと完遂するのがあたしのモットーだ。例外はあり得ない」
左右一振りずつの手斧を構え、駱駝色のトレンチコートを翻しながらそう言った始末屋の戦いは、決して終わらない。
了
始末屋繁盛記:2nd opinion 大竹久和 @hisakaz
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