第十一幕


 第十一幕



 始末屋とアキモフ親子を乗せたMi26輸送ヘリコプターが南極大陸を発ってからおよそ一週間後、見事『アーリアン・ドーン』の計画を頓挫せしめた彼女ら三人の姿は、オーストラリア有数の大都市メルボルンに在った。

「パパ!」

 そんな大都市メルボルンの郊外に在る公立の総合病院、ザ・ロイヤル・メルボルンホスピタルの病室内へと足を踏み入れたヴァルヴァラはそう言いながらベッドの元へと駆け寄り、そのベッドの上で横になっていたパジャマ姿のボリス・アキモフ博士の顔をジッと覗き込む。

「パパってば、今日は顔色がいいみたいね! この様子なら、もうすぐ退院出来るんじゃないの?」

「ああ、そうだね。そろそろお腹の傷の痛みも引いて来たし、あと数日で退院出来ると思うよ」

 ベッドの上のボリス・アキモフ博士もまたそう言って、実の娘であるヴァルヴァラの問い掛けに笑顔で返答しながら、真っ白い医療用のガーゼでもって養生された腹部の傷口を撫で擦った。アドルフ・ブラフマンの手によって銃撃された彼はこの総合病院に担ぎ込まれ、ルガー拳銃から射出された銃弾が貫通した銃創を縫合した上で、経過観察のために入院していたのである。

「どうやらこれで、もう傷口が開く心配も、破傷風などへの二次感染の心配も無いようだな。それでこそ、わざわざ貴様を南極大陸からここまで運んで来た甲斐があったと言うものだ」

 するとヴァルヴァラと共に病室に足を踏み入れていた駱駝色のトレンチコートに身を包んだ褐色の肌の大女、つまり始末屋もまたそう言うと、すっかり快復したボリス・アキモフ博士の顔をジッと睨み据えた。

「ええ、おかげで助かりましたよ、始末屋。あなたが居なければ、今頃私達は『アーリアン・ドーン』の計画に加担せざるを得なかったし、最悪の場合には親子ともども殺されてしまっていたでしょう」

 ボリス・アキモフ博士が軽い会釈と共にそう言えば、始末屋はそんな彼に今後の展望について尋ねる。

「それでアキモフ博士、貴様ら親子は退院後、どこでどうするつもりだ?」

「そうですね、退院後は日本に帰って、また大学の研究室でレトロウイルスの研究に打ち込むつもりです。残念ながら今回は私の研究のせいでヴァルヴァラやアレクセイを巻き込んでしまいましたが、私にとって、これ以外に人類の進歩と発展に貢献出来る手段はありませんから」

「そうか。だったらこれで、あたしは依頼を完遂したものと判断しても構わないな?」

「ええ、その通りだと思います」

 始末屋の問い掛けに対してボリス・アキモフ博士がそう言って返答すると、不意に彼女のトレンチコートの内ポケットに納められていたスマートフォンが、軽快なリズムでもって着信音を奏で始めた。そこでそのスマートフォンの液晶画面を確認してみれば、非通知設定の番号からの着信である。

「誰だ?」

 内ポケットから取り出したスマートフォンを耳に当てながら、応答ボタンをタップすると、始末屋は開口一番ぶっきらぼうな口調でもってそう言った。すると聞き慣れた声が受話口越しに耳に届き、彼女を労う。

「おめでとうございます、始末屋様! 依頼達成でございます!」

「ああ、貴様か」

 果たしてスマートフォンの向こうの通話相手は、始末屋の様な裏稼業のならず者達を統率する非合法組織『大隊ザ・バタリオン』の調整人コーディネーターの男であった。

「今回の依頼の報酬をあなた様の口座に振り込んでおきましたので、どうぞ、ご確認ください!」

 妙にテンションの高い声と口調でもってそう言った調整人コーディネーターの男の言葉に従い、始末屋が彼女の銀行口座の預金残高をオンラインで確認すると、確かに約束されていた額の報酬が振り込まれている。

「確認した」

 やはりぶっきらぼうな口調でもって始末屋がそう言えば、スマートフォンの向こうの調整人コーディネーターの男が今すぐ彼女に伝えるべき要件は、今日のところはこれで全てらしい。

「それでは始末屋様、我ら『大隊ザ・バタリオン』の調整人コーディネーター一同、またのご利用を心よりお待ちしております!」

 最後にそう言い終えた調整人コーディネーターの男は一方的に電話を切り、それ以上の応答は無く、始末屋は通話を終えたスマートフォンをトレンチコートの内ポケットに仕舞い直した。

「今の電話、誰から?」

 ヴァルヴァラがそう言って問い掛ければ、始末屋は駱駝色のトレンチコートの襟を正しながら返答する。

「あたしが受諾した依頼を調整コーディネートする、『大隊ザ・バタリオン』の調整人コーディネーターからだ。依頼を完遂したため、報酬が振り込まれた旨を報告しに電話を掛けて来たらしい」

「ふうん、それで始末屋、あなたはこれからどうするの?」

「そうだな、アキモフ博士の容態と傷の具合の経過観察のためにこの地に留まっていたが、そろそろ出立すべき頃合だろう。あたしは一足先に日本に帰り、次の依頼に備えて英気を養う事とする」

「それじゃあ、もうここでお別れなの?」

「ああ、そう言う事になるな」

 そう言った始末屋の言葉に、ヴァルヴァラは肩を落として項垂れ、彼女との別れの瞬間が到来してしまったと言う事実に落胆せざるを得ない。しかしながら世界を股に掛ける裏稼業のならず者である始末屋が、いつまでもここメルボルンで足止めされ続ける訳にも行かないのもまた厳然たる事実であった。

「それではヴァルヴァラ、それにアキモフ博士、あたしはこれからメルボルン空港へと向かう。ホテルにはもう一週間分の宿代を前払いしてあるから、ヴァルヴァラはアキモフ博士が退院するまでそこに泊まっているがいい」

 始末屋がそう言えば、ベッドの上のボリス・アキモフ博士は再びの軽い会釈と共に、改めて礼の言葉を口にする。

「重ね重ね、本当にありがとうございました。この度は私とヴァルヴァラの命を救ってくださった事を、心から感謝しています」

「始末屋、あたしもパパとあたしを助けてくれた事を感謝してるからね! ホントにありがとう!」

 するとヴァルヴァラもまたそう言いながら、彼女ら親子の命の恩人との別れを惜しみつつも、十二歳の幼女らしい口ぶりでもって始末屋に謝意を表明してみせた。そして始末屋が無言のままくるりと踵を返し、ザ・ロイヤル・メルボルンホスピタルの病棟の廊下の方角へと一旦足を向けるものの、急にぴたりと足を止めた彼女は再び病室へと向き直る。

「おい、ヴァルヴァラ」

 そう言って眼の前の幼女の名を口にした始末屋は膝を曲げ、その身の丈が210㎝にも達する大きな身体を丸めると、小柄なヴァルヴァラと眼の高さを合わせながらしゃがみ込んだ。そして始末屋は、ヴァルヴァラがかつて浅草のレストランでもって彼女に問い掛けた疑問に、改めて返答する。

「貴様は以前、あたしがお金を貰えるから貴様らを助けるのか、お金を持っていなかったとしたら貴様らを助けなかったのかと尋ねたな?」

「うん」

「いいか、あたしは金のためだけに依頼を完遂するのではない。依頼人に必要とされたからこそ、必要とする人が居るからこそ依頼を完遂するのだ。その事実を、ゆめゆめ忘れるな」

「だったら始末屋、いつかまたあたしがあなたを必要としたら、その時はあたしを助けに来てくれる?」

 ヴァルヴァラがそう言えば、始末屋は駱駝色のトレンチコートの胸ポケットから如何にも高級そうな革製の名刺入れを取り出した。そしてその名刺入れから抜き取った一枚の名刺を、眼の前のヴァルヴァラにそっと手渡す。

「ああ、勿論だ。その時は、ここに連絡しろ。あたしは必ずや、貴様の元へと駆け付けるだろう」

 そう言った始末屋から手渡された名刺には、簡潔に『破壊・殺害・回収承ります 始末屋 グリズリー後藤』と言う一文と共に、彼女の連絡先と思しき電話番号とメールアドレスが記載されていた。果たして本名なのか偽名なのかは分からないが、どうやら『グリズリー後藤』と言うのが始末屋のもう一つの通り名らしい。

「それでは今度こそ、本当にさらばだ」

 しゃがみ込んでいた始末屋はそう言って立ち上がると、再びくるりと踵を返し、廊下の方角へと足を向けた。そして病室から立ち去る彼女の背中に、ヴァルヴァラは別れの言葉を投げ掛ける。

「始末屋、さようなら! 絶対に、絶対にまた会おうね! 約束だよ!」

 そう言って別れを惜しむヴァルヴァラの言葉を背中で聞きつつも、始末屋は決して振り返る事無く、ただそっと手を振るのみであった。そして病棟を後にした彼女は確かな足取りでもって、ザ・ロイヤル・メルボルンホスピタルの前を走るフレミントン通りを歩き続ける。

「また会おう、ヴァルヴァラ」

 駱駝色のトレンチコートの裾を靡かせながら、街の中心部から見て北北西の方角に位置するメルボルンタラマリン空港目指して歩きつつ、始末屋はぼそりと呟くようにそう言った。日本とは真逆の初夏のオーストラリアの鋭い陽射しが頭上から燦々さんさんと降り注ぎ、彼女が進むべき道を文字通りの意味でもって明るく照らし出す。

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