旅人と飛び魚
彩霞
旅人と飛び魚
ある男が、旅の最中に海を船で渡っていたときのことである。男は水辺を飛ぶ魚を見かけた。知らぬ魚なので船主に尋ねると「それはトビウオという魚だ」と言う。
「トビウオ。成程。飛ぶ魚だから、トビウオというのですね」
「単純な名前だろ」
船主はそう言ってケラケラと笑ったが、男は『トビウオ』という魚が気に入った。
「飛ぶ」「魚」とは、よくこの魚のことを捉えた名だと思った。
しかし、飛ぶのには何か訳があるのだろう。そう思って、旅人は再び船主に尋ねた。
「何故、飛ぶのですか?」
「理由はよく分かってねえけどよ、俺たちの船や追っかけてきた魚に驚いたりして飛ぶらしいぞ。痒くなって飛ぶって言う話も聞いたことがある」
「魚も痒みを感じるのですか?」
男が目を丸くすると、船主は肩をすくめる。
「それは俺たちには分かんねえさ。だけど、偉い学者様がそう言ってたんだよ」
「ふーん」
そのとき、男の目の前でトビウオが跳ねる。
――ピシャッ、パシャッ。
次の瞬間だった。
飛んだ魚を狙って、空を飛んでいたカモメがひらりと急降下し、あっという間にトビウオをさらってしまった。それを皮切りに、他のカモメも次々とトビウオを捕まえていく。
「……」
「海の上に飛び出さなきゃ喰われねえのになあ。なーんで、こいつらは水面に出ちまうかなあ」
船主がそう言って、面白くなさそうにトビウオに対して言うと、別の客から声を掛けられ彼の傍から離れて行った。
一方で、旅人はカモメに捕まえられながらも、まだ飛び跳ねる別のトビウオを眺めていた。
――ピシャッ、パシャッ。
その時、男はこんなことを思った。
船主は海の上に飛び出さなければ、喰われることはないと言ったが、それは違うだろう。海の中にいても、それは変わらないはずだ。
だが、あえてトビウオは水面の上に飛び出す。
男は目を細め、ふっと微笑んだ。
「トビウオが水面に飛び出すのは、空に憧れたのだ。だから彼らは飛ぶのかもしれない。まるで、自由に憧れた私のように」
入道雲が、真っ青な空の上に向かって伸びていく。一筋の夏の風が、男の頬を撫でた。
次の港までは、もうすぐである。
旅人と飛び魚 彩霞 @Pleiades_Yuri
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