第21話【最終話】弓彦
打ちつける雨の中、しばし呆然とその光景に見入った2人だが、ふと耳についた声にはっと我に返る。
冷たく身体に打ちつける雨と雷鳴の中、確かに聞こえる声がある。低く高く、絶え絶えに。
慌てて上月は当たりを見渡した。しかし周囲には何もいない。
振りきる雨と身体を嬲る強風。大の大人でさえ長い時間当たっていては身体に毒だ。じわじわと雨の冷たさが体温を奪っていく。
「真安……」
傍らに立つ男をそっと見やる。上月の額には長い髪がべっとりと張りつき、身にまとう巫女装束は肌にまとわりつき、くっきりと上月の肢体を描いていた。
「ああ」
答える真安も似たような様子。黒っぽい着物はすでにどす黒く変色し、重たげに身体にはりつく。短い髪はすっかり塗れそぼり、小さな水玉をいくつもしたたらせていた。
真安は迷うことなくご神木に歩み寄る。それに続く上月。もはや真安の腰の高さほどしかないご神木の、その空洞を真安は覗きこんだ。
「……!」
そっと真安の後ろから覗きこんだ上月は、驚きのあまり真安の袖を握り締めた。
「まさかと思ったが……、なんでこんなところに赤子が……」
そこには、真っ裸のまま小さな声をあげて泣いている赤子の姿があった。
必死に何かを求めるように泣いている。
上月は真安の制止を振りきり赤子を拾い上げると、その胸に抱いた。
最初は驚いたのか一際大きな声をあげた赤子だが、上月の体温を感じるにつれ落ち着いてきたのか、上月の胸にしがみつき泣き止んだ。
その隣では真安がひゅう、と口笛を1つ吹いた。
「こりゃあ、驚いた」
「どういう意味だ」
ふっと顔を和ませて軽口を叩く真安を上月が横目で睨む。
「まった、違う違う」
おどけた調子で両の手を上げて「降参」の格好をすると、真安は赤子を指差した。
「俺が驚いたのは、その赤ん坊のことだ」
「この子が?……確かにこのようなところにいるのはおかしいが」
「だから違う。その右肩を見てみろよ」
「右肩……?!」
小さな桜色の肌。柔らかく滑らかな機目の細かい肌。その肌を付き抜いて顔を出しているものがある。なにか紅い……血を思わせる赤色をした突起物。
「なんだ……これは? この子は人間の子ではないのか?」
驚いた様子だが、特に嫌悪感をいただいてない上月の様子に、真安は笑った。
「妖怪でも、化け物でもないぞ。それだけは確かだ。
人間かと言われると……いささか自信がないがな」
「……どちらにしても、この雨の中にいさせるわけにはいかない。
ひとまず祭殿へ……」
「そこにいるのは上月かっ?!」
闇の中に響き渡るダミ声。上月は思わず身を硬くした。
「やべぇ……」
ふ、と耳元でする真安の声。上月が振り向くと真安は身を翻し、あっという間に木立の中に消えた。
「上月!そこにいるのか?!」
数人の男の足音が響く。視界のきかない雨風の中、どうやら上月の白い巫女装束だけが浮かび上がっていたようだ。幸い(というか計画的に)黒い装束をまとっていた真安は気づかれていないらしい。
「私はここにいます」
答えた上月の目の前に姿を現したのは邑長とその息子達であった。(ちなみに長男坊の姿はなかった)。
「ご神木が……! なんということだ!」
やっとご神木の有様に気がついた邑長が絶望的な声をあげる。そして上月の腕の中の赤子に目をやると、まるで断末魔のような声をあげた。
「上月!その赤子はなんだ! それにお前なぜ……」
生きているのか、そう言おうとした言葉をぐっと飲み込んだ。
そんな邑長を夜よりも暗い瞳でみつめながら、上月は静かに答えた。
「あまりに陣痛がひどく、ご神木を頼ってここまできてしまいました。
でもご安心下さい。ほら、私の赤子はこの通り」
そっと腕を開いて見せる上月に邑長は激しく首を振った!
「馬鹿な! この赤子は男子ではないか! それになんだその肩から出ているものは!
上月、お前何かしそんじたな!」
「お言葉に気を付けなされ! 生まれたばかりの巫女の子は、最も神に近い位置にいるもの。
たとえ邑長といえど、侮辱は許しません!」
怒鳴る邑長に強くいい返す上月。そんな上月の目の前で邑長は腰に刺していた山刀をすらり、と抜き放った。
「! 何をするおつもりか?!」
「黙れ! ご神木のこの有様に、その異様な赤子! 何か不吉なことが起る予兆に違いない! 禍の種は元から絶つ! 上月、その赤子をここへ投げ捨てろ!」
「嫌だ!」
閃光が神社の上空を照らす。邑長の手にした刀身がぎらり、と光りを反射した。
どす黒い光りを宿した邑長がなおも命令するが、上月は赤子を抱いたままじりじりとその場を後退する。
「渡さぬというのなら、お前ごと斬る!」
刀を振りかぶる邑長。まわりの息子はただ黙って見守る。
上月は覚悟を決め、この子だけでも守らんと腕に深く赤子を抱いた。
とその刹那、木立の中から飛び出した者が邑長の右手をがっしりと掴んだ。
「お前は…・・・寺のクソ坊主!」
真安の顔を見た邑長が叫ぶ。同時に息子達も慌てて駆け寄るが、真安がひと睨みしただけで、まるで金縛りにあったように動けなくなった。
「女一人にガキ一人。大の男が刀振りかぶって何をしようっていうんだい?」
顔は笑っているが、目はまったく笑っていない。真安は珍しく本気で怒っていた。
その証拠に、掴んだ邑長の手にこもる力がどんどん増していく。血の気を失った邑長の手から、山刀が音をたてて落ちた。
「それに何をそんなにおびえているんですかねぇ……、邑長」
「べ、べつにおびえてなどおらんわっ!」
真安の手をなんとか振り解くと、邑長は声を張り上げた。
「それより、何故お前がこんなところにおるのだ!」
「……あれだけデカイ音を立ててご神木が倒れれば、何事かと見に来るわ」
「お前なぞに関係ないではないかっ!」
「五月蝿ぇなぁ……。おい、上月、大丈夫か」
上月の前に立ち、邑長と対峙したまま声をかける真安。上月は真安の姿を見上げながらこっくりとうなづいた。
「めでてぇじゃねぇか。巫女の子が生まれたんだ。祝福してやれよ。邑長」
「ふん!」
憎々しげな声をあげ、邑長は本家へ戻っていく。慌てて息子達がそれに続いた。
「なんだありゃあ……。真っ青な顔をしやがって。
こりゃあ、邑長。巫女のことだけじゃなく、ご神木のことでも何か大嘘ついてやがるな」
肩眉を上げ怪訝そうな顔をした真安だったが、すぐに気を取り直しへたりこんでいる上月を赤子ごと抱き上げた。
「な、何をする!」
「何をするって……一応神社まで送り届けてやるんだよ」
「馬鹿、そんなことをしたら神社の連中に……」
「俺はかまわないんだが……、じゃなくてよ」
不意に真面目な顔になると、真安は声を低くした。
「今赤子を産んだばかりの女が、しゃんしゃん歩いちゃ不自然だろうが。
そいつをお前の子供だと言い張るつもりなら、それらしい様子をするんだな」
「あ……、そうか」
すっかり忘れていた自分の立場に、上月は頬を紅くした。
「それに、だな」
こほん、とわざとらしく咳をすると真安はにやりと笑った。
「先刻もけっこう派手にやったからなー。お前足腰たたねぇんじゃねぇかと思ってなー」
途端に上月は首筋まで真っ赤に染まった。
「この……大馬鹿者ー!!」
吹きすさんでいた雨風が静かにやみ始める。とぐろを巻いていた雨雲が静かに晴れていく。白い、丸い月の光りが闇夜を優しく照らし出す。
日付が変わった。十六歳になった上月は、笑いながら己をからかう男の腕に抱かれている。運命の赤子とともに。
こうして十六歳の上月と十八歳の真安の物語は幕を閉じる。二人の一夜の契りが幸せなものであったのか、また曼荼羅のように描かれる運命の中で正しい行動だったのか、それはまだ今の段階では判断しがたい。
しかし、この一瞬の二人は確かに幸福であり、また満たされたいたことは紛れも無い事実である。
上月の腕の中で眠っている赤子ー弓彦ーの運命の輪が回り始めるのは、これからあと二十五年の歳月を必要とする。
【完結】和風ファンタジー 『朝未来(あさまだき)』【恋愛】 西尾都 @SMILLEY
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