第12話 Brotherhood

「おはようヒナちゃん。飯出来てるから食べちゃってよ」

「あ、ありがとうございます。いただきます」

 事務所で一夜を明かしたヒナは朝食も彼らと一緒に食べることにした。打ち解けてしまえば気のいい奴らだ。

 テーブルに並ぶのはトーストを始めとしてありきたりな物ばかり。それでも誰かと食卓を囲む朝が久々で、なにより新鮮に感じられる。

 温かいコーヒーの香ばしい香り。目玉焼きやヨーグルトが朝日に照らされて食欲を刺激する。口に入れると空の胃が食物を歓待して活力が湧く。同じ温かさでも、昨夜に浴びた血とは大違いの清廉とした生きる者のための温度だ。

「紅さんも料理作れるんですね。てっきり生活能力がない方だと思ってました」

 唖然とした紅は危うくコーヒーを溢れさせるところで、寸前で注ぐ手を止めた。表面張力で並々になったマグカップを口で迎え、音を立てて啜る。

「ひでえ言い分だな。そりゃあ店やってりゃ料理はできないと。なんなら月光なんて――」

 言いかけたところで口を噤む。月光の私生活は迂闊に話題にしないことにしていた。彼なりの気遣いだ。

「そういえば月光さん、いませんね。紅さんみたいにここで寝泊まりしないんですか?」

「あいつは朝に寝るのが好きなんだよ。おかげで昼夜逆転生活みたいでね。だから日が出てる間は外にいない」

 現に日中は外に出ることを好まず、鏡で自分の顔を見ることさえも避けているから嘘は言っていない。夢のことは隠しているが。

 人には事情があるものだと納得し、黙々とトーストを頬張りコーヒーで喉を潤す。 早食いではないが淡々と皿を空にしてゆく食いっぷりに、紅は食事の手を止めてしばし見入っていた。

「若いってのは、やっぱいいもんだよなあ……」

「なんだいなんだい、少女に入れ込むなんてまったく気持ちの悪い。朝から勘弁しておくれよ」

 足取りは重く、眠い目を擦りながらふらふらと食卓にやってきた百地は、舌足らずな発音でも鋭い毒を吐く。

「おはようございま――って、なんて恰好してるんですか!男の人がいるんですよ!」

 ヒナが慌てるのも無理はない。なにせ百地が着ているのは月光が置いてきたワイシャツを一糸纏わぬ上から羽織っただけの姿であるから。比較して身長の高い月光の服を百地が着ると袖が余り、丈もミニスカート程度には下まで隠されている。道徳上許容の範囲ぎりぎりには留められている。

 とは言えスレンダーな体型の百地はただでさえ無防備であるのに、ボタンをかけているのはせいぜい一つで、それも外れかかっていて危うい。

 ヒナの焦りも意に介することなくコーヒーポットからお気に入りのマグカップに注いで一口飲んだ。

「心配ないさ。彼は僕に欲情しない。寝ているときならともかく、動いているものには反応しないのさ」

「あっ、こらモモちゃん、それ以上は未成年に聞かせちゃダメな奴だから!」

 珍しく慌てる紅を嘲笑い、悪魔のような笑みを浮かべてまた一口飲む。

「カマキリみたいな性格してるんですね紅さんって。ですが仮にも男性ですから、百地さんも節度を持つべきだと思いますよ」

 百地のボタンを襟元まで留めると、だぶついていた袖を捲り上げた。その間百地はされるがままに立っていた。

「いやあすまないねえ。物のついでに食べさせてもらえないだろうか?」

 鳥の雛のように口を開けた百地に嘆息したヒナはヨーグルトの入った器を持ち、スプーンを口元に持ってゆく。

「うーん実においしい。やはり美少女に食べさせてもらう朝食は絶品だ。後でお駄賃をあげるからね」

 見下げ果てた紅の視線を余所に、差し出された食物を次々と咀嚼し飲み込む。

「あんた、いつも朝はコーヒーで済ませてんのに……。宗旨替えでもしたのか?」

「いや?でもせっかくの機会じゃないか。普段は誰も僕に構ってくれないから、たまには人に甘やかされたい」

「掃除洗濯を月光にやらせてる時点で、十分甘やかしてると俺は思うんだがなあこの駄目人間。つけあがるからヒナちゃんもほどほどにね」

「まったく、僕はパトロンだよ?もっといい扱いを受けても罰は当たらないのに……あ、そうだ」

 口元についたヨーグルトを舌で舐めとると、まだ覚束ない足取りで事務机に這い寄り、引き出しから封筒を取り出した。その中から数枚の紙幣を抜き取ったあと、少し薄くなったそれをヒナに手渡す。

「なんです?お金なんて……」

「昨日の報酬だよ。君があの男を殺害したからね、これは正当な対価だよ。受け取ってくれたまえ」

 中身を確認すると数十枚の札が入っていた。ざっと数えて学生が一か月働き詰めでやっと貰えるぐらいの額だ。

「金額に不満かな?生憎僕らの依頼主はそこまでの用意が出来ない人ばかりだからね。人助けをしたつもりでいてくれるとありがたい」

「なら、なおさら受け取れませんよ。そんなつもりでやったわけじゃありませんから」

 彼女らの悲しみを拭うための金。それはまた男を殺すに値する、言わば男の命の値段。犯した罪や遂行までのコストを鑑みてもあまりにも安い。それに男の最期はヒナのエゴによって終わらされたのだ。金を貰うなどおこがましかった。

「それは困った。そうなると不本意だけど、この金は紅君に回ることになってしまう」

 紅が反応するより早く、ヒナは身を翻して封筒をひったくった。

「この話、撤回させていただきます」

 その様子を見て二人は顔を見合わせた。わざとらしく肩をそびやかした紅に百地は片手で拝んだ。おかげで労働の対価を然るべき相手に渡すことができたのだが、紅を出しに使ったのだ。百地といえど腐っても人間であるから多少の罪悪感を持ち合わせているようだ。

「あ、それと昨日ヒナちゃんが着ていたドレス、あれクリーニングから帰ってきたらあげるよ」

「え、いいんですか!」

 破瓜の際に着ていた曰くつきの装束。全ての始まりであり、ヒナの分岐点となった血濡れのゴシックロリータは彼女にこそ相応しい。

「実はあの服、結構気に入って……。ああいう服があるって初めて知ったんです」

 自身の持ち味を活かす服が、ヒナを取り巻いていた世界の枠を超えた服だった。視界が開けたとも表現できる。

 素晴らしく優雅さを纏う隔絶された黒衣。非現実の鎧を装着し同質の力をもって破潰するにはこの上なくもってこいの異質さと突飛さが同居する。それは記号化された暴力とも言い表せるだろう。

「気に入ってくれたのなら、僕も買っておいた甲斐がある。それにしても昨夜のあの大立ち回りは実に感動したよ。まるで一匹の蝶が羽化し舞い踊るかのような瑞々しさと力強さだった」

 百地の手放しの賞賛にヒナは照れくさそうにはにかみ頬を掻いた。無我夢中で血みどろになりながらも勝ち取った勝利を褒められると、己の行いが正しかったのだと誇らしくさえ思えてくる。

「ヒナちゃんの頑張りが被害者の女の子たちを救ったんだよ。これはすごいことだぜ?俺にはできない」

「そうとも。今までは月光君が一人で対処していたからね」

「月光さんが?あの人も戦う人なんですか」

 百地が口を滑らせた。覆水盆に返らず。しまったと思っても時すでに遅し。どうにかごまかそうと脳内で試みたが、観念して真実を話すことにした。

 人を助けたい一心で自分を犠牲にして戦い続ける月光の精神に感心すると同時に、そのバランスがたやすく崩れてしまう儚さを孕んでいることに気づく。

「俺たちにはこれ以上助けてやることも手出しすることもできない。だから……その……月光を救ってやれないか?負担を軽くしてやるだけでもいい」

 飄々とし、人を小馬鹿にしたような態度の紅が頼み込んでいる。ヒナは目を丸くして狼狽えた。彼が頭を下げてまで願うのだ。ヒナとて腹を決めざるを得なかった。

 だがそれは同時にこの終わりの見えない戦いに身を投じてくれと言っているのに等しい。

「あたしにそんなことできるか分かりませんが……悪い人をやっつけるくらいなら」

 ありがとうと消え入りそうな声で礼を述べた紅に、ヒナはサムズアップで応えた。


                                     了

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少女グランギニョル-変身- 透骨ガラナ @TK_guarana

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