第2話 宵闇に仄かに浮かび上がるは
仕事を終え、段々畑の合間の細道を、ひとり、とぼとぼ歩いているときだった。
時は宵闇、明かりを持たない私は早く家へと戻らなければならなかったのに、疲れからかどうにも足がうまく動いてくれないのであった。
ため息をこぼしこぼし、待つ人のない家へと道を辿る。その途中、ふと顔を上げれば、季節外れの白い花が見えた。高い木に鈴なりにいくつもの花をつけたハクモクレン。あれは確か、春の華ではなかったろうか。
狂い咲きだろうか。
珍しいこともあるものだ。
そう思ってとっくりと眺めてみると、おや、どこか様子がおかしい。天に向けて掌を開いた手のような花弁が特徴である花なのだが、あれは「まるで人の手のようだ」と言うよりは、「人の手そのもの」のような……。
まじまじと凝視する。
ああ、暗い。太陽が山の合い間に消えていく。光が消えていく。
だが、うすぼんやりと光るように浮かび上がる白い手は、女の滑らかな白い手は、その節までふっくらとまろみを帯びている優しくたおやかな手は、私の目をしっかりと捉えた。
欲しい。
あの手が欲しい。どれか一つでいい、あの手が欲しい。
百舌鳥の早贄のように、裸の木にああして置かれている手のなんと健気なことだろう。血の気を喪い真っ白な、有機物であり無機物であるような手よ。わずかに残された光に薄い貝殻のような爪がきらめいている。
あの手に頬ずりしたら、どのような感触だろう。
あの手に口づけしたら、どのような気分になるだろう。
欲しい。
どうしても!
足を踏み出した。手を伸ばした。
落下した。虚空を掻いた。
奈落の底に真っ逆さまに落ちていったかと思われたが、真下は幸いにも柔らかい泥地であった。したたか背中を打ちつけたものの、怪我一つなかったのだ。
ハッとハクモクレンを見やると、そこにはもう、一つの花もなかった。跡形もなく消えていたのである。
ああ、なんとも惜しいことをした。
どこからにひとひら落ちてはいないかしらんと、木の周囲を巡ってみたが、まったくひとかけらも落ちていない。
私は大いに落胆し、特大のため息を吐いてから、もう一度だけハクモクレンの木を眺めた。そしてそこに、小さな希望を見つけたのだ。
――蕾だ!
冬が来て、春が来たら、この蕾も花開こうか。
そのときに咲くのは花か、それとも……。
幻想小説短編集 小織 舞 @pictionalkey827
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