第2話

「僕はここは初めてなんだ、君もひとりだったら、一緒に歩いちゃだめかな」


 屈託のない笑顔に同伴者の思いがけない出現に内心ほっとしていたが、その様子は見せなかった。


「僕はヒカル、君の名は?」

「どこから来たの?」

「何をしに?」


 無遠慮な質問が矢継ぎ早に、ヒカルという名の少年の形のいい唇から飛び出してくる。しかし、人恋しかったせいか不愉快にもならず、律儀に答えていた。むしろ誰かに話したかったのだ、今の自分の気持ちを。もやもやした心のくすぶりを消してしまいたかった。大ざっぱにここに至った経緯を話して聞かせた。

 二人は森に向かって、草いきれにまみれ、びっしり生い茂った草の群れを両足で踏みしめながら、歩調に合わせて歩いた。


「つまり逃げ出してきたわけだね」


 ヒカルの言葉に、頭の隅にあった眠気がどこかにふっとび、つい声を荒げていた。


「そうじゃないよ」


 間髪いれず


「だって君は自分の気持ち、はっきりと親や先生や友達に伝えたの?何をしたいのか、それにどれほどの信念があるのかを。大学には行きたくないわけ?受験する気はないの?」


 と、ぽんぽん質問を投げてくる。初対面どうしの会話とは思えない。


「じゃあ聞くけど、そう言うあんたは何をしたいのかはっきり言えるのかい?そんなごりっぱな信念があるってのかい?」


 腹が立ち、強気な物言いで切り返す。早足になっていた。

 しばし間があり、遥か遠くに視線を漂わせ、彼は静かな口調で言った。


「僕の場合したいからとか信念じゃなくて任務あるいは使命の遂行に生きてるのさ」


 ちんぷんかんぷんな返事だった。もしかしたら少々いかれているのかもしれないと怒りの炎が鎮まってきた。と同時に、薄気味悪さをふつふつと感じてきた。これ以上この奇妙な少年と同行することに身の危険を覚え、草原から森に差しかかった所で足を止めた。


「この辺で引き上げるよ」


 そう言いながら引き返そうとしたが、ヒカルが薄暗い森の中を指差した為、つい身体がそちらに向いたままだった。彼の細長い人差し指の先を見やった。うっそうと続く針葉樹林が、百メートル程先で遮断され、そこの空間だけがすっぽりと、スポットライトを浴びたように不思議な色に輝いている。


「あそこまで歩いてみないか?」


 ヒカルに誘われ、それよりも好奇心に打ち勝てず、怖いもの見たさかと自分をあきれながらも、足が勝手にどんどん前を歩いていた。

 その場所は神々しいほどの光にあふれていた。大地や大気が凄まじいオーラを放っていた。現実から切り取られた異次元の世界に迷いこんだ気がして、足がすくみ、その内に踏み入ることができなかった。

 さっさと奥に進んでいったヒカルは、にこやかに笑い、大きく手招きをしている。その笑顔や腕が神秘的な色に染まっている。きらきらした光の粒が彼の回りを取り巻き、束の間、我を忘れてそれに見とれていた。

 とつぜん強い力が身体を引っ張る。抗えず、その異空間にぐいぐい飲み込めれていく、ヒカルが微笑み、耳元でささやいた。


「あれは今のままの君の未来さ」


 暗闇をさまよいながら、口々に不平不満を訴える男たちの姿が、光の向こう側にあった。


「あの時彼女に気持ちを打ち明けていたらきっと」

「野球をやめなければ、今頃は」

「受験勉強にもっと真剣だったら、行きたい大学にも受かっただろうに」

「おまえのせいだ」

「いや、あいつが悪い」


 男たちは呪いのセリフを吐き続ける。彼らは同じ顔をしていた。それは自分の顔だった。

 その情けない奴らが未来の俺だって?

 狼狽し、慌ててヒカルの方を見た。いない。男たちの姿もいつのまにか消え、少年だけが一人ぽつんと取り残されていた。


「おおい、どこにいるんだあ」


 孤独とも恐怖ともつかね激情に襲われる。光が渦を巻き、目がくらくらする。何度も、叫ぶ。その途中、ぷっつりと意識がとぎれた。


・・・・・鳥が・・・鳴いている・・・

・・・・・風が・・・気持ちいい・・・

・・・ここは・・・どこだ・・・?


まぶしい。

空の、透き通った青しか見えない。

 少年は仰向けに寝転んでいた。そこは、もとの草むらだった。


「夢・・だったのか・・?」


 起き上がり、しゃがんだまま周囲をぐるりと見渡す。少し離れた遊歩道に、まばらな人影が見える。目を凝らして作務衣姿の少年を捜してみるが、年配者ばかりだった。

 リュックからペットボトルを取り出し、水を飲もうとして、はっと思い出した。ヒカルに出会った直前に喉を潤したことを。だとしたら・・ペットボトルの中身を確認する。三分の一くらいしか残っていない。


「やっぱりな」


 残りを一気に飲み干し、少年はつぶやいた。


「夢じゃなかった。なんで俺はここに、あいつはどこに消えたんだ」


 ふと思いついたように腰を上げ、突然、リュックを片手に駆け出していた。森に向かってひたすら走っていた。

 森は薄暗く、濃い緑の木々がすっそうと茂っていた。ずっと奥までただそれだけだった。虹色に輝いていた、あの不思議な空間はどこにもありはしなかった。

 少年は無言で立ち尽くしていた。木漏れ日がたわわな枝葉の隙間からこぼれ、金鎖に似た光が踊るように影と交錯していた。

 涙が頬を伝い、あとからあとからあふれてくる。怖いのか悲しいのか、自分の心がわからなかった。

 ヒカルの言葉が頭をよぎる。


「僕は任務あるいは使命の遂行に生きているのさ」

 任務や使命?・・それはいったい・・・

 そうか・・そういうことだったのか・・

 俺に何かを教える為に・・君は俺の前に現れたんだ・・そうなんだろう、ヒカル?

 いない相手に何度も問う。どこかで聞いてくれてる気がした。しばらく、その場に佇んでいた。森をあとにし、又あてもなく歩きはじめる。

 陽がきらめいていた。

 樹々の匂いがした。

 軽井沢の夏はすぐそこにあった。

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避暑地の旅人たち オダ 暁 @odaakatuki

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