ゆるし

外清内ダク

ゆるし




 平均寿命の半分を過ぎる歳になって、「ああ、こっから人生も後半戦か」なんて実感が湧き始めたころからだ。ひどい、耐えがたくひどい寂しさに襲われだしたのは。

 誰かを抱きたいと、こんなに痛烈に望んだことはない。

 性欲に似ているが、それともちょっと違う。20歳前後のころの狂ったように熱い性欲、女性の裸と性器と羞恥の姿をただただ求めた獣のような情念、ああいう気持ちはずいぶん薄れた。いま僕を悩ませているのは、もっと静かで、しかし泣き出したくなるほどに暗く湿った、いたたまれなさみたいなものなんだ。

 もちろんセックスが嫌なわけじゃない。適度な距離の保ちかたと、誰にも迷惑をかけない適切な発散のしかたを身につけただけだ。それを“枯れた”と馬鹿にしたい者は好きにすればいい。僕自身はわりと、今のセックスとの距離感を気に入ってる。

 でも、それとは似て非なるところに、別の切なさを抱えてしまった。

 ひとを愛したい。抱きしめたいと思うんだ。

「私のことを、愛してもいいよ」

 そんなが欲しいんだ。

 中年は、ひとを愛することを許されない。社会は決して赦しはしない。歳を取れば腹も出る。皺もできる。デオドラントのボディ・ソープと素敵な香りの柔軟剤を全力活用してさえ枕はひどく臭くなる。髪もすっかり薄くなったし、わけもなく涙がこぼれることもある。

 自分がどうしようもなく醜い存在であることははっきりと自覚しているんだ。周囲の目が如実にそれを物語っている。“お前はひとを愛してはいけない”、社会がはっきりそう言っている。

 たまらなく愛おしいひとが近くにいたとする。そのひとを抱きしめたいと思う。でもそんなことは許されない。絶対に一定の距離以上に近寄ってはいけないんだ。それは気持ち悪いことだから。ひとを愛することは罪だから。僕はにっこり笑って社交的距離を保つ。家に帰ってひとり泣く。

 その繰り返しの人生だった。

 たぶん、これからも死ぬまでずっと。

「僕はきみが好きだ。愛してるんだ」

「よし。なら好きなだけ愛していいよ」

 こんな関係はファンタジーだ。少なくとも僕にとっては。

 これを読んでいる誰かにとってはどうだろう? 現実にそんな関係もありうるし、事実いま手の届くところにあるよ――というひとは、きっとすばらしく幸いだ。その人生を大切にしてほしいと思う。

 でも僕と同じように感じているひとがいたとしたら――ごめん。かける言葉が何も見当たらない。

 この世の中に掃いて捨てるほどいる人間の中の、凡庸なひとりに過ぎない僕だけど、もし誰かを愛することができれば、きっとずいぶん胸が満たされるだろうと思うんだ。自分のしていることに、少しは意味が感じられるだろうと思うんだ。誰かひとりをただひたすらに愛したいんだ。自分の全てを捧げて、知識も、力も、財産も、体力も、気力も、残った時間、命の全ても、みんなプレゼントしたいと思うんだ。そうすることって、歓びだろう? 尽くすことって、幸せだろう? この世でたったひとりの大切なひとに、夢中になっている時間、僕にはただそれだけが価値のあるものなんだ。

 抱きすくめたいんだ。愛しいひとを、この腕の中に。

 囁きたいんだ。愛の言葉を、赤面するほどに。

 ゆるしてくれ。誰か、僕にゆるしをくれ……

 気持ち悪いかな?

 いいんだ、自分でもそう思う。でも僕は、ずっとこの自分と生きてくしかないからね。


 ……うん。

 どこかで吐き出しておきたかった。どうにかこれで、明日の仕事の心配をする余裕ができたような気がするよ。

 こんな個人的な話に、付き合ってくれて……ありがとう。



THE END.

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