ニンギョウヨリ

亜済公

ニンギョウヨリ

 汚れきった古い波止場に、海鳥の糞が堆積していた。潮風にしめって、黒いぬめりと化している。鞄を背負い、僕は船をそっと下りて、船頭にありがとう、と声を張った。ごうごうと風がうなっていて、自分の声さえよく聞こえない。

「夕方、また来るからよ」

 渡したばかりの札束を、嬉しそうに振り回しながら、漁師は船のエンジンを回した。太陽は既に天頂近く、ねちっこい光を僕に浴びせる。周囲には朽ちた木造の家と、繁茂する雑草の影ばかり。生物らしきものは影もなく、犬も、猫も、鳥でさえも、今は息を潜めている。久しぶりの「人間」の姿に、おびえてでもいるのだろうか?

 松笹島は、貝楼諸島の北部に位置する、ごくごく小さな無人島だ。戦後に、入植が行われ、多いときには七十世帯が暮らしたという。海産資源に恵まれており、現在でも多くの漁船がやって来る。もっとも肝心の島の方は、今や廃墟でしかないのだけれど。

 長らく整備されないせいで、道はやたらと凹凸していた。アスファルトの舗装もなく、茶色い土が露出している。両脇に立ち並ぶのは、一軒家……というよりも、むしろ「小屋」という言葉の方がしっくりくる、小さな木造建築だ。駅前の、公衆トイレを二、三個横に並べたら、ちょうどこのくらいの大きさだろう。

 ふと、整列しているうちの一つ、曇りきった窓の向こうに、人影のようなものが見えた。僕は鞄からカメラを取り出し、気まぐれにそこへ、歩み寄る。本来の目的からは外れるけれど、いわば島の「見どころ」なのだ。

「不思議な光景としか、いいようがない」

 この旅のきっかけであった友人は、以前僕にそう語った。そのときフィルムを切らしていたのが、本当に残念だった、と溜息をつき、次いで「お前が撮ってこい」と、有無を言わさずカメラをよこす。最新式の、電子写真機だと、誇らしげにそういった。

「さて――と!」

 ガタガタと、扉は細かく揺れ動く。横開きのようなのだけれど、どんなに力を加えても、固まって動く気配がない。それでもなお踏ん張っていると、やがて湿っぽい音がして、戸の枠組みが崩れてしまった。どんよりと、埃っぽい空気が流れ出す。マスクを持ってくれば良かったな、とそんなことを思いながら、僕はハンカチを鼻に当てた。

 松笹島が、一部の好事家の間で有名なのは、その廃墟の奇怪さにある。奇怪といっても、建築物の形だとか、遺留品の山だとか、そんなものを指すのではない。平凡な、そしてまた、質素な村は、ただ一点を除いて退屈だ。

 ――パシャリ。

 と、写真機は鋭い音を立てる。薄暗い室内にフラッシュが瞬き、漂う埃が銀に染まる。照らされたのは、椅子とベッド、机に本棚。そしてまた、框から数歩進んだところの、薄汚れた人形だった。

 それは、いわゆるマネキンとは、趣を全く異にしている。全体に作りが稚拙であり、表面の磨きも不十分だ。大人と同じくらいの背丈であるのに、比して足がやたらと短い。直線的、と表現するのが、おそらくはもっとも的確だろう。適当な木材を組み合わせ、釘で打ち付けたような印象である。そしてそいつは、天井の梁から麻縄で吊され、しん、とそこにたたずんでいるのだ。どことなく、首つりを思わせるのが、不吉だった。

 僕は、やや窮屈な感覚に囚われて、数枚の写真を撮った後、足早に小屋をあとにした。道の両脇には延々と同様の家が並んでいる。これら全てが、内部に人形を抱えている……。想像は、友人の話を聞いたよりも、遙かに生々しく眼前に迫った。本当に、不思議な光景、というほかない。

 松笹島の人口は、今世紀に入った時点で、殆どゼロに近かった。最後の島民らが、この場所を去ろうというときのこと。彼らは人形を作ったのだと、そういわれる。何を意図したのかは定かではない。ただ、ここには現実として、島で暮らした最後の世代が、面影をいまだに残している。……物言わぬ稚拙な人形となって。

 道を進むと、いくつかの分かれ道に差し掛かる。僕は鞄から、航空写真を取り出して、周囲の風景と照らし合わせた。汗がぽたり、と頬を伝う。拭っても拭っても、切りがなかった。この辺りは、本土より大分赤道に近い。

 僕はふと、友人との会話を想起した。

 ――俺の親父も、子供の頃、あそこに住んでたって話なんだ。

 嘘か誠か、そんなことを得意げに語る。

 ――母親と一緒に、本土へ越してきたんだと。夏、開かれる祭りのことを、よく暇なとき話してくれた。

 曰く、その祭りでは、参加者は皆、各々の人形に火をつけること。

 曰く、その人形は、一年の厄を全て背負って燃えていくこと。

 曰く、その儀式において、人形は持ち主に似せ作ること。

「あの島に並ぶ人形は、祭りで燃やしていたものと、本当に、よく似ているんだと」

 人形を作るのは、一年の始めだと彼はいう。年末まで、ときを共に過ごしたソレへ、自らの身代わりに火を放つ。よくある儀式の、変形だ。

 中国から伝わった、上巳節という行事がある。草や紙の人形で、子供の身体をなで回し、穢れを移してしまうのだ。その「ヒトガタ」を川へと流し、厄を祓うといわれている。

 あるいはまた、全国の神社にある「大祓」、飛騨高山の「さるぼぼ」だとか、そして何より「流し雛」とか……。そのどれが、原型となったのかは知れないけれど、典型的な身代わり信仰であることに変わりはない。

「旅の安全を祈願して、作ったんじゃないかって親父はいっている。戻ってきたとき、みんなでそれを燃やせるように」

 ――だとすれば。

 僕はふと、考えた。

 ――この人形は作られてから、一体どれだけの厄を背負った?

 ――断片的な人間の業が、許容を越えて溜まり続け、果たして何が起こるのだろう?

 視界に写る家々に、禍々しい何かを、不意に感じた。


 いくつかの曲がり角を越えた先に、ちょっとした広場が待っている。中央に、平たい岩が置かれていた。周囲には、円を描いて木々が並んだ。その根元には、落ち葉がうず高く積もっていて、ぐにゃりとした感触が、靴底を通して伝わってくる。

「こんにちは」

 と、僕はいう。

「うぬは誰かねぇ」

 と、相手は答える。岩の上に、ぽつねんと座るその人影が、まさしく、旅の目的だ。

 島を上空から撮影すると、広場は思いのほか目立って見える。好事家が数度、年を違えて撮影したが、その全てに一人の男の姿があった。灰色のマントで全身を覆い、背中はぐにゃりと丸まっている。昼も、夜も、いつ見てもソレはそこにあり、ぴくりとも動く気配がない。最初は、人形だろう、と思われた。だが数人の物好きが、実際に足を踏み入れたあと、「会話をした」と語ったのだ。それは、どうやら、人間であった。

 名前を名乗ると、彼は「ああ」とか「うう」だとか、分かったのだか、分かっていないのだか、判然としない口ぶりで、こくり、とこちらに頷いて見せる。

「どうして、あなたは、こんな場所にいるのですか?」

「いなくちゃならんから、いるんだろぅ」

 話をするのは久しぶりだ、という風で、声は酷く、しわがれている。

「あなたはここで、一体何をしているのですか?」

「何もしないように、しているのさぁ」

「ここにある人形は、何のために作ったのです?」

 沈黙は長く、返る声もまた、小さかった。

「寂しくなかろうぅ。誰が死んでも、誰が生まれても、人形はみぃんな、教えてくれるぅ。人形は、みいんな、おしゃべりだかんなぁ。人形は、人形は、明日もあるぞぅ。明後日も、みんなでおしゃべりをするぞぅ」

「……そうですか」

 僕は、男の正気をいくらか疑い始めていた。考えてみれば、当然だろう。まともな人間がこんな場所で、暮らすはずはないのだから。

 男は、不意に声を張り上げ、妙な調子で言葉を続ける。

「後ろには、みいんな、ついているんだ。元気が良いぞぅ。坊ちゃんは、もう、怖くない。冷えないぞぅ。温かいぞぅ。みんな、みんな、燃えるんだぞぅ」

 不意に、何かの糸が切れたかのように、男はカクン、と頭を揺らして、それきり何もいわなくなった。僕は、妙な気分だった。心の底がざわついて、高揚、というか、焦燥、というか、ともかくそんな類いのものが、どこからか湧き上がってくるようだった。もしかすると、何かが目の前の男から、流れ込んでいるのかも知れない――根拠もなく、ただそんな感覚がある。

 僕はじっと、立っていた。男もやはり、じっとしていた。思考は鈍り、沈黙がやたらと心地良い。こうしていると、まるで自分が、大切なものを抱きしめているような気持ちになる。それはある種の幸福であり、またある種の不幸にも思われた。

 ――僕は、燃えるべきなのだろうか?

 風がごう、と耳元を駆け抜け、葉擦れの音が虚しく響いた。さらさらと、何かが流れているかのよう。さらさら、さらさら、さらさら、さらさら、さらさら、さらさら……。

 どれほどの間、僕がそうして立っていたのか、正確なところは定かではない。ただ、ふと我に帰って見回すと、周囲が橙赤色に染まっていたのは確かである。

 日は大きく傾いていた。約束の時刻が、近づいている。例の漁師は、もう待っているに違いない。

 男のもとへと、歩み寄り、

「もしもし……」

 と、声をかける。期待に反して、一切の反応は見られなかった。僕は僅かな逡巡ののち、マントの影を覗き込む。男の顔を、見られやしないだろうかと、ちょっとした好奇心が働いたのだ。

「もしもし……?」

 そこに、人間の表情はなかった。先の小屋で見たものと、同じような人形が、ボロ布を被っているだけだった。僕は、そっと、男のマントを剥ぎ取ってみる。夕日の中に、木目がボウッと照らされている。

 同じ。何もかも、同じ。足がやたらと短くて、直線的な工作物。稚拙な、歪な、手製の人形。同じだ。同じだ。何もかもが、まるで同じだ。本当に、人形なのだ。それは、確かに、人形なのだ――!

 僕は、慌てて駆けだした。何か、見てはいけないものを、目にしたように思われた。第一、声は? 自分は誰と会話したのか? 広場を出て、来た道を戻る。立ち並ぶ家々には明かりが灯り、どこからか夕食の香りが漂う。魚を焼いているのだろぅ。中水の坊やが、今日も駄々をこねている。静さんの家は喪中だから、ひっそり静まっているのが哀しかったぁ。ワン、とどこかで犬が吠える。おぅい、と、どこかで人が呼ぶ。僕はその合間を走り抜け、いつしか波止場へたどり着きぃ――。


「なんだこりゃ」

 と、友人は素っ頓狂な声を上げた。

「どうしたの?」

 と、尋ねると、数枚の写真をこちらによこす。それは、僕が撮影した、件の島の写真だった。小屋の中に押し入って、フラッシュをたいたあの光景。僕はそれを、自分の中で反芻してみる。記憶は当たり前のようにぼやけていて、詳細を思い出すことなどできそうにない。鮮明に焼き付いているものは、ただ宙を漂う銀色の埃と、広場で感じた、あのざわつきだけ――そうだ、あのざわつきだ。

 数枚のそれに、触発されでもしたのだろうか。僕の心の奥底に、何か泥に似たものが、渦を巻いているようだった。

 写真には、天井から吊された、人形が綺麗に収まっている。ただ、一つ、妙だったのは、顔の部分にくっきりと、笑顔が刻み込まれていること。カメラを通してこちらをじっと見つめるような、執拗さのある笑顔である。口角を上げ、眼を細め、瞳を決してそらさない。カラカラ、と声を上げる。笑う。カラカラ。カラカラ。カラカラ。カラカラ。いつしかそれは、ケタケタというあからさまな声に変わり、見る者の臓物に食らいつくのだ。

 僕は写真を破ろうとした。その笑顔には、人を不快にさせるものが、確かにあるように感じられた。あたかも、人形の奥深くから、どす黒いものが漏れ出してでもいるかのように。

 だが、そうはしなかった。

 なぜだかは、分からなかった。

 僕はにっこりと微笑んで、写真を友人に返したのだ。

「みんな、みんな、燃えるんだぞぅ」

 ぎょっとした風でこちらを睨む彼を見て、僕は酷く愉快だった。

 カラカラ、カラカラ。

 ケタケタ、ケタケタ。

 自分が人形と同じ表情であることを自覚しながら、僕はそれを、楽しんでいた。

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