(97)たまきの物語

 本日で「窮鼠~」公開から丸三年となりました。

 9月11日、初日の初回。見終わって、じわじわと重いものが胸に広がり、現在に至ります。

 本作への思いは少し変わったかもしれませんが、人生最大のインパクトを与えられた事は間違いありません。


 さて。今日は改めて家族について触れてみます。

 恭一と今ヶ瀬の家族は全く登場なし。

 行定監督は、親の反対(男同士の付き合いに対して)など描く必要はない、とのことで。

 二人の関係をあそこまで丹念に描いていくと家族を出している時間はない。恭一の妻や瑠璃子、夏生も家族は全く出てきませんね。


 逆に、たまきは両親を話の上だけでなく存在を出しています。父親の職業、母親の住まいまで、きっちり描いています。父親は恭一とたまきの会社の常務で、たまきは愛人の娘と言う設定です。父親の葬儀には、本妻や子供たちまで登場、異例の扱いといえます。


 思えば、たまきは冒頭付近から登場し、まだ離婚前だった恭一に思いを寄せる部下として存在します。私は、たまきの父親は、職場で、たまきの母親と不倫関係になったと想像しますが、そうなると、たまきは両親の関係を踏襲した形です。

 恭一の離婚後、生まれ年のワインを贈るという恭一に「彼女さんにですか」と探りを入れたり。

 今ヶ瀬が自爆して別れになったあと、ついに、たまきは恭一と関係してしまいます。やがて正式に婚約まで。母とは違うまっとうな幸福への道を歩みつつありました。


 男たちはよりを戻し、恭一はたまきに別れを告げる。

「このままそばにいちゃいけませんか」にはびっくりでしたね。「二番目でいい」という、母親と同じ立場になりたいと。

 恭一が、今ヶ瀬を待つという結末で、たまきは母と同じ道は歩まずに終わりますが、こうしてみると「窮鼠~」は、ある意味たまきの物語なんですね。


 恭一と今ヶ瀬の関係を描くのが表、でも、たまきという複雑な育ちの女性を描いた作品、とも解釈できるわけで、本当に深いなと思います。両親揃った普通の家庭ではない所が色々考えさせられます。

 主人公二人の家族の臭いが全くないのに、たまきの方は過剰なまでに細かく描かれている、いえ、そんなに多い扱いではないけど、たまきは途中まで母と同じ道をたどっているので。


「このままやっていくつもりだった」と恭一が言っていて、そうなると、今ヶ瀬が愛人、つまり、たまきの母。たまきが正妻。そこに愛はないし、愛人が、タバコや灰皿で本妻をイラつかせるという構図になるわけですが。

 そんな展開の「窮鼠~」は見たくないですが、思わず想像してしまったのでした。




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今度こそ語りつくす「窮鼠はチーズの夢を見る」 チェシャ猫亭 @bianco3

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