山羊男

安良巻祐介

 単調な外での仕事を往復しながら、暗く閉め切った家の中ではサラドばかり食っていたからなのか、いつの間にやら顔や顎に真っ白い毛が生じ、慌てて鏡を覗いたところ、目は顔の横にずれ、鼻面はむやみに長くなり、瞳は横に伸びきって、すっかり獣のようになっていた。

 驚いて声を上げても、それはもはや尋常の人間の言葉ではなく、バアバアと物悲しい獣の鳴き声であったのだ。

 長年勤めた会社をやめ、私は家に引きこもった。そうして毎日、サラドを食べた。

 けれども、仕事がなくなったわけではなかった。

 毎朝、家のポストへと、薄紫色の封筒が投函される。それを、毛だらけの手で開いてから、私は中に入っている紙片を、真っ白い皿の上に載せる。

 それは、機密文書である。出所は日によって色々であるが、いずれも世に出てはならぬ忌み子であるらしい。

 卓上の岩塩・月胡椒・橄欖油などを適宜用いて、私はそれを、フォーク・ナイフでゆっくりと切り分けて食べる。文字の内容は見ない。見たところで理解はできないし、それが秘密であることさえ、わかっておればよろしい。そうしておいて、複雑な、時に単純な、秘密の味を咀嚼する。ボンボンとありきたりに鳴る時計を聴きながら。

 ブルーブラックのインキは、私の胃の腑に落ち込んで、地獄のように溶かされてゆく。

 たまには鍋に放り込んで、コンソメ、野菜類等とグツグツ煮て、シチュウにすることもある。湯気を上げて絡まった文字が、私の舌先に、人のぬくもりを思い出させる。

 けれど、サラドと機密文書とばかりは、別腹だ。…


 そのようにして過ごし暮らしていたある日、私は、ポストにいつもの薄紫色ではない封筒が、幾つか入っているのを発見した。

 驚いたことに、それは、家族からの便りであった。あるいは、友人からの、恋人からの、私宛の手紙であった。

 私はそれらを、皿に並べ、鍋に放り込んで、食べた。

 やはり内容は何も見ないまま、さめざめと泣きながら、舌鼓を打ちながら、貪り食った。

 最高の味だった。私はバアバアと声を上げて、ハンカチーフで涙を拭いた。私は家族を、友人を、恋人を愛していた。胃の腑がじんわりと温かくなる。げっぷがひとつ出た。

 そうして、しかし、と考える。

 これから毎日来るとすると、ちと腹に溜まりすぎて、くどいかもしれない。

 口直しに、いつもの機密文書へと、私は手を伸ばした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

山羊男 安良巻祐介 @aramaki88

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ