第9話 最後の一人
帰り道。
チョコはまだバッグの中にある。別にゴミ捨て場で食べてもよかったが、口に入れても喉を通らないと思ったのでやめた。
陰鬱な気分だ。
いつもの小酒井は表情が豊かさで、あんな虚な目をしてはいなかった。悲しいという感情を通り越しているようだった。
小酒井の話を聞いてどうにかならないのかと思った。どうにかしてハッピーエンドにならないかと期待した。あんな虚しくなるだけの話でいいはずがない。
でも自分にそうなるよう行動する勇気がないのだ。
清水に本当のことを伝えて、小酒井と二人で話し合わせれば、なんとかなったかもしれない。俺が清水と話した時はあんなだったけど、小酒井に全てを知られていると知ったら、あいつも小酒井に惚れられた男なのだから潔く白状し、謝罪すると思う。
だからといって、今の二人の関係に立ち入る勇気は俺にない。立ち入っていい理由もない。
二人の関係は傍からみれば、バレンタインデーにいる普通のカップルだし、バレンタインデー以外なら事情を知っている俺からしても正真正銘普通のカップルだ。二人が見ないふりをすればなんの不満もない。
それを二年は続いているので、ここに俺がでしゃばった行為をすればいい迷惑だろう。もし二人が別れるなんてことがあったら俺が原因だし、やはり立ち入ることはできない。
それに小酒井のあの雰囲気からよりそう思わせてくる。
俺は事実、小酒井が清水に渡すチョコを食べていたのに、彼女は怒りもせず、「どうせ捨てることになると思っていたんだし鷲見くんが食べていいよ」とずいぶんあっさりしていた。清水は今でもずっと悩み続けているが、小酒井は悩んでる時に清水の言葉を聞いて一気に諦めがついたような感じだ。
二人になんの蟠りもなくなるのには厳しいと思う。
今朝こけた場所まで戻ってきた。
ここへ来て今日のことを思い出すと、午前中は保健室で寝ていたはずなのにいろいろ思うことがあったので思い出すだけで疲れた。
もう滑ってしまうような氷や雪は溶けているので特に注意することもなく進む。氷が張っていたり、雪が積もってはいないので、靴底で地面を蹴るようにして歩く。
とぼとぼと進んでいたので駅まで着くのに普段より時間がかかった。
帰宅部なのでいつも乗る帰りの電車に人は少ないが、今日は放課後時間を使ったので人も少しだけ多い。電車が来る時間もいつも違うのできちんと確認しておく。
電車に乗って目的地に着く間、ユピテルのことや達彦の言葉が何度も脳裏によぎった。
だが、そのことから目を逸らすように別のことを考えてその場を乗り切った。まだ
一人残っているからだ。
水野千華。
達彦が三人の名前を挙げる時、千華はおまけだと言ったことを思い出した。
なんでだ?おまけってどういうことだ?それに俺が千華の名前を出した時の達彦の様子も変だったし……。
だめだ。
また考えてしまった。やめようやめよう。
そうしたことを続けるいるうちに目的地に着いた。
ここの駅も普段使っている時間帯に比べて人が多いので、いつもの感覚で電車から出ようと思ったら他校の高校生も多く、なんだか新鮮な感じだった。中学の頃の同級生がいるのではないかとも思ったが特にそんなことはなかった。
人だけでなく音も違って聞こえた。
いつもより混雑しているので足音がよく聞こえる。人の数とは関係ないが、今の天候が変わったり季節が変わったりしたらもっと違って聞こえてくるだろう。
行きの電車はギリギリの時間のものを好んで選んでいたつもりだが、たまには別の時間に家を出てもいいかもしれない。
改札口を通って駅から出た。
その時。
「ねぇ、玲二!ちょっと待ってよ!」
ああ、この声は。この声は千華だ。
嫌な予感がする。
声の方に振り向くと千華が駆け寄って来ていた。
「あぁ、千華何の用?」
早くこの場から逃げ出したい。
「何の用って……ちょっと冷たくない?用がなきゃ話しかけちゃいけないわけ?」
千華はそう言って少しむっとしたが、すぐに切り替えて話し出した。
「玲二、今日授業終わったらすぐ教室出てっちゃったでしょ?全然気がつかなくて、でも校舎から出て帰ろうとしてた時に小酒井さんが、玲二はさっき帰ったて教えてくれて、それで今見つかったってこと」
「そうか、小酒井がかぁ」
返事が雑になってしまう。
「あのさ、千華。申し訳ないけど今急いでるから用がないなら俺先行っていいかな?」
「あ、いや、ちょっと待ってよ。用は一応あるよ……」
千華はそう言って俯いた。顔を隠しているのか。
「だって今日は十四日だよ。……その、前から言おうと思ってたんだけど……」
だめだ。ここまで来ると予感が確信に変わる。
俺はたぶん千華の期待する答えを言えない。
「ごめん、千華。ホント急いでるんだ」
そう言って後ろを向いて去ろうとした。足も急がした。
「えっ!な、何で?少しくらい待っててくれても……」
千華は俺の腕を引っ張りながら言った。
その顔は、いつもだったらむっとしてることだろうが、今は悲しそうな顔をしている。
俺はいつのまにか涙を流していた。
こんなに自然に涙が出たことはなく自分でも驚いた。
「れ、玲二、大丈夫?」
俺は千華の言葉に耳も傾けず彼女から逃げた。
走って逃げた。
千華の顔は見なかったので、どんな顔をしているのかわからない。
千華のことだから何としても俺を立ち止ませるために引っ張ったり、追いかけてくるかと思ったが何もしてこなかった。
走っている時、体に風が吹いて冷たかった。陸上部はいつもこんなことをしているのか。
顔が冷たくて、流れていた涙は乾いていき、伝った跡が特に冷たかった。
そのうち家に着いた。
息があがっていて白い息が何度も出た。
家に入り、息があがったままおざなりに部屋に行き、ベットに倒れ込んだ。
そして思った。
達彦は千華がチョコを渡すことを知っていたのか。
達彦が千華のことをおまけと捉えたのも説明がつく。
平井は既に恋人がいる相手にチョコを渡すという、まさに叶わない恋をしていた。そして小酒井はチョコを捨てられるとわかっていながらも恋人にチョコを渡す。
達彦は持ち前の観察眼で、この二人から漂う雰囲気を見て虚しさを覚えた。
だが、千華は違う。
千華は別に振られるとわかっていながら俺にチョコを渡してきたわけではない。
達彦は、千華から俺に向けての好意を知っていて、同時に俺が千華からの好意に受け答えできないことも知っていた。事情を察した達彦からは、千華も振られるのに告白をしにいってるように見えたのだ。
結局は千華も他二人と同じく達彦の心を虚しくさせる存在に違いなかったのだろう。
自分の中でそう解釈しているうちに再び涙が流れ始めていた。
泣いているのだと自覚すると今日の出来事を思い出して、さらに涙が出てくる。
部屋は薄暗く物静かなので、鼻をすする音だけがそこにあるように思えた。
空っぽチョコレート ささささ @misaki8823
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