第8話 小酒井と清水について

 うっ!さらにまずい事態になった。


 そこにいたのは小酒井瑠衣だった。


 小酒井は部活の途中に来たのか、ジャージ姿だった。

 

 ああ、そうか、小酒井は陸上部なのか。俺が阿吽を下っているときに、下から阿吽を駆け上がっていた陸上部員の中に小酒井がいて、だから清水はそれを避けるようにして遠回りをしたのか。


「星香が私の名前を言う声が聞こえたから気になってきたけど、これはどういう状況?」


 そう言うと小酒井は俺が手に持っている箱に気がついた。小酒井のチョコが入っていた箱である。


 だめだ。

 小酒井にもなんとなく察しがついているだろう。こうなっては、清水にバラさないからチョコ寄越せ発言を裏切ったことにもなる。


 小酒井なら俺の「小酒井が可哀想に思ったんだ」的な言い分を聞きいて、俺だけは許してくれるかもしれない。こういうことを考えている時点でダメかもしれないが。


 だが、清水についてはどうだろう。

 いくらあの寛容そうな小酒井といえども、彼氏が自分のチョコを捨てていることを知ったら激怒してもおかしくない。


「ああ、違うの瑠衣!す、鷲見が食べてるチョコ、瑠衣のチョコにそっくりだよね!」


 工藤が必死になって誤魔化している。小酒井を心配させまいと思っているんだろう。


「い、いやあー実はあれあたしが買った同じ種類のチョコでさー」

「前の休日、一緒に出かけた時、星香は買わないって言ってなかったけ?」

「あぁ、うん……その、気が変わって……」

「ということは、チョコ渡してるし、星香、鷲見くんのこと好きなの?」

「あんな奴全然好きじゃないですけど!」

 おいこら。

 本音出てるぞ。



 その後小酒井が話しかけてきた。


「鷲見くん、もしかして彰吾……清水くんの見ちゃった?」


 小酒井は工藤にこのことを知られたくないのか、小声で誤魔化し気味に言った。


「見たっていうのは、まあ、そうだな、たしかに見た。」

 見たっていのはなんだと、続けようとしたがもう察しはついている。


 小酒井は既に清水がチョコを捨てていることを知っている。


「ええ?どいうこと?」


 工藤は事情を知らないため混乱している。


「ごめんね、星香。多分もう大丈夫。練習の続きやってていいよ」

「大丈夫って、そんなわけないよ!だって、こいつ瑠衣のチョコを……食べてたんだよ……」

「うん。でも、たぶんちょっと誤解してる。鷲見くんと話もしたいし、少しの間二人にしてくれる?」


 小酒井は宥めるように言い、工藤はそれにコクリと頷いた。


 工藤は俺を睨み、そっぽを向いてからその場を後にした。

 

「清水くんのこと、どれだけ知ってるの?」


 ゴミ捨て場から工藤はいなくなったので小酒井は訪ねてきた。


「大まかなことは把握しているよ。俺が、清水がチョコを捨てているところを偶然見かけて、どういうことか聞き出した」


 説明するのが面倒なので偶然清水を見かけたことにしておく。滅多に立ち寄らないゴミ捨て場で偶然とはどういうことだと突っ込まれそうだと思ったが、小酒井は何も言ってこない。

 工藤の時にはガツガツ言っていたのに。


 きっと利口な小酒井のことだから俺が面倒で噓をついていることも分かっているが、敢えて触れずにいるのだろう。


「聞き出したことは、あいつがアレルギーだってことと、本当はこんなことしたくなかったっていうことだけだ」


 一応彼女なんだし、清水の気持ちも伝えてフォローしたつもりだったが逆に皮肉っぽくなってしまった感じがする。


「そう、もうだいたい事情はわかってるんだね……」


 小酒井の様子は変わらず冷静だった。


「なあ、無神経な質問って思うけど、なんで捨てられるってわかってチョコを渡す?そんな冷静でいられているんだ?」

「うーん、そうなだあ。別に答えてもいいけど、少し話を聞いてくれない?どうせ聞くんだったら詳しいほうがいいでしょう?」


 俺は黙って頷き、小酒井は語りだした。

 


 まずはどこから話したらいいかなあ。


 うーん、じゃあ彼と付き合い始めた頃から話そうかな。

 清水くんと私はね、同じ中学出身なの。中学から同じになったから、中学校に入学してから二年生になって同じのクラスになるまで全然知らなかったけど。


 スポーツマンって感じでかっこよくて、優しくて、付き合えた日はこんな嬉しい日、後にも先にもないんじゃないかって思うくらいにはしゃいでいたわ。

 それで彼はサッカー部だったから、付き合って三か月くらいの時、初めて彼の試合を見に行くときはすごく張り切ってた。


 その試合がある日は中学二年生の二月の中旬。

 正確な日付は思い出せないけど、バレンタインデーじゃなかったことは憶えてる。

 あの頃は私もまだ全然今より恋愛はロマンティック主義な感じで、二月十四日の決められた日にチョコを渡さなければならないと思うより状況とか雰囲気を重視していたから、バレンタインデーでもないのにチョコを持ってきたわ。時期的にもそこまで離れているわけでもないし、彼女が初めて試合に来る日だからってね。


 チョコを渡した時は朝早く会ってすぐに渡しちゃった。早く反応が見たくて。その時はまだ彼は嬉しそうに喜んでくれいていたわ。

 初めてできた彼女から差し入れがあったんだもの。嬉しくないはずかがないでしょう?


 試合は昼をすこし過ぎたくらいの時間から始まる予定で、試合前の昼食に食べようって言ってくれた。


 その後の試合では大活躍する彼の姿が見れると思ってワクワクしていた。


 でも、結局見れなかった……。


 私は試合の前に会おうと彼の元へ向かったら、彼は嘔吐して倒れていたわ。


 その後のことは頭が真っ白になってあまり憶えていないけど、倒れたせいで彼は試合に出れないまま試合が始まって、チームが負けたことは憶えてる。

 今思うとかなり圧倒されている様子だったし、もし彼が試合に出場していても案外あっさり負けていたかもしれないわね。


 それから少しの間は本当に私の気分は晴れないままで、もしかしたら彼がああなったのは私のチョコの作り方に何か問題があったんじゃないかって不安になって、距離を置いていたの。


 でも私が前より彼と距離を置いているのが気になった、あるサッカー部の人が、彼はチョコレートアレルギーでああなってしまっただけで、君が落ち込む必要はないって言ってくれた。チョコレートアレルギーは今まで症状が出ていなかったとしても唐突に発症する可能性はあるからとも。


 チョコを渡したのは私なんだし試合に出れなくさせてしまった原因は私にあるんだけれど、その時はその言葉を聞いて安心できたわ。


 それからの彼との関係は完全に元通りになった。チョコを渡す前の時みたいに普通の幸せそうなカップルに戻れたと思う。


 でも中学三年生の時のバレンタインデーは去年のことを思い出してすごく怖かった。


 向こうは私が既に彼のアレルギーを知っていることに気づいていないから、今年もチョコレートを渡してくると思ってる。

 だから、ここでチョコを渡さないと彼も違和感を覚えて、どちらにとっても不幸だから、私は平然とチョコを渡したの。


 そしたら、これでまたお前のチョコを味わえるって……。


 ぽっかり穴が空いたようだった。


 彼が私のチョコを捨てているのを知ったのは高校生になってからで、このゴミ捨て場で見かけたの。たぶん今の鷲見くんみたいに。


 でももう何も感じなかった、穴が空いているから。


 バレンタインデーの時はその穴から愛情が溢れちゃって、もう今は空っぽになってる。


 明日には戻ってるといいけど。

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