平家物語 昭和の合戦の事

@tonegawa_abiko

「 平 家 物 語   昭和の合戦の事」 

            (一)


 「滋賀本部から大津 ーーーーーーー、滋賀本部から大津 ーーーーーーー」

「はい、大津です。どうぞーーーーーー」

三月のある寒い夜、滋賀県の警察通信指令本部から大津警察署に、無線の呼びかけ

があった。県内で110番の電話がかかると、滋賀県の通信指令本部につながり、

そこを経由して県内の警察署へ事件の指令が伝達される。

 「軽微な車の交通自損事故の訴えです。場所は、大谷駅前の県道を真っ直ぐ、国

道一号線を越え、音羽山へ2キロほど入ったところーーーーーー。事故の内容は、山を下

る途中ハンドルを切りそこね、ガードレールに車が衝突した模様、搭乗者は、軽微

な打撲のみで、負傷はほとんど無いようです------。訴えは、事故者より電話する

よう頼まれた通がかりの者で、今津町弘川251の吉良武という者、大谷駅前の公

衆電話からの通報です」

 「大津了解」

大津警察署は直ちに管内のパートロール・カーに指令を発した。

「大津から、大津2-------」

「大津2です。どうぞ」

「今の無線指令傍受したか?」

「了解、傍受しました。現在、国道1号線追分近く走行中、直ちに向かいます。以

上大津2」

「大津了解」

「滋賀本部了解」

 

 10分後に大津2号のパトカーは事故現場に到着した。

車は谷側のガードレールに衝突し、前部のバンパーや左側のライトは潰れ、へっこ

み、フロントガラスは、粉々にヒビが入り、車内はそのために前方からは、まった

く見通すことが出来なかった。

しかし、運転者と同乗者の二人の若い男女は、男の方が 額に少し血をにじませてい

たが、大した傷ではないよだ。

二人はパトカーが来ると、動かなくなった車の中から、震えながら出てきた。

パトカーの巡査の一人は、若い二人に声高に、少し怒るように言った。「どうして、

ぶつけたんだ。こんな狭い坂を、スピード出してハンドル切り損ねたのだろう」

「そんなことないですよ。狭くてカーブの多い坂だから、スピードを出そうとして

も出すことが出来ませんよ----。 あそこの曲がり角に来たら、フロントガラスに

何か石みたいなものが当たったと思ったら、突然ガラス一面ヒビが入ってです。そ

れで、すぐ急ブレーキを踏んだんですが、ヒビでまったく前が見えないんです。数

十メートル蛇行したと思いますが、とうとうガードレールに衝突してしまったんで

す」

若い男は、額に滲み出てきた血をハンカチで拭きながら、青い顔をして言った。

若い女の同乗者も肯定してうなずいた。

 もう一人の巡査は、疑いと、不信の表情を浮かべながらフロントガラスを見た。

確かに、フロントガラスの中央部上方に10センチ位の丸い穴があいていた。

「そうすると、山の斜面から落石か何かがあって、走行中のこの車に当たったと言

うことだな」

と言いながら、石が当たったと言うカーブの所へ、ゆっくりと懐中電燈を照しなが

ら歩んで行った。

 しかし、確かに小さな岩や石が、数個、山側の路肩に転がっていたが、緩い斜面

であり、いくら石や岩が、転がりながら落ちてきても、道路を走っている車まで当

たるほど大きくバゥンドする程の斜面でわなかった。

「お前たち、本当の事を言えよ。こんな緩い斜面から、石が窓を突き破るほどの速

さで転がってくるわけはないだろう。お前たちは、本当は、前を見ないで話か、何

か夢中になって、ガードレールに衝突したんだろう」

と怒鳴るように言った。

若い二人は少し顔を紅調させながら首を振り、

「そんなことは、絶対にないです。本当なんだから、何か変なものが本当に当たっ

たんだから」と言い張った。

 3人が言合っている中、ガラスに丸い穴があいているので、車の中に何か石でも

落ちているかと、運転手の免許証からノートに住所、氏名、NOを記入していた巡査

が車の前のドアを開け中を覗いた。

 2.3秒しないうちに、その巡査は「アアー」と驚きの声を上げた。

「どうしたんだ」

もう一人の巡査、それに若い男の方が、その声で車に駆けよった。

「矢だーーーーーー。 矢が刺さっている」

と脅えるような声をあげ、巡査は、車から身をひいた。

そんな馬鹿なと、のぞくと二人とも、また驚きの声を上げた。

 後部の座席の真ん中に、一本の矢が深々と刺さっていた。

鷹の羽根の付いた大中黒の美しい矢が、フロントガラスを射抜き、運転席と助手席

の両脇を抜け、後部座席に深々と刺さっていたのである。




            (二)


 「兄者、傷はだいじょうぶか?」

美和の小次郎兼清は馬を止め、兄の方を振返り、心配そうに声を掛けた。

「案ずるな、矢の二.三本、少し鎧の裏までかいただけだ。かすり傷にすぎん。それ

よりも一刻も早く、再び木曾殿や、今井殿の一行に合流せねば」

 そう言いながら、兄の美和の太郎行綱は鎧の袖に刺さっていた矢の一本を、折るよ

うにして抜き取った。しかし、その顔は青白く、疲労の色が濃かった。


 信濃の国、諏訪の上の宮の住人、美和の太郎行綱、小次郎兼清の兄弟は、木曾義仲

の四天王の一人、今井四郎兼平に付き従い、平家追討の軍に加わった。

 いくたびかの激戦の後、平家を京より追い出し入洛したが、歴史は、苛酷な悲劇の

運命、結末を定めていた。

木曾義仲は天才的な戦術家で、武将としては優れていたが、戦略的な見方、政治的能

力に欠けていたため、半年も経ずして逆に鎌倉の頼朝の軍に追討されることになって

しまった。

 木曾義仲の不運は、軍勢の主力が平家を追って西国に派遣され、鎌倉の軍が急迫し

て来た時は、きわめて手薄の兵しかいなかったことである。

そのうえ、鎌倉の兵が、大手、搦手の二方面に分れて京に攻めのぼってきたため、少

ない兵をさらに分散し守備せざるを得なかった。

 木曾義仲は鎌倉方の軍勢、大手の瀬田から攻めてくる源範頼の兵、三万五千騎に対

して八百騎、搦手、宇治から攻める源義経を将とする二万五千騎に対して六百騎の兵

を、守りにあてることしか出来なかった。


 勝敗は明らかであった。

宇治川は源義経に簡単に突破され、瀬田は、太郎、小次郎兄弟が従っている今井四郎

兼平を将とする八百騎によってよく奮戦し、それでも五度まで敵を追い返したが、圧

倒的な敵の兵力に、味方の兵力はだんだんに少なくなり、とうとう力つき、破られて

しまった。

 美和の太郎、小次郎の兄弟も勇猛果敢に戦い、何度も死戦を越え奮戦したが、多勢

に無勢、いつしか今井四郎兼平と共に、義仲殿の安否を気に掛けながら、京へと戦い

ながら落ちのびていった。


 ところが、その途中、大津の打出の浜にて、やはり今井四郎兼平を案じながら、京

より落ちてくる木曾義仲と偶然に出会うことが出来た。

乳兄弟で、幼い時より死ぬ時は一つ所で死のうと約束していた木曾義仲、今井兼平は

喜び、気を取り直し、再び旗を高く掲げると、落ちることもなく各方に散っていた味

方の兵が、旗を見て再び馳せかけてきた。

その数は二百騎を越えた。

 義仲と兼平は、大いに喜び、集まった二百余騎で落ちのびようとせず、いさぎよく

死ぬことを望み、最後の戦いを挑むことにした。


 わずか2百余騎の軍勢だったが、全員、戦いの中で死のうと、死を覚悟している一

行は、甲斐の一条次郎の六千騎、土肥次郎實平の軍二千騎を駆け破り、続いて次々と

四百騎、二百騎、三百騎と敵兵の中を一団となって切込み、駆け破った。

しかし、その度に三十騎、二十騎と討ち取られたり、遅れ、離れ離れになって行った。


 太郎、小次郎兄弟も、付き従い切りふせながら必死に駆け破って行くうちに、いつ

しか木曾義仲、今井四郎兼平等に遅れ、離れ離れになってしまった。

 そして、美和の太郎、小次郎の兄弟は、戦い追われているうちに、生き延びようと

いう意識からでなく、自然に敵のいない、前方の異様な黒い雲の様なものに覆われた

林の中に飛込むようにして入り込み、いつしか深い山の中へ、あてもなくさまようよ

うになっていた。鎌倉の兵は時々雷光や雷鳴する異様な黒雲に驚きそれ以上二人を追

うのを止めた。


 「兄者、ここは一体どの辺なのだろうか、琵琶湖よりそんなに離れていないと思う

が----。もう、暗くて足下もはっきりしなくなってきた、馬も疲れている、どこかで

休んだほうが良いと思うが----」

「そうだな。このまま北陸道へ行くか、木曽殿か今井殿の行方を探し、また馳せせん

じるか、どちらにしても夜では、見知らぬ地を動きまわれば動きまわるだけ疲れるだ

けだ。どこか良いところを探して休まなくては----」

「しかし兄者、あれほどの敵の軍勢の中を、みなは無事打ち破り抜けだして行けただ

ろうか、もしや討死か、もはやこれまでと殿らは御自害するようなことになっていな

ければよいが、心配だ」

 そう言う弟の不安は兄も同じであった。太朗行綱はしばらく無言で暝想するかのよ

うに目を閉じ、周辺の物音に耳を峙てた。一時前まで、あれほど騎馬や鬨の声があち

らこちら、こだましていたのに今は、まったく聞こえず、ただ、二人の馬の荒い息づ

かいが聞こえるだけであった。

「案ずるな。われらがこうして無事でいるように義仲殿や今井殿らは、絶対生き延び

ているに違いない」

と兄は低い声で言った。その声は長い戦いの後の為、喉がかれ、擦れた声であった。

「それにしても、どこかで休むと言っても、こんなに山が深くなってくると住む家な

んか無いのではないか。どこか雨露をしのぐ大きな木の根の下か、岩穴でもあればよ

いのだが」と弟の小次郎は周りを見回しながら言った。

「だが、この道は割合広いし、これを辿って行けば必ず木こりか、炭焼小屋などの家

に出ると思う。何しろ朝から飯を喰っていないだから----。できるだけ人家を見

つけて、喰うものをもらった方が良いだろう。そしてゆっくり休んで、それから明日

のことを考えよう。疲れた頭では、ろくな考えしか、わいてこないからな。さあ、も

う少し行ってみよう」

と兄の太朗行綱は馬をゆっくりと進めた。


 その時であった。沢を挟んで二百メートルほど離れた対岸の山の中腹から、非常に

明るい光が異様なもの音、地響とともに、あちらこちら照しながら近づいてくるのが

見えた。

その光は騎乗している二人の姿を一瞬、サッと照し、暗い闇の中に二人のシルエット

を浮び上がらせた。しかし、すぐに何も気がつかなかったかのように通り過ぎ、他の

闇の中をあちらこちら照して行った。

「兄者、何物だ、あれは?」

と小次郎は少し気味悪げに言った。

「京は昔から、もののけ、変化や百鬼夜行がいると聞いている。さては、もののけ変

化の仕業か?」

と兄の太朗行綱は素早く背負っている箙から大中黒の矢を一本取りだすと、滋籐の弓

につがいかまえた。

 さきほどまで顔に浮かんでいた疲労の色は消え去り、二人の目は鷹の目のように鋭

く前方をにらんだ。

 光をだしながら山を下ってくる異様な物は、真っ直ぐに進んでこず、蛇行しながら

だんだんに沢へ近づいてきた。そのため音は聞こえていたが、光は時々山の影に隠くれ、あちらこちら何かを探し求めているかのように不気味に照し回っていた。

 光が百メートルばかりに近づいて来た時、太朗行綱はかまえていた弓をひょいと放

った。

 矢は闇の中を、明るい光を目指し、ぐんぐん飛んでいった。そして突然、金属的な

悲鳴のような大きな音がしたかと思うと、光と異様な音は止み、再び静かな静寂と闇

が支配した。

「兄者、巧くあたったようだ。どんなものの化か、行って見てくるか」

と小次郎は尋ねた。

「やめよう。われらは追われている身だ。ものの化の正体を見たりしている余裕はな

い。うっかり近づいて手負いの化け物に、どんな害を受けるとも限らん。さあ道を急

ごう」

兄はもう見向きもせず、道を進んだ。


車の事故は、この矢が原因であった。




            (三)


 太朗、小次郎の兄弟はしばらくだらだらした緩やかな山道を登っていった。

すると、山の緩い南側の斜面に小さな農家が2軒月明りの中に見えてきた。しかし手

前の一軒は、明らかに廃屋となっており、茅葦の屋根は一面、草に覆われ朽おち、柱

は傾き、半壊同然であった。しかしそこから二十メートル程離れた山側にある家は、

古家だが、人が住んでいるらしく、明りが洩れていた。

「よかった。誰かいるらしい。今夜はあの家に泊ろう」

と弟はそう言うと兄の方へ振り向いた。

「そうするか、しかし一応気を付けて近づけよ。こんな山中だから、いないと思うが、鎌倉方の兵が中や、まわりに潜んでいるかもしれない」

兄は充分に注意して、辺りを見回した。だが、人の気配は感じられず、農家の周囲は

まず安心のようである。

 二人は馬を降りると、馬を五十メートル位手前の木に繋ぎ、さらに警戒し、辺りを

伺いながら明りが洩れる農家に静かに近付いた。

外から耳をそばだて、家の中をうかがうと、中には、四、五人の若い男女がいるらし

く、にぎやかな笑い声が洩れてきた。

 太朗行綱は戸の前に行き、弟に目で合図すると、力一杯、一気に土間の板戸を蹴り

上げた。小次郎は抜きはなった刀を振りかざし、飛込むように家の中へ突っ込んで行

った。

 中に居た者も大変驚いたが、太朗、小次郎の兄弟も驚いた。

内は非常に明るかったからである。明りとしては油を燃す灯台かローソクくらいしか

ないものと思っていたのに、この農家の中は、まるで昼間のように明るかった。


蛍光燈が点灯していたからである。

 

 おかしなことに、四、五人の声が聞こえるのに、土間、それに囲炉裏があるたった

一間の小さな家の中には、茶碗と箸を持ったまま、目を大きく開き、口を開けたまま

驚いている五十才位の下腹のでた太った男が、一人居るだけであった。

しかし太朗行綱は直ちに、笑い声や若い女の声が木箱の様な所から聞こえ、中で木箱

一杯に一人の大きな笑っている男の顔に気が付き、刀をその箱に突き刺した。

「ガチャン」という大きな音ともに、テレビのガラスが割れ、ブラウン菅まで刀が突

き刺さり声も姿も消えた。

 太朗行綱は、刀を身構え、なお、ポカーンとして驚いている男をにらみつけ怒鳴り

っけた。

「ぬしは、奇怪な妖術を使う陰陽師か、それとも妖怪変化か、正体を現せ」

男は、震え上がった。

何が何だかわからなかった。テレビジョンのお笑い番組を見ていたら、突然、映画や

テレビの時代劇にでてくる鎧兜の二人の武士が侵入してきて、刀を突きつけてきた。

刀もどうやら本物の様である。

「この妖術師め、あの箱の中に何人の生霊を封じ込めたのだ」

と太朗行綱は刀の刃を男の首に押しつけ、怒鳴つけた」

「た、助けてくれ------」

男は声にならないような、かすれた声で叫んだ。腰は抜けていた。

「ご、ご----、ご冗談でしょう?、あ、あれはテレビジョンですよ。ただの、テ

レビという機械ですよ」

と言いながら辺りを見回した。まだ、それでも半信半疑であった。

悪い夢か、それとも誰かの悪い悪戯か、テレビで、かって見たことのあるドッキリ・

カメラの番組でも撮るため、誰かどこかで隠しカメラで撮影しているのではないかと、半ば期待して辺りを見回した。

 しかし、突然、首筋に激痛が走ったかと思うと、目の前がボ-ッとしてきて、意識

を失った。

太朗行綱が刀の峰打ちをくらわしたからである。


 どのくらい経ってからであろう。男は目を覚ました。両手両足は縛られ、片隅に転

がされていた。

目の前には、兜を脱いだ二人の武士が少し前に自分が食べ始めていた夕食を、替りに

おいしそうに食べているところであった。しかも一升瓶に入っている酒まで、甘い変

な酒だといいながら、茶碗に注ぎのんでいた。

袋入りのお菓子や、ソーセージ、ハムなどを、首をかしげたり、匂をかいだり、舌で

ちょっと、なめたりして味わいながら、大丈夫と判ると、ガツガツ食べ、酒は水でも

飲むかのように、ゴクゴクと腹の中に流し込んでいた。

「うまい」 「これは何だ」 「少し変な匂がする」「腐っている臭いとも違うな」

「まあ、なんとか腹の足しになるだろう」「変なものを喰っているのう」とか言合い

ながら、時には、こんな物喰えるかと、ポイーと土間に投げ捨てたりした。

そうして捨てられた物の中には、チーズ、プラスチックの容器に入っていた中性洗剤、それに戸棚に入れておいたチューブ入りの練り歯磨きが、二つにかじり折られ白い中身が流れだしていた。

 彼等二人は一体、何者なのだろうか。何故鎧、兜を着け仮装しているのだろうか。

だが、練り歯磨きを食べ物と間違えるなんて、ただの強盗には思えない。

ひょつとすると、この山中に隠れ里のようなものがあつて、何百年も長い間、人の目

に触れず、隠れ住んでいた落人の一族が突然現れてきたのだろうか。

「兄者、あの男、気がついたようだぜ、でも震えているぞ」

小次郎は男が目を覚ましたのを見て兄に告げた。

「ハハハハ----、安心せい。命まで取ろうとは思わんからな。もう吾らは何十人

も殺傷してきたから、もうこれ以上、今日は殺生したくないからのう、それに、ぬし

のような陰陽師か妖術師か、わけのわからないような者を殺して、変な怨霊に取りつ

かれると困るからな」

行綱はお腹が一杯になってきたのと、酒のせいか再び気力が漲ってきたのを感じた。

そして再び豪快に「ハハハハハ---」と笑った。

「われらは、ぬしの食い物をただで喰おうと言うのではない。銭は払うから安心せい」と小次郎も笑いながら、そう言うと銭を男の目の前に投げ捨てるようにバラまいた。

それを見て男はまた驚いた。

古銭であった。いままで見たことのないような古銭であった。太平通宝とか淳化元宝

とか書いてある銅銭十数枚に、銀貨一、二枚混ざっていた。

「ところで、ぬしはたくさん珍しい変ったものを持っているな。京に居た時も、ここ

にある様なものを見たことが無い。余程、裕福なのか、それとも人をだましてこんな

生活が出来るようになったのか、いずれにしてもただ者ではないな。褥(しとね)に

しても、公家か、余程の武士しか持つことが出来ない。われらも褥のうえに座ったの

は、今が初めてだからな。なかなか居心地が良い。しかし、こんな山中に、こんな生

活をしている者がおるとは奇怪だ。おぬしは何者だ」

行綱はそう言いながらも、さらに飲み食いを続けていた。

縛られた男は無言であった。彼等二人はまったく狂人には見えないかった。逆にます

ますこれは本物だと感じ、何か下手に言って相手を刺激したら大変なことになると思

いさらに体を丸めこわらばせた。

「兄者、この男は本当に陰陽師かな。どうもわしにはそう思えない。陰陽師にしては

臆病で小心な者に見える」と小次郎は兄に言った。

「そのようにも見えるが、だが、こんな明るい光をだすには余程の術を知らなければ

ならないし、並みの修業では出来ないと思うが----。刃渡りや火の上を歩く術と

は異なる、今まで見たことも聞いたこともない術のようだが----。ところでぬし

はわれらの国にまわって来た修験者の叡空という者を知っているか、その者も良くい

ろいろな変った術をわれらに見せてくれたが」

と行綱は男に声をかけた。

「その--、ええ--、修験者の何とか空とは誰でしょうか。おんよぅじと言う者も

一体どういう人なのでしょうか---」

男は体を少し起こし、不安そうな顔をしながらおそるおそる尋ねた。

「ぬしはそんなことも知らないのか---」

兄の行綱は不思議そうにその男の顔を見た。

本当にこの男は何も知らないようで、とぼけている様子もなかった。

京近くの見知らぬ山中には、変った不思議な暮しをしているものが居るものだ。さす

がに信濃や木曾の山の中とは違うわいと行綱は思った。

「あの--」

「なんだ」

行綱はこの男が何を言いだすかと興味をもち、怖がらせないようにと穏やかな声で答

えた。

「あなた様たちは、一体どなた様なのでしょう」

男は体を半身起こしながらこわごわ尋ねた。

「われらは信濃の国、諏訪の上の宮の住人、美和の太朗行綱、それに弟の小次郎兼清

だ。ぬしもわれらの武勇の名を聞いたことがあるだろう」

男はキョトンとして考えた。

信濃の諏訪のどこどこの住人と言っているから、戦国武将の武田信玄の一族か、ゆか

りの者だろうか。それ以上あの付近の武将の名は浮かんでこなかった。

 小次郎は男が首を傾げて考えているのを見て、侮られたと思い、むらむらと怒りを

発した。

「こやつ、われらを侮辱する気か」と言いながら刀の柄に手をかけた。

男はびっくりして、少し後ずさりしながら、震える声で言った。

「めっそうもない。あのう---、武田様のご家中の方ですね。あのう、大変に強い

お方が居られると聞いております。あなた様方のお名前は、はあ、伺っております」

と恐ろしさから、とっさに多分武田信玄の一族だろうと決め、口からでまかせに言っ

てしまった。

そのとたん、「ヤアッ」と小次郎は刀を抜くと、右へ抜き打ちに目にも止らぬ早業で

切りつけた。

刀は男の頭の一寸上の空を切っていった。男は「ウア-」と叫ぶと、仰向けに倒れ、

「たすけて----、どうぞお助けを---、命ばかりはお助けを--」と言いなが

ら、そのままうずくまる様にして頭を畳にこすりつけた。

「お前は、われらが朝日将軍源義仲殿の元で戦っているのを知ってのことか。武田と

は甲斐源氏の武田信義だな、あの鎌倉方につき、臆病者の武田の家中の者とは何ぞや。少し前に武田信義の子、次郎忠頼の三千の兵を、われら打ち破ってきたばかりだ。その臆病者の家中とは何ぞや」

 小次郎は大きな声で怒鳴りつけると、今度は本当に切るぞと刀を身構えた。

男はまた悲鳴をあげて、また一歩後ろへ、転がるようにして後ずさりした。

だが、壁にぶつかり、それ以上後ろに下がれなくなった。

「源義仲様とは---、木曾の義仲様のことで----。ああ、知りませんでした。

申し訳ありません---。そんなに古い方だとは---、お許しください。どうぞお

許し下さい-----。なにしろこんな山の中に居るもんで、世間がどうなっている

のか全く分かりませんでしたので---。どうぞお助け下さい。こ、このとおりお詫

び致します----」

男は大いに弁解し、ますます低く頭を何度も畳に擦りつけ、謝り続けた。

「だまれ、だまれ。おまえはもしかすると、平家か鎌倉方のまわし者だな。それだっ

たら容赦しないぞ」

「平家---、鎌倉方---、そんな--。めっそうもない。私、全く関係ありませ

ん。本当です。信じて下さい。どうぞお助けを---」

男はそう言うと、手を合せて、小次郎を拝んだ。

「小次郎、止めておけ。無抵抗な者を切ったら恥ずかしいぞ」

 兄の行綱は真っ赤な顔をして怒っている小次郎に声をかけた。




            (四)


「滋賀本部から大津」

「------------」

「滋賀本部から大津」

「はい、大津です。どうぞ」

 再び滋賀の県警本部から大津警察署に無線の呼出があった。

音羽山で奇妙な交通事故があった日の翌日、早朝であった。

「強盗があった模様です。場所は音羽山の山中、郷崎にある農家、被害者の名前は今

泉香織、大谷駅の公衆電話からの訴えです。犯人は二人組みとのことですが。昔の武

者絵に出てくるような赤や黒の鎧兜を付け、日本刀で切りつけてきたとか、盗られた

ものは無いが飲み食いされたとか、犯人かわいそうだと泣いたり、どうも、なかなか要領を得ず、奇妙なことを言い、不明瞭な点が多く、また本人は酒を多量に飲んで酔っ払っている模様。一応、大谷駅前の公衆電話に行き、本人より直接事情を聞いてみて下さい。尚、被害者の今泉香織氏はあの有名な作詞作曲家本人だと名のり、山で詩を練っていたと言うことです。それも確認して下さい。以上、滋賀県本部---。それから尚、被害者の話が事実だとすると、昨夜の音羽山の交通事故で発見された弓矢とも関連があると思われます。その点も注意して捜査にあたるよう。以上、滋賀本部」

「大津、了解しました」


 それから約二時間程たった頃であった。音羽山から国道一号線へ出る山道の一つを

警戒していたパトロールカーより、大津警察署に非常に驚きあわてた声で無線連絡が

入ってきた。

「大津----大津、滋賀本部---。二人のサムライを発見---。救急車の派遣

を頼む---、負傷---」

 それは大津警察や滋賀県警本部が無線で応答する間もなく、弱く一方的に入って来

た。

「大津から大津---、何号車か解かりませんが、今の無線連絡してきた者、もう一

度繰り返して下さい。かすかに救急車とかサムライとか聞こえましたが、メリット(

感度)二位で良く聞き取れませんでした。もう一度どうぞ---」

 二、三秒後、今度は前よりは、はっきりと、しかし弱々しい声で、

「大津三から大津、滋賀本部---」

「大津三どうぞ、こちら大津」

「大津三どうぞ、こちら滋賀県本部」

 無線を傍受していた各地の警察署や、滋賀県内をパトロールしている車、携帯無線

を持っている警察官はボリューム(音量)のつまみを最大に回し、緊張した表情で耳

をかたむけた。

「朝、通報のあった鎧兜で武装したサムライ発見、止めようとしたところ、酒井巡査

は左肩を切られ、出血激しく重傷、私も右肩と胴を弓で強く叩かれ、骨が折れたのか

右手は自由がききません。襲ってきたサムライはそのまま逃走---。至急救急車の

派遣お願いしたい---。酒井巡査は意識を失いかけています。至急派遣して下さい」

「大津了解。至急手配する」

「滋賀本部から大津三」

「大津三です---、どうぞ」

「犯人はその後どちらへ逃走したか、報告して下さい」

「ええ---、二人組みは現れた道を、急いで山の中に引き返して行きました」

 滋賀県警は直ちに消防本部に救急車の派遣依頼すると共に、滋賀県警の全パトロー

ルカ-のほとんどを大津三のパトカーがいる現場、それに音羽山周辺に向かうよう指

令を発した。さらに京都府警にも音羽山周辺の京都側にも警戒体制に入るよう連絡が

なされた。

 三十分後には滋賀県、京都府の警察機動隊も出動要請を受け、音羽山を始め、周辺

の山を囲むようにして人員を配し、辺り一体の交通も止め、非常線を張り始めた。

 警察は最初は半信半疑であったが、同僚が二人とも重傷を負い、確かに鎧兜をした

凶悪な犯罪者が二人いると解ると、本格的に捜査本部を設置し、山狩りをも検討し始

めた。



 先を行く行綱は馬を止めた。後ろに従っている小次郎もそれにつられて馬を止めた。

「小次郎、何かおかしいと思わないか?」

と行綱は振向き言った。

「何が、道がか?、道なら、もうとっくに、どう行けば良いのか解らなくなっている

ではないか」

「いや、道のことを言っているのではない」

「では何だ---」

小次郎は少しイライラしながら兄の顔を見た。

「昨晩以来の出来事だ。それに一刻前頃から、ピポピポ---とか、ウ-ウ-とか変

な今まで聞いたことのない音が良く聞こえる。何か段々に吾らを取り囲んでくるよう

な気がする」

「先程いた奴等が仲間に知らせたのだな。それだったら殺しておけばよかった」

「しかし、先程の二人も、何かおかしいと思わなかったか」

「うぬ、そういえば確かに変な格好をしていた。棒の様なものもって両手を上げてき

たから、切り伏せたが、確かに変は変だ」

「そうだろう。その時そばに変な鉄製と透明な水晶の様なもので出来た不思議な大き

な物を見たろう」

「ああ、小さな家の様なものだった--」

「そう、どういうことだと思う。平家や鎌倉はあんな格好の者や、変な物を持ってい

るはずがない」

行綱の話に小次郎は大きくうなずいた。

「と言うことは、どういうことなんだ。吾等はよべ(昨晩)から人に知られない国に

でも侵入したというのか--」

「そう---、下手すると、彼等を切りつけたことによって、吾等は平家や鎌倉方以

外の別の大きな敵の怒りを買い、追われるようなことになったのかも知れない」

「兄者、そうかもしれんが、わしは、よべの変な男の妖術か何かの術中にはまってい

るのではないかと思うが----」

「そういう恐れも考えておかねばならない-----」

二人は緊張した表情で無言のまましばらく見つめあった。

「それに、わしはもう一つ気になることがあるのだ。よべの今泉香織とか言う奴、朝

日将軍義仲様と今井兼平様が粟津で御最後をとげられたと言っていたことだ」

兄の行綱は目を細め沈痛な表情で言った。

「吾らを謀るためだ。兄者、弱気になるな。義仲様や兼平様が敵におめおめと殺られ

るわけがないだろう---」

小次郎は口では強くそう言ったが、内心は兄と同様、やはり、もしやという不安があ

った。今泉とかいう奴の言った話には真実性があった。

おそるおそる語ってくれた保元平治からの源平の戦い、平家の栄華没落、源氏の再興

と、その中に登場する平清盛を始めとする平家一門の一人一人の行末。

義経、頼朝、最後には北条氏が天下を取ると、あたかも予言というより、本を諳んじ

て読むかの様に今泉香織は言った。

 木曾義仲が泥田にはまり、弓矢に射たれ死に、今井兼平はそれを知ると、壮列な自

決を遂げると言う話に、二人の兄弟は最初は怒ったが、その前までの話が客観的で真

実を語っているだけに、不気味な感じを抱き、手だしも出来ず、今泉香織の話を黙っ

て聞くだけであった。

 もしそれが事実だとすると、昨日の戦いで別れ別れになった後、義仲様と兼平様は

死んだことになる。

最後に今泉は「あなた様、お二人は時間を越えて遠いこの世界へ来てしまったようだ」と言った言葉も気にかかった。

しかし若い小次郎にはまだ自信があった。諏訪を出て以来、戦うこと数十回、その間

幾度も危険な目にあったが、力で乗り越え、死線を幾つも無事潜り抜けてきたという

自信があった。

そしてそれは、吾ら二人は諏訪大社の神に守られているのだという、はっきりとした

意識、自信にまでなっていた。

「兄者、迷うまいぞ。その内、必ず北陸道に出られるに違いない。そうすれば再びま

た、義仲様や兼平様に会える。そして木曾や信州信濃の兵をもって、今度は鎌倉の兵

を逆に追い散らして見せようぞ」

「そうだ、迷うまい。吾らには諏訪大社の御加護がある。どんな敵が現れようとも、

吾らは打ち破るだけだ。弟よ、弱気を見せてすまなかった。さあ、前へ進もう」

 行綱は再び体中に力があふれ漲ってくるのを感じた。

そして、たとえどんな敵に会っても、信濃の国、諏訪に美和太朗行綱、小次郎兼清と

いう一騎当千の武勇ある者がいるということを教えてやろう。けっして敵に後ろを見

せまいぞと誓った。




            (五)


 警察と行綱、小次郎の二回目の遭遇は、音羽山の西、京都府山科へ出る山道、小山

という所で始まった。

時は、午前十時半、空は雲一つなく晴れわっていた。最初に発見したのは京都府警の

ヘリコプターであった。山腹に岩が露出して、樹木が余り茂っていないところがあっ

た。そこに赤や黒の二人の人影が動いているのが見えた。しかしすぐ二人は木々の中

に消え見失ってしまった。

しかしすぐに再び、一番近くにいた京都府警第二機動隊神月小隊が二人を発見した。

双眼鏡で覗いてみると、二人の武士は小山の山頂で馬から降り、さかんに琵琶湖や京

都の町の方角を指さしたりして眺め続け、そこの場所からたたずみ動こうとしなかっ

た。その姿から余りにも景観の変化に驚き、動揺していることがうかがえた。


 無線連絡で各方面に散っていた警備陣は続々、小山の地点に集結し始めた。

ジープなどの小型車両を除き、大型の車両は道幅が狭く、岩や小石がゴロゴロした山

道のため、はるか離れた地点までしか入れず、ほとんどの機動隊員や警察官、それに

新聞、テレビなどの報道陣は下から徒歩で息せききって駆けつけて来た。

 山中にいる二人の武士は、その物音や人の動く気配に、すぐに気が付いたようだっ

たが、慌てる様子もなく、山中に逃げようとか、姿を隠そうとかせず、警備陣の動き

を観察しながら、尚、遠方の山々、湖、京都の方向を眺めていた。


 三十分ほどすると突然、二人の武士は動きだした。

しかし、警備陣の方には向かわず、木々の間から時々立ち止まると体を現し、警備陣

に誘いをかけるようにしながら、西へ西へと向い、少しづつ山を降り始めた。

警備している機動隊や警察官等もそれに合せるように、西へ西へと移動して行った。

 そして最初に発見した所より西へ七百メートル程行ったところに、西日本土地開発

会社が別荘地にして売出そうと造成した広い空き地に、二人の武士は出ると、今まで引いていた馬に跨がった。

あたかも、ここで決戦を挑もうかのごとく、警察、機動隊の来るのを待った。


 二人の武士と百五十名程の警察官、機動隊の警備陣は、その造成地で五十メートル

の距離を挟んで対峙した。

しばらくはお互いに無言でにらみあい続けていた。若い機動隊員や警察官は緊張して

いた。今まで幾度も過激派や暴力団等、犯罪者が向かってくると、徹底的に打ちのめ

してきた。そして今まで、そういった集団、犯罪者と対峙していても、常に勝者、法

の守護者としての意気が在り、それが相手方に無言の圧力となっていたが、この二人

の武士は違っていた。それも通じなかった。

二人は、はっきりと誰の目からも本物のサムライ(武士)と感じられた。

二人の体の隅々からほとばしるように沸上がってくる殺気に、今までのどんな犯罪者とも異なるものを感じ、そこに不気味な恐怖感さえも抱かざるを得なかった。

 たった二人の本物のサムライに、百五十人ほどの、キラキラ光るジュラルミンの盾、青いヘルメット、制服、長い警棒を持ち武装している警察官たちは息をのみ、声さえだせなかった。

赤地の錦の直垂(ひたたれ)に唐綾緘の鎧着て、いか物作りの太刀を帯き、金覆輪の

鞍を置いた葦毛の馬に乗った美和太朗行綱、赤地の直垂に黒綾緘の鎧、鍬形の甲の緒

をしめ黒馬に乗った小次郎兼清。

 二人のその姿は、まるで昔の保元平治、平家物語などの描かれた武者がそのまま現

れてきたように見えた。その間、時は動きを停止したかの様に感じられた。


 だが、それも長くは、続かなかった。静寂はすぐに破られた。

「ここに寄するは、源氏か平家か、名を名乗れ、聞かん----」

と大声でまず小次郎が叫んだ。

 しかし、機動隊員や警察官は無言であった。どの様に答えてよいか解らず、少した

めらっている内に、次に兄の行綱の大音響が聞こえてきた。

「遠からん者は音に聞け、近からん者は目にも見給え、われこそは命をば木曾義仲殿

に奉り、今井兼平殿に付き従い、信濃の国諏訪の上の宮より来し、美和の太朗行綱な

り。最後の戦して見せ奉らん」

「同じく弟の小次郎兼清なり---、一騎当千のつわものぞや。われと思わん人々は

寄り合や。見参せん」と叫んだ。

それに対して、京都府第二機動隊長の三沢が、少しためらった後、携帯拡声器で、い

つもの口調で、しかし一番拙い言葉を言ってしまった。

「そこの二人、武器を捨てなさい。おとなしく降伏しなさい」と声をかけた。

それを聞き、二人は「弓矢を取る吾ら、名こそ惜しむを、降人になれと----」

ひどい侮辱と辱めを受けたと、行綱、小次郎の兄弟は顔を真っ赤にして怒った。

行綱は滋籐の弓に大中黒の矢をつがうと、一杯にきりきりとしぼり、ひゅうっと放っ

た。

その矢は過たず、携帯無線機を持っていた男の左肩を居抜いた。京都府第二機動隊長

三沢は余りの痛さに右手に握っていた拡声機を放り投げ、肩を押さえ苦痛にうめき、

その場にうずくまってしまった。

小次郎も弓を持つと矢をつがい、次々と矢を放った。

二人の射る矢のほとんどはジュラルミンの盾や、盾の上や間からおそるおそる顔を出

している機動隊員等のヘルメットに当たり、大きな音をたて地面に落ちたが、機動隊

員等の多くの者に恐怖感を与えたことは確かであった。

 行綱と小次郎は矢が無くなると、すぐに弓を投げ捨て、刀を抜き放ち、弓矢から身

を防ごうとジュラルミンの盾の後ろに隠れる機動隊員に向かって、一気に声を上げな

がら馬を走らせた。

二人の騎馬武士は機動隊が身構えている中央部へ、ためらいなうこと無く鋭く突入し

て行った。

「ガーン」とジュラルミンの盾が鳴ったかと思うと、盾と盾がぶっかり合う音、罵声、悲鳴、そしてその中を「ガーン、ボコ、ボコ---」とヘルメット、盾は刀の鋭い打撃を受け鈍い音をたてた。

 二人はみるみる内に機動隊の中にクサビを打込むように切り進んで行った。警察の

機動隊員の隊列はしだいに崩れて行き、最後には無秩序に二人を覆い包むように丸く

なって行った。

 行綱、小次郎の二人はさすがに歴戦を生き抜いてきただけ合って勇猛であった。

馬上より右、左と刀を振り下ろす度に血しぶきをあげ、悲鳴と苦痛の声を上げて警察

官はうずくまった。警察官の中にも、京都府警察剣道大会、西日本剣道大会で上位に

入賞したものもおり、長い竹刀ほどある警棒で振り掛かって行ったが、いとも安く刀

で振り払われ逆に切り倒され傷を負うはめになった。

 信濃を出て以来、幾度も死戦を越え、平家、鎌倉の源氏と戦ってきた行綱、小次郎

の実戦的な刀剣さばきは、竹刀と防具を着け練習する道場剣法とは異なり、足技など

の柔道や捕縛術を加味した警察剣道で自信を持っていた警察官の技をはるかに越え、

楽観視していた指揮官達の期待を打破し、失望させていった。


真剣と警棒の違いが在るが、腕におぼえの在るもの何人もが、それでもひるまず何度

も飛び掛かっていったが、警棒はほとんど二人の体に当たらずかわされ、また当たる

ことができても鋭さが無いため、彼等の体に毛ほどの痛みさえも感じさせなかった。

 

 そばに近づけず、山の上から見ていた報道陣には、その戦いはまた別のものに見え

た。二人の馬上の武士の動きは、素早く美しかった。華麗であった。

機動隊の着ている服装は、まるで濃紺の海のように見え、その中を赤い美しく輝く小

舟が、穏やかに進んでいくように見えた。

二人はとうとう捕らわれることなく、囲みを破り反対側に抜き出てしまった。

しかしそこから逃げようとはしなかった。

五十メートルほどそのまま馬を疾駆させると急に止め、反転して立ち止まった。

そしてそこで混乱している警察官等の姿を見ながら呼吸を整えた。

京都府警本部長の横見信介は命令した。

「射殺も止むなし、今度襲ってきたら、拳銃の使用を許可する」





            (六)


 銃使用の許可は、たった二人の武士に百五十名の部下たちが、よってたかっても、

捕まえることが出来ず、かえって十数名も手傷を負い、続々と車や救急車で下へ運ば

れていく姿を見て、死を覚悟している彼等二人の武士を無傷で捕らえることは、無理

と判断したからである。

 横見はそう決意したが、それでも無理かもしれないが説得してみようと思った。

何とか彼等を死なせずに捕らえたかったからである。

横見はジープの一台に乗ると、警官達がいる前まで運転させた。そして車に付いてい

るマイクを取ると、二人に用心深く呼びかけた。

「 君たち二人に言う。もう無謀な抵抗は止めて投降しなさい。君たちの戦いは、もう

とっくに終わっている。今は源氏も平家もない。時代が大きく変っている。我々は決

して君たち二人を手荒に扱わない。立派な武士として処遇することを約束する。まず

我々と話し合おう。私か我々の誰か一人、武器をもたず君たちの居る所へ行くから、

話を聞くだけ聞いてくれないか、投降しなくても良い、まず我々の話し聞いてほしい」

 しかし、その呼びかけはむなしかった。必死に戦い、気持ちが高ぶっている二人に

は、もう呼びかけを冷静に聞く耳も持ち合せなかった。

二人には投降することはおよびもつかないし、今の二人には火に油を注ぐようなもの

であった。

 呼びかけがまだ終わらない内に、小次郎が再び刀を振りかざし、一直線に呼びかけ

を行っている府警本部長、横見が乗ったジープに目掛けて疾駆してきた。

「バ・ババーン」

拳銃の銃声が轟わたった。

本部長危うしと、車の近くにいた警察官十数人が拳銃を一斉に発射したのである。

横見本部長はマイクを握ったまま目をつぶり、つぶやいた。

「ああ----、駄目だつたか----」

 目を開けると小次郎はジープの三十メートルーほど手前の所で、馬と共に刀を握っ

たまま横たわっていた。


 兄の行綱はそれを見ると「小次郎---、小次郎----」と絶叫しながら、駆け

より馬を飛び降りた。

そして大声を上げ、小次郎を揺さぶり動かそうとした。

小次郎は息はなかった。即死状態であった。

行綱は号泣した。機動隊員が見ている前で恥ずかしさも忘れ、激しく小次郎の名を呼

び、叫び、泣き続けた。

 その兄、行綱の心の底からほとばしる悲しみの声と姿を見て、拳銃を射った者をは

じめ、他の警察官、報道記者ら、見るもの皆心をうたれ、茫然となすすべも無く眺め

ているだけであった。

その悲痛な声と姿に皆、体中がしびれるように震えを感じた。


五分ほど時が経ったか、兄の行綱は、弟小次郎はもうどうすることも出来ないと知る

と、猛烈な憤怒を顔に浮かべ、立ち上がり刀を抜いた。

 そして馬にサッと乗ると、三十メートルほど前方にいる警官達をゆっくりと眺め回

した。目は怒り血走っていた。

その姿に誰しもが恐ろしくなり、警察官らは思わず二、三歩後ずさりした。

突然、行綱は「キェイ--」と叫ぶと、馬の腹を蹴り、刀を振りかざし、警官隊へ突

進して行った。

「馬、馬を射て」とジープに乗っていた横見本部長がマイクで叫ぶと同時に、車のフ

ロントガラスに行綱の姿が大きく浮び上がってきた。フロントガラスが「ガシッ--」

という音ともに刀で割られ、横見本部長はとっさに体を横に伏せた。

伏せた体や頭の上に、ガラスの破片がパラパラと落ちてきた。

 再び銃声が「バ・ババーン」と轟いた。

行綱の馬はジープのすぐ横で、前足からゆっくりと膝をつき、横倒しになって行った。

行綱は馬が倒れると同時に飛び降りたが、拳銃の弾が左足に当たったらしく、すぐに左膝をつき、苦痛に顔をゆがめた。

だが、すくっと再び立ち上がり、拳銃を射った警察官らを睨み付けた。

 その姿に警察官らは、また身振いし、恐怖を感じ数歩退いた。

行綱はしばらく悲痛な表情で睨んでいたが、突然、低く腹の底から沸上がるような声

で叫んだ。

「おのれら--、諏訪の武士の最後を見せてくれん」

 そう言うと、太刀を地面に突き刺し、鎧通しを抜き、切先を左胸に当てた。

そして両手で力一杯、一気に自分の胸に突き刺した。

「ウムムム-----」と少しうなり声を上げたが、鍔元まで刺し通し、刃先は背中

に突き抜けた。

それでも尚、行綱は立ち上がったまま、警察官らを睨み続けていた。

二十秒、三十秒、いや、一分ほどそのまま立っていただろうか、突然行綱はヨロヨロ

とした。

それを見て、警官の数人がその機に、駆け寄ろうとした。

 しかし、行綱は地面に刺してある太刀に右手をやり、体を踏ん張りながら抜くと、

寄らば切るぞと一振した。

そして「寄るな、下郎---」と叫ぶと、倒れている小次郎の方へ後ずさりし始めた。

「小次郎、今いくぞ----」と声にならぬ声で行綱はつぶやくと、ヨロヨロと太刀

を持ったまま小次郎の所へ歩んでいった。

 顔は天を仰ぎ、目はかすかに開き、今にも倒れそうになりながら歩んで行った。

人々は茫然とし、息をするのも忘れ、その光景を見送った。


行綱には、義仲と兼平の顔が見えてきた。それに小次郎の姿も、三人とも微笑してい

た。

そして早く来いと、手招きをしているようにも見えた。

苦痛は全く感じなかった。

行綱は小次郎のそばに来ると、上に重なるように、どうっと倒れ、絶命した。


    エピローグ


 彼等は本当に木曾義仲、今井兼平らが最後を遂げた、壽永三年(1184年)正月

甘日から現代に来たのであろうか。

警察は勿論、各地の考古学者、その方面の有識者が調査に参加した。

新聞、テレビ、週刊誌等のマスコミもさかんにいろいろと騒ぎ書きたてた。

 彼等は偽物だ、この二十世紀の宇宙さえも行ける時代に、こんなことは信じること

は出来ない。在りえない。彼等は殺すべきではなかった。捕へ、あの時代のことを良

く教えてもらうべきであった。

どうしてこの時代に紛れ込んだか、その間の事情を聞くことが出来れば、タイムトラ

ベルの方法、少なくともヒントをつかむことが出来たのに---、非常に残念であっ

た。

また別のある者は、彼等の死は立派であった。英雄であった。現代文明の我々がもう

忘れ去っていた武士の生き方を、精神を教え、現代の我々を警告するために来たのだ

と---。


二人の突然の出現と壮烈な死は、日本だけでなく世界中の人々に大きな反響を与えた

のであった。


 調査に当たった者は、調査すればするほど、彼等はますます源氏平家が活躍した時

代から来たと確信せざるを得なかった。

あの時代を証明する物ばかりであった。馬はもう失われ、現代では見ることの出来な

い純粋の木曾馬であるし、持ち着けていた武器、鎧、兜、全てあの時代に作られた物

であった。

 しかし、美和太朗行綱、小次郎兼清と言う者が、実際に諏訪地方に存在していたか

どうか、様々な系図、古文書などをも調べたが、直接に彼等二人が存在したというこ

を証明する物は出てこなかった。

しかし、かって鎌倉時代の中頃まで、美和と名乗る豪族がいたと、ある古文書にしる

され、諏訪には現在も美和と呼ぶ地があると言う。


                      完


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平家物語 昭和の合戦の事 @tonegawa_abiko

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