壊れかけたあなたへ【短編】
F
壊れかけたあなたへ
「はっ……はっ……!」
燃え上がる様な夕焼けの朱空の下を、私は走っていた。
周囲には劣化した建物が立ち並んでいて、だがそのどれもが赤錆色の砂に侵食されている。
私は、私を探す声を背中に聞きながら、赤錆の建物の影を進んだ。
「うっ……げほっえほっ!」
たまに吹く突風が、世界を埋め尽くす砂を巻き上げる度、私は咳き込む。
身体に一枚だけ羽織っているボロボロの外套で口元を隠しながら、走ることはやめない。
裸足だから、足元の赤錆の砂がチクチクと痛いけど、我慢する。
足を止めたらダメだ。
私は後ろからカチャカチャと聞こえる軽い音に怯えながら、入り組んだ廃墟同然の建物をくぐり抜けていく。
「はっ……うっ……」
転びかけながら走った。
いくつも角を曲がって、廃墟や、厄介事と見て扉を締め切った錆びた家々を駆け抜けて。
どうにかして、無事な建物に入らないと……もう体力の限界が近くて、私はずっとそればかりを考えていた。
だから、まだ壁がちゃんと残ってる建物を見つけた時は、何も考えずに飛び込んだ。
「……何だ貴様?」
建物の床に倒れ込む様に入り込んだ私にかけられた、低く金属質に響く男の声。
目の前に広がる冷たい床から身体を起こすと
──そこに、彼がいた。
*****
彼は錆びついた鉄のクロスボウを私に向けていた。
壁が残っているだけで廃墟に近いこの建物は、何かの倉庫だったのだろうか。
この廃倉庫の奥に、機械の工具やガラクタを積み上げて彼は座っている。
「……全身生身の人間とは、珍しいな」
そう言った彼の身体は、一切の肌色が無かった。
くすんだ鈍色で、身体のうち関節以外の部分には箱みたいな装甲が取り付けられている。
まるで金属の箱で人型を形作ったみたいな、そんな見た目だった。
「嵐で逃げてきたか……いや」
彼は私の後ろ、扉の外で吹き荒れる鉄錆の砂嵐の中にチラッと目を向けて
『あの女……どこだ……!!』
『ナマミ………タカネ……ウレル……』
建物の外から、私を追いかけていた二人の声が聞こえる。
私は息を切らせながら、這いずる様にして入り口から身を動かした。
「人攫い、か?」
彼の疑問に私が息も絶え絶えに頷くと
「今となっちゃ人間も腐らなくなったからな。生身の人間を綺麗に殺して飾る物好きもいる。運が無かったな」
「あぅ……た……」
「うん?」
恐怖でマトモに息も整えられないまま、私は
「たす、けて……!」
その言葉を彼に向かって口にしていた。
「ココ、アイテル」
「いた!」
私が入ってき廃倉庫の入り口、つまり私の背後から人攫いの声が聞こえる。
振り向けば、身体中に機械を取り付けて改造した安っぽいサイボーグとパーツが統一された錆びついたサイボーグの姿が、ふたつ。
「あ……あ……」
私はカチカチと歯を鳴らしながら、ズリズリと地面を擦って入り口から遠ざかろうとした。
でも、そんな私を笑いながら人攫いは近付いてくる。
「ツカマエル、ツカマエル」
「分かってるよぉ、こっちはお前と違ってやっすい改造してねぇんだから」
そう言って建物に人攫いが踏み入った瞬間。
ギィン、と何かが弾かれた様な音と同時に、人攫いの一人の頭に細長い杭の様な物が突き刺さった。
私ともう一人の人攫いが唖然としている間も無く、二人目の人攫いの顔面を、また杭が貫く。
バチバチとした音と共に、二人の人攫いは顔面を杭に貫かれた時の格好のまま、その場に停止した。
彼がクロスボウを撃ったのだ。
「これで良いか」
「え、あ……」
ガション、とした足音を繰り返しながら、この建物の奥から彼はこっちへと近付いてくる。
彼は停止した人攫いの傍を通り過ぎると、鉄錆の砂嵐に向かって
「いるんだろう、
そう彼が叫ぶと、ふよふよと浮遊したタマゴみたいな見た目の、楕円形のロボットが姿を表した。
ロボットはその表面を規則的に光らせると、若い様な、壮年の様な不思議な機械音声で喋りだす。
『お気付きでしたか』
「当たり前だ。頭だけ綺麗にぶち抜いてやった。金はいらんからこのサイボーグを持っていけ。邪魔だ」
『よろしいので?』
「いまさら金が何の役にたつ」
『これは手厳しい。いやはやごもっとも……とはいえ未だに金は役に立つとお思いの方々もいるのですよ……そこの生身のお人の身体と同じ様にね』
私が、怖くて、また震えると
『しかし、タダで取引とあっては我らの面目もありません。後程、金銭以外の物をお届けすることをお約束しましょう』
「律儀な奴め」
『そう言う性分ですので。純粋な善意でもありますがね。それではまた……』
楕円形のロボットの左右からワイヤーみたいな腕が伸ばされると、停止した人攫いサイボーグの身体をガッシリと掴む。
その姿を見送った後に、彼は私を見ると自分の錆びついたクロスボウをトントンと示して
「嵐がおさまったら、失せろ。生身で殺されたくは無いだろう」
彼はそう言うと、もう私に一瞥もくれることはなかった。
私は、外套を掴んで倉庫の隅に行き、嵐の吹き荒れる扉から離れる。
彼がずっとクロスボウを磨くのを見ながら、私は限界に達した糸が切れた様に、徐々に意識を手放していった。
*****
次に目が覚めたのは、日が沈んで昇った次の日だった。
私が起き出しても、彼はひとつも目を向けずに、錆びついたクロスボウを磨き続けていた。
夜通し磨いていたんだろうか。
クロスボウの錆は、取れてはいなかった。
「あ……」
彼に声をかけようとすると、カランと足元に何かが転がってくる。
少し重く感じるそれは、大きめの缶詰だった。
「持っていけ。俺には必要ない」
いつの間にか、彼は私を見ていた。
声には感情が感じられず無機質で、彼の顔も鈍色の機械だから、余計に感情を見つける事が出来ない。
私はそれが何だか、寂しいと思った。
「もう嵐もやんだ。失せろ」
「あの……」
「失せろ。それとも撃ち殺されたいのか」
彼がクロスボウを私に向けてきた所で、私は慌てて缶詰を拾い上げる。
この廃墟みたいな倉庫の出入口で振り返ると、彼はもう私を見ていなかった。
「また、来ます」
彼は、何も言わなかった。
*****
それから何日か過ぎた。
この街を歩いている生身の人間なんて私以外にはいない。
いるのはきっと
そこでは人形みたいに生きるか、本当の人形にされてしまう。
私は、身を守る為に外套で身体を覆って移動する。
目的地についた所で、外套のフードは外してしまったけれど。
「こんにちは」
私が声をかけると、クロスボウを磨く作業をやめて彼が顔をあげる。
サイボーグだから表情は分からないけど、彼はとても胡乱気な声を出した。
「また来たのか」
「はい。あの……お礼を」
「いらんと言ってるだろ。缶詰ならやるから失せろ」
あれから私は彼のところに毎日来ている。
助けて貰ったお礼をしたいと思って。
でも、毎日彼には断られ続けている。
ただ私を鬱陶しそうに追い返す彼の声には、無機質な寂しさを感じなくなっていた。
『強情ですね……我々からの代金も受け取っていただけませんし』
私の隣にいる
私も彼にお礼をしたいので、ここ数日は
「お前もか
『そう言わずに。これほど素敵なお嬢さんからの贈り物を受け取らないなんて、逆に失礼というものですよ』
私は背を押す力に逆らえず、彼に向かって足を踏み出す事になった。
「あの、受け取って……」
私は彼に向かって、手に持っていた物を差し出した。
それは、サイボーグ用のメンテナンス・ナノマシンのパッケージ。
マシンの関節なんかを補強するもので、パーツをちゃんと交換する方が勿論いいけど、これは消耗品を長持ちさせる為に使われる。
交換用のパーツを探すのが大変な特殊なサイボーグ ─古すぎるとか─ 御用達なんだって。
「……」
『こちらのお嬢さんが一生懸命用意したものですから。受け取ってあげてください』
やがて彼は箱と箱をくっつけた様な見た目の腕を動かして、私の手の上からパッケージを受け取った。
私が安堵の息をつくと、視界の隅に移動した
彼は
「やはり貴様の入れ知恵か」
『滅相もありません。「サイボーグにお礼するなら何が良いのかな?」と聞かれましたので、それなら「ナノマシン・パッケージが一番ですよ!」と答えただけです』
「同じだろうが!」
彼の大きな声に、私がビクッと驚いた様な怯えた様な気持ちで身体を震わせる。
彼は私を見ながら、きっと生身の時の癖だったらしい頭をかく動作 ─箱っぽい腕の装甲が邪魔で頭まで手が届いてなかったけど─ をして
「……ありがたく貰っておく」
彼は大きな手で私の頭を、一度だけ撫でる。
冷たくて硬い、サイボーグの手のひらだった。
*****
その日から私は彼のいる廃倉庫で暮らし始めた。
『助けた相手には最後まで責任を持たないといけませんよね』
とか言って彼を言いくるめたのだ。
私が元々、住むところなんて持ってなかったのもあるけど。
「俺には缶詰が消費できないからな。丁度いいとしよう」
なんて、彼は無理矢理納得してた。
倉庫の地下には缶詰がいっぱい残っていて、私は食事には困らなくなったけど、彼が食事の量をキッチリ計算して制限するので好きな時に好きなだけ食べたりはさせてくれない。
生身の身体を健康に保つ為だって彼は言う。
それでも私が大好きになったチョコレートは毎日持たせてくれた。
ただ、私が倉庫を出て街を歩くと、人攫いとか壊れた無人機械にまたすぐ襲われるので、その度に倉庫になんとか逃げて助けてもらうのだが、彼は遂に呆れて
「貴様は余りにも世間知らずだな……」
「ごめんなさい……」
「少し街の事を教えてやる」
それから数日をかけて、私は彼に連れられて街での暮らし方を教えられた。
「人攫いの連中は、サイボーグだろうが生身の人間だろうが見境いなく攫ってはどっかに売り飛ばす。まぁ生身の人間の扱いなんて知らんだろうから、捕まったら最後だと思え」
「どうなるの?」
「人間用の飯の存在を知ってるかどうかも怪しい連中だぞ。食えない物を出されて餓死だ餓死。もしくは適当にスクラップと一緒くたにされて身体が潰されるに決まってる」
「それは嫌だなぁ」
「ま、武装してれば襲っては来ない。何せ武器を持ってる奴を襲えば、逆に自分が売り飛ばされるかもしれないんだからな」
「じゃあ私も武器、使う?」
「ああ。俺のクロスボウを貸してやる。外に出る時は持っていけ。使い方は?」
「知らない」
「そうだとは思っていた……教えてやる。訓練といこう」
彼はそう言って私にクロスボウの使い方を覚えさせる事にしたらしい。
錆びついたクロスボウをよく見える様に掲げてから、彼は目の前の路地を歩き出す。
私を襲ってきた、街の壊れた無人機械を探しながら、彼は言った。
「この辺の無人機共も、街を護る為の警備マシンだった。とはいえ、もうボディもブレインもぶっ壊れてほとんど動かん。ただ、近付くと反応して襲ってくる。銃火器は錆びついて使ってこないが、パワーは生身の人間なんぞ引き千切れるくらいあるはずだから気をつけろ」
彼はそう言うと街の片隅で誰もが避けて歩く無人機械に近寄る。
無人機械は彼に反応したのか、錆び付いたギリギリとした音をたてて動き出す。
元は街の警備用だったという無人機械は、丸い大きなボールに、6本の足と小さな手がくっついた、カニとクモの子供みたいな見た目をしている。
6本の足をギシギシときしませて動き出した無人機械は、私よりも少し速いくらいの動きで、彼に突撃した。
でも、彼は全然怖がらずに、無人機械の大きいけど装甲が錆び落ちて骨組みだけになった足に、クロスボウの鉄杭を撃ち込んで転倒させる。
彼はそのまま無人機械に近付くと、無人機械の足に繋がってる一番大きな球体みたいな部品に、鉄杭を手で突き刺した。
それだけで無人機械は動かなくなる。
「装甲が錆びで腐り落ちてるから、クロスボウの鉄杭をどこに撃ち込んでもダメージになる。まぁ武器もない安物のサイボーグじゃ警備機にパワー負けするだろうから街の連中でコレに近付く奴はいない。もし人攫いに追われたらいっそ無人機械に近寄るのも手だな」
その日は、私は動かなくなった無人機械を的にして、錆びついたクロスボウを撃つ練習をした。
特に動くための動力を伝えるエネルギー回路は弱点だから良く狙えと教わった。
鉄杭を何本も撃たれてボロボロになった無人機械は、彼が倉庫に持っていって新しい鉄杭の材料にする。
私はただ、そうした作業をする彼のそばで、彼のする事を眺めていた。
「……」
「ねぇ」
「なんだ?」
そうやって私が彼の元で暮らす様になってから、たくさん彼と話をした。
彼は相変わらず私が廃倉庫にいる間は錆びたクロスボウを磨きながら、私との話に付き合ってくれる。
今日だってそう。
「ここって何の建物なの?」
「昔の軍の整備倉庫だ。予備の食料庫でもあって、戦時中の不測の事態にはここに兵士が集まる予定だった。結局誰一人帰ってこなかったが」
「その人達はどうなったの?」
「多分死んだんだろう」
昨日も。
「いつからサイボーグなの?」
「さぁな……俺の改造した脳味噌がまだ生きてるから500年は経っちゃいないと思うが……」
「長生きだね?」
「まぁ300年は確実に生きてるな」
「私も改造?……したら生きられるかなぁ」
「生身だと無理だろうな」
一昨日も。
「なんでクロスボウなの?」
「エネルギーブラスターはジェネレーターの消耗が激しいからな。エネルギーを喰わないクロスボウの方が良い。無茶をしないなら、これでも十分戦える」
「直せないの?」
「直す?ジェネレーターをか?まぁ……替えがあればな」
そうやって何でも無いことを少しずつ。
彼は色々知ってたから私にも色々答えてくれる。
昔話とか、他の街のこととか。
二人だけの時は、彼は私の頭を軽く撫でてから、話をしてくれる。
彼は本当は話をするのが好きみたいで、私も彼の話を聞くのが好きだった。
そして、なによりも彼の冷たい手で頭を撫でられるのが好きだった。
「300年くらい前の話だが、青空も星も見えなくてな。空は灰色だった」
「灰色?」
「ああ。年がら年中雲とかいう奴に覆われててな。だが、放置されてた研究基地のAIが暴走したんだ。ソイツがいっそ清々しいまでに世界をナノマシンで綺麗にして……それでこうなった訳だ」
「ふーん?」
「……まぁ、昔々に壊れたロボットが世界を壊した訳だ。空ごとな」
「へ~、凄いね」
次の日も。
「この街の他にも街はある。距離はあるが、街同士の交流もしてる」
「じゃあ生身の人がいっぱいいる街もある?」
「あるとは思うが、それでも生身自体がやっぱり少ないな。生身だと生きてくのは大変だ」
「それなら私もサイボーグになった方が良いのかな」
「まぁそれもひとつの手段だろう。とはいえ、マトモなサイボーグ手術をしてくれる相手を探すのが大変だがな……脳までガラクタに変えられかねん」
そしてその次の日も。
「
「うん。タマゴみたい。茶色じゃなくて真っ白だけど」
「いまでもアイツらだけだ。サイボーグを新規に設計しようなんて連中は」
「そうなの?」
「よっぽど高度な技術か、AIかデータベースを保有してるのだろうな」
「
「……ん?
「え?」
たまに私が外に出ると、彼はクロスボウを磨くのをやめて私についてくる ─出かけてる間の倉庫にはトラップを仕掛けてるらしい─ 様になった。
二人で青空を眺めたり、夕陽を浴びたり、夜空の下を走ったり、日の出を待ったり。
彼の姿を外で見た
彼は街ではなんだか有名らしくて、私が生身だと気付いても悪い人は近付いて来なかった。
『ちょっと想定外です……もしや
「サイボーグってのは元は生身だから、割りと不思議でもないと思うんだが」
『それは勿論、あなた様が改造された時代ではそうでしょう。しかしここ265年間は生身の方が珍しいですから』
「まぁ生身でマトモに生きていける世界でも無いか。むしろサイボーグの方が興味はわかんのだがな……」
遠回しに“生身が好き”って言われてて、私はちょっと嬉しい。
*****
今日も彼は錆びたクロスボウを磨いている。
理由は特に無いらしい。
と言うか、彼にも理由が思い付かない様だ。
箱をくっつけた様な見た目の躯体は、とても古いらしいから、彼も少しだけ壊れてるのかもしれない。
「直せないの?」
「この街では無理だ。そもそも壊れているとしたら……」
彼は自分の頭を触ろうとして、触れなくて、結局自分の頭を指で示す。
長生きなのに、たまに生身だった頃の癖が出てくるのが可愛いと思う。
「頭のパーツ?」
「の、中身だ。俺は強化脳だからな」
「強化脳?」
「ああ。人の脳は100年ちょっとの寿命しかない。だが、俺はサイボーグ化した時に脳を強化してる。それで寿命が長いのさ。まぁそれでも脳味噌だけ生身には違いないんだが」
「私、生身を直せるとこ知ってるよ」
「……………何だと?」
彼の声が高くなる。
珍しく彼は驚いていた。
「私の生まれたプラントなら直せると思う」
「プラント?」
彼は少し考えて、私の顔をまじまじと見る。
彼の顔も箱みたいな形で、三本の光る溝の奥に、カメラが光って見えていた。
「お前……クローンなのか」
うん、と私が頷くと
「プラントで生まれてどれくらいなんだ」
「うーん……目が覚めてから1年くらいかなぁ」
そうか、と言って彼はそれっきり黙ってしまった。
話しかけてもずっと上の空で、クロスボウを磨くのも忘れてる。
私は彼の横に腰かけて、今日は彼の代わりにクロスボウを磨くことにした。
やっぱり彼は何も言わなかったけど、頭を撫でる様に手を置いてくれる。
次の日、彼は廃倉庫からいなくなっていた。
*****
彼がいなくなってから一ヶ月が過ぎた。
私は彼のクロスボウを磨きながら、倉庫で過ごしている。
あの日以来、
街にある自分のお店にはいるみたい。
私はタイミングを見計らって倉庫の外に出ては、街で彼を探してみる。
話しかけても答えてくれる人ばかりじゃないし、私が生身だと知られれば危ない目に会うから、自分一人で慎重に少しずつしか探せないけど。
街は隅々までが鉄錆の色で、彼の灰色の躯体を想像させる物は何もない。
見て回るだけじゃ分からない場所がある事くらい分かってるけれど、その場所を探す事は私には出来ない。
毎日街で彼を探すけど、彼が帰ってくるかもしれないと思って、私はすぐ廃倉庫に戻る。
そんな事をしてるから街の中を探すのも凄く時間がかかった。
それでもやっぱり、彼は見つからない。
「……今日は嵐かぁ」
私の目の先、倉庫の壊れて閉まらない出入り口の外では、いつかの様な鉄砂の嵐が吹き荒れている。
空は青空の代わりに赤茶けた色で。
嵐の日は生身の私は外に出ても遠くは見えないし、辛いだけなので、この倉庫でじっとしてなきゃいけない。
チョコレートを食べながら、彼が置いていったクロスボウを磨く。
パラパラと足下に鉄錆がこぼれた。
「どうしようかな」
一ヶ月も探せば、私にも分かった事がある。
彼はこの街には、もういないのだ。
「よし」
私は外套とフードを被り、立ち上がる。
彼の居場所の事なら、きっと
だから
お店には、似たような姿で何人もの
「ねぇ
『いらっしゃいませ、なんでしょうか』
「彼は、この街を出て行ったの?」
『……はい。その通りです。彼は街にはいません』
そっか、と私は呟いた。
彼の出て行った理由は分からないけど、心当たりはある。
私が生まれたプラントだ。
彼と最後に話したのは、私みたいなクローンの生まれるプラントについてだった。
だからきっと、彼はプラントに行ったのだ。
そう言った私の話に、
お金が無ければ物々交換でも良い。
私は
そうしたら
私は情報を買ったのだ。
「でもこんなガラクタでいいの?」
『いえいえ。これはですね、軍隊の軍事機器の部品なんですよ。作りこそ古いですが、技術基盤がしっかりしていて頑丈ですし状態も良い。我々でも学べる事がまだまだあるテクノロジーの塊で』
「……?」
『……昔の人が作った良いガラクタと言うことです』
「ふ~ん?」
『ところで良いのですか。このガラクタは我々が求めていたものですが、彼が何百年と守り続けてきたものですよ』
「うん。あの倉庫も全部売る気だし」
『は?』
「だからね」
全部教えて。
私は、
*****
『クローンには寿命が設定されています』
開口一番、
でも、生身だろうとサイボーグだろうと寿命はある。
何を当たり前のことを、と思ったけど、そう言う意味ではないらしい。
『単なる生物的で曖昧な寿命とは違います。明確な期間としてクローンには寿命が人の手によって設定されているのです』
それは、いつ死ぬかが決まってると言う事だろうか。
私が無言でいると、
やがて、私から何の反応も無い事を確認すると
『驚かれないのですか?』
「どうして?」
『いえ、通常、人間は寿命の話をすると多少なりとも驚かれるのですが』
そうなのだろうか。
『そうなのです』
そうらしい。
別段、私には驚きは無い。
そんな事より続きを話して欲しい、とすら思った。
だって……
「だって知ってるし」
「最初から知ってたよ私」
クローンには、最初からある程度の知識や人格がインストールされている。
寿命についても ─本当は動作期限と言うのだけど─ 分かっていた。
私の様なクローンは、元々ロボットとは別な形の、人間の代替品として生み出されたものだ。
クローンの寿命は1年と1ヶ月となっていて、その時が来たら眠る様に息を引き取る。
死体が邪魔になるので、結局はロボットの方が重宝されたらしい。
ただ、それでも人間の姿と温もりを持ったクローンに需要はあったのだとか。
『あなた様がその様な少女の姿をしているのは、愛玩用だからでしょう』
「あいがん?」
『はい。おもちゃとして扱われ、他人の心を慰め癒やす事を目的としているクローンだと推測できます』
ふぅん、と私は考えた。
「じゃあ、あの人の慰めになってたのかな、私」
『さぁ……それは私には分かりません』
でも
「それで、彼はなんでプラントに行ったの?」
『はい。単純な話ですが、気に入ったクローンが死ぬのを惜しがる人達も当然おりました。つまり“クローンの延命”を望む人達がいたのです』
「ふぅん……そんな事も出来るんだね」
『はい。そもそも、クローンの寿命は、体内にあるナノマシンが決定しています』
そういって
『プラントには、その寿命決定ナノマシンへの命令を書き換える機器、クローン用の投薬品があるはずなのです』
「彼は……それを探しにいったの?」
『その通りです』
私は首を傾げた。
「私の寿命を延ばす為?」
『間違いないでしょう』
「どうして?」
『どうして、とは……』
「寿命なんて、誰にでもあるよ。私より寿命が短い人もいるのに、そんなに気にする事無いんじゃないかな」
『それは、その通りですが』
珍しく
私は、
ただ、それより
「そんな事より、私は最後まで、あの人に側に居てほしかったなぁ」
私はそう、思った事を呟いた。
それを聞いた
『それです』
「え?」
『彼も、同じ事を思っているのですよ。あなた様に側にいて欲しいのです』
私は押し黙った。
『彼は非常に長い時を生きています。これからもそうでしょう』
『しかし、あなた様は違う。もうすぐその命も終わってしまう。だから彼は向かったのです。もっと長く……あなた様に共にあって欲しいから』
彼は、私にもっと側にいて欲しいと思っている。
それは本当の事なのかな。
彼は何も言わなかった。
でも
今一番埋めて欲しい場所が、少しだけ埋まった気がした。
だから私はあらかじめ決めていた事を、口にした。
「
『はい、なんでしょうか?』
「私を彼に会わせて。プラントに戻りたい」
暫くの間を開けて
『かしこまりました』
数日の後、私は
背負った彼のクロスボウからは、鉄錆は綺麗に落としてしまっていた。
*****
赤錆の砂が吹き荒れる荒野を、私はオフロードカーに乗って進んでいる。
運転席には
私は車に積まれた生身の人間用の食料を口にしながら、赤錆色の景色を眺めている。
街を出てから7日は過ぎている。
車ならすぐ着くだろうと思っていたけど、街から離れれば離れるほど、無人機械がどこからともなく現れるので、車の足を止めざるを得なくて。
その度に車に載せてある機銃で銃撃する。
弾だけはとにかく積んであるらしい。
空が暗くなってきたら車を止めて、
夜に移動しないのは、車の光源が無人機械を引き寄せてしまうからだ。
このドームは凄く薄いフィルターみたいだけど、無人機械の認識をある程度阻害してくれるらしい。
脆いから車を覆いながら移動するってわけにはいかないみたいだけど。
『あと何日ほど残っていますか?』
「1日くらいじゃないかなぁ」
『意外と短いですね』
「間に合う?」
『そういう取引ですからね。勿論、間に合いますよ』
私の寿命が尽きる日は、ほんのすぐそこまで迫っていた。
死ぬという事は分かっているけれど、身体はいつも通りで気になる所は無いし、寿命が来る事に対しての実感は無い。
ただ時間が無い事だけは、私にも分かる。
その日の夜、私はずっと気になっていた事を
「
『はい。なんでしょう』
「私をプラントから街に連れてきたのは、
私は
「私は引き取り手がいないから、廃棄されるはずなんだ。でも気付いたら街にいた。誰かが私を運んだんだと思った。
意外そうな態度だった。
『……そうです。我々があなたを運び出しました』
「どうしてか、聞いてもいい?」
『さぁ……強いて言うなら、それこそ寂しかったのかもしれませんね』
「寂しい?」
『ええ』
だけど、今この瞬間、私を見ていない事だけは分かった。
『勘違いされてる方もいらっしゃいますが、我々は世界に生きる人々の情報を集める為に、とある組織に生み出された機械。人間を改造したサイボーグではなく、人間の命令通りに動くロボットです』
「知ってる」
『そうでしたか……ですが情報を集める事を命じた組織は、我々にその情報を誰に伝えるかを命じずに、滅びてしまいました。それでも我々はただ、集める事だけを繰り返す。命ぜられたまま、誰に伝える訳でもないのに』
響く声は機械の合成音声なのに、妙に複雑で感情的な気がした。
私が知っている誰よりも。
『我々は……何かを為す事が出来ないのです』
聞きながら私はスープを飲み干す。
いつもにこやかで掴み所のない
『だから人でありながら何も為せず廃棄されるはずだったあなたを見つけた時、我々の誰かが……あるいは我々全てが、寂しいと。そう、思ったのです』
私に同情したのだろうか。
あるいは、機械にとっては私も人間の範疇だから、新しい主人が欲しかったのかもしれない。
でも私はそのおかげで街で生きる事が出来た。
私は手元にある鉄のクロスボウを撫でながら
「ありがとう
『いいえ。もう一度会いに行きましょう。そういう契約ですから』
私はただ頷いた。
*****
爆発音。
空や地面すら揺れている様にすら感じる音が、地平線の彼方から向かってきた。
車から振り落とされない様にしがみつく。
見れば、黒い煙が一筋空に昇っていた。
私は、速度を上げた車が起こす音に負けないように叫んでいた。
「
『プラントの方角ですね。警備システムと戦闘を行っている様です』
「あの人かな!?」
『まず間違いなくそうでしょう』
それを聞いて私は
応じる
「わぷっ」
『シートに捕まっていてください』
態勢を崩して車の座席に転がった私の身体を支えながら、
プラントが視界に見えてきたと思えば、あっという間に大きくなっていく。
赤錆の荒野には無人機械の残骸がいくつも転がっていて、点々とプラントまで続いている。
「これって……」
『無人機械同士の戦闘があった様子。彼の戦闘音に引き寄せられて来たのでしょう』
「あ、あそこ!」
私が指をさしたプラントの正面ゲートには、トレーラーが一つ頭から突っ込んだまま停車していた。
『いい方法ですね。こちらも行きます』
彼の乗っていたトレーラーより、この車の方が頑丈さが違うのだとか。
『さぁ、彼を探してください。私は、寄って来るはずの機械の相手をします』
「契約?…は、ここまで来る事だけだよ?」
車に載っている機銃が一人でに動きはじめ、私からは見えない位置に向けて銃声をとどろかせた。
『いいえ。あなた様が彼と出会うまでが、私達との契約です。昨夜そう言ったでしょう?』
確かに言っていた。
なら、私は彼に会いに行く事だけを考えよう。
一度だけ
きっとおそらく、これで最期だから。
『お気をつけて』
「うん!」
銃声や爆発音。
そして機械の駆動音。
それら全てを背後において、私はプラントの中へと入りこんだ。
*****
「はっ……はっ……!」
白く照らされた通路を、私は走っていた。
周囲は無機質な壁と扉に囲まれていて、正直もう自分の居場所が分からない。
私は、彼を探す声をあげながら、誰もいない通路を進んでいく。
「あっ」
ここに赤錆の砂は無い。
でもたまに現れる綺麗な無人機械は、彼のクロスボウを抱いてじっとやり過ごした。
無闇に戦ったりはするな、とは彼の教えだ。
施設内の扉は、開いたままの扉と開かない扉がある。
きっと開いたままの扉は彼が開けたのだろうと思って覗き込むけど、やっぱりそこには誰もいない。
見覚えのある様な無い様な、シンプルな機械が置いてあるだけだ。
どこまで行っても彼はいない。
それでも足を止めるのはダメだと思った。
私には時間が無いけれど、それよりも彼に会いたかった。
「どこ……っ!」
そうして進んだ通路の先は、大きな扉を見つけた。
閉じた大扉の横にあるスイッチを押すと、ガゴンと振動と音をたてて、ゆっくりと扉が開いていく。
その先は通路ではないホールの様な形の広い部屋で、一部の壁が崩れて赤錆の砂が入り込んでいる。
私はその中に一歩を踏み出した。
「来るな!」
彼の声がした。
振り向くと、視界の中を光が横切っていく。
光は、部屋の天井まで届くような巨大な無人機械の胴体を焼き溶かして貫くと、壁にぶつかり霧散する。
光が放たれた場所を追っていけば、彼が身長程もある長い銃砲を構えていた。
彼が使う事を嫌っていたエネルギーブラスターだった。
直後、彼は銃砲ごと吹き飛ばされて転がっていく。
先程穿った無人機械は、停止してはいなかった。
私は、クロスボウを構えていた。
彼を吹き飛ばした巨大な無人機械が、ゆっくりとその顔で私を見下ろす。
胴体に開いた穴に向けて、クロスボウのトリガーを引いた。
突き刺さった鉄杭は、この無人機械の大きさに比べれば小さな物だったけれど。
露出したエネルギー回路に金属製の異物を差し込まれた機械が、青白いスパークをあげた。
断末魔の様な、甲高い駆動音をあげ、機械は崩れた壁をさらに崩して外へと倒れていく。
私は、クロスボウをその場に放って彼のもとに走り寄った。
「お前……」
彼の身体は傷だらけだった。
片腕と片脚は無く、装甲は削られ、そして胴体には大きな穴が空いている。
ひと目見て、彼が途轍もない無理をしたのだと分かった。
彼は座り込む様な態勢で手を投げ出したまま、それ以上動こうともしない。
それで私は、彼にも時間が無いのだと知った。
「傷だらけだね」
「ああ……少し無理をし過ぎてな」
彼はどうにか横に転がっている銃砲を示して
「ジェネレーターを破損させられた状態で、エネルギーブラスターを使ったせいで、もう稼働エネルギーが無い。俺の生体機能を維持する事が出来なくなっている」
そう言うと彼は、再び腕を投げ出した。
「だが結局……お前を延命させる手段を見つける事が出来なかった」
「もういいよ」
私は彼の身体に寄り添った。
腕は回りきらないけど、抱き締める様に穴の空いた身体に頬を擦り付けて。
彼は私を見下ろして、私は彼を見上げた。
力を失った彼の身体は、私が寄りかかってもビクともしなかった。
ゆっくりと無事な手を私の頭の上に置いて、彼は言った。
「そうか……そうかもな」
お互いに時間は少しも無かった。
「置いてかれて、寂しかったな」
「すまん」
「ねぇ、もう少し話そうよ」
「ああ、そうだな……何を話すか……」
彼の冷たい手が、私の頭を撫でる。
金属質で硬く、ゴツゴツとした手だ。
でも手の平だけは、優しかった。
「強いんだね?」
「朽ちかけの無人機よりはな。これでも昔は、軍の英雄と呼ばれていた」
「英雄?」
「一番多く敵を殺した奴の呼び方だ。自慢には出来ない。ただ、生き残れる事だけは誇って良いだろう」
「そうだね。もう一度会えた」
「ああ。まさかこっちに来るとは。
「うん。初めて車に乗ったよ」
「そうだったのか。車は良く揺れて乗り心地が悪いだろう?」
「ガタガタするから、びっくりした」
「昔はそれが良いと言ったもんだが、今となってはそうは思わん。もっとも、乗り心地を追求した車はさっさと壊れてしまったがな」
「ふーん」
「そういえば
「倉庫全部売って連れてきてもらった」
「何!?俺の倉庫だぞ」
「もういらないよ」
「そう……だな……?うむ…………そうだな……」
「ダメだった?」
「いや……これだと、どうせ戻れないからな」
「そうだよ」
私と彼は話をした。
いつもの様に、頭を撫でて貰いながら。
崩れた壁から見える赤錆の世界を見ながら。
外は嵐では無くて、空だって見えた。
長い時間だったと思う。
それともそう思ってただけで、短かったのかな。
やがて彼が、目を瞬かせた私を見て
「眠いのか?」
「うん……」
「そうか……俺もな、実は少し眠い」
「じゃあもう寝よっか?」
「それもいいな。外も暗くなってきた」
「うん……ねぇ」
「なんだ?」
「今日は側にいてね……」
「ああ……今日はいるさ」
「うん……」
彼の手が、私の頭を一度撫でた。
目を瞑る私は、甘えた様に彼に抱きつく。
彼は笑っていたと思う。
表情は分からないけど、きっとそうだと思う。
「おやすみなさい……」
「ああ、おやすみ。同じ夢を見よう」
私は微睡みの中で、彼に微笑んだ。
*****
『以上が、クローンコードP6284499対象から回収されたメモリーの全てです』
機械の合成音声が、そのタマゴの様なボディから発せられていた。
それはロボットだった。
『軍機兵コードNX-688とクローンコードP6284499の本体回収の却下を提案します。提案理由………』
地面から浮遊するロボットは、タマゴの様なボディに付けられた目の代わりとなるセンサーを、当該箇所に向ける。
そこには、大破したサイボーグと、生命活動を停止した愛玩用クローンの遺体がある。
サイボーグに抱かれたクローンの顔を、ロボットは認識した。
『だって幸せそうですよ。放っておいてあげましょう』
返ってきた返答は、概ね同意する内容だった。
ロボットは、近くに落ちていたクロスボウを拾う。
前に見た時は鉄錆に覆われていたが、今は手入れが行き届き、錆は落ちていた。
タマゴ型のロボットはクロスボウにつけられたベルトを自らに引っ掛けると、施設を出るルートを取った。
この部屋に居た壊れた無人機械は、既に別のロボット達が回収していて、残されたのはサイボーグとクローンの遺体だけだ。
ロボットは最後に振り向いて、誰ともなく言った。
『契約事項を完了しました。この場所なら、あなた達の姿は朽ちる事なく残るでしょう……また、来ますね、お二人共』
答える声は、勿論無かった。
壊れかけたあなたへ【短編】 F @kreh
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