第2話

青年の言葉に、サヤカは一瞬言葉が出なかった。

「.....な、何、言って」

辛うじて出た言葉はどうも歯切れの悪いものになる。

「いや、なんかそんな気がしたから。水色のブラ付けてるし」

ブラの色関係ないだろ!というツッコミが咄嗟に出ないほど、わたしは動揺していた。

「てか、フツーに考えて、死にたいとか別に思う訳.....」

「あ、そう。なら良いけど」

先程までのうっとうしいほどの追求とは裏腹に、あっさりと青年は引き下がった。遠くの景色をボーッと眺めている。

「え、そんだけ?」

サヤカは逆に拍子抜けしてしまっていた。

「なんだよ、もっと聞いて欲しいのかよ?実は、かまってちゃんかお前?」

「は?一言もそんなこと.....」

「さっきは見ず知らずの奴に言うことなんざねーとか言ってたクセに、ちょっと自分の本音に気付いてもらったら、掌返そーってか?甘いんだよ考えが」

「そ、そんなわけ....そ、それに別に本音なんて.....」

「そんだけ動揺しといて、よくそのセリフ言えるよな」

急に冷たく言い放つ青年に、なぜか身体の内側から怒りが沸き起こってくる。

「....た.....に」

「何だよ」

「あ、あんたなんかに.....わたしの何が分かるのよ」

「分かるかよ。今日会っただけなのに」

あ、と何か思いついたように青年が呟く。

「でも1つだけ分かるかもな。お前がこれまでの人生でも、そうやって自分の落ち度を他人にすり替えて生きてきたことは」

「何が言いたいわけ?」

「だから自分で考えろよ就活生。そんなんだから就活上手く行かねーんだぞ」

「う、うるさい。あんたに関係ないでしょ!」

「ならその関係ない奴に一々、感情乱されんなよ」

青年の表情は変わらず宙を見ている。

わたしの怒りばかり膨らんでいく。

「あんたは一々、そうやって言葉の揚げ足取って楽しいわけ?てか何が目的なのよ!?」

「だから考えろよ、学習しねーな」

青年が小さくため息を吐く。

「俺がどう考えてるか考えるんじゃなくて、自分がこの場で俺にどうして欲しいか考えた方が良いんじゃねーの?」

「どーいうことよ?」

「知るか」

「はぁ?」

話にならない。

そもそも何で自分はこんなに苛立っているのだろう。

目の前の男のせい?

予報外れの雨のせい?

就活がうまくいってないせい?

いや、違う。

わたしは.....

「あのさ」

ポツリと言葉がこぼれ落ちていた。

「1つだけ良い?」

「.....」

少し間を空けた後、青年が宙を見たまま聞き返してくる。

「何?」

「こ、これはわたしの友達の話なんだけど」

「あ、お前の話か」

「いや友達の話だから」

小さくため息を吐く。

わたしは過去の記憶と現実を重ね合わせていただけなのかもしれない。

ふと、そう思ったら、喉から出る言葉はひどく軽くなっていた。

「その友達は学生時代からね、友達が多くてクラスの中心的存在だった」

「なんだ、フツメンの俺への当て付けか?」

「一々反応しなくて良いから、最後まで聞いてくんない?でもその友達は、ずっと自分を偽っていた。流行りのファッションも、イケメン俳優も、話題のスイーツにも、その子は興味が無かった。でも、仲間外れになりたくなくて、ずっと仲間とつるんでた」

青年は相変わらず宙を見たままだ。でも、わたしの話を真剣に聞いてくれていることは何故かわかる。雨のカーテンに囲まれた公園のベンチで、わたしの言葉だけが響いていた。

「高校に入った時も、仲間と離れるのが怖くて部活に入らず遊んでばかりいた。そんな折に、クラスに転校生がやってきた。けど、その子はどこか変わっている子だった」

肩にかかるほどのボサボサの黒髪を揺らし振り返る、その子の姿を思い出す。

「その子はクラスでいつも浮いてて、1人だった。だからか、よくわたしの仲間にからかわれていた。いや.....わたしもその1人だった」

ずっと胸につっかえていたものを押し出すように言葉を吐き出していく。

「最初はただ、からかっていただけだった。でも日に日にエスカレートしていって、気付けば教科書を川に捨てたり、校舎裏でリンチしたり.....今思えば、人としてやっちゃいけないことをしていた」

「最低のクズだな」

「はっきり言わないでくれる?否定は出来ないんだけど.....」

わたしは深くため息を吐いた。

「わたしはずっと、自分のやったことを後悔してた。でも、もうその子に謝ることも何も出来ない」

「転校しちまったのか?」

青年の言葉にわたしはかぶりを振った。

「わたし達がイジメを始めて1年後の夏に、自殺.....したんだよね」

わたしの言葉に対しても青年は顔色ひとつ変えない。

「恥ずかしい話、その子が亡くなって初めて、自分がバカだったことに気付いた。ずっと自分は他人よりも上にいるつもりでいたけど、それは全部虚像に過ぎなかったんだって、ようやく分かった。でも、そのときから、どこか人生の歯車が狂っちゃったみたい」

わたしの方を見ない青年の横顔を見て、言葉を続ける。

「いや、あんたの言う通りだった。わたしは自分の人生が狂ったのを、いつの間にかその子のせいにしてた。全部自分が悪いのに。ずっと良い人のフリをしてた。そして、今も、自分の罪を吐くことで、楽になろうとしてる自分がいる」 

「よく分かってんじゃん」

青年が口元に小さな笑みを浮かべる。

「てか友達の話なんじゃなかったのか?」

「もうその設定忘れて良いよ」

サヤカは大きく息を吐いた。

「まー、ぶっちゃけさ、どんだけ過去に蓋をしようと後悔しようと、引きずろうと、時間は勝手に進んでいくわけでさ、生きてる内は。別に考える必要なんてないんだけど、他の道も無かったのかななんて、考えてしまう」

「無駄だなその時間」

「知ってる」

青年は宙を見つめたままだ。わたしの方など見向きもしない。小さく青年が息を吐く。

「ま、何が正しいかなんて、どーでも良いだろ。誰だって初めて人生生きてんだ。そら間違えることもある。間違えたら修正して生きてくだけだ。それこそ、今を本気で生きた方が良い、生きてる内は」

「うん.....」

わたしの返事を境に、しばしの沈黙が訪れる。

やまずの雨の音だけが2人の間に流れている。

最初は会話なんてする気もなかった筈なのに、今はどこか青年の言葉を待っている自分がいた。

「さて、帰るか」

ポツリと青年が呟く。

「え?」

思わず声が漏れていた。

「まだ、雨止んでないじゃん」

「これ当分、止まねーだろ?」

「濡れて帰る気?」

「当たり前だのクラッカー」

「急に何言ってんの?」

青年は立ち上がり、おしりをパンパンと軽くはたいた。

「何だよ、帰ってほしくないわけ?」

図星だった。

反射的に言い返す。

「は、はぁ!?そ、そんなわけ......雨降ってるから心配しただけだから!これだから非モテは困るわ。ちょっと仲良くしたらイキッちゃってさ」

「うっせーよ。てかお前も似たようなもんだろ」

「はぁ!?一緒にしないでくれる?」

「よく言うよ」

青年が呆れたように笑う。

「ま、お前も早く帰れよな、水色」

青年がようやく、わたしの方を見る。その瞳がどこか悪戯っぽく光る。

わたしはその瞳を見つめ返した。

「誰が水色よ。わたしには夏目サヤカって名前があんの」

「あ、そーかい。そら悪かったねサヤカちゃん」

「絶対明日には忘れてるでしょ」

「アホか。今日風呂入るときには忘れてるわ」

「おい」

思わず笑ってしまう。

「ま、人間は良くも悪くも忘れる生きもんだからな。しょーがない」

「しょーがないで済ませるのやめてくんない?」

そう言いつつも、青年の言葉を心の中で反芻する。

良くも悪くも忘れる.....か

青年はわたしに小さく手を挙げる。

「じゃーな」

「うん」

まるで、また明日も会うかのように。

青年は私に背を向けて、そして雨の中へと消えていった。

その背中が消えていった場所を、しばらく眺め続ける。

彼は一体、何が目的でわたしに話しかけたのだろう。

1人残されたサヤカは、ふとそんなことを思った。

それ以前に名前も年齢も何1つ分からない。

ただ、1つだけいえることは、彼に出会って何故か心が軽くなったことだった。

もう会うことはないだろう。

いや、会う必要もない。

雨は未だに止むことはない。空はどんよりとした灰色に澱んでいる。

わたしの世界は、ずっとこの空のようだった。

決して晴れることのない、灰色に覆われた空模様。

ただ、その澱んだ空が引き合わせた出会いもあった。

「この雨は、後悔もしがらみも全部洗い流す為のものだったのかな」

雨降って地固まるように、わたしの世界も変わっていく、きっと。

サヤカはベンチから腰を上げた。

先程消えていった青年の背中がフラッシュバックする。

「さ、行こう」

彼の背中を追うように、サヤカは雨の中へと駆け出した。


わたしはもう知っている。

この雨の先に光があることを。

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和合の雨 あめいろ @kou0251

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