和合の雨
あめいろ
第1話
『世界は灰色に澱んでいる』
いつからだったか、私はそう思うようになっていた。
「もうっ!最っ悪!!」
降り注ぐ雨の中を夏目サヤカは駆け抜けていた。アスファルトにはところどころ水溜りが出来ており、通るたびにピチャピチャッと水が跳ねる。着ているリクルートスーツはすでにシャツまでぐっしょりと濡れていた。
予報は晴れだった筈なのに。ありえない。
文句をどれだけ言おうと雨が止むわけではない。
サヤカは高校時代に帰宅部で弱り果てた脚をフル回転させて走り続けた。胸が苦しい。身体も鉛のように重い。
こんなことなら部活やっておけば良かったかな....
サヤカは都内の私立大学に通う大学4年生だ。今日は朝から面接だった。面接でのことは.....あまり思い出したくない。
そんなことを考えつつ、なんとかこの雨から逃れる場所はないかと探しているが中々見つからない。
ふと、前方に滑り台らしきものが見えた。公園だろうか?うまく行けば雨宿りが出来るかもしれない。
案の定、公園に辿り着くと屋根付きのベンチがあった。人影が1つ見える気がするが、この際どうでも良い。
サヤカは最後の力を振り絞り、屋根付きベンチまで走りきった。
「ハァ.....ハァ.....つ、疲れた」
手を膝をつき、肩で息をする。我ながらよく走った。ここ5年くらいで一番走ったんじゃないだろうか。
「アンタ、大丈夫か?」
サヤカが地面にへたれこんでいると、頭上から声が降ってきた。
見上げると、黒髪の塩顔の青年がサヤカを心配そうに見つめていた。先程の人影の人物だろう。
まさか話しかけられると思ってなかったので内心驚く。
「え、えーっと....」
「とりあえず座ったら?」
狼狽するサヤカだったが、青年に誘導される形でベンチに座る。
青年が心配そうにサヤカの顔を覗き込む。
「大丈夫?」
「な、なんとか」
ベンチで座っていると、少しは回復できたようだ。胸の動悸もいくらかマシになった気がする。
「水あるけど、いる?」
「あ、いや、お気遣いなく」
改めて青年の姿を確認すると、サヤカと同じように頭の先から足の先までびしょびしょに濡れていた。恐らくここにいる目的も同じなのだろう。ただ、自分とは違い半袖Tシャツに短パンというラフな格好だが。大学生だろうか?高校生にも見えなくないが学校をサボるようなタイプには見えない。どこにでもいるような地味めの普通の青年だ。
何はともあれ、ひとまずこれで雨は回避できた。あとは雨が弱まるまで時間を潰すだけだ。正直すぐに家に帰る気は無かったから丁度いい。
「てか、就活生?」
ふと青年に尋ねられる。若者の癖によく話しかけてくる人だ。
嘘を言っても仕方ない。
「そーですけど」
「大変だな」
「いや、そんなこともないですけど。みんなやってることですし」
「だとしても凄いよ」
他愛もない世間話だ。だが、なんとなく居心地が悪い。知らない相手だからか、あまり触れられたくない話題だからか、それともその両方か。
「にしても、凄い雨だな。予報は晴れだったのに」
青年が苦笑いする。濡れた髪からポタポタと雫が垂れ落ちている。
サヤカは青年の言葉には答えず、カバンからスマホを取り出した。多少カバーが湿っているが問題なく電源は点いた。ひとまず安心だ。さて、この人にはわたしが会話する気がないことを暗に示さなければ。見ず知らずの人と長々と会話するほど、わたしは社交的ではない。
適当にSNSアプリを開き、画面をスクロールする。
引きこもりの若者が増えるのも、なんとなく理解できる。スマホやパソコンに触れていれば無条件で相手に会話の意思がないことを伝えられるから。
これで大丈夫な筈.....
「てか着替えとかあんの?こっから家近いわけ?」
いやメッチャ聞いてくるなコイツ!!こっちの事情おかまいなしか!
無視しようかとも思ったが、雨が止むまでしばらくはココにいる必要がある。あまり変な空気にするといづらくなる。
「いや着替えとかはさすがに.....まさか雨が降るとは思ってなかったですし」
「ま、だわな」
聞いてきた割にはそっけない態度だ。まさかとは思うが、沈黙が苦手なタイプだろうか。2人きりの空間だから、なんとなく居心地が悪くて気を遣って話しかけてくれているのだろうか。だとしたら余計なお節介というものだ。
もしくはナンパとか?いや見るからにフツメンそうだし、それはないか。
そんなことを思案していると、
「あのさ、1つだけいい?」
何やら神妙そうに青年がサヤカを見つめる。
「え、何ですか?」
青年の思考回路が読めず聞き返す。
「ブラ透けてんだけど」
「は?」
言われて反射的に自分の胸元を見る。
雨で濡れたシャツを通して淡い水色のブラが、がっつり顔を出していた。
「!?」
反射的に両腕で胸を隠す。
見られていた。
恐る恐る青年の方を見る。
青年は先程と変わらぬ真顔でサヤカを見つめていた。
「あ、そーだ。あと、もう一個。最近コロナで就活難って聞くけど、実際はどうな..」
「いやこの状況で他の話題行く!?」
「?」
やや不思議そうな視線を向ける青年。
そんな青年の表情を見て、思わず言葉を続けてしまっていた。
「いやどーゆうこと?みたいな顔しないでくれる!?てか女子の下着見といてノーリアクションって何!?」
「いや漫画じゃあるまいし、現実で見たらこんなもん.....」
「現実で見られた側の気持ちも考えてくれます?逆に傷付きますからね!」
「え、そーいうもん?」
「そーいうもんです」
鈍感な青年の態度に、サヤカは深いため息を吐いた。
「てか何なんですか、あなた。何がしたいんですか、これ以上わたしに関わらないでもらえますか」
「急によく喋るな」
「あなたが喋らせてるんですからね」
「喋れなんて一言も言ってないけど」
「喋らなきゃいけないような言動をあなたがしてるんです」
「俺は意図してやってないんだけど」
「だから困るんです」
わたしはもう一度、深い溜息を吐いた。
なんか疲れた。今日は散々な一日だ。面接は失敗するわ、雨には降られるわ、変な男に絡まれるわ。
でも、よくよく考えたら、わたしの人生って、散々なことばかりだった。
あのときも.....
「てか、あんたさ、名前なんて言うの?」
唐突に青年が聞いてくる。
青年の問いには答えない。
「え、名前は?」
「.....」
「なまえ.....?」
「.....」
「.....」
「.....」
「おい水色」
「いやブラの色で呼ぶな!!」
「やっと反応した。で、水色。1つ聞きたいことが.....」
「いや水色で進めないでよ!」
「だって水色って呼ばないと反応してくれないから」
「水色で呼ばれたら反応せざるを得ないでしょ、どう考えても」
「何で?」
「何でって.....考えたら普通わかるでしょ!?」
「いや普通って何?」
「ふ、普通は.....って、さっきから何なのよ!子供じゃあるまいし。大人なら分かるでしょ!?」
「いや俺の心は永遠の5歳だ」
「永遠の5歳って言ってる時点で自分は若くないって分かってるでしょ、それ」
「うわ、無駄に鋭い」
青年が白い歯を見せて笑う。
あ、この人こんな風に笑うんだ。
どうでも良いことを、ちらりと思う。
「と、とにかく、私に話しかけないで下さい」
「何で?」
「私が話したくないから」
「別れ際のカップルかよ」
「いやむしろ知らない人と積極的に話す方が珍しいでしょ」
「俺はお前の名前知ってるんだけど。な、水色」
「いっかい黙って貰えます?」
「やだ」
「何で?」
「俺がアンタと話したいから」
「意味分かんない」
「意味分かんなくねーよ。頑張って考えろ」
「あーもう何言ってんの、さっきから.....」
会話にならない。
サヤカは文字通り頭を抱えた。
そんなわたしのことを気にも止めないのか、分かっていて続けるのか、構わず青年は問いかけてくる
「で、1つ聞きたいんだけど、いいか?」
「もう勝手にしたら?」
サヤカは心を閉ざすことを諦めた。
「じゃ、お言葉に甘えて」
青年が表情を変えず言葉を続ける。
「あんた、死にたいと思ってるだろ?」
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