第5話 修理
二人はジェミニを連れて、港につけた
ヴェルメリオが慎重に
アスールは作業の邪魔になるからと市場の方を見に行ってしまったが、一応の持ち主であるヴェルメリオは機体のそばを離れるわけにも行かず、跳ねるように駆けて行ったアスールの背中を見送るに留まった。
何やらがちゃがちゃと翼の損傷部分を解体し始めたジェミニを、ヴェルメリオは煙草を吸いながらぼんやりと見つめる。操縦士であるヴェルメリオも一応は機体の構造に関する知識は持っているが、整備となるとまた話は別である。
ヴェルメリオには、現在目の前で繰り広げられているジェミニの作業が果たして何のために行われているのかほとんど理解することが出来なかった。ただはっきりと分かっているのは、機体を今よりも良い状態にしようとしている、ということだけである。
一心に手を動かすジェミニの丸まった背中を目だけで追っていると、シュネーの声が後ろから聞こえた。
「やあ、さっきぶりだね」
シュネーは、ジェミニに持たせたものより一回り大きな道具箱を背負っていた。道具箱からは、所々何に使うのかよくわからない工具がはみ出している。
「あぁ、どうも」
ヴェルメリオは軽く頭を下げた。
「アスールは?」
「市場の方へ走って行きましたよ」
辺りを見回すシュネーに、ヴェルメリオは少年の行き先を教えてやる。
「ありゃ、元気だね。あんたはおいてけぼりかい」
悪気無く笑う女に、ヴェルメリオも煙草を咥えて苦笑い返した。
「そんな所です」
「こんな作業見ててもつまんないだろう。離れてても構わないんだよ。あのじいさん、作業し始めるとなんにも喋らなくなるしね」
道具箱を降ろしながら依頼主を気遣うシュネーの目線の先には、相変わらず背を丸めて作業を続けるジェミニの姿があった。しかし、それを全く気にした風も無いヴェルメリオは、淡々と答える。
「見ているだけで楽しいですよ。整備している様子などなかなか見られるものではありませんからね」
「そうかい」
変な人だね、とやはり屈託無い笑顔を浮かべるシュネー。ジェミニとは対照的によく喋る彼女は、彼と並ぶとちぐはぐな様に思われたが、先程の言い合いをする光景を思い浮かべると、あまり違和感のあるものでもないとヴェルメリオは思った。
ヴェルメリオの退屈を紛らわせようとしているのか、シュネーはしばらく話を続けていたのだが、それはジェミニの一声によって唐突に終了することとなった。
「シュネー。喋ってねぇでこっちに来い。お前も見とけ」
「あいよ」
ジェミニに呼ばれたシュネーは翼部分までするすると登っていって、彼の手元を覗き込んだ。一切の言葉を交わすことなく黙々と作業をする師の手元を見るだけであったが、忙しなく動く彼女の眼球が言葉以上の情報を受け取っていることを物語っていた。
「一見は千の言葉に値する、か」
古来より語り継がれる教訓を呟きながら、ヴェルメリオは師弟の様子をじっと見つめていた。
快晴のもと響くのは、波が打ち寄せる音と工具がぶつかり合う音のみだ。遠くで商品を品定めする女が笑い声を上げているが、この心地好い静寂を邪魔するほどのものでもない。
ひどく、穏やかな時間だった。
ヴェルメリオは時間をかけて煙草をふかしながら、この穏やかな音色に耳を傾けていた。口から吐き出した煙が、一瞬だけ空を覆い、すぐに風に流されて消え去る。
その軌跡を、ヴェルメリオの瞳が追いかけるが、波間を煌めく陽光のように揺れる瞳は、空のさらに向こうを見ているようでもあった。
やがて、三本目の煙草を吸おうとしていたヴェルメリオのもとにジェミニの重い足取りがやってきた。眉間に皺を寄せた難しい顔のまま、機体の状態を告げる。
「酷い壊れ方だ。パイプに穴があいちまってそこから
「腕がいいものでね」
ヴェルメリオの軽口にも、ジェミニは険しい顔を崩すことは無かった。その厳しい目線に、仕切り直しとばかりにヴェルメリオは溜息を吐いて真面目な顔を作った。
「どれくらいで直りますか」
「一ヶ月かそこらは時間がいる。こんな小さな街じゃ道具も限られちまってるからな」
予想していたよりも短い修理期間に、ヴェルメリオは薄く笑みを浮かべた。
「承知した。ではお願いしますよ」
——幸いにして、まだ『休暇』は残っている。
胸中で呟くき、ヴェルメリオはジェミニと修繕費用などの細かい相談に入った。
一通り段取りを話し終えると、ジェミニは先程よりも深い皺を眉間に寄せて口を開いた。
「あんたの、
えらくもったいぶった話し方に、首を傾げながらヴェルメリオは先を促す。
「今まで整備をしていて、あんな壊れ方をした機体を見たことねぇ。ありゃ『普通』の壊れ方じゃねぇよ。あれは――」
一呼吸置いて、ヴェルメリオの方を向くも、ジェミニはそれ以上言葉を続ける事は無かった。
いや、正確には言葉を続ける事が出来なかった。
ジェミニが顔を上げた先で、ヴェルメリオは意味有りげな笑みを浮かべ、人差し指を唇に押し当てていたのだ。
「私は、ただの『旅行者』ですよ。そして、あなたは『整備士』だ」
その言葉の意図を雄弁に語る銀灰色の瞳に、冷や汗がジェミニの背中をつたう。
「直しさえしていただければ、きちんと金は払います」
あくまで整備士と客の関係であることを念押しするヴェルメリオの目は、唇と裏腹に笑ってはいなかった。先程の穏やかな様子とはかけ離れた男に、ジェミニはああ、と一言返すのが精一杯だった。ジェミニの額にはいつのまにか大粒の汗が流れていたが、身体を震わせる老体はそのことにさえ気が付いていなかった。
「それと、もう一つ」
すいっと人差し指を天に向けるヴェルメリオ。その表情には申し訳なさそうな色が浮かんでいた。
唐突に緩んだ空気に、ジェミニは止めていた息を吐き出し、首を傾げた。
「この街に、
ヴェルメリオはジェミニから教えられた店へと向かった。
少しやりすぎたか、と先ほどの老人の様子に眉を下げつつ、店の扉を潜って店主に声をかける。
「長距離用の
体格のいい店主が、人好きする笑みで受け答える。
「いいよ。どっち方面だい」
「
ヴェルメリオの注文を聞いた店主は一度店の奥へと引っ込むと、檜皮色に黒のまだらを持った中型の
「それならこいつだね。何を届ける?」
「手紙を」
恋人宛かい、とからかいながら差し出された小さな紙と万年筆を手に、ヴェルメリオはさらさらと用向きを書いて、金と共に店主に渡した。それを
「なんなら恋人の元まで向かうこいつを見送るかい?」
ヴェルメリオは少し考える素振りを見せたが、その提案を受け入れた。
「ならちょっと待ってな」
店主は店の奥から大きな鳥籠を持ってくると、
頂上にある重厚な扉を開け、大きな水路を一望できるその場所に店主とヴェルメリオが並んで立つ。店主は、空の様子を確認すると鳥かごから
止まり木から店主の腕に飛び移った当の本人は不思議そうな顔で首を傾げてヴェルメリオを見つめたが、黒々と輝く瞳はすぐに東の空へと向けられた。
「じゃあ、行くよ」
店主は、ヴェルメリオにそう声をかけるや否や、助走をつけて
その遠心力を利用した
「おや、今日は気持ち良さそうに飛んでるなあ」
店主のその言葉に、ヴェルメリオは目を凝らして黒いまだらを持つ空の生き物へ目を向けた。
大きく翼を広げ、真っ直ぐと東へ向かう堂々とした姿は、やがて鮮やかな水色の向こうへと消えていった。
ヴェルメリオは、自身の伝言を携えた使者が消えた方向を飽きる事無くいつまでも見つめていた。遠くを見つめるその瞳がどこか憂鬱な色を帯びていることに、店主はおろか当人さえも、最後まで気付く事は無かった。
銀鼠、白練、海碧 淡朽 不言 @iwanun
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