母の呪い

べる

親の愛

 巨大な地下図書館。白く、天井の高い空間に白銀の書架が整列している。静寂に包まれたその中で一人の女性が報告書を確認していた。内務省異能特務課局長補佐・辻村深月だ。

「夜叉白雪、ね。」

 彼女が確認していたのは特務課の武装輸送車が襲撃を受け、ある報告書が奪われたという内容のものであった。

(相当の手練れね。)

 と思いつつ、視線を奪われた報告書の内容に戻す。心配しなくても特務課職員は優秀だ。襲撃に関してはなんとかするだろう。しかし、奪われた報告書の内容には見覚えがあった。夜叉白雪、暗殺者。そして・・・娘。間違いない。それは、異能・夜叉白雪の遣い手が襲撃された事件に関するものであった。当時もこの報告書は確認したが、辻村にとって忘れがたい事件であり、過去に引き戻されてしまう。彼女は、辻村が異能を肉親に譲渡する方法を教えた者であった。

          *

 彼女と会ったときのことは覚えている。暗殺者として生きながら、夫と娘と幸せそうに暮らしていた。しかし、暗殺者は敵を作りやすい。それは私が一番知っていた。いつ何があるか分からない。もちろん平穏に暮らしていける可能性がなかったわけではない。しかし、そんな保障はどこにもない。私は声を掛けずにはいられなかった。今思うと羨ましかったのかもしれない。暗殺者として生きながらも家族と暮らす彼女が。娘と生きる暮らしが。娘が狙われるリスクを恐れ、距離を置くことを選んだ自分と、リスクを負いながらも共に生きることを選んだ彼女。【私の分まで家族と幸せに。】なんて図々しいことは思わなかった。ただ幸せな母子おやこというものを見ていたかった。だが、そうやって羨ましく思いつつも、暗殺者の宿命さだめも知っていた私は危なかしくて見ていられなかった。だから、いざとなった時の方法を教えた。娘を守る方法を。その後、私が生きていることを知るごく少数の人間はひどく驚き、勝手な外出と外部との接触についてしっかりとお叱りを受けたが。

          *

 報告書に目を戻す。彼女が最後に夜叉白雪に与えた命令。


『娘を守りなさい』


 おそらくその命令は今もどこかで守られているのだろう。ふと、自分が〈影の仔〉に与えた命令を思い出す。あのは今でも影の仔を私の呪いだと思っているのだろうか。それでもいい。私のことを〈母さん〉と呼んでくれなくてもいい。あのが守られるのなら。私の想いなど伝わらなくてもいい。ただ幸せでいてくれればいい。自分亡き後も娘の幸せを願う。

「母の願いは皆同じね。」

 そう言った辻村は今日もどこかでこの世界を生きる娘を慈しむような優しげな表情をしていた。


 ―願わくば今日もきみの笑顔が曇っていませんように。―



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母の呪い べる @bell_sasami

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