第30話 行くべきところ

 裁判は淡々と進んでいった。


 松本は一足先に判決が出た。初犯という事もあり、執行猶予がついた。今は禁断症状に苦しみながらも、療養に励んでいるらしい。


 俺は大山さんの命をこの手で奪った。どうすべきなのかずっと考えていたが、塀の中でじっとしているのは大山さんも望んでいないと思い、正当防衛を主張した。


 その考えに至ったのは、朝日麻莉亜の言葉だけではない。あれから、立て続けに接見があった。一人は見知らぬ弁護士、もう一人は黒石会の構成員だ。


 黒石会の構成員は、今回の件については不問にするという会長の意思を伝えにきた。


 大山さんが生きていようと死んでいようと、責任を取らせてすべての罪をなすりつける算段だった。むしろ死んだので、万が一の叛意に怯えることなくすべての罪をなすりつけられたので、黒石会には大きなダメージはなかった。死人に口なしとはこのことだ。作戦が失敗した、という麻莉亜の言葉もあったので予想はしていたが、やはりという感想だった。


 とにかく、俺は黒石会の圧力によって大山さんにすべての責任を擦り付けるように口裏を合わせることになった。俺一人で黒石会と戦ったところで勝ち目はない。長いものには巻かれるのが正義だ。


 そして、見知らぬ弁護士。彼は大山さんの代理人と名乗った。大山さんに万が一の事があったら、俺の世話をするように頼まれていたらしい。


 代理人は、一枚の紙切れを見せてきた。通帳のコピーだ。名義は俺だが、知らない口座だ。そこには七桁万円の金が入っていた。


 代理人が言うには、大山さんから急に資産運用を止めて現金化しろという指示があったらしく、手続きを経て漸く現金が振り込まれたとの事だった。俺が信じていた通り、大山さんは俺の事をずっと見守ってくれていたのだ。


 代理人の口からも、大山さんがいかに俺のことを心配していたか、そればかりを聞かされた。


 その後、牢屋に戻り大山さんとの最後の邂逅を思い返していた。俺が大山さんに向かってナイフを構えたとき、大山さんは自分から左胸にナイフを当てるように動いた事を思い出した。自分の罪を正当化するための記憶の操作ではない。本当にそうだったと思い出したのだ。


 そして、大山さんのドスは構えていたところからかなり逸れて、俺の左腕に掠っただけだった。


 大山さんはあのまま生きていても、死ぬまで塀の中にいる事になっていた。それならばと、自分の命で事態を鎮め、俺に全てを託してナイフに当たりに行ったように思えてならなかったのだ。実に美しい生き様だった。あの汚い街に巣食う俺と同じドブネズミだが、美しいと思った。


 最後の親心。あれが大山さんの覚悟だと、俺は解釈した。だから、塀の中で時間を過ごすのではなく、自分のために自由に時間を使える道を選んだ。


 一審の判決は、無罪。そこから控訴もされず、俺はすぐに無罪放免となった。裏で何かの力が働いたことは確実だったが、見返りは既に受け取ったということのようで、何も要求はされなかった。





 拘置所を出ると、代理人が迎えに来てくれていた。本当に俺の世話をしてくれるらしい。


「すみません。行くところがあるんです」


「そうですか。いつでも連絡をしてくださいね」


 代理人は俺に路銀を握らせると去っていった。


 半年ぶりに、一人であの汚い街に戻った。相変わらず地面は汚くて臭いし、ドブネズミはウロウロしている。


 アイスクリーム屋に入る。こんな寒い時期にアイスクリームを食べる酔狂な人は少ない。驚いたことに期間限定だと思っていたラブラブフルーティソルベは冬も売っていた。美味しそうに食べていたアサヒのことを思い出す。


 恐らく、麻莉亜はそこまでこの店のアイスが好きではないのだろう。期間限定ではない事すら知らなかったのだから。期間限定と言う知ったかぶりの演技。実はこんな風にあちこちに破綻があったのだろう。アイスが口の中で溶ける度、あの一週間を思い返しては記憶も溶かして消していく。


 ラブラブフルーティソルベとバニラが盛り付けられたアイスを平らげて家に戻る。


 半年ぶりの部屋は、昨日まで人がいたかのような生活感だった。金だけは大山さんの代理人が払ってくれていたらしく、全てがそのままだった。


 嫁達に別れを告げ、手配していたリサイクルショップの人に価値がつくものは全て持っていってもらった。査定額はかなりのものになった。一ヶ月は豪遊しても尽きない額だ。『ナースポリス大麦ちゃん』のコスプレ衣装がかなりの高額査定だった。結局、一度も着ることはなく売りに出してしまった。アサヒに着てもらえば良かったな。


 すっからかんになった部屋を後にして電車に飛び乗る。部屋の契約周りの話は大山さんの代理人に丸投げした。それほどまでに、すぐに駆けつけたい場所があるのだ。





 部屋の整理もそこそこに汚い街を出て、新幹線、電車、バスと乗り継ぎ、離島行きの最終船になんとか乗り込むことができた。


 交通機関の接続が悪すぎて、無駄な待ち時間も多かった。逸る気持ちを抑えられず、何度も時刻表を見ていたが接続が改善する訳もなかった。


 スケートリンクのようにピッタリと静止していると錯覚するほど穏やかな水面を船が進んでいく。船が進んだところだけ、波が立つ。


 目の前には小さな島と船着き場が見えてきている。船着き場には、乗船待ちと思しきキャリーバッグを脇に置いた数名の人が立っていた。この船の折り返しで本土に戻るのだろう。


 船着き場に一人の女性が立っていた。季節外れな白いワンピースを着ている。頭に被っている官帽で警察官だと言うことが判断できる。人口の少ないこの島では、制服を着なくても顔を見れば駐在だと皆が分かるのだろう。島外の人向けに申し訳程度に官帽を被っているのだろうが、それでは島外の人は駐在だと気付けない、と後で指摘しよう。


 船着き場に近づくに連れて、その女性が明確に見えてきた。俺も良く知っている顔だ。タヌキ顔の女性。見た目は若々しいが、中身は二十二歳くらいじゃないかと直感する。彼女と会うのは二度目のはずなのに、もっと濃密な時間を過ごしたような気がする。


 船が接岸すると、すぐ目の前にいるその女性は体を使って右手を大きく振りながら、左手を口に添えてメガホンのようにして叫んでいる。


「コマ! おかえり!」


 少しぎこちないが、太陽のような笑顔だった。

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ラブラブフルーティソルベ 剃り残し@コミカライズ連載開始 @nuttai

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