第29話 その後③
「それをお伝えするだけですが、好き、でした。気になり始めたのは二日目くらいから。家族になろうという言葉で落ちました。それからは毎日が桃色のようでした。使命のことを忘れかける瞬間もあるほどです。それほどまでに楽しい時間でした」
話している内容と麻莉亜の表情と声のトーンのギャップが大きすぎて笑えてくる。だが、笑えるほどに嬉しかった。アサヒと一時とはいえ心は通じていたのだ。
「形に残る思い出が欲しかったので、靴も服もとても嬉しかったです。安い服でも良かったのですが、一生モノの服であれば思い出もずっと綺麗な形で残るのでしょう」
そう言う麻莉亜は俺が買ったグレーのスニーカーも白いワンピースも身に着けていない。あれはアサヒにあげたものなので、自分では使えない、という意思表示なのだろうか。
「ありがとう。あの服と靴は麻莉亜さんの方で処分してくれ」
麻莉亜は俺の方を見て強く頷く。靴も服も死んだ人の遺品なのだ。然るべきタイミングで供養するのが望ましい。
「それで、最後の報告っていうのは?」
「はい。私の人事異動についてです」
「そんなん興味ねえよ」
「興味がなくても、聞いてください」
言わなければならない事だと思っているのだろう。強い想いがこもった目で俺を見てくる。話を催促するように俺は無言で頷く。
「私は麻薬取締部にはこの作戦のために出向してきています。本業はとある県警に勤めていました。今回の作戦はお世辞にも成功とは言い難いものでした。私はトカゲの尻尾として切り捨てられることが決定しています」
「そうなのか? やり遂げたんだろ」
「やり遂げたといえば聞こえはいいですが、早いうちに正体を見破られた上に死人まで出しているんです。お偉い方々はカンカンのようですよ」
これまた他人事のようなトーンで言う。
「それで、私は県警に戻り次第、瀬戸内海にある離島の駐在所に異動になります。ここからが本題です。駒田さんが良ければ、いらっしゃいませんか?」
「俺が……離島に? なぜ?」
「なぜって……それは、その……あ、あれです! 捜査とはいえあなたは私と見た目が同じ女の子を好きになって、しかもその子がいきなり死んだと言われてさぞかし心は傷ついているのだろうと思って、それなら見た目が同じ私がどうにかしてその傷の責任を取れないかと考えた次第です」
これまでとは打って変わった早口でまくしたてる。
「台本、なかったのか?」
「想定では『なぜ?』と聞かれる予定ではありませんでした」
赤面して俯く麻莉亜はさっきまでのロボットのような人ではない。人間のように恥じらいながら返事を待っている。ラブレターを下駄箱に入れ、放課後に相手が来るのを待つ女子高生のようだ。
「気が向いたらな」
それ以外に答えようがなかった。麻莉亜は麻莉亜で、アサヒはアサヒなのだ。麻莉亜もそう言っていた。それが舌の根も乾かないうちに麻莉亜に甘えるなんて決心をする事はできない。少なくとも、今は。
「そうですか。では、話はこれで終わりです」
麻莉亜は三つの話を終えると、そそくさと切り上げて席を立とうとする。俺はまだ話があるのだ。
「ちょっと……ちょっと待ってくれ。俺からも一つ、話があるんだ。あなたのお母さん、本当のお母さんのこと」
席から立ち上がり、帰りかけていた麻莉亜が立ち止まり、振り返る。その顔はまたもや人間味あふれる顔をしていた。怒り、困惑、歓喜。様々な感情が折り重なっている。
麻莉亜は人間味溢れる態度で椅子を引き、腰掛けた。椅子に座るとさっきまでのロボットのような表情に戻っていた。
「それで、話というのは?」
「あ……あぁ。麻莉亜さんのお母さんのこと……」
「それはもう聞きました。それで、どこにいるんですか? 生きているんですよね? 教えて下さい!」
机に手をついて前のめりになって聞いてくる。偽物の継母を探す時もこのくらいの熱意だった。アサヒもこの熱意を受け継いでいたのだろう。
「すみません……俺のせいなんだ……俺のせいで……」
「いいから早く! 結論から話してください! 生きてますよね!? どこにいるんですか?」
麻莉亜が俺の肩を掴んで揺さぶってくる。さすがに看守も見かねて止めに入ってくる。看守に何か言われたようで、すぐに麻莉亜は平静を取り戻した。
「すみません。取り乱しました」
「あ……いえ。こちらこそ」
そこから俺は麻莉亜の母親、つまり俺が初めての仕事で探した借金まみれの女について話した。オブラートに包んだのだが、麻莉亜は詳細を聞きたがったので、事務所でのやり取りから俺がホテルで発見するまでの話と、大山さんから聞いた麻莉亜の母親のその後について事細かに話した。
麻莉亜は母親がもうこの世にいないと知ると目を見開いて絶句したが、やはりロボットのような表情に戻るまでそこまで時間は要さなかった。少しは覚悟していたのかもしれない。生きているのか、と執拗に聞いてきたのは、それを認めたくないが故の発言だったのだろう。
「だから、俺は麻莉亜さんの仇なんだよ」
「それは違います。そんなに杜撰であれば、早いか遅いかの違いだけで、他の人が見つけていたでしょう。よって、誰が見つけたのか、というのは私にとって大きな怒りのファクターではありません」
麻莉亜は無機質にそう言う。
「むしろ、母親に手を下すことを決めた大山が私の仇です。駒田さんは仇討ちをしてくださった、恩人ですね」
腹の中では俺の事も憎いはずだ。でも、俺を憎んだところで母親は帰ってこない。だから、許す。そんな葛藤が表にまで透けてくるように声を震わせながら、俺に感謝の句を述べている。プルプルと表情筋を強張らせながら作り笑顔も見せてくる。麻莉亜なりに爆発しそうな感情をコントロールしているみたいだ。
「ありがとうございました。これで、人生の謎が一つ解けました。寝る前のモヤモヤがなくなったので、安眠できます。それでは」
何度もロボットと人間を行き来した麻莉亜は最後に冗談とも本気とも取れないトーンでそう言うと再度立ち上がる。
俺に背中を向け、出口に向かう途中で麻莉亜は立ち止まった。
「離島で、お待ちしています。本当に。純粋な贖罪だけではなく個人的な気持ちも入っているかもしれません。正当防衛を覆して長い刑期を貰おうだなんてバカな考えは止めて、離島に来てくださいね」
麻莉亜が背中越しに思いを告げてくる。俺ももっと素直になってみても良いのだろうか。
「はい。ちなみに俺、もっと元気な人が好きなんだよな」
「努力……します」
麻莉亜は大きく息を吸う。
「私は、朝起こすときにやかましく起こしてくる人、バニラ味のアイスをアイスクリーム屋で頼む人、お酒を飲むと怒る人、大食いを許容しない人、女子高生にしか興奮しない人、ケツの穴が小さい人は嫌いです」
アサヒとの思い出をなぞるかのように麻莉亜が言う。
「なりたくない、なりたくないって幅を狭めるんじゃなくて、こうなりたいっていう一本の道を探すんだろ? 嫌いな事じゃなくて、好きな事を挙げろよな。後、バニラ美味かったろ」
これはアサヒの受け売り。麻莉亜は振り返ってきて、少し考えてから告げる。
「では……素直に想いを伝えてくれる人が好きです。美味しい物を美味しいと言うように、好きな人には好きと伝えられる人」
俺の方を真っ直ぐに見てくる。ここで言わないと後悔する気がした。俺はまだ、アサヒに好きだと伝えていない。家族だとか一緒にいるだとか曖昧な言葉で濁してきた。言葉にしなくても思いが通じ合っていればそれで良いと思っていたからだ。
それでも、麻莉亜がアサヒの墓前に届ける最後のチャンスだと言わんばかりに俺の目の前までやってくる。素直に自分の気持ちを吐露する決心を固めた。
「好きだったよ。アサヒ。生まれてはじめてかもしれない。本当に、人生を賭けて、生き方も変えたいと思うほどに好きだった。ありがとう」
麻莉亜は目を瞑って聞いている。やがて、目を開き俺の方を見てくる。目は潤んでいるが、泣いてはいない。
「しかと、アサヒの墓前に届けました。それでは、本当にこれで失礼します」
深々と一礼すると麻莉亜は面会室から出ていった。
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