第28話 その後②

「一部の生い立ちは本当なのか?」


「そうです。正確に言うと、継母の件は嘘です。ですが、その前までは本当です。父親はクズでしたし、母親も失踪しました。そこからは一人で生きてきました。高校を出て就職し、今に至ります」


 ほとんどアサヒの生い立ちと同じじゃないか。同じ生い立ちのはずなのに、性格が百八十度違う。アサヒと朝日麻莉亜の関連が分からない。


「なんで……そこまでアサヒに寄せているんだ?」


「逆ですよ。アサヒが私に寄っているんです」


 麻莉亜はたまらず吹き出す。俺が理解しきれていない顔をしていたのか、更に麻莉亜が続ける。


「人格の上書きは、どんな人にでもなりきれる訳ではありません。例えば、イタリア人にいきなりなれと言われてもイタリア語は話せませんし、プロの野球選手になりきれと言われても野球は上達しません。どんな人格であっても朝日麻莉亜の延長線上でしかないんです」


 言われてみればその通りだ。誰かになりきるのであれば、それなりの経験に基づかなければどうしても粗が目立つだろう。


 明るい女子高生、という人格であれば自身の経験も反映できるし、一度通ってきた道だ。なりきるのは容易だと思った。俺はすぐに辞めたので高校生にすらなりきるのは難しいが。


「朝日麻莉亜の人生経験をベースに、アサヒという明るい女子高生の人格を形成した、ってことか」


「その理解で良いです。普段はこんな喋り方ですが、明るく振る舞うくらいならどうということはないので」


 明るい人格すら無理だろうと思うほど麻莉亜に対して偏見は持っていないし、偏見を持つほど長い時間を過ごしてもいない。


「それだと、酒はどうして飲んでたんだよ。女子高生になりきってたんだろ」


「それは……私も家庭環境が悪かったもので、荒れていた時期もあったんです。若気の至りと言うことで見逃してください」


 麻莉亜は口に人差し指を当ててオフレコのポーズをする。言いたいことは分かるのであまり深く追求しない。少なくとも、俺の家でビールを飲んでいた場面は合法的な飲酒だったのだから、それで良い。変えられない過去までチクチクと突くつもりはないのだ。


「まぁ……仕組みは理解したよ。朝日麻莉亜がアサヒという女子高生を演じてたんだよな。そのことを言いにわざわざ来たのか?」


 麻莉亜は椅子の位置を調整して、態度を改める。


「もちろん、それもありますが、本来の目的は三つあります。御礼と謝罪とご報告です」


「やけに多いな」


「すみません。積もる話がありすぎたもので。まずは捜査へのご協力、本当にありがとうございました」


 麻莉亜が頭を下げる。面会用の机におでこがくっつきそうな程に頭を下げるので恐縮してしまう。この人はゼロかイチしかないのだろうか。何をするにも極端だ。


「それはいいよ。予め言われていたら断ってたけどな」


「はい。なので謝罪です。騙すような形で本件に巻き込んでしまい、申し訳ありませんでした」


 また麻莉亜が頭を思いっきり下げる。さっきよりも勢いが良い。謝罪用なのだろうか。お礼用の下げ方よりも勢いが良く、下げる時間が長い。マニュアルでもあるのかもしれない。


「なんで俺だったんだ? たまたまなのか? それとも、狙われていたのか?」


「後者です。とは言っても私も細かい経緯は分かりません。大卒の偉いお方々がふんぞり返って作戦を立案して、高卒の鉄砲玉である私が実行、報告をしていたもので」


 結局は俺達は似てしまうのか、と自嘲気味に笑う。いくら前向きに取り組んだところで、鉄砲玉や捨て駒扱いは変わらないのだ。肩書がチンピラなのか、公務員なのかの違いだけだ。俺達はそうやって使われるだけ使われて、捨てられていく存在なのだろう。


 それにしても、麻莉亜は面白い。ただ無機質に喋る人かと思えば感情はある。時たま出てくる毒や皮肉が小気味良い。多分、表に素直に出せないだけで根は面白い人なのだろうと思った。アサヒとは違うタイプだが、これはこれで嫌いではない。


「お互いに大変だな」


「そうですね」


 そんな事は露ほども思っていなさそうなトーンで返ってくる。


「俺に最初話しかけてきたのも、タピオカ屋に現れたのも、俺に取り入ってきたのも全て計画だったってことか。『アモーレローズマリー』なんて店も琴って名前のホステスも存在しなかったんだよな。そりゃ見つけられるわけがねぇな」


「そうですが、一部は事実と異なります。その……捜査とはいえ、あなたの心を弄んでしまいました。誠に申し訳ございませんでした」


 本日三度目の頭と机の急接近。机もさぞ驚いていることだろう。周回軌道上はこんなに早く何度も急接近する予定はなかったはずなのだから。


 俺の心を弄んだ。そうは思っていない。仮初とはいえ、楽しい一週間だった。人を好きになる、愛する気持ちを思い出させてくれた。結末はひどいものだが、それでも十分すぎるほど、貴重な時間だった。だから、伝えるべきは感謝だ。


「いいんだ。ありがとう。久々に人と自炊したりしてさ、楽しかったよ。人のために自発的に何かをするっていいもんだな。一人でいいと思っていた俺に、まだそういう感情が残ってるって事に気づかせてくれた。本当にありがとう」


 麻莉亜は感謝を受け取る用意はしていなかったとばかりに、目をパチクリとさせている。だが、少しすると微笑みながら胸に手を当てて呟いた。


「しかと、お伝えしておきます。アサヒの墓前で」


「墓があるのか?」


「物理的にはもちろんありませんよ。現実では私の墓と同義ですから。墓というのは、私の心の中にあるアサヒを閉じ込めた部屋の事です。もう二度とその扉を開くつもりはありません。ですが、部屋の前まではあなたの気持ちを届けるつもりです」


 どういう構造になっているのか分からないが、アサヒは麻莉亜の中でずっと一人で待ちぼうけているのだろうか。それとも、ジワジワと存在していた記憶すら、麻莉亜の中から消えてしまうのだろうか。目に見えない分、どうなっているのかが分かりづらい。それでも、忘れるしかないのだろう。アサヒは死んだのだから。


「それと……アサヒからの伝言、という訳ではありませんが、私達は記憶を共有しています。なので、アサヒの気持ちが分かります。いつ、どこで、何を思っていたか」


 前置きが長ったらしいが、自分の気持ちではないということ。それと、もういない人の言葉なのだから期待は抱くな、という事の説明だろう。そんなことは分かっているので早く聞かせてほしい。

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