私の使える魔法の話。

石井 行

私の使える魔法の話。

 辿り着いた丘の上は展望台のように整地され、見下ろすと先刻まで私が歩いていた町が一望できた。

 中心に噴水のある広場があり、そこから丸く広がる町は白い石レンガでできていて、反射する日の光で眩しく輝いている。

 一通り見渡してから、後ろを振り向く。

 そこには町の家々とは全く違う、木でできた暗くてしっとりとした家があった。

「丘の上の家には魔女が住んでいる。」

 そんな噂を聞いてここまで上ってきた。

 苔の生えた硬い木の扉に近付き、ノックしてみる。

 返事が聞こえた気がしたので、思い切って扉を開けてみた。

 外の明るさに慣れた目では、薄暗い家の中はよく見えない。瞬きしたり眇めたりして様子を窺うと、部屋の片隅にあるソファに誰かが座っているように見えた。

「魔女ですか?」と問いかけた。

「そう呼ばれている。」と返ってきた。

 魔女は黒い長い髪に黒い服で、部屋の暗さに溶け込んでいるようだった。年寄りかと思えば幼くも見える。でも瞬きした次の瞬間にはひどく年老いた顔にも見える。

「あんたはこの町の人間じゃないね。何しに来た。」

「…本当に、魔女?」

「だとしたら何だい。」

「私、魔女に会うの初めて。すごい、本当にいるんだ。」

「そうかい。余所者がこの家に来たのも初めてだよ。ここには町の物好きな人間しか来ないからね。」

「そう、その物好きな人に聞いたんです。未来を占う魔女がいるって。」

「はっ。それを信じるあんたも物好きだね。でも残念。私が占えるのはこの町の人間だけだ。あんたの未来なんか知らないよ。」

「ううん、未来が聞きたいんじゃないよ。何でもいい、魔女に話を聞きたいの。知らない話を聞きたいの。」

「…なるほど。そうだね、話を聞かせようか。その代わり私も頼みたいことがある。余所者が来ることなんてもうないかもしれないからね。」


 魔女は私の為に椅子をひとつ用意してくれた。お茶も淹れてくれた。


「名前を聞いてもいい?」

「今は魔女、としか呼ばれていないがね。昔はカノンと呼ばれていたよ。」

「カノン。カノンか。カノンはどうやって魔女になったの?何か儀式とか命と引換えの契約とか?」

「そんな大したことは必要ない。とても簡単さ。簡単だけどとても難しい。」

「どういうこと?」

「悪魔にね、ひとつの願いを叶えてもらったら魔女になるんだ。一生にひとつの強い願いを。簡単だろう?だけどね、悪魔はどこにいるかわからないんだ。呼び出すこともできない。強く願ったときにたまたま近くに悪魔がいて、願いを聞き入れられた者が魔女になる。魔女になろうとしてなれるもんじゃない。逆になりたくもないのに魔女になってしまうこともある。全くの偶然任せだ。難しいだろう?」

「カノンは?」

「ん?」

「カノンはなりたくてなったの?なりたくないのになってしまったの?」

「さあ、どうだったかねぇ。ただ、私の願いは叶ったから、私は今魔女としてここにいるんだよ。」

「…そっか。

 ねぇ、カノンは魔法で占いをしてるの?町の人全員の未来を知っているんだって言ってる人がいたよ。」

「あぁ、物好きの一人だね。何かっていうとここへ来て明日のことを聞きたがる人間が結構いるんだ。

 魔法ね…。

 知らない歌でも毎日聞いていれば歌えるようになるだろう?毎日歌えば上手に歌えるようになるってことさ。魔法ではないな。

 そうだ、あんたの名前も聞いていいかい?何処から来た?」

「あー、うん。東の国境の方の街から…名前は…」

「どうした?」

「うん。どっちも意味がないんだ。私、全部捨ててきたの。戻るつもりもない。私が知っているもの、私を知っているもの、全部にさよならしてきた。だから名前もない。全然知らない、全部新しいところへ行く途中なんだ。」

「何があったのか聞いても構わないかい?」

「んー、何かあったのかな。多分本当につまらないちっちゃいことだっただったと思う。だけどそれが消えなくてね。毎日毎日少しずつ積もり重なっていって、ある日、わーーって。

 何だろう。何かあったってほどでもないし。何もなかったってことかも。」

「身体は捨てなかったのかい?」

「怖いこと言わないでよ。」


「あ、ねぇ、誰か来たみたいだよ。声がする。」

「ふん、子供らだろう。ときどき来るんだ。度胸試しだとさ。」

「あはは、かわいいね。どうするの?脅かす?」

「たわいないことさ。ちょっと待ってな。」


    カノン、立ち上がり扉の方へ。

    ゆっくり扉を開けて、雰囲気を作った声で、


「魔女に何の用だい?

 ほう、魔法が見たいのかい?」


    ニヤリとして、子供らを招く。

    コインを取り出し、消して見せる。


「どうだい?さぁ、もういいだろ。帰った帰った。」


    カノン、戻ってくる。


「(笑)ひどい。手品じゃない。」

「あれで充分さ。素直に帰っていっただろう。」

「ね、私にも教えて、その魔法(笑)。」


    手品を教わる。


「カノンの魔法って、この手品じゃないよね?占いも魔法ではないって。じゃあ、カノンの魔法って何?悪魔に何を願ったの?」

「…あの日、私はこの丘の上から町を見ていた。私が生まれ育った町を。

 それが、あっという間に…ものすごい光と熱さと風で灰になってしまった。

 何が起きたかわからない。ただ、町は一瞬で燃え尽きてしまった。

 一人で見ていた私は、怖くて信じられなくてとにかく目の前の光景を受け入れられなくて必死に願ったよ。神様でも何でもいい、元通りにしてください。戻してください、戻してください、戻してください。

 そこに、悪魔がいた。

 半狂乱の私の前に、白い石レンガの町が現れた。元通りの町が。

 十年前に戻っていた。

 この丘の家には、私の前に別の魔女が住んでいてね。その魔女から魔女になる方法を教えてもらったのが十年前。その日に戻ったんだ。

 魔女になる方法を知ったときが原点ってことなのかね。」

「前の魔女は何処へ行ったの?」

「さあ、戻ったときにはいなくなっていたよ。新しい魔女が生まれると前の魔女は消えるのかもしれない。魔女ではなくなって…悪魔から解放されて別の町にでも行ってしまったのかもしれない。」

「じゃあ、カノンの魔法は…」

「『戻ること』。時間を巻き戻すこと。

 嬉しかったよ。町は元通りだし、燃え尽きて灰になる日までは十年もある。十年でこの町のみんなを他の土地へ避難させることができれば死なせずに済む。

 家族や友達に全部話したよ。

 だけど誰も信じてくれなかった。そんな予言みたいな話は。

 町中に貼り紙をして、噴水広場で大きな声でみんなに呼び掛けた。町が燃えてしまう、みんな死んでしまうからこの町から逃げよう、って。

 笑われて、バカにされて、そのうちキチガイ扱いされて見ない振りをされて…あっという間に十年経ってしまった。町は灰になった。

 私はまた戻れと願った。

 悪魔がいた。悪魔が言った。お前の願いがお前の魔法だ。巻き戻せるよ、何度でも。

 そこで私は、私は魔女になってしまったんだなと実感した。

 次の十年も、私はみんなを避難させようとした。その次の十年も、次の十年も。

 何度も繰り返した。町の人のことは全てわかるようになった。覚えた、と言った方が正しいかもしれないね。

 知らない歌でも毎日聞いていれば歌えるようになる。わかるかい?

 私は覚えた未来を告げることで、占いの当たる魔女として生きることにした。そして評判を聞いて訪ねてきた人には、まるで占った結果であるかのようにこの町を出た方が良いと告げた。

 だけどこの方法じゃ全員を助けることはできない。わかっていても、他にはもう何も思い付かなかった。

 何回か、何十回か、何百回か、何千回かその十年を繰り返した。一人でも多く助けたかった。

 でもそのうち、巻き戻すだけでいいんじゃないかとも思うようになった。巻き戻せばみんな生き返る。戻せばこの町もずっとあり続ける。燃え尽きるその日が来るまでは、この町は平和だと知っている。同じことの繰り返しだから、安定していて不安なことは何もない。

 この町が消えずにあるということが、私が魔女であるという証。私の魔法は、この町の全てだ。」

「私は?

 私は余所者。この町の人間じゃない。私はカノンの魔法には含まれない。」

「そう、そこでだ。

 あんたに頼みたいことがある。

 私はもう疲れてしまった。町を見ただろう?石レンガでできた白い町。影なんかひとつもないような眩しい眩しい明るい町。

 最初はあんなに真っ白じゃなかった気がするんだ。

 町の人はどうだった?親切だったかい?不機嫌だったかい?」

「…わからない。みんな穏やかで…笑っていたかも。

 あれ?笑顔だったのかな?

 …表情が思い出せない…」

「町も疲れている。町の人も疲れている。

 どんなに時間を巻き戻しても、心は歳を取っていくんだよ。

 そこでだ、余所者のあんたにこの魔法を止めてもらいたい。

 私はあんたの未来を知らない。つまり、余所者のあんたにしか変えることができない。

 今日がその日だ。

 今あんたがここにいて私から魔女の話を聞いたということが、私には運命としか思えない。勝手なことを言っているのはわかっている。あんたは何処か目指すところがあるんだろう?だけどあんたにしか頼めない。

 …頼むよ。もう疲れたんだ。魔女でいることに。」

「…ねぇ、カノン。私はよくわからないまま傷付いて絶望して何もかも捨ててここに来たの。全部意味がないことだと思ってた。だけど違った。

 運命だよ、これは。運命だってことにしようよ。意味があることだったって、捨てたことは無駄じゃなかったって。」



 そうして私とカノンは外に出て、丘の上に立ち、白い町を見下ろした。

 その時が来たらカノンは魔法を使おうとする。そこには悪魔が現れるから、私が強く願う。カノンよりも強く。カノンの魔法を止めるように。そういう計画だ。

 私はカノンと並んでその時を待った。



 それはほんの瞬間の出来事だった。

 猛烈な風と炎があっという間に広がり、呼吸もできないほどだった。


「カノン!カノンはこれをずっと見てきたの?ずっと一人で、何百回も、何千回も!

 ねえ!私は何を思えばいいの?何て言えばいいの?

 カノン!

 町が…人が…

 戻せるなら、元に戻すことができるなら、助けられるなら…

 違う!私が願うのはそれじゃない!

 ねえ悪魔!悪魔ここにいる?願いが聞こえる?カノンじゃなく、私の願いを聞いて!私の願いを叶えて!」





 雨の雫を目蓋に感じて目を開いた。

 丘の下には黒い土地が広がっていた。

 私の足元には魔女だった女が倒れていた。

 私は女を抱き抱え魔女の家に入った。





「十年の間にこの町から出ていった人がいたんだ。一人だったり、家族だったり。少なくない人達が。

 そう、カノンの占いに従って。

 白い石レンガの家も町も消えてしまったけれど、彼らが戻ってきてまた町を作り始めた。新しい町を。

 あの日、町に隕石が落ちた。小さな小さな隕石。だけど大気圏で燃え尽きなかったその隕石は、町の真ん中で途轍もないエネルギーになった。

 あの日、町を燃やして灰にした光と熱と嵐の正体は、隕石だった。

 それはカノンの魔法を止めることができたからわかったこと。

 永遠の十年は終わって、新しい時間が流れ始めた。


 私は今、丘の上に住んでいる。

 新しい町の人達には、魔女、と呼ばれている。

 あの日私が悪魔に願ったのは『先へ進むこと』。二度と戻ることなく、明日へ、未来へ。

 じゃあ魔女になった私が使える魔法は?

 そう、『先へ進むこと』。そんなの、私が魔法を使わなくても世界は勝手に未来へ進んでいる。

 丘の上に住む魔女として私がみんなに見せることができるのは、」


    カノンに教わった手品をする。


「この魔法だけだ。」



 

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