終章 現実 / 追補 思い出語り

 次の日、俺たちはまた休みになった。振替休日ってのは、直帰と並んでオレの大好きな言葉だよ。でも、試練はそこでも待っていやがった。

 今やすっかり莉奈の部屋になった姉貴の部屋。

 椅子に座る莉奈の前にオレたちはかしこまって座ってた。要するに正座だ。

「それで? お話って、なあに?」

 肘で突っつきあう。

『お前が話せよ』

『なんでよ! 一磨が話さなきゃダメじゃんっ!』

 なんでだ。悲しいほど心が通じ合ってる。これが『付き合う』ってことなのか?

「いや実は……」

 オレは腹をくくった。

「オレと美雨……付き合う、ことになり、なった」

 語尾がもつれた。なんか汗出る。指先の震えも止まらない。

「そうなんだ! よかったね、美雨ちゃんっ!」

「わ、わ、莉奈さんっ!」

 よかったね美雨ちゃん、ってなんだよ? なんもよくねえよ。ここは地獄だ。

「一磨くん、美雨ちゃんのこと、よろしくね」

 なんも言えねえ。舌先がしびれてる。

「お互いに大切にし合って、仲良くね」

 オレと美雨が? お互いを大切にする? ハハッ、ナイスジョーク。

「それから、これは七班の班長として言うけど、その……そういうことは、ちゃんとしようね?」

 なに言ってるか、わかんない。

「美雨ちゃんの意志を、ちゃんと尊重してあげてね」

 本当になに言ってんのか、わかんない。

「いや、なに言ってんのかわかんねーけど、とにかく絶対に『清いお付き合い』ってやつをやるから、完璧に安心しててほしい」

「……一磨? ボク、ちょっと傷ついたよ?」

 うるせえ……黙ってろ。

「あの、ね……」

 莉奈が椅子から立ち上がって、オレたちと同じように床に正座した。

「わたしも二人に言わなきゃいけないことがあって……」

 そうして居住まいを正す。おい、莉奈。それってなんだよ? もしかして、もしかするのか……?

「わたし……決めたの。この家の養女になる。真知子さんに頼んでみるつもり。きっと……大丈夫だと思う」

 ついに……ついに決心してくれたのか!! 感涙モンじゃねーか!!

「ついに決心してくれたのか! おい、これからは『姉ちゃん』……いや、『ちぃ姉ちゃん』って呼ぶからな!」

 そう、莉奈はウチの次女なんだからな!

「うん、いいよ」

 ヒャッハア!! 最高だぜ!!

「莉奈さんが……一磨のお姉ちゃん?」

「うん。一磨くんのお姉ちゃんだよ。これからは一磨くんのお姉ちゃんとして一磨くんの卑屈になるところとか、自分のことを大切にしないとことか、ビシバシ矯正してくからねっ」

「……ハ?」

「一磨くん、お姉ちゃんの言うことを聞きなさい、ってね☆」

 え? あ? なん? やっべ……。なんか背筋がぞくっとした。え、こわ。え、なんかヤバない? どーゆーこと? 莉奈、いや、ちぃ姉ちゃんはそういうキャラじゃないはずだろ!? なんか今、ドSのヤツにしか出せないオーラ感じたんだが? なぁ、気のせいだよな?

「じゃあ、莉奈さんはボクのお義姉ちゃんになるんだね! わぁい!!」

 美雨、この馬鹿! 気づかねえのかよ! このオーラによ!? つーか、どさくさに紛れてめっちゃヘンなこと言ったな!? どうなってんだよ!? こんな……こんな結末、認めねえッッ!! オレは絶対に認めねえからな……ッッ!!!!


 日曜日のお昼。ケイトリンズカフェは大盛況だ。この一ヶ月をオレが生き延びた。それを祝うパーティーをやってんだ。オレのダチを自称する一年四組の薄情な連中も勢ぞろいしてる。お目当てはもちろん、莉奈改めオレのちぃ姉ちゃんと美雨だ。男子校だからな。おんなに飢えてやがるんだ。ちぃ姉ちゃんと美雨は連中に囲まれて仲良くおしゃべりしてる。もちろん今日は私服で、めっちゃ馴染んでる感じだ。そりゃそうだよな。二人だって、本当ならまだ高校生やってるはずなんだからな。

 そんな中、オレは壁に生えた草と化していた。一口スイーツをコーヒーで流し込んで傍らの深太先生に声をかける。

「今日で一ヶ月。研修期間は残り二ヶ月。最初の一ヶ月でこれだからな。オレはこれから一体、どうなっちまうんだ……」

 悲しみが胸に染みついてる。そんな感じだ。

「というわけでよ、こうなりゃもう深太先生だけが頼りだ。これからますます頼りにさしてもらうぞ」

「うん」

「そのかわりオレに出来ることがあれば、なんでも言ってくれ。協力さしてもらう」

「それはいいね。でも、よかったの? 影人との戦いに決着のつく日が来るとは思えないけど。本当に守護官に任官するの?」

「そう、そうなんだよな。わかってんだ。わかってんだよ……。でも、もう、しょうがねえんだ……」

 浮世の義理に絡めとられちまった。もうどうしようもない。それにちょっとやっておきたいことも出来ちまったし。

「わかった。もう言わないよ」

「なぁ、深太先生。例えばの話なんだけどさぁ、いつかどっかの偉い学者様が、世界中の影人を一塊にする技術を開発して、そいつを選抜された守護官のパーティーがぶっ倒して、完全解決めでたしめでたし、みたいにならねーかな?」

「それは……難しいかな。そういったものは勧善懲悪の時代劇の中にしかないと思うよ。この世界で起きてることは少しずつ形を変えながら、その影響力を残存させるんだ」

「そう、だよな……」

「二人で何の話をしてるの?」

 スチーブだ。今日もエプロン姿でかいがいしくこのパーティーを仕切ってる。

「いやよ? なにがなんでも生き抜いたるぜって話をよ、してたんだよ。な、深太先生?」

「まぁ……そうだね」

「ふ~ん?」

 ふと勇敢な剣士、遠藤くんのことが頭をよぎった。ヤツは自分のできる限りのことをすべてやり遂げて死んだ。オレもそうありたい。そう思う。

「でもよ? それでもオレに逝くときが来ちまったら、泣く必要なんてねえ。ときどきオレのことを思い出して『ハハ、バカなヤツだったな』って笑ってくれよな」

「カズちん、人は思い出だけじゃ、生きていけないよ?」

「えっ、そうなの?」

「そうだね。せめて一磨の子供でもいればいいんだけどね」

 オレの……子供……ッッ!!?

「うん! それいいと思う! ね、カズちん、美雨ちゃんに頼んで産んでもらいなよ!」

「は? なに言ってんだよスチーブ……」

「だって、付き合ってるんでしょ?」

 あのクソバカ女ッッ!! もう言いふらしてやがんのかッッ!!!

「いや、なに言ってんだ。まあ、付き合ってるっちゃあ、付き合ってるけどよ。所詮、高校生カップルってやつだ。どうせすぐに別れるさ」

「そうかな? 僕の記憶する限りの一磨から推して、青山さんみたいな女性がドストライクなはずなんだけど」

「なぁ……深太先生。今年の夏は暑かったよな? でもそのせいで深太先生の偉大な脳みそがとろけちまったなんて考えたくねーんだ。そうだろ?」

「いや、別に……とろけてないけど」

「たのしみだな~! カズちんの子供ってどういう感じなんだろ!?」

「一磨。この件に関しては真面目に考えてみて。一磨の忘れ形見だ。僕たちもできる限りのことをするよ」

 ……兄弟ダチ、だ。こんなところに兄弟ダチがいた。ありがてえことを言ってくれやがる……。ってオイ! ちがうよ、どうしてそうなるんだよ深太先生ッ!!

 スチーブもッ!! ふざけんじゃねえッ!! オレがあんなクレイジークソビッチと結婚するワケねーだろが!! マジふざけんじゃねーよッッ!!!

 そのとき、莉奈と美雨を中心にどっと歓声が上がった。オレは一口、コーヒーを飲む。苦い。

 あのあと、深太先生から聞いたこと。それはミリア・グレイが……ミリアちゃんがもうすでに亡くなっているということ。『人はみな、救いを求めているのです。それは影人も同じこと』それが最期の言葉だったらしい。ミリアちゃんも影人を癒していたんだ。おそらく、治癒光ちゃんに導かれて。

 結局、影人ってのは何なんだ。大自然の生んだ人間の天敵か、それとも……人間の進化のための触媒か? いや、そんなことはどうでもいい。大切なのはヤツらもまた癒しを求めているということ。

 とにかくオレにもいくつかやるべきことができた。まず守護官の任官拒否制度と引退制度の整備。これ以上、辛気臭い話はごめんだからな。そして影人の治癒可能性の周知と実践。これやってどうなるのかなんてわからんけど、少なくとも今よりはマシなことになりそうな気がする。

 ようし、やるぞ!! オレはやるぞ!! どこまでできるか? そんなことはどうでもいい!! 生きてるうちは自分にできることをやって! 死ぬときにゃ自分に出来る範囲で頑張れたことに満足する! そして心置きなく墓穴に飛び込んでいく! それでいい! もうそれでいいじゃねえか!!

 オレは全身全霊を尽くそう。オレの中に在る光を絞り尽くそう。人間も影人も癒して癒して、癒し尽くしてやる!! なぜならオレは医者だから!! 完全完璧な医者だからだ!!

 見てろよ、世界中の野郎ども!!! この世界で最強なのは医者だって分からせてやるからな……!!!!


          ◆


「これが最初の一ヶ月だ」

 深太が語り終えた。

「僕の記憶する限りの一磨を、僕の把握する限りの当時の状況の中で走らせた。心理描写についても、特に足し算や引き算はしていないつもりだ」

 間接照明だけを点けた薄暗い部屋に、深太の心地よい低音の声がにじんでいく。

「ありがと、深太センセ」

 一妃かずひの声は甘ったるく響いた。子どもらしさを装おうとする気取った声に、それでもぼくは一磨の声を聞き分けられる気がする。

「続きはどうする?」

「ん~……」

 一妃は人差し指をくちびるに当てて考え込む。この子はいつ、こんなあざとい仕草を身に付けたんだろう?

「またいつか、でいい。わたしの心がまた、お父さんのことが恋しくてたまらなくなったときに」

 演技がかったその答えは、ぼくの気持ちを代弁しているようにも思えた。一妃の視線がぼくを捉える。

「ねえ、スチーブ」

 一妃がぼくをスチーブと呼ぶとき、ぼくはまるで一磨に呼ばれてるような、そんな錯覚に陥る。

「スチーブはどう? 懐かしかった? わたしのお父さんのこと」

 この子は勘のいい子だから、こんな薄暗い中でも、ぼくが何度か涙ぐんでしまったことに気付いたかもしれない。

「……もちろん。懐かしかったよ」

 ぼくはただ、それだけを答えた。

「よかった……」

 その後には底深い沈黙が来た。ソファに深く腰掛けた姿勢のまま一妃は物思いに沈んでいる。リビングのそこかしこにはパーティーの跡が残っている。今日は一妃の誕生日。たくさんの人を招いたそれはとても賑やかなものになった。でも、最後まで美雨ちゃんは帰ってこなかった。みんな一生懸命に場を盛り上げようとしていた。少しでも一妃の心が慰められるように。一妃もまた顔に笑みを張り付けて楽しそうに振舞っていた。

 パーティーが終わり、皆が家路についた後で、一妃は深太におねだりをした。彼らしい当たり障りのないプレゼントの他に、もう一つくれるようにと。それは思い出話。一妃の父親、カズちんの思い出話だった。日付が変わった。時計の澄んだ電子音がそれを知らせる。その音はこの部屋を流れる静かな余韻の中に溶けていった。深太のひたいには汗がにじんでいる。久しぶりに『記憶』を語った疲れが見えていた。

「よっと!」

 今度は子供っぽさを見せようというように一妃は深く腰掛けたソファから勢いよく立ち上がる。そしてそのままカーテンの方へ歩み寄った。

「カーテン開けて」

 一妃の声に反応して、音もなくカーテンが横に滑っていく。全面ガラス張りになった壁の向こうには夜の東京の俯瞰風景があった。空へと伸びるビル群の黒い影には窓の明かりがびっしりと張り付いている。それはまるで光が影にたかって貪り尽くそうとしているみたいだった。そんな風景の真ん中に一妃の小さな背中がある。

 地上百階建てのビルの最上階にあるこのペントハウスは真知子さんが自分の孫娘に買い与えたもの。一妃はいろんなものを当たり前のように享受している。でも、それは孤独の代償として。

 一妃は今日、十歳になった。一磨と美雨ちゃんの間に生まれた彼女は、生まれるとき光の粒子をまとっていた。そして産声を上げなかった。彼女に対して極秘裏に検査が行われ、その結果は対影人との戦いに出口を求めていた人類を祝福しているようにも思えた。でも、それは気のせいだった。


【闇堂一妃 適格:レベルⅣ相当 適性:詳細不明】


 いつのころからか、操光術者は光人と呼ばれるようになっていた。

 守護官の任官拒否制度と引退制度を整備したのはカズちんだった。治癒光でVIPに取り入りながら、それを成し遂げた。操光術者も、自分で自分の人生を選べるように。影人の脅威が増す中でカズちんは批判を一身に浴びた。それでもカズちんはだったら他にどうすりゃいいんだよ!?なんて言っていた。この制度に加え、光路を形成する技術が民間に流出したことにより、今では守護官に任官していない在野の操光術者がいる。そしてその特殊能力ゆえに光人と呼ばれるようになり、一般人とは一線を画することになる。努力ではどうにもできない能力格差、そういうアドバンテージを光人たちは有効に活用し、有利な社会的地位を築いていった。そして対影人における能力より、対人のしかも経済的な利点の大きい能力の開花が歓迎されるようになった。

 カズちんが推し進めたことはもう一つある。それは治癒光によって影人を浄化する、ということ。カズちんは治癒光によって影人を癒せば、事態は少しマシな方向に進むんじゃないかと説いた。レベルⅢの治癒系の中にはカズちんに同調した者たちもいる。でも「少しマシな方向に進む」という点に根拠がなく、確証のないことに希少なレベルⅢの治癒系を投入することには多くの国が躊躇した。カズちんは、もしやればこの終わりのない争いを終わらせることができるかもしれねえのになぁといつもの適当な口調で言っていた。ぼくもそんな気がする。でも、世界はその選択肢を取らなかった。結局、レベルⅢの治癒系は十四人しか現れず、今ではもう誰も残っていない。このことからカズちんの「影人を癒す」という考え方は顧みられなくなっていった。

 勢いを増す影人、より強力になる操光術、そして影人討伐という義務から解放された操光術者。世界は少しずつ、でも確実に変わっていく。

 ガラスの壁が、淡い青白い光を帯びる。

 光がさっと部屋の中を舐めるように照らしていった。操光術レベルⅢ変光系による走査だ。彼らはこの光で影人の位置とレベルを把握する。まだ守護警察に任官し使命感を持って任務にあたる操光術者もいて、それがぼくの心の救いになる。

 一妃は身じろぎもしない。一妃の小さな背中が東京の街の俯瞰風景の中にある。

「あ……」

 一妃は声を上げた。

「帰ってきた」

 それだけをつぶやいた。美雨ちゃんが帰ってきたみたいだ。一妃は感覚が鋭い。半径五百メートルに自分の意識した人がいるかどうかを判定できる。

 一度きりの澄んだ電子音が零時半を告げた。

 五分くらいして、ぼくらのいるリビングの扉をがそっと開かれた。

「た、ただいま……」

「あんたさぁ、いま何時だと思ってんの?」

 一妃の子供とは思えない静かな声が冷たく響く。

「ご、ごめんね……」

「あんた、また現場に出てたんじゃないでしょうね?」

 美雨ちゃんはぐっと言葉につまる。

「ああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」

 一妃が感情を爆発させた。

「キチガイだあああああ!! わたしのお母さんはキチガイなんだああああああああ!!!!」

 地団太を踏んで、何かから身を振りほどこうとするように暴れる。

「わたしよりどうでもいいクズどもの方が大切なんだああああああ!! しねっ!! しねえっ!! キチガイ!!!! キチガイいいい!!!!!」

 小さな拳を美雨ちゃんに当てる。何度も、何度も。僕は一妃を後ろから抱きしめた。

「一妃、だめだよ一妃」

「あああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」

 一妃は泣いた。泣いて床に倒れ込んだ。

「片付けろ!! これ、おまえが片付けろ!!!!!」

 テーブルを指さして叫ぶ。

「おなかすいた!!! なんかつくれ!!!! おまえがつくれ!!! おまえがつくれえええええええええええっっ!!!!!」

「うん、やる。やるから。ごめんね、ひぃちゃん」

 美雨ちゃんに天真爛漫だったころの面影はない。弱々しく笑って、ぼくから一妃を受け取って抱きしめた。

 一妃は父親の顔を知らない。やさしかった莉奈伯母ちゃんも亡くなって、一妃は少しずつ精神の平衡を失っていく。操光術が寿命を削ることを、もう一妃も知っている。美雨ちゃんは今は異動して事務職をしている。でもときどき影人討伐の現場にも出ている。この世界を元に戻したいから。一妃が生きていくこれからの世界を少しでも良くしたいから。でも一妃はそれを裏切りだととらえる。

「ぼくが何かつくろう。何かおいしいものをね」

「スチーブはだまってて!! この女にやらせるんだから!!」

 一妃はいつもこんなことを言う。美雨ちゃんの愛情を確かめないと不安でたまらないから。一妃の背中を撫でて、一妃を美雨ちゃんから離した。

「ほら、おいで。座ろう」

 ソファに座らせて、一妃を落ち着かせる。美雨ちゃんはその間にキッチンへ。

「キチガイ……キチガイ……」

 一妃は何度も繰り返してつぶやく。僕には背中を撫でることしかできない。

「一妃」

 深太が一妃に声をかけた。

「一妃も十歳になったんだ。操光術を使ってみないか?」

 一妃が顔を上げて深太を見た。

「例えば……こういうのはどうだろう。操光術者とそうでない者の違いは光路を形成できるかどうか、というものだ。つまり、光路を通じて光素を外部に放出できるかどうかが操光術者とそうでないものを分けているのであり、光素自体は人間なら誰でも持っている。ではこの光素を吸収して自分のものにできるとしたら?」

 泣きはらした目に眉根を寄せて、いぶかしげに深太を見る。

「深太センセ? すべってるよ? わたし、長生きしたって意味ない」

「吸収した光素を分け与えることもできる、としたら? 例えば……そう、君のお母さんにね」

「……ほんとに? ほんとにそんなことができるの?」

 一妃の瞳が驚きに見開かれる。深太はソファから立ち上がって、一妃の前にひざまずいた。そしてその小さな手を取る。

「あ……」

 かすかな光が、一妃に流れ込んだ。

 深太はレベルⅢの補助系。他人の能力の開花や成長を促す光を使う。深太が守護官にならなかったのは、人の死を『記憶』することを危惧した両親が任官を拒否したから。普通ならできないことも、国会議員の力を使えばできた。深太も操光術者だと知ったとき、カズちんは別に怒りもしなかったし、深太を責めることもなかった。ま、しゃーねえよな、そういうことかぁ、いや、オレは気づいてたけどね、とかなんとか言って笑っていた。

「ありがと、深太センセ」

 一妃が笑う。一磨の面影を残す顔で。

「なんかもう出来る気がする!」

 口癖まで同じ。

「でも、光素はどうやって集めるの?」

「例えば……お金で集める、というのはどうだろう? この世界には寿命一年分を一億円くらいと取り換えても後悔しないような人たちがたくさんいるんだ。残りの寿命を明示してあげれば、どのくらい売っていいかを判断して、喜んで売ってくれるだろう」

「さっすが深太センセ!! たよりになるぅ!!」

 ソファの上ではしゃぐ一妃。

「そうだ! ちょうどおばあちゃんが何かほしいものない?って言ってたんだぁ! わたしのほしいものってお金じゃ買えないって思ってたけど、じつは買えたのね!? ヤッフー!!」

 ぴょんと飛び跳ねるようにソファから立った一妃が、キッチンの方へと走っていく。

「お母さぁん! ……お母さんごめんね! 本当はお母さんのこと、大好きっ! だああい好きっ!!!」

 一妃の言葉に応える美雨ちゃんの声は聞こえてこない。でも、美雨ちゃんが一妃をつよく抱きしめたのが、なんとなく気配で伝わってきた。ぼくは泣いてしまいそうになる。

 深太を見ると、ひざまずいたままの格好でキッチンの方を見ていた。そして、ふたたびソファに深く腰掛ける。ぼくの視線に……おそらく深太の目には非難するように映っただろうぼくの視線に気づくと、ふうとため息を吐いて、目をつむった。

 光が強大になれば、いつか影に打ち勝てる。そういう素朴な信仰は、今はもう廃れてしまった。光は狂気を孕み、幻を見せて人を惑わせるようになった。影はより深く、もう誰かの孤独を包み込んでくれたりしない。戦いに終わりはなく、ハッピーエンドもない。今では多くの人がそう考え、世界はよくない方向に引きずられている。

 でも、もしかしたら。もしかしたらって思うんだ。シャツの下に入れたカズちんのドッグタグをそっと指でなぞる。

 闇堂一妃。カズちんがこの世界に生まれて、この世界に生きた証をぼくは大切に、そして愛おしく思う。一妃という名前はカズちんが「この世界に君臨するたった一人の女王さまだ。そのぐらいぶっとんだ勘違いクレイジーなイカレクソビッチになってほしい」という想いで付けたもの。「この女の心を手に入れた者は唯一無二王となり、この世界のすべてを手に入れるだろう」とも言っていた。カズちんらしいけど。

 一妃の光はレベルⅣに届いた。でも、今の彼女に必要なのは本当の意味での光。やさしさ、おもいやり、平衡感覚。そういったもの。

 世界は今、夜だ。でも、明けない夜はないはず。一妃にはいろんな人たちと心をつないでほしい。そしてこの世界を朝に導いてほしい。そのために、ぼくにできることって何だろう? そんなことを、ぼくは考えている。

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影人のいる世界 ブル長 @brpn770

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