卒業後、恋したキミはもういない。

四乃森ゆいな

プロローグ「後悔、それはもう二度がないレール」

 ——後悔。



 それは、やり切れなかった想いや、何かをすればよかったといった無念の想いが『渦』となって心に残ることで初めてその実態を感じることが出来るもの。


 人は誰だって人生に一度は、そんな渦を抱くことだろう。否、それは一度や二度、そんな数ではないかもしれない。勉強や友人関係、仕事のいざこざや恋人との関係、はたまた自分に降りかかった災難を受けて自覚したりと、その種類は多岐に渡る。


 そんな後悔を、皆はどのような場面で捉えるのか。


 多くの場合、後悔を抱くのは『目標』として設定した基盤が崩れたときだろうか。


 仕事でのミスやテストでの解き直しをしなかったことへのものなど。——一言に『後悔』とまとめても、その種類は無量大数。人が歩む人生分だけ後悔という渦は存在する。よって、明確に数える……何て芸当は不可能なのだ。




 だがときに、こうも思うことはないだろうか?


 後悔とは、常にリセットがくものだと。




 ミスをしたならそれを糧にそれ以上の結果で取り戻せばいい。人間関係なら修復すればいい。人が踏み外したレールとは、無数に存在する道から脱線したということ。


 つまり後悔とは、やり直しが利くものだと。


 人は学習する生き物だ。


 ミスを直せるのも、問題の解き直しが出来るのも……失敗をしたという糧から経験値を経て、学習し、後悔したレールを修正するからだ。


 後悔とは常に自分と表裏一体。


 僕達に後悔というレールが存在している限り、常に分岐点から最善策を模索し、やり直すことが出来る。


 まさにそれこそが後悔と言うのだろう。


 ……では、僕は。


 そのレールから脱線したとしたら、僕は脱線したレールに乗ることが出来るのだろうか。


 常に他人は背景の一部。


 周りが『夢』や『目標』と言った自身の人生を決める王台に乗っている中、僕は人生の大盤を決めることがない暇人。


 そんな僕が、途端に人生のレールの一部から外れてしまったとしたら——そのとき僕は、上手く後悔を受け入れ、学習し、やり直すことが出来るのだろうか?


 否、出来るわけがない。


 何故そう思うのか? ——その理由は単純明快。やり直せる後悔があるように、やり直すことが不可能な後悔だってあるからだ。僕が体験したのは後者の方だった。


 ……感じたことが無かった体験だった。


 今まで特別に何かを後悔したことがなく、人生というレールに流されて生きてきた暇人だった僕には……どうしたって受け入れられなくて。どうしても現実を直視出来なかった。


 一体どこで、何を間違えた……?


 何度もそう考えたけど、僕はきっと歩んだレールからは逃げられなかっただろう。


 後悔というレール。僕にとってそれは、踏み外せば取り返しがつかない、二度が無いレール。後悔をしても、次が無いレールだ。



 そう、例えば——大好きだったはずの人を、目の前で失った……とか。



 あのときのことを思い出すと、ふと後悔の渦が心の中を支配する。黒くて、沼のように深い……キミを失ったことへの後悔。だがそれは、もう取り返しがつかない後悔。



 だが不思議と、こうも思ってしまう。



 取り返しがつかないのはわかってる。……キミがいないことも、二度と僕の隣で、一緒に生徒会の仕事をしてくれないとわかっていても。



 後悔というレールに抗えば、キミは戻ってきてくれたのだろうかと。



 もしそんなことが、本当に可能なのだとしたならば……この世の摂理を歪めてでも。キミがこの世に生きてくれるなら。僕の隣に、いつものように居てくれるなら。



 たとえ、時の神を相手にしようとも。——キミを、死なせずに済んだのだろうか。

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卒業後、恋したキミはもういない。 四乃森ゆいな @sakurabana0612

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