悪役令嬢が嫌がらせをしてこない件について
黒うさぎ
悪役令嬢が嫌がらせをしてこない件について
目が覚めると、私は乙女ゲーム「ホワイト・ロマンス」の主人公であるシーアになっていた。
発売初日、帰宅途中に購入し、自宅でパッケージを開封しているところで記憶が途切れている。
そのため、この世界については事前情報以上の知識はない。
せめて攻略したあとに転生してくれれば良かったのにと嘆きたくなるが、起こってしまったものは仕方ない。
幸いにもメインキャラのプロフィールや世界観、大まかなストーリーくらいなら把握しているので、それでよしとしよう。
「ホワイト・ロマンス」の基本的な流れは、庶民だが才能を見いだされた主人公のシーアが、多くの貴族の子女が通うロズワード学院へ入学するところから始まる。
優秀な学生が多く在籍するロズワード学院で、庶民ながらメキメキと頭角を現していくシーア。
そんなシーアに魅せられていく、攻略キャラたち。
そして、庶民がちやほやされていることが面白くない悪役令嬢、リリアットの存在。
リリアットからの嫌がらせに負けずに、対象キャラを攻略していくというのが大まかなストーリーである。
この世界の出身ではない私には、貴族の華々しい生活に憧れがあるわけでもない。
そもそも攻略法も知らないし、わざわざ嫌がらせに耐えてまで積極的に攻略キャラと関わる必要はないだろう。
いつか帰ることができるのか、それともずっとこの世界で生きることになるのか。
どうなるかはまだ分からないが、少なくとも今の私にとってこの世界が現実だ。
ハッピーエンドを迎える必要はない。
バッドエンドを避けつつ、トゥルーエンドを目指していこう。
目立たず、騒がず、大人しく。
そうすれば嫌がらせをされることもないはずだ。
そう思っていたのだが……。
「あら、誰かと思えばシーアさんではありませんか!」
甲高い声で話しかけてきたのは、件の悪役令嬢、リリアットだ。
大人しくしていれば関わらずに済むかと思ったが、どうやら庶民が同じ学院にいるというだけで気になるらしい。
私を見かける度にこうして声をかけてくるのだ。
「ごきげんよう、リリアット様」
私は付け焼き刃のカーテシーで挨拶をする。
「進んでトイレの掃除をするなんて、庶民としての自覚がちゃんとあるようですわね」
ふんぞり返りながらリリアットが言った。
進んでもなにも、今日がたまたまトイレ掃除の当番だったからやっているだけだ。
リリアットだって、当番の日はトイレ掃除をしているはずだから知っているはずなのだが。
「そうですわ。
ついでにこれも捨てておいてくれるかしら」
そう言うと、リリアットが何かを投げて寄越した。
私は慌ててそれをキャッチする。
手の中にある物を見ると、それはジャガイモの皮だった。
「庶民にはジャガイモがお似合いですが、あなたにはその皮で十分ですわよね」
オーッホッホと高笑いをしながら、トイレから出ていくリリアット。
お手洗いに来たわけではなかったのだろうか。
それはそうと、私はジャガイモの皮に視線を落とす。
ジャガイモ本体ではなく、その皮だけ。
リリアットは私にこれを渡すためだけにわざわざ剥いてきたのだろうか。
だとすると、なんだか申し訳ない気分になる。
私はジャガイモの皮を摘まむと、それで手洗い場の鏡やシンクを擦り始めた。
ジャガイモの皮は水回りの掃除にうってつけなのだ。
おばあちゃんの知恵袋かな。
……いや、今の私は若い。
おばあちゃんとは呼ばせないぞ。
一通り掃除を終えた私は、綺麗になったトイレを見て達成感に浸る。
「よし、そろそろ帰るか」
私がトイレから出ると、一人の男に声をかけられた。
「やあ、シーア。奇遇だね」
キラキラとした笑顔をしているこの男はロンド。
この国の王子であり、攻略キャラの一人でもある。
どうして大人しくしていた私に、一国の王子が話しかけてくるのか。
どうやら王子にとって庶民とはそれだけで興味の対象のようだ。
皆庶民が好きすぎないだろうか。
「ごきげんよう、ロンド殿下」
「ん?それはなんだい?
ジャガイモの皮?」
ロンドは不思議そうな顔で私の手に持つジャガイモの皮を見てくる。
「先程リリアット様にいただきまして」
とっても役立たせていただきました。
「なんだと!?
リリアットのやつ、シーアにゴミなんか押しつけたのか!」
「いえ、確かにゴミですが、別に押しつけられたわけでは……」
「シーアは優しいな。
確かにシーアの立場では、迷惑でも正面からリリアットに言い返すのは難しいかもしれない。
心配するな、私からリリアットに下らないことをするなと言っておいてやる」
「別に私は迷惑だなんて……」
思ってないですよ、と言い終わる前にロンドは立ち去ってしまった。
まあ、いいか。
◇
「こんな陰気臭い場所にいるなんて、さすがシーアさんね!」
私が図書室で新聞に目を通していると、リリアットが現れた。
相変わらず声が大きいが、リリアットに正面から注意できるのはロンドを含めた攻略キャラたちくらいのものだろう。
「あら?あなた、少し臭いますわね。
雑巾みたいな、生臭い臭いがしますわ」
うっ。
自覚があった私はドキリとする。
このところ雨が続いており、洗濯がままならないのだ。
仕方なく部屋干しをしているが、乾燥機や柔軟剤なんて物はこの世界に存在しない。
そのため、どうしても生臭さが残ってしまう。
「そんな臭いを撒き散らしていたら、この私に臭いが移ってしまいますわ。
図書室で新聞を読みたいなら、その臭いを何とかしてから来ることね!」
「申し訳ありません……」
項垂れるように私は頭を下げた。
私だって女だ。
臭いといわれれば、それなりにへこむ。
「ですが私は高貴な身。
憐れなあなたに新聞を恵んであげますわ。
ありがたく受け取りなさい」
バサリと新聞の束が私の前に放り出される。
現れたときからリリアットが持つ新聞が気になっていたが、まさか私のために運んできてくれたのだろうか。
「ありがとうございます、リリアット様」
「オーッホッホ!
まったく今日は気分がいいわ!
おまけでこれも差し上げるわ!」
ポケットからお酢を取り出すと私に手渡す。
そして高笑いをしながら、さながら嵐のようにリリアットは去っていった。
いったいこのお酢はいつから準備していたのだろう。
静けさを取り戻した図書室で帰る準備をしていると、ロンドがやってきた。
「シーア、その新聞の束とお酢はどうしたんだい?」
「ロンド殿下。
これはリリアット様からいただいたもので」
「いただいたって……、これ半年以上前の日付の新聞じゃないか。
こんな古新聞、またシーアに押しつけたのか!
それにこのお酢はなんだ?
意味が分からない。
仕方ない、これは僕の方で処分しておくよ」
「いえ、そんな!
折角私がいただいた物ですし」
「シーア……。
私の前では、もう少し本音で話してくれてもいいんだよ」
「本音ですから。では失礼しますね」
私はそそくさと図書室を立ち去る。
危なかった。
危うくロンドに古新聞とお酢を奪われるところだった。
庶民用の学生寮に戻った私は、早速洗濯をすることにした。
すすぎの際に、もらったお酢を少量加える。
こうすることで、臭いの元となる雑菌の繁殖を抑えることができるのだ。
洗い終わった洗濯物をワンルームの室内に吊るしていく。
そしてその下に、一度丸めてシワにした新聞紙を並べる。
新聞紙は吸湿性に優れているだけでなく、臭いも吸い取ってくれる。
これでもう、あの嫌な臭いとはさらばだ。
◇
季節は巡り、肌寒い時期になった。
どことなく寂しさを感じる街へと買い物に出掛けると、リリアットと出会った。
「シーアさんじゃない。
庶民はこういうところで買い物をしているのねぇ」
貴族であるリリアットは、自ら買い物をするようなことはほぼないだろう。
市場という私には馴染みの場所でも、リリアットには珍しいのかもしれない。
「……あなた、学院の生徒だという自覚はあるのかしら。
いくら庶民だからといって、そんなみすぼらしい格好で出歩くなんて」
リリアットの視線をたどり、自身の格好を見る。
確かに、今着ているセーターは私が転生する前のシーアが何年も愛用していた物らしく、毛玉が目立っていた。
「まったく、こんなみすぼらしい人間が同じ学院に通っているなんて、嫌になりますわ」
リリアットは肩をすくめると、私にスポンジを手渡した。
片面にザラザラがついているタイプのものだ。
どうして持ち歩いているのだろう。
立ち去ろうとするリリアット。
ああ、この流れはもう少ししたらロンドが現れるな。
だが、今日はそうはならなかった。
「リリアット、貴様見ていたぞ!」
まだリリアットが立ち去っていないというのに、ロンドが現れたのだ。
なぜ貴族のリリアットや王子のロンドが街をブラついているのかは知らないが、そういう世界なのだろう。
「ロ、ロンド殿下……」
さすがのリリアットも、王子の前では鳴りを潜めるらしい。
声もいつもより小さいし、なんだか新鮮だ。
「貴様シーアを侮辱するだけではあきたらず、またなにか押しつけていたな。
なんだこれは、スポンジだと?
意味が分からん」
ロンドは私の手にあったスポンジを手に取りながらリリアットを睨む。
ああ、私のスポンジ……。
「殿下、これには訳が……」
「貴様の言い訳など聞きたくないわ。
もういい、貴様との婚約など破棄してくれる!」
「そ、そんな……」
怒りの形相のロンドと、その前に崩れ落ちるリリアット。
二人は婚約者だったんだっけ。
そんな設定もあったような、なかったような……。
それにしても、いきなり婚約破棄だなんて。
いくらリリアットが悪役令嬢ポジションのキャラだからって、なにもしていないのに、むしろいろいろ助けてもらっているのに、婚約を破棄されるのはあんまりだろう。
仕方ない、ここは私が一肌脱ぐとしよう。
「殿下、私は大丈夫ですから。
どうか、お考え直しください。
婚約破棄だなんて、リリアット様があまりにかわいそうです」
「シーアさん……」
涙ぐんだ瞳を向けてくるリリアット。
いつもお世話になっているのだ。
これくらい、お安いご用である。
私はいつもありがとうの意味を込めて、リリアットに微笑んだ。
「シーア、お前が優しい人だということはよく知っている。
だが、いくらなんでも、お前をいじめている奴までかばう必要はないんだぞ」
「私はリリアット様にいじめられてなどおりません。
そうですよね、リリアット様?」
「そ、それは……」
婚約破棄を突きつけられて動揺しているのだろう。
思うように言葉を紡げないでいる姿を見ると、なんだか不憫に思えた。
「大丈夫です。
私はリリアット様の味方ですから」
私は安心させるように、へたりこんでいるリリアットの前にしゃがむと笑顔を向けた。
「シーアさん……っ!
わ、私は……、私はああぁぁっ!!」
頬を涙で濡らしたリリアットは、そのまま私へと抱きついてきた。
抱き合ったことで感じる、同い年とは思えないリリアットの発育に、私は独りダメージをくらう。
「で、殿下、ご覧ください。
もし本当にいじめの関係にあるとしたら、こうして抱き合うことなどしないでしょう?」
「それはそうかもしれないが。
でもなにか違うような……」
どこか納得していない様子のロンドだが、その顔からはすっかり怒りの色が抜けているように見える。
「ほらリリアット様、泣き止んでください。
殿下ももう怒っていませんから」
「シーアさん……。
申し訳ありませんでした。私、心を入れ替えますわ!」
リリアットの濡れた瞳には、なにか決意したような強い意志が見える。
「そんな、別にリリアット様はなにも悪いことなんて……」
「これからはシーアさんのためにこの身を捧げますわ!」
「いや、いいですって!意味分からないですよ!」
「さしあたっては、これからはシーアさんではなく、シーアお姉様とお呼びしますわ!」
「それは止めて!」
そのプロポーションでそんなことを言われると、なんだかいたたまれなくなる。
私はすがりつくリリアットを引き剥がすと、ロンドの手からスポンジを奪い、自室へと逃げ帰った。
私はただ、静かに過ごしたかっただけなのに。
どうしてこうも絡まれるのだろう。
どうせ絡んでくるなら、リリアットも悪役令嬢らしく嫌がらせをしてくれれば、私も動きやすいのに。
人生とはままならないものだと、私はしみじみ思った。
ちなみに、スポンジのざらざらした方でセーターの毛玉を擦り取ったので、もうみすぼらしいとは言わせない。
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