キュアノエイデス防衛戦 10

 



 リディアからの唐突な言葉――これからの展望を語るべしという、それまでの流れからは想像もつかない提案、そんな発言を聞かされたアレクセイは素直に驚き、呆気にとられていた。

 だが、すぐに気を取り直したアレクセイの口から放たれたのは、当然――


「な、何がどうなっているのだ! ケヴィンは……ケヴィンは、我を裏切っているのであろう!?」


 ――疑問の言葉。


 王太子の右腕、腹心の中の腹心とも呼ばれている男は、このような異名をも与えられていた。


 ――アレクセイの護剣、と。


 これは、守護の剣たるカーヴィス騎剣術当代最強の男こそがケヴィンであり、本懐でもある流派の在り方を、実際に、その身で体現しているからこそ与えられし二つ名。

 そんな男の、忠臣の鑑たるケヴィンの背信を、リディアから知らされたアレクセイは当然のように否定。裏切る訳がないと強く主張する。

 しかし、当のケヴィンが頭を下げ、謝罪の言葉を口にしたことに、アレクセイは激しく動揺していた。

 感情が激しく乱されているアレクセイ、そんな彼のことを置いてきぼりにするように、まるでケヴィンの背信行為など無かったかのように、リディアは会話を進めようとし、ケヴィンもその提案に応じる。


 先のアレクセイの言葉、彼からしてみれば何が何やら、混乱の極みに陥ったが末に口にした、疑問の一声だったのである。


 そして、そんな疑問への解答が――


「裏切って、が、正解さね」

「……いた?」

「……その通りです」

「ま、待て、話が見えぬ……リディア婆!」

「やれやれ……いいかい、そもそもの話、あたしら3人が雁首揃えて、キュアノエイデスに来ること自体が普通じゃないのさ……わかるかい?」

「わからん!!」

「自身の無知を潔く認めるのは好ましいが、もう少し考えな、まったく……ま、今更か。いいかい、ぼん、まず初めに、あたしらがここに来るキッカケが何か、憶えてるかい?」

「勿論、ケヴィンからの進言だ」

「その通り……その時の会話はどうだい?」

「むぅ……確か、キュアノエイデスの民を鼓舞する為、だったか?」

「よろしい。さて……坊から見て、キュアノエイデスの民ってのは、そこまでヤワに見えるかえ?」

「はっ、そんな訳がなかろう。あのキュアノエイデスだぞ? レイヴン……殿やレヴェナ殿の武勇の凄まじさを知る者らが、生半可な侵略者相手に気弱になるなど、まず有り得まい」

「おやおやー……坊は相も変わらず、レイヴンが苦手のようだねぇ……ヒッヒッヒ――」

「ぐぬぬ……む、昔よりはマシだ……多分」


 レイヴンの名を言い淀んだアレクセイによる――無意識下での――しかめっ面、それを見たリディアはすぐさまニヤニヤとし始める。

 この2人の間では、それはきっと毎度のことなのだろう、屈託なくけらけら笑うリディアに揶揄からかわれるアレクセイという、妙に収まりの良い構図が、そこにあった。


「ま、そういうことにしておこうかね……ともあれ、ケヴィンからの進言を聞き入れた坊は、東への派兵を決め、そこに、あたしが便乗したわけさね。さて、ここまでの流れで何がおかしいか、わかるかい、坊」

「むぅ…………わからん!」

「指摘されたことをすぐに反省して、即座に行動に移したのは上出来だけど、このくらい単純なことにゃ、しっかり答えられるようにならないとねぇ……ヒントだ、坊の知るケヴィン=カーヴィス公爵という男なら、こんな時、どうするかねぇ?」

「……なるほど! 確かに、いつものケヴィンらしくないな!」

「その通り……王家の誰かが鼓舞しなきゃならないほど、あのキュアノエイデスが追い込まれる――なんてのは、その時点で間違いなく、とびっきりの死地さね。そんな危険な場所に、生粋の武人であり、忠義の士たる堅物ケヴィンが、主君たる坊を連れて行こうとするなんて、絶対に有り得ない。主君を危険に晒すくらいなら、進んで命を差し出すのが、ケヴィンって男。即断即決、自分とこの兵隊連れて戦地に向かい、事後承諾の手紙を坊に宛てておく、ってのが、いつものことだからねぇ……」

「…………」

「つまり……この我を、キュアノエイデスに連れて行こうとしたのは、ケヴィンの意思ではない?」

「正解だ、坊。ケヴィンのような強情っ張りが、らしくない行動を選択するなんて、何かしらの事情があるとしか思えないだろう? そして、それが――」


 カッ、と目を開いたアレクセイは意気揚々と、きっとこれが正解なのだと、ふと思いついた言葉を、リディアに先んじては、自信満々に口にする。


「――セレスによる誘拐か!!」

「そうそう、あの変人娘が、アルヴェイルの美姫とその娘をさらっては人知れず、あんなことやこんなことをして、愉悦に浸るんだろうねぇ――なんてこと、ある訳ないさね! 勢いだけで答えるんでないよ! 不正解さ、不正解!」

「なっ……ち、違うのか!?」

「やれやれ……坊、あんたの知る変人娘やハゲジジイは、そういうことを仕出かす輩なのかい?」

「そ、そんな訳がなかろう! 立場上、政敵として争ってはいようとも、セレスの素晴らしき才と心優しさは存じているし、叔祖父上の民への献身とすら呼べる日々の振る舞いには、尊敬の感情しか芽生えぬ! 我が王になった暁には、是非とも臣として手厚く迎え入れたいと思っていること、リディア婆は知っているではないか!!」


 第1王子たる自身の敵だと公言するセレスティナとガデルを、必死になってフォローするアレクセイ。

 その姿には、彼らしさが存分に込められており、そんな振る舞いを目にしたリディアは、フッと微笑み、そんなアレクセイをフォローする――


「はいはい、そうだね……それが答えさ、坊」

「……ん?」

「あの2人の人となりを知る坊とあたしが、こんな手紙を見せられたところで、まず真偽を疑う。そんなことある訳ないと否定から入る、わかるね?」

「うむ……あの2人が、そのような卑劣な振る舞いを選択するなど、真実とは到底思えぬ!」

「そうさね。なら、これは、虚偽の内容を記した、悪ふざけの冗談みたいな手紙ってことかい?」

「…………叔祖父上らしくない?」

「そうさ、その通り、大正解さ、坊! あの小賢しいハゲジジイが、無意味な悪戯をする訳がない。ま、意味ある悪戯は別だがね。ともあれ、この手紙には文面とは別の意味が含まれている、と、読んだ奴がそんな風に思慮を巡らすところまでをも計算に入れた、ほとほと厄介な代物なのさ。で、これの肝心な部分は、やはり手紙の内容。書かれた内容は正しいのか誤りなのか、真なのか偽りなのか。本来なら想像の域を超えることが至難である答えを、明確に知る者が、ハゲジジイや変人娘とは別に、1人、確かに存在している。それが誰のことか、わかるかい、坊?」

「…………ケヴィンか?」

「……はい、内容は正しいかと。ただし――」

「誘拐ではなく保護、だね?」

「……おそらく」

「なっ、保護だとっ!?」

「今から大体2ヶ月前……あたしが、ケヴィンの異変を察知のは、その頃さ」

「なんだと!? そんなに前から、ケヴィンは……察知、させられた?」

「他の誰が気づかなくても、あたしなら気づく、そう思ったんだろ、ケヴィン」

「……はい」

「むう……まったく気づかなんだ……」

「ヒッヒッヒ……ま、精進することさね。ともあれ、だ……大方、比較的警備が手薄な王都の屋敷滞在時に、組織的な襲撃を受けて、ソニア達が捕らえられた……そんなところだろ?」

「……ご明察です」

「そうか! つまり、セレスと叔祖父上は、ソニアらを救い出して保護したと、あの手紙はそういうことか!」

「おそらくはね。で、だ……あたしの元に、もう1通、届いているんだよ――」


 リディアが懐から取り出したるは、もう1通の黒の封筒。差出人は勿論――


「それも、やはり?」

「ハゲジジイからさね。で、内容は――」


 ――白紙。


「な、何も記されてはおらぬではないか!! これこそ唯の悪戯――」

「おや、今日は冴えてるね、坊。そう、それが正解さ。これは間違いなく、あのハゲジジイの悪戯……ただし――」


 ――明確な意図を込めた、意味ある悪戯だがね。


「……符丁、ですな」

「ま、そういうことさね」

「符丁というと……リディア婆や斥候の者達がよく使っている、アレのことか?」

「そうさ……一見すると、唯の白い紙。そこに意味があるとは思えないし、事実、これだけでハゲジジイの意図に気づくのは無理な話だ」

「まったくだ! さっぱり意味がわからぬ!」

「だろうねぇ……符丁ってのは、別の言い方をするなら、隠語――その言葉通り、この白紙の手紙自体に隠された意図があり、特定の法則に縛られたことわりほどくことが適う、資格ある者にのみ伝えるべきを語る――って寸法さ。で、これの意図を解くに必要なのは、先の手紙。それに加えて、ある特定の知識が必須。つまり、わかる者にしか解き得ない暗号になっている訳だ」

「暗号とな? むふぅ…………わからん!!」

「こういうのを解くのは、あたしの役目さね。それは、あのハゲジジイもわかってる。だから、あたしにコレを送ってきたんだろうね。で、結論から言うと、ハゲジジイがこれに込めた意図は、おそらく――」


 ――2つ。


「ま、ケヴィンに限っては、白紙の手紙を見た瞬間、気付いたかもしれないがね」

「そうなのか?」

「……なんとなくですが」

「むぅ……一体、叔祖父上は、何を伝えようとしているのだ! 教えてくれ、リディア婆!」

「あいよ……さて、坊。あたしら貴族ってのは、ちっさい頃から色んなことを学ばせられる、そうだね?」

「うむ!」

「学ぶ知識ってのは多岐に渡る。軍術から地政学、経済学、その他諸々と……それはそれは中々の種類と量だ。で、そんな知識の中には、異世界のそれも含まれる、雑学混じりの知識がね」

「ふむ……つまり、この暗号を解くには、異世界の知識が必要だということか?」

「ま、片方はね。さて……異世界には、こんな文化があるらしいさね――」


 ――犯罪の関係者を、白と黒の2種に別けて呼称する、そんな独特なやり方がね。


「ほほう! では、この手紙の意味とは?」

「自分達は白、即ち、潔白。つまり、ソニア達を本当に誘拐した訳ではないってことを、暗に主張しているのさ、この紙切れは」

「おお! そうか、やはりセレスは、我の知る心優しいセレスのままなのだな、安心したぞ!」

「そいでもって、これでケヴィンが抱える問題が解消されて、あたしらを裏切る必要が無くなった。、裏切っていた、ってことなのさ」

「ん? …………おお、リディア婆は、確かにそう言っていたな!」

「……殿下、この度は――」

「それ以上、言うでない! もう済んだことだ、何も気にすることはないのだ!! これまで通り、我をしかと支えてくれ、ケヴィン!」

「……かしこまりました」

「…………」


(いやはや……さすがは坊。血筋だけじゃ説明しきれない、この寛容さ。もはや1つの才だねぇ……事実、臣に裏切られたのは間違いないってのに、それでもケヴィンを信じ抜いて、挙句、背信の罪をこんな簡単に赦しちまうなんざ、甘さを通り越して異常ってもんさ……普通、なんて一辺倒な考えが、どんな国のどんな王にでも当てはまる、なんてことは有り得ない――が、主君を裏切った臣下の結末なんざ、大抵は死罪、良くて禁固刑、ってのが、殆どの奴らが想像する普通の王のやり方ってもんさ……なのに、うちの坊ときたら、まったく……尤も、鼻垂れクリストフも、そういう点は大概だけどねぇ。ホント、似た者親子さね、まったく……ま、良くも悪くも、こんくらい頭のおかしい奴でなきゃ、あたしやケヴィンを、臣にできる訳もないんだがね、ヒッヒッヒ――)


 リディアの瞳に映るのは、頭を下げるケヴィンとの視線の高さを合わせるように、床に膝を突き、いつも通りの不敵な笑顔を浮かべるアレクセイ。

 そんないつも通りを眺めながら微笑むリディアには、わかっていた。


 何故、あのケヴィンが、主君を裏切るような選択をしたか、その選択を選ぶことができたかを。


 カーヴィス公爵家当主たるケヴィンには、その類い稀なる武の才能に加え、権謀術数を常とする政争を生き抜けるだけの知性が備わっていることを、リディアは存じている。

 そして、ケヴィンもまた、才と能の部分をも含め、リディアから自身がどのように見られているかを、きちんと把握している。


 つまり、ケヴィンもリディアも、互いが互いの才覚や能力を理解しており、明確に信頼しているということ。


 ケヴィンほどの忠臣にとって、裏切るという暴挙に等しい選択が、この上など無いような尋常ならざる苦痛と同義であるのは、疑いようがない。

 それでも、ケヴィンにそのような選択が可能だったのは、リディアという最も信頼する同志が、主君たるアレクセイの側にいることを理解しているから。

 そして、主君たるアレクセイの、偉大とすら呼べる寛容さ、その大らかな心根に甘え縋るというある種の罪科を、当のアレクセイ本人が赦し、あまつさえ嬉しそうに喜ぶと理解しているからこそ、ケヴィンは、結果的に主君の利に繋がるならば、一時の裏切りすら躊躇することはない。


 主君と臣下、その関係性の強固さにおいて――クリストフとカイトら近衛衆のような例外を除き――他に追随されることなど有り得ない、理想的な主従関係が、そこにある。


 ともあれ、自分らしくない行動を露呈させれば、それを察知してくれるであろうリディアの存在、そして、本来なら潔く自害してしまいそうになる背信行為すら赦してしまう主君の存在が、その心内に在ったからこそ、戦敗した事実が招く許し難き屈辱の中にあっても、ケヴィンは、闘志を失わずに済んだ。

 そして、静かなる闘争を始める――第1王子勢力による白の救世主メサイアへの情報戦という形での再戦の機を得たのだ。


 ――自分が動けなくとも、リディアが動く。


 リディアとの強い信頼関係があったからこそ、自身が動くことが適わずとも、王国の裏で暗躍する者達――白の救世主の存在に、リディアが必ずや気付いてくれると、ケヴィンは確信していた。

 余談だが、実際には、セレスティナ達の手によって救われたソニアとターニャだが、いずれはリディアの手によって救われていたことを、彼女の名誉の為に記しておく。


 さて、愛の使徒フェネの邸宅襲撃以降、あやつり人形のような立ち位置に置かれたケヴィン。


 彼は、言われるがままに――けれど、不自然に映るように――彼なりには派手に動き、第1王子と第2王子の争いを激化させる。

 尤も、その大半はアレクセイへの進言であり、直情径行な気質と揶揄されることの多い第1王子アレクセイ、彼の人となりを考慮すれば、それが最も効果的であることは一目瞭然。


 結果、その気になったアレクセイが軍を引き連れ、ウィロウ公爵領にまでやってきた――ことで、リディアの脳裏で巡っていた思索が結実。


 ネフル天聖教霊長派、並びに、フォルス皇神教、その両組織の関係者が主導している何かが人知れず行なわれ、それはケヴィンの身にへと襲い掛かり――意のままに操る為、妻子を人質にしたのだと推察――第1王子勢力が保有する軍事力の4割程が、キュアノエイデスへの援軍という名目の元、動員されるに至った、と、リディアは考えた。

 そして、情報不足が故に確信へと至らずとも、闇の勢力圏である世界の裏にて蠢く何らかの組織こそが、ケヴィンの件に関わっているのではないか、と、そのように結論づけようとした頃、ガデルからの報せが届く。


 つまり、先代ボルケティノ公爵であるリディアは、自身の知と智で以って、ケヴィンが見舞われた醜悪な真実、深淵にも等しい遠大なその間合いを、あと一歩というところまで、確かに詰め寄っていたということ。




 それは即ち、劫火のリディアという老婆もまた、本多 宗茂や黒淵のガデルらに匹敵する、賢人賢者の類い――ある種の化け物だと、見事に証明したのである。








 




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ラーメン大好きおっさんは、異世界に連れてかれてもブレない。 −ラーメン大好きベルセルクの異世界無双− 如月コウ @kou_kisaragi

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