キュアノエイデス防衛戦 09

 


 現在、ナヴァル王国内および国境域にて発生している大規模な戦は、以下の通りの3つに別けられる。


 王国南西部国境域にして魔物領域メルベス魔沼南西にて、オーバージーン公爵領軍とアードニード公国軍との小競り合い。

 王国東部国境域にして多種族領域ドグル大平原にて、ウィロウ公爵領軍とヴァルフリート辺境伯率いるランベルジュ皇国軍との消耗戦――但し、7日目以降は、侵攻側である皇国の出足が、停止している為、南西部同様、小競り合いの様相へと落ち着いている。


 そして、残る最後の1つ。


 ナヴァル王国東部最大の都市にして、王国最強の呼び声高き軍事力を有する、ウィロウ公爵領都キュアノエイデス。

 かの都市にて紡がれし戦譚こそが、ナヴァル国境戦役と呼ばれる戦いの分水嶺、いくつか存在するターニングポイントの1つ。


 ――キュアノエイデス防衛戦。


 この戦が、今回、ナヴァル王国内および国境域で発生した全ての戦いの趨勢はおろか、戦後に起こるであろうガルディアナ大陸全土を巻き込んだ動乱の行く末すら左右してしまうことを知る者は――かつてのガルディアナ戦記を知るシンを除き――誰一人存在しない、が、予想している者はゼロでは無い。

 ナヴァル王国内の人物でそれらの該当者を挙げるなら、本多 宗茂やアルヴィス=C=オーバージーン公爵といった、他者から賢者や賢人と呼ばれしかるべき者達である。


 なお、先の2人に引けを取らぬ賢人、黒淵のガデルの場合、シンから聞かされているのでカウントしないことにする。


 そんなガデルは、独自の情報網を経由し、キュアノエイデスにて戦が起こる可能性があると、レイヴン=B=ウィロウ前公爵に伝えている。

 ただし、ガデルの情報とは勿論、シンから聞かされたことであり、情報源であるシンからして、自身が知る歴史の流れ――Antipathy Brave Chronicle 内のイベントの流れとは、何かが違うことを察し、それらを加味した警告だけに留めることを、ガデルに推奨。

 その結果、どこの勢力が襲って来るかまでは伝えず、襲撃がある可能性高しという伝え方で、ガデルは止めておいた。


 最も重要なのは、備えさせることなのだから。


 そして案の定、シンの知るそれとは似ても似つかない状況となったのが、ドグル大平原での戦いであり、キュアノエイデスにおいても、シンすら知らぬ未知なる戦いが起きようとしていた。


 アードニード公国軍と偽龍メルベス、然り。

 デラルス大森林東域のイロージョン、然り。

 カイゼルオークの変異種という化物、然り。


 そのどれもが、シンからすれば、不可思議極まるイレギュラーの数々。




 だが、とある情報を耳にした時、シンは、さらに驚くことになるだろう。




「――っ!? お、おい、キュアノエイデスへ、直ぐに走らせろ! 狼煙も準備しとけよ!」

「は、はい!!」

「……一体どうなってるんだ。なんで、あの御方が――」


 西――王都ナヴァリルシア方面より現れたるは、誰もが予期せぬ来訪者。


 キュアノエイデスより、街道を西へ約100km。そこに建つのは、公爵領最西の砦――隣領へと続く街道の警備と物見を本分とするそこに詰めていた領兵達は、突如として姿を見せた軍の姿に、それはそれは大層驚いた。

 彼ら、いや、その軍を統率する彼に、王都から東の辺境へと、わざわざ軍を引き連れてまで訪れる理由があるとは思えないから。


 援軍を向かわせるだけならば、然るべき将兵を送れば、それで済む話なのだから。


 しかし、物見の兵が見たものは、目撃した軍旗には、資格ある者しか立たせてはならぬ、とある紋章――中央の騎士盾を交差する剣と杖――が編まれてあった。

 金色の騎士盾に、華美に装飾された騎士剣と杖が交差している軍旗、その意匠、それが指し示す存在のことを知らぬ王国の兵はいない。


 そもそもの話、キュアノエイデス防衛戦とは、西より訪れた者らの介入から本格的な戦闘が始まり、その果てに、蒼風という名の英傑が喪われる戦い、そんな悲劇的な一幕だと、




 だからきっと、これが、最大のイレギュラー。




 ナヴァル国境戦役13日目――キュアノエイデス防衛戦開幕から4日が経過した、今この時。戦火立ち昇りつつある地に、他ならぬ彼が訪れたことで、状況が大きく動くことになる。


 良くも、悪くも。


 キュアノエイデス防衛戦、ナヴァル国境戦役、即ち、ナヴァル大戦――ガルディアナ戦記と題打たれている物語内で、高い支持を集めるそれらの人気エピソードにおいて、彼が、今この時この場を訪れたことこそが、この時代における最大の


 西より訪れたる彼は、ナヴァル王家の一員。

 騎士と魔道のを政策として掲げるナヴァル王国の異端児。

 奇才と呼ばれる第1王女にも劣らぬ奇人と見做されている彼が、今この時この場に現れることなど――世界開闢から数えて無数に等しき試行回数の中でも――初めてのこと。


 そう、彼はまさしく、最大のイレギュラー。


 彼は、ナヴァル王国にして、現時点のナヴァル王国において、次代の王座に最も近き存在――王太子。




 =A=ナヴァル、その人である。




 さて、どのような歴史の流れになろうとも、いつも必ず現れていた者――ナヴァル王国第2王子アルフリート=A=ナヴァルが現れず、本来ならば現れることのない彼、第1王子アレクセイ=A=ナヴァルがこの場に現れた、その意味を知る者も、この現実の行く末を知る者も、ユグドレアのどこを探したとて発見されることはない。


 これは、それほどまでの未知だということ。


 とはいえ、起きたこと自体はそこまで特別なことではない――静かな水面に落ちる雫が起こす小さな波紋と相違の無い、そんな瑣末事――そのように映っているが故に、ほぼ全ての傍観者に事の重大さを理解させず、事の張本人たる校正者リライターにすら、その顛末を容易に悟らせない。


 それは、変哲のない荒野で何気なく舞い飛ぶ蝶の羽ばたきが、世界のどこかで突拍子もない事態を引き起こすかのように。


「――フ、フフフ……フハハハハハッ!」

「終ぞ、ご機嫌だったねぇ……そんなに愉しいのかい?」

「愚問だぞ、リディアばあ!」


 見るも豪奢な馬車の中、華美と呼ぶべき装いの金髪の快男児がとても愉快そうに、対面に座る老齢の女性――気品感じさせる淡い朱髪の老婆リディアへと、快活に口を開く。


「国の危難に立ち上がるは、王族の務め! このアレクセイ、キュアノエイデスの民を救うに惜しむ命など、持ち合わせておらぬ! 我の心は、魂魄は! この上なく、猛り昂っている! 国敵のことごとくをすり潰してくれるわっ!!」

「で、本音は?」

「フッ……我が武を以て勝ち得た勲功を、愛する妹達に捧げるのだ!!」

「この兄バカが……あんたからも何か言っておやり、

「……この実直さこそが、殿下の良きところだ」

「そうだろう、そうだろう! フハハハハッ!!」

「はぁ……まったく――」


 一般的な馬車よりも一回り大きく、相応にゆったりとしたスペースの車内には、3名の男女。


 アレクセイ=A=ナヴァル――自信漂う満面の笑みで豪快に笑う金髪の青年の名であり、ナヴァル王国の王太子である。

 ケヴィン=カーヴィス――ナヴァル5公の一、カーヴィス公爵家当主であり、カーヴィス騎剣術の指導者たる師範の位に就き、巨断の名と力を継ぐ、生粋の武人である。


 そして、残る3人目。


 第1王子であるアレクセイと親しく語らえる老齢の女性、リディアの正体とは――


「――それで?」

「そうさね……やっぱり気になるかい?」

「無論だ! キュアノエイデスの目の前にまで来ているのに、どうして、リディア婆!」

「読みな」

「むっ、黒い封筒だと……もしや――」

「…………」


 リディアと呼ばれている老婆が懐から取り出したのは、黒く染められた封筒。

 その独特な封筒を一目いちもくし、送り主が誰かを即座に察したアレクセイは、躊躇する事なく封を開いては中の便箋を抜き取り、視線を走らせる。


 すると、不敵さが滲む笑顔が、緊迫した面持ちにへと歪み変わってゆく。


「……リディア婆、これは、なんなのだ――」

「…………」

「これは一体、どういうことなのだ!! あの叔祖父上が、このような卑劣な蛮行を許したというのか! 何故だ……何故このようなことを……セレスは、何を考えて――」

「――あんたはどう思うんだい、ケヴィン」

「そ、そうだ、ケヴィン! おぬしの奥方と娘が、セレスにかどわかされたのだぞ!」

「…………」


 手紙の内容とは、カーヴィス公爵夫人ソニアならびに第2子ターニャの身柄を、第1王女セレスティアが押さえたことの通知、つまり、誘拐したことの報告である。


「どうしたのだ、ケヴィン! 何故、何も喋らぬ! おぬしの家の一大事――」

「――まさか、あんたほどの男が、敵の間者にさせられたなんて……ねぇ?」

「……は?」

「…………」

「な、なにを言っておるのだ、リディア婆……このケヴィンが……間者だと――」

「黙しているのが何よりの証拠さね……そうだろ、ケヴィン?」

「…………」


 凄まじい緊張感で、馬車の中が満たされていく中、どうしても我慢がならなかったのだろう、彼が、悲痛な表情を浮かべながら口を開く。


「……やめてくれ、リディア婆――」

「…………」

「我が盟友にして我の師なのだぞ、ケヴィンは……この我を裏切ることなど、絶対にあり得ぬ! ケヴィンへのそれ以上の侮辱は、いかなリディア婆といえども、我は決して許さんぞ!!」

「――だそうだよ、ケヴィン?」

「……申し訳ありませぬ、殿下」

「なっ、何故だ……何故謝るのだ、ケヴィン!? そんな馬鹿なこと、ある訳が――」

「――と、まあ、そんなわけで、だ……早速、今後のことを話し合おうかね」

「……ええ、そうしましょう」

「…………は?」


 ナヴァル王国の王族、それも、第1王子であり次代の国主に認められた者だけに与えられた、ある種の特権――王太子を名乗れる唯一の存在であるアレクセイのことを、情け容赦なく呆然とさせて尚、それが許されることを当たり前かのように済ませる老婆、リディア。

 もし、彼女の正体を知りたいと思うのならば、彼女の姓を知ることが手っ取り早い。


 ――ボルケティノ。


 その名は、ナヴァル王国、5つの公爵家の一にして、王国の前身にあたるリルシア帝国時代から続く名家に与えられし、誉れ高き御名。

 ナヴァル王国にて唯一、公爵位に座する魔法貴族――騎尊魔卑きそんまひの風潮の中にあっても尚、魔道を愚直に邁進する気概を失うことなく、魔を征く全ての貴族達の模範となっている一族。


 リディアと呼ばれた彼女は、そんな気骨ある一族において、歴代最高の魔法師と称される者。


 彼女こそは、ボルケティノ公爵家の先代当主にして、最高位貴族の身でありながら、かつては戦場、それも最前線にて――黒淵のガデル、蒼風のレイヴンや紅蓮のレヴェナらと共に――暴れ回っていた、ガルディアナ大陸最高クラスの赤魔法師。

 そして、かつては紅蓮のレヴェナと共に、ナヴァルの双炎とも讃え称された、今なお強く賢き古兵ふるつわもの


 ――劫火のリディア。


 ボルケティノ一族に継承されし固有魔法、赤と緑の根源に連なりし特殊な炎を、さらに1つ上の位階にへと押し上げた才女、御歳86。




 現王クリストフをも含めた王家の教育係を、約40年間程も務め、今なお現役の彼女に対し――公的な場を除き――頭を下げぬ王族は、今のナヴァル王国に存在しない。







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