5分で読める物語『ロイヤルメイド』

あお

第1話


「あぁ、あなたはとても残酷なことをするのですね」

 使用人メイドは鏡に映る自分を見て、そう言った。

「なんでこんなものを見せたのですか」

 鏡の奥から、白塗りの顔に、黒のルージュを引いた女性の顔が現れる。

「いまのお前がどれほど惨めか、よく分かるでしょう?」

「忌々しい魔女ね」

 彼女は奥歯をぐっと嚙み締めた。


***


 この使用人(メイド)は朝から晩まで、休むことなく働いている。

 それは単に使用人メイドの中でも階級がもっとも低いから、という理由だけでは収まらない。

 彼女は王宮の中で唯一、国の外れにある小さな村で育った田舎者だ。

 田舎の民をひどく毛嫌いする王宮の人々は、彼女へ不遇な扱いを強いていた。

「おいお前、なに休んでいる。ここの清掃が終わったのなら、家畜の豚を捌いてこい」

 コップの水を一杯仰いだだけで、この扱いである。

 豚を捌くことなど、普通は酪農家の仕事であるのだが、王宮の人達は彼女への嫌がらせとして、捌かず仕入れている。

 彼女は人目に付かない場所でため息をついた。

「はぁ……ってダメダメ! 村の人達のためにも、私は頑張らなくちゃ」

 彼女は使用人メイドになる際、一つのお願い事を国王にしていた。

 それは、自分が住んでいた村に国から援助をしてもらいたい、というものだった。

 彼女が住んでいた村は辺境の地にあり、自給自足が主な生活基盤だった。

 しかし村の高齢化が進み、村民だけでは食を賄えなくなっていた。

 彼女はそんな村をどうにかするべく、王宮へと飛び込み、奇跡的に使用人メイドの試験をパスする。

『国王様お願いです。どうか私の村を助けてください!』

 国王との面会で話したその願い事は、無事聞き入れられた。

 だがそれは、彼女をどんな仕事にも従わせる呪いとなったのだ。

『村を助けたいんだろう。それならもっと真摯に働いたらどうなのだ』

 そんな日々を過ごす中、彼女が唯一心安らぐもの。それは就寝前に毎晩書く、母への手紙だった。

〈今日は廊下の掃除をしました。王宮の廊下は広くて長いです。敷き詰められた石板を、一枚一枚磨くので、とても大変でしたが綺麗になった廊下を見た時、心が洗われるようでした〉

 数行空けて、こう綴った。

〈早くお母様に会いたいです。お母様の作ったシチューが食べたいです。お母様の読み聞かせを聞きながら眠りたいです。あの頃のように頭をたくさん撫でて欲しいです。お母様、どこにいるのですか〉

 自分の内なる想いをさらけ出す。甘え、嘆き、辛さを吐露できる場所は、この手紙の中しかなかった。

 瞳に溢れた涙を拭い、使用人メイドは王宮の庭にあるポストに、宛名だけ書いた私書を投函した。


***


 翌朝、使用人メイドが目覚めると王宮は何やら騒がしかった。

「そっか。今日から国王様が遠征に行かれるんだ」

 窓から外を眺めると、正門にはおびただしい数の馬車が並び、国王が出立の準備を進めていた。

「ってやばい! お見送りがあるんだった!」

 彼女は寝ぐせでボサボサになった髪を急いで梳(と)かし、早々に着替えとメイクを済ませ部屋を飛び出す。

 無事国王を他の使用人メイドたちと見送った彼女は、今日の仕事内容を使用人メイド長に尋ねた。

「ああ、お前は今日清掃をしてもらう」

 また掃除か、と彼女は心の内で呟いた。

「見ての通り多くの人間が出払っているからな。今日は特別に王妃様の部屋を任せる」

 しかし続く言葉を聞いて、彼女は目を見開いた。

「私が、王妃様の部屋に伺ってよろしいのですか」

「人出が減っているのだ。仕方ないでしょう。王妃様はこの後、国の諸侯たちと面談がある。清掃は必ずその間に済ませなさい。くれぐれも王妃様と顔を合わせてはいけないよ。分かったね」

 射殺すような強い眼差しで、使用人メイド長は彼女の瞳を覗きこむ。彼女はこくこくと頷くしかなかった。

 彼女はすぐさま掃除道具を持って、王妃室へと向かった。その足取りはいつも以上に軽やかだった。

(初めて王妃様のお部屋に伺える! どんなお部屋だろう!)

 国の女性なら誰しもが憧れる王妃の部屋。彼女はここで仕えて三年目になるのだが、一度も王妃室には立ち入ったことがない。

 緊張と高揚を織り交ぜながら、彼女は王妃室の扉を開けた。

「わあっ! すごい!」

 使用人メイドらしからぬ感想をこぼし、急いで口元を手で塞ぐ。

 周りに人がいないことを確認して、ほっと胸をなで下ろした。

「すごく広い。私の部屋が十個は入りそう……」

 あらためて部屋を見回すと、その広大な部屋の中に、所狭しと豪華絢爛ごうかけんらんな装飾が輝きを放っていた。

 どれも一点だけで心を奪うには十分なほどの煌びやかさだが、それが部屋中の至る所に飾られており、彼女はごくりと息をんだ。

「見惚れてちゃダメだ。掃除しなきゃ!」

 顔を両手でパンと叩き自分に喝を入れると、使用人メイドは部屋の隅から清掃を始めた。

 日頃から入念に手入れされた王妃の部屋は、掃除をするほど汚れていなかったが、それでも埃(ほこり)の一粒も残さぬよう、目を凝らして掃除をするのが彼女の務めだ。

 部屋の九割を掃除し終えたところで、左隅にある鏡台の前に立つ。

 台の上には、二カラット以上の宝石を散りばめたティアラが、無造作に置かれていた。

「綺麗……」

 彼女は伸び行く手を止めることが出来ず、ティアラを手に取り頭に被せた。

 鏡に映る自分の恰好は、ひどくみすぼらしく見えた。それほどまでに、このティアラは彼女にとって不釣り合いなものだった。

「お姫様に、なってみたかったな」

 彼女がぽつり呟くと、鏡に映る自分の顔が揺らぎ始めた。

「な、なに⁉」

 渦巻き状に揺らいだ鏡は、ゆっくりと元に戻っていく。

 そこに映ったのは、煌びやかなパール色のドレスに身を包み、美しさが最大限に引き上げられた可憐なメイク。そしてシルクのような艶のあるロングヘアが背中まで伸びている。顔立ちは彼女そのものだったが、鏡に映るその姿は、美しく綺麗な少女だった。

 再びティアラを頭に乗せると、鏡に映る少女はまさしくお姫様。彼女が憧れていた姿だった。

 鏡の少女と見つめ合っていると、次第に心が苦しくなった。

 いまの自分がどれほどこの理想とかけ離れているのか、それを見せつけられている。

「あぁ、あなたはとても残酷なことをするのですね」

 使用人メイドは一人呟く。

 すると再び鏡の中が揺らぎ始め、次いで白塗りの顔に黒いルージュを引いた魔女の姿が現れた。

「なんでこんなものを見せたのですか」

 鏡に映る魔女は、不敵な笑みを浮かべて答えた。

「いまのお前がどれほど惨めか、よく分かるでしょう?」

 そう言って魔女は堪えきれなくなったのか、ゲラゲラと笑い始めた。

(知っているわよ。私がどれほどみすぼらしく、このティアラに相応しくないのかなんて。私は一生、あんな煌びやかなドレスも、こんなに輝かしい冠も身につけることはできない)

 嘲笑の声を聞きながら、彼女はティアラを台に戻し、一人奥歯を噛み締めた。

 そんな時、部屋のドアノブがキュルっと回った。

(まさか、王妃様が帰って来られたの⁉)

 振り返る間もなく、彼女は掃除道具を手早く袋に詰める。

 扉があき誰かが入って来る。

『くれぐれも王妃様と顔を合わせてはいけないよ』

 使用人メイド長の言葉が頭をよぎる。

(顔を合わせちゃいけない。このまま謝ってすぐに部屋を出るんだ)

 彼女は息を大きく吸い、扉に背を向けたまま声を上げた。

「王妃様、申し訳ございません! 直ちに退出いたします!」

 そう言うと、彼女は道具袋を手に取り、扉に背を向けたまま壁伝いに歩く。

 ふと鏡が視界の中に映った。

 先ほどいた魔女はとうに姿を消し、いつもの鏡に戻っている。

 使用人メイドはその鏡を見て、足が止まってしまった。

「お、かあ、さま……?」

 鏡に映る女性を見て、彼女は言葉を漏らした。

 映っているのは間違いなく王妃だ。服装や髪の色は貴族然としている。

 しかしその顔立ちは紛れもなく母の顔。

 愛おしくて、この世界の何よりも大切な人の顔を、彼女は見間違るはずがなかった。

「お母様、お母様なのですか⁉」

 彼女は気持ちを抑えきれず振り向こうとした。

「見るでない! この恥知らずが!」

 しかし王妃の𠮟責に、身体が硬直する。

「なに世迷言を言っておる。私は断じてお前の母親などではない! 早々に立ち去れ!」

 王妃の怒声に、彼女はサッと頭を下げ、急いで部屋を出た。

 音をたてないように扉を閉め、ゆっくりと息を吐く。

「あれは、間違いなくお母様だった。どういうことなの」

 彼女は俯きながら、自室へと戻っていった。


***


「見つかってしまったわね」

 自室で一人になった王妃は、声に出して呟いた。

 王妃は、先ほど使用人(メイド)が立っていた鏡台の前に歩み寄る。

「このティアラ。あの子によく似合っていた」

 面談が終わった後、自室に戻ると誰かがいる気配を感じ、こっそり扉を開け、中の様子を伺った。

 そこには一生顔向け出来ない、自分の娘が立っていたのだった。


 時は十六年前にさかのぼる。

 王妃は多忙な王族生活に疲弊し、精神病を患った。

 医者の指示で三年の休養期間をもらうと、王妃は辺境の村へと足を運び、休養の大半をそこで過ごした。

 王妃としての責務から解放された彼女は、とある夜、ほんの出来心で村の男性と関係を結んだ。今にして思えば、激務な王政への揺り戻しだったが、当時は身も心もその男性に委ね、至福のひと時を味わった。

 そして幸か不幸か、王妃にとって待望の女の子をみごもる。

 王妃は自身の身分を捨てでも、男と共に、生まれてくる子供を育てたいと思った。

「私ね、あなたとの子供が出来たの。そして、驚かないで聞いて欲しいんだけど」

 妊娠の報告と共に、自分が国王の妻であることを王妃は告げだ。すると、男は顔面を真っ青にしてその場から走り去った。それからその男が帰って来ることはなかった。

 一〇月一〇日の旅を経て、王妃は無事出産を迎えた。

 かねてから願っていた待望の娘。女手一つでも、必ず育てていこうと王妃は心に決めていた。

 しかし、王妃という立場にそんな自由は許されない。

 偵察に来ていた国王の使いに、娘の存在がバレると、国王は憤慨し娘の抹殺を命じた。

「その娘は王族の恥である! 淫乱な王妃によって産み落とされた不純な存在だ!」

 その通達を受け取った王妃は、覚悟を決め、一人国王のもとへと帰っていった。

 王妃は帰ってすぐ、国王の前で額を地面につけた。

「あなたを裏切ることをしました。何をしても許してもらえるとは到底思っておりません。ただ、あの子だけはどうか生かしてください。あの子には何の罪もありません」

 そこで国王は王妃に約束を持ちかけた。

「では、その娘とお前は今後一切顔を合わせるな。文通も許さぬ。お前とその娘の関係を証拠付けるものは、すべて処分する」

 王妃はそれを受諾した。娘との絶交を条件に、娘の命を守ったのだ。

 しかし、王妃の愛は時に押さえきれなくなり、国王の目を盗んでは娘に会いに行った。

 そして、数年前。その密会すらも国王にバレた日のこと。

「お前の娘が、先月ここの使用人募集に書類を送っている」

 王妃は目を見張り、それを見て国王はにやりとほくそ笑んだ。

「この娘を我が王宮の使用人として雇う事にした。辺境の村出身のゆえ、不遇な扱いを受けるのは避けられぬだろうな!」

 高笑いする国王。王妃は静かに歯を食いしばる。

「これで最後だ、我が妻よ。お前がその娘と顔を合わせたその日。我はその娘を処分する」

 こうして娘は使用人メイドとして雇われ、屈辱的な生活を送っていくのだった。


***


 自室に戻った使用人メイドは、いつものように母へ手紙を書いていた。

〈お母様へ。私はお母様のことが大好きです。お母様の作るシチューが好きです。お母様と一緒に焼くクッキーが好きです。お母様が読んでくれる絵本が好きです。お母様が毎朝髪をいてくれるあの時間が好きです。お母様の髪がなびく時に舞うラベンダーの香りが好きです〉

 そこには、母の好きな所を一〇〇個以上書き連ねていた。

〈これだけ書いてもまだ足りません。お母様と過ごした時間は短かったけれど、私にとってあの日々は、いまでも宝石のように光り輝いています。もし叶うなら、もう一度お母様に会いたいです〉

 彼女はそう綴ると便箋を持ち、部屋を出る。

 向かったのはいつものポストではなく、王妃の部屋。

 便箋を部屋の扉に挟みこみ、彼女は自分の部屋へと戻っていった。


 夜も更け、彼女はベッドの上で静かに眠っていた。

 コンコン――

 誰かが叩いたノックの音に目を覚ます。

「こんな夜更けに誰だろう」

 彼女が扉を開けると、そこには宝石が散りばめられた、あのティアラが置かれていた。

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5分で読める物語『ロイヤルメイド』 あお @aoaomidori

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