28曲目 僕を待つ人


“俺はお前の友達なんかじゃない“


その言葉はまさに、狂犬伊吹そのものだと思った。


自分勝手な言動で人を裏切り、悲しませてしまう。

変わっていない。二年前から何もかも………。


重く垂れ込んだ曇天の空は、三角公園のベンチに座ったまま動けない俺………近藤伊吹をこの世界に閉じ込めた。


三角公園は校内ライヴの前日、光と明石と三人で小さな円陣を組んだ場所だ。

でも今日は俺一人。

明石にあんな言葉を投げつけた以上、もう軽音楽部にも戻れる気がしなかった。

もちろん、六年二組の教室にも………

そうやって逃げ出してきて、気づいたら俺はここにいた。


左頬は、未だ熱を持っていた。

疼くような痛みの間に、昼間の光景が頭の中を駆け巡る。


今日の三時間目、俺と夏弥含む六年バレー部は倉本先生に呼び出された。

倉本先生は俺ら四人を前に淡々と言葉を紡いでいく。いつもと何ら変わらない、冷静な倉本先生だ。

ただ、言葉の端々がいつもより鋭い。


倉本先生は、俺がいじめを受けていると思ってるらしかった。

俺が、いじめの被害者?とんでもない。


バレー部を壊したという点では、加害者は俺の方なのに。


“君たちにも事情はあるでしょう。先生わたしたちにも言えないような、複雑な事情が。しかしこういう事実がある限り、私たちは君たちをこのまま放っておくわけにはいかないんです。そこだけは分かってくださいね“


倉本先生はそう言って分厚い紙束をひらつかせた。

先生は俺たちと話している最中、ずっとその紙束をめくっていた。多分、俺らからわざわざ聞きださなくても、先生達は全部知っていた。

………なんで。

その疑問は、ほどなくして打ち消された。


あの事件から二年経って、今さら先生がこの状況に目をつけた理由。


明石と、光だ。あの二人が、先生にチクって………

胸がギュッと傷んだ。

なんで。


何に対する疑問かわからない。

なんで。なんでなんでなんで。


胸が痛い。呼吸が浅くなって、溺れた経験なんてないけど、溺れたような息苦しさって多分こんな感じなんだろうな。


なんで今さら二年前のことを掘り返すんだよ………!!


“高橋くん達の処置は、校長先生とも相談しますので少し待っててください。ただ、問題が問題だ。最悪、停学は覚悟しててくださいね“


その言葉を残して倉本先生は去っていった。

俺らは突然のことにどうすることもできなくて、四人揃って立ち尽した。


“あっ、優真っ、俺ら次体育じゃない?“

“そ、そうだな。着替えなきゃ………“


しばらくして晃がわざとらしく声を上げ、優真が俺ら二人を気にしつつもそれに続いた。


“じゃ、じゃあな伊吹。夏弥も、また部活で………“


二人の姿が廊下の奥に消える。

俺も夏弥と二人きりという気まづさに耐えられなくなって、教室に戻ろうと踵を返したその時。


“………いじめられた悲劇のヒーロー、いや、お前の場合はヴォーカル?だっけか。いじめを乗り越えてハッピーエンド、か。いいじゃん、いいシナリオになったな“


笑み混じりの夏弥の声が、廊下にこだまする。

シナリオ?ハッピーエンド?

俺は思わず足を止めた。


“俺がいなくなっても覚えとけよ、伊吹。事実は消えねぇ。お前はこれからもずっと、永遠に、バレー部を壊した凶犬伊吹だ。死ぬまでずっと、お前はその罪を背負ってくんだよ“


夏弥が右腕を振り上げる。

目を瞑る前に、頬に重い衝撃を受けた。

痛くない。もう慣れてしまった。

むしろ、なんともいえないこの感覚だけが俺を肯定してくれていた気がする。

夏弥の後ろ姿を、ぼんやりとした頭で見送る。


その後の記憶はあまりない。

気づいたら男子バレー部の部室にいて。

最後に自分が身につけていた6番のゼッケンを見つけて、涙が溢れた。

その時だ、明石が入ってきたのは。

俺は高ぶる感情のままに言葉で殴って、ついに明石にあんな顔をさせてしまった。


もう、自分がどんな気持ちなのかもわからない。




雨が頬を濡らした。


潤んだ視界に水玉模様が浮かぶ。 


制服は濡れて重くなってきたけど、俺に立ち上がる気力なんて残ってなかった。

感覚のない手を握りしめる。


ああ、このまま、雨と一緒に


………消えられたら。


誰にも知られず、消えられたら。

この寒さと、雨に揺られて消えられたなら。


ここで、全部終わりにできたなら。


俺がゆっくり瞳を閉じた、その時だった。


「………なーにやってんの」


雨が止んだ。


続いて、ふわっとしたタオルの感触。

その冷えた体に、染み込んだもの。


「ばっか、そんな薄着でさみぃだろ。風邪引いて声でなくなったらどうすんだ」


その声。男の先生にしては高くて、まるで少年のまま大人になった人みたいだって、俺は初めて話した時に思った。


潤んだ視線の先に映ったものは。


「うわ、ひでぇ顔」

曇天の空に映える、ミルクティー色。

その薄茶色の瞳が、いたずらっぽく泳いだ。


ワイシャツ姿の大原先生は、俺に傘を押し付け「とりあえず雨宿りだな」と近くのファストフード店を指差した。


「伊吹ー、お前何食う?」

「………」

「無視すんなってばよ。俺いちごシェイクかなー、あとアメリカンバーガー!何も食いたくねぇなら俺勝手に買ってきちゃうけど」

いやなんだこの状況は!

俺はいつものようにツッコミたいのを懸命に抑えるために、グッと肩にかけたバスタオルを握りしめた。


俺の座る前の壁に踊るのは、暖色のライトで煌めく【country burger】の文字。言わずと知れた、バーガーチェーン店のロゴだった。

ここに俺は今から十分前に、大原先生に強引に連れてこまれた。


夜の入り口みたいな時間帯だからか、学生や仕事帰りのサラリーマン風の客で店内はごった替えしていた。気を抜けば知人に合いそうな雰囲気………ただでさえ白仙学園の制服は目立つのだ。俺はバスタオルを被り直して、制服が見えないよう背中を丸めた。


そんな俺の心中いざ知らず、


「伊吹ちゃんおまたせー!俺と同じアメリカンバーガーだよー!」


変人軽音学部顧問はその馬鹿でか声を店内に轟かせながらこちらに向かってくる。

周りの人の視線が痛い。そのだらしない格好も相待って、完全に不審者を見るような目を向けている人もいる。

………うん、できれば他人のふりしたい!!


「伊吹夕飯まだ食ってないでしょ?だから軽めのやつにしといた!」


「いや、俺、食べたいとか言ってないし………」


「そんなこと言わずに!食えば色々と解決するもんよ。あんな寒い中ずっともんもんとしてたら、そりゃ思考も行き詰まるわ」


「いただきまっす!」大原先生はそう言ってハンバーガーにかぶりつく。

「うっまー!やっぱここのは違うわぁ」


先生には悪いけど、今はとても食べるとかいう気分じゃない。

先生はそんな俺の心中を察してか、

「………一口でもいいから、食いな。お前が残した分は俺が食べるからさ」

そう言って、バーガーの乗ったお盆をそっと俺の方に押しやった。

「お前が元気ねぇの、心配になるんだ」

仕方なくバーガーに手を伸ばす。

思い切ってかぶりつけば、バンズからこぼれた肉汁と濃厚な照り焼きソースが口の中に溢れた。


あ、意外とうまい? 

もう一口、もう一口と食が進む。


途端にがっつき始めた俺を見て、

「伊吹ー、口にソースついてる」

先生はそう言って嬉しそうに笑っていた。



「お前、最近部活来てなかったじゃん」


二人とも各々食事を楽しむ。

一通りハンバーガーを堪能したのか、食べ始めてからしばらく後、大原先生はナプキンで口を拭いながら話しだした。


「お前は知らないかもしれないけど、光と明石はお前をずっと待っていたよ。ずっと、ずっとな。俺はただその様子を見てただけだけどな、でも単純にこう思った。

“ああ、伊吹ってすげぇ信頼されてんだな“って」


喉に詰まりかけたハンバーガーを無理やり飲み込む。また、胸がぎゅっと苦しくなった。

俺は信頼なんてされて良い人間じゃない!!

そう叫び出したいのをグッと堪え、堪えた反動で違う言葉が飛び出していた。


「光と明石は、本当の俺を知らないだけだ」


「知らねぇのなんて当たり前だろ、バンド始めたばっかなんだから。つか、俺がしたいのはそういう話じゃない。知らないままで、信頼されてるのがすげぇって話」


俯く俺に、大原先生はコツンと軽くデコピンをぶつける。


「その人を惹きつける力、カリスマ性………やっぱお前、ヴォーカル向きだわ。歌うんぬん以前にな」


「痛った………」


額をさする俺を見て、先生はまた笑った。


「たしかに光も明石も、そして俺も。お前のことはなんにも知らない。どんだけバレー部事件を細かく調べても、お前のことはお前にしかわからないからな。


過去に事件を起こした。

校内ライヴの時は時間通りに来ねぇし、

突然訳わかんねぇこと言って泣いて、部活から逃げ出した。

ほんと、訳わかんねぇ奴だよお前は。


でもよ。そんな訳わかんねぇお前を、あの二人は今、必死に分かろうとしてんだ。

分かりたいって思ってんだ。

だから、今もあの音楽準備室で待ってる。

いつ帰ってくるかもわからないお前を、

どうやったら帰ってきてくれるか、試行錯誤しながらずっと待ち続けている。


なあ、それってすげぇことだと思わねぇ?」


———伊吹。

頭の中に、響くその声は。


———伊吹、帰るぞ!


懸命に伸ばしたその手を、掴んでくれたのは。


そうだ、いつだってあの二人だった。



「………俺は、あの二人の側に居ていいの」


「居ていいも何も、あいつらがお前を求めてんだ。仕方ねぇから側に居てやる、そんくらいの気持ちでいいんだよ」


大原先生の言葉に、俺は涙を堪えるので精一杯だった。


過去の話だと割り切れたら幸せだった。

この先ずっとこの後悔を背負って生きていくと、早めに覚悟を決められれば強くなれた。

でも、俺はどちらにもなれなかったんだよな。

何もできぬまま、ただひたすら孤独に慣れようと必死で。

自分で自分を諦めたまま、居なくなってしまおうと思っていたんだ。


俺を諦めないでいてくれた人が、こんなにもすぐ側にいたのに。


「お前はどうなんだ、伊吹」


暗く沈んでいた心に、大原先生の声が響く。


「お前は、またあのステージに立ちたいか?」


頭に蘇るのは、校内ライヴの時の光景。

鳴り止まない歓声。オーディエンス達の驚いた顔、笑顔。

俺は知ってしまった。

あそこは、過去も今も全部捨てて立てる場所。


「うん」


もう迷わない。

大原先生が再び頬を緩める。


「じゃあ、明日からは来れるな?部活」


頭の中に、あの時の明石の表情が浮かんだ。


「………いや、俺実は………明石に結構酷いこと言っちゃったから………明石が許してくれれば」


「………そうか。でもな伊吹、これだけは覚えておけ」


店を出れば、雨はいつのまにか止んでいた。

遮るもののない夜空。アスファルトに残る煌めきが、俺たちの行先を明るく彩っている。

大原先生が俺の半歩先で振り返った。


「人生、どんだけ誠意込めて謝ったってどうしようもならないことが多い。謝ったところで過去は変わらないし、お前の抱える心の重りが軽くなることも、多分ない。


でも人間同士が許し合う第一歩は、いつだって心からの謝罪なんだってこと。


恨み、妬みの連鎖を断ち切る唯一の方法。それは、心からの“ごめんなさい“だ」

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アンコール! 暁 葉留 @uretan

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