27曲目 向かう先はどこへ
★
「高橋くん、佐々木くん。ちょっといいですか………近藤くんも」
突然、生活指導の倉本先生に呼び出された二人は「げ」と顔を顰めた。
名前を追加された伊吹も目を丸くしている。
倉本先生は銀縁のメガネを光らせ、
「そんな嫌そうな顔しないでください。少しお話を聞くだけです」
と全く説得力のない口調で話した。
でも、三人は何となく察したようだ。
倉本先生の後ろにはすでに同じバレー部の長谷川晃と、部長の荒井優真がいるのだ。バレー部絡みで呼ばれたということくらい言われなくてもわかる。
そして「今はバレー部でない」伊吹まで呼ばれたということは。
思い当たる節は、二年前のバレー部事件以外ないだろう?
優真は私………小川光と目が合うと、笑顔で「ひかる、ナイス行動力」と口をパクパクさせた。
ナイス行動力、とは、私と明石が大原先生に伊吹と高橋のことについて相談したことだろう。
しかし「先生に頼る」と決めた後も本当にこれでよかったのか、と迷う自分もいる。
これが正解だったのか。
これは本当に伊吹のためになるのか。
それでも、今の私たちの最善はこれだった。
バレー部のいじめ
果たして待ち受けるのは、
★
「ねえアレ、絶対バレー部事件のやつだよね。ついに先生に怒られるのかな!?」
「まじ?ってか、未だに先生にバレてなかったの?あんなに派手にやってたのに」
「バレないようにやってたんでしょ。高橋ああ見えて結構タイミングよんでた気がするし」
「でも俺らが四年の時だから…二年前からだろ?その間よく先生にバレなかったな」
「誰がチクったんだろ?」
「どうせ軽音の二人でしょ。ほんと行動力オバケだな」
高橋と佐々木が倉本先生に連行されて行った後、六年二組はざわめきに揺れていた。
黒板には、几帳面な郡司先生の字で“自習“の文字が踊っていた。
今頃私のクラスの担任の郡司先生も、倉本先生から根こそぎ搾り取られるように話を聞かれていることだろう。
私は算数のドリルに鉛筆を走らせつつ、そんなクラスメイト達の会話に耳を澄ませていた。
「バレー部暴力事件」について、同じクラス………いや、この学校の六年生は皆知っている。もちろん、明石のような編入生は除いて。
なぜなら二年前バレー部事件が起こった時に、学年中に事件の一部始終と本当か嘘かもわからないデタラメな噂が出回ったからだ。
その名残か、今でもクラスメイトの間では暗黙の了解的な感じで、
「近藤伊吹はすぐ暴力に走るヤバい奴」だし「佐々木翔太は近藤に殴られた可哀想な奴」で「高橋夏弥は近藤を恨んでいじめてる奴(だからあまり関わらないほうがいい)」だ。
そして皆、バレー部の三人はこれから卒業までずっとそういう関係が続くのだと思っていたのだろう。
近藤伊吹は過去の過ちの罰を高橋夏弥から受け続けると、それが当たり前だと。
だから今まで、時にクラスメイトが面白ろ半分に高橋の行為に加担していたことがあった。
皆、自分が悪い事をしてる自覚なんてなかった。
むしろ自分のしていることは正しいと信じて疑わなかった。
それは何も手を出さずとも、ただ見ているだけだった私たちも同じ。
誰が悪い、の話じゃない。
みんな悪い、の話だ。
だから本当は、高橋と佐々木の二人だけが怒られて他の人はこうやって教室で騒いでる、この状況はおかしい。
どうやったら全員が今までの自分の行いを振り返れるのか、私がそんなことをただ繰り返し心の中で考えているうちにいつのまにか授業時間は終わっていた。
ビックバン風のチャイムを合図に、昼休み特有の緩んだ空気が教室に充満し始めた、そんな時。
突然教室の扉が弾かれたように開いた。
ついに三人が帰ってきたか!?
そんな期待を含んだクラスメイト達の視線は真っ直ぐ、扉の陰から姿を現した人物に向く。
しかし、そこに立っていたのは高橋夏弥一人だけだった。
何か見えないものを睨むような顔で高橋が教室を横切っていく。クラスメイトはそんな彼の様子で全てを察し、ささっと視線を逸らした。
ただ、そんな気まづい空気など関係ないと明石が高橋のところへ飛んでいく。
「高橋っ!あれ、伊吹は?一緒じゃねぇの?」
明石からすれば、ただ素朴な疑問をぶつけただけかもしれない。
三人で呼ばれたんだから、三人で帰ってきたんじゃないの?と。
しかし、聞くタイミングと聞く人が悪すぎる。
「伊吹」というおそらく今一番聞きたくないであろう単語に、高橋の眉毛がピクッと跳ね上がった。
「………っせぇんだよ!!」
その言葉と共に、高橋は近くの机を思い切り蹴飛ばした。
明石がびくっと肩を震わせて立ち止まる
金属のぶつかり合う大袈裟な音が教室の緊張をさらに高め、
息の詰まるような沈黙が教室を包んだ。
「………てめぇか、栗原明石。先生にチクったのは」
ドスの効いた声で、高橋が低く唸る。
ガシャン、とさっきより小さな音が鳴ったのは、再び高橋が机を蹴ったからだ。
そのままのそのそと、明石に近づいていく。
「………覚えてろよ………」
明石の横を通り過ぎるときにそう呟き、高橋は乱暴に椅子を引くとそのまま自分の席についた。
「え、なんかやばくね………」
「高橋めっちゃキレてんじゃん」
「相当先生に怒られたんかな………」
「当たり前でしょ。あんなに派手にやってたんだから」
「つーか栗原くん、大丈夫………?」
少し間をおいて、自習の時間よりも控えめなざわめきが教室に広がる。
その輪の中心にいる高橋は、何食わぬ顔で窓の外を見ていた。
「く、栗原大丈夫?」
明石と普段仲のいい
ぼーっとしていた明石はその声ですぐ我に帰り、「だ、大丈夫!!」と親指を立てた。
「いや本当かよ!………っておい、どこいくの!?」
小野がそう言った時にはすでに、明石の姿は扉の奥へ消えていた。
その様子を、私はただ見ていることしかできなかった。
★
教室を飛び出す。流れゆく景色を蹴って、早くなる呼吸を感じながら俺はひたすらに走った。
“てめぇか、栗原“
間違ってない。俺は間違ったことはしていない!
俺はただ、伊吹を助けたくて………
“見ててキモいんだよ”
“なにお前、先生に気に入られようと必死なの?“
「………っ、はぁ………っ!」
足を止める。荒くなった息を整え、頭に響いた二年前の記憶を振り払う。
大丈夫。今の俺の心は、こんなんじゃ揺らがない。
もう
「ってか、何で俺教室出てきたんだっけ?」
あの空間から逃げ出したくて、なにも考えずに飛び出してきてしまった。オノコにも声をかけられた気がしたけど………気を使わせちゃったかな。
足の向くままに走ってきたので、ここがどこだかわからない。初等部内ではあるはずなんだけどな………とりあえず歩き回っていれば知っている場所に出るだろう。俺はゆっくり歩を進めた。
人気のない廊下に、自分の足音がこだまする。
ここら辺に並ぶ教室のドアは、普通教室のスライド式のドアと違って開閉式のものだ。教室自体のサイズも小さそうだ。俺は何気なく近くのドアにかかった札を見て、あっと声を上げた。
【男子バスケットボール部】
「運動部の部室練かな?」
よく見てみれば、扉にはそれぞれ同じような小さな札がかかっていた。運動部の人はここに荷物を置いたり、着替え室として利用しているらしい。廊下には無造作にダンボールが積み重なり、その中には部屋から溢れ出たビブスや大量のスポーツドリンクが入っていた。
バスケ部、バトミントン部、体操部、と部室が続く。
その時だった。俺が通った時、ガサっと音の鳴った部屋があった。
思わず足を止める。
何気なく札を見れば【男子バレーボール部】の文字が俺の目に飛び込んできた。
………考えるより先に扉に手が伸びていた。
「伊吹っ、いる!?」
扉を開ける。
むわっとした汗の匂いに満ちた部屋の真ん中に、佇む一つの人影。
もはや見慣れた、後ろ姿だった。
「………あ、明石………?」
俺の声に、伊吹が振り向く。彼のひどく腫れた頬をみて、俺は全てを悟った。
でも、久しぶりに伊吹の顔をちゃんと見た。
そのことが何より嬉しかった、はずなのに。
「来んじゃねぇっ!!」
突如響いた彼の怒鳴り声に動きかけた足が止まる。
光のない真っ黒な大きな瞳が、えぐるように俺を睨んだ。
「お前だろ、先生になつ………高橋達とのことチクったの!勝手なことすんじゃねぇよ!!」
「………伊吹?な、んで?なんで、怒ってるの」
俺は間違ってない。
間違ったことは、していない………
本当に?
伊吹の目は、遠目でもわかるほど潤んでいた。
その目を、潤ませたのは………
俺、なのか。
「………もう、ほっといてくれよ………」
伊吹の枯れて消え入りそうな声が、宙にとけた。
「………ほっとけるわけ、ないだろ」
喉が震えて、うまく声が出せない。
「ほっけるわけないだろ。と、友達、なんだから」
ほんの数十センチ。今俺と伊吹の間には、それくらいしか距離は空いてないはずなのに。
彼の居る世界と俺の居る世界は、確かに見えない壁で隔てられていた。
「………友達じゃねぇよ。俺がお前のこと友達なんて呼ぶ資格、ねぇもん」
ねえ、伊吹。わからないよ。
なんで今、伊吹は怒ってるの?
「友達じゃない」なんて、なんでそんな酷いことを言う?
それに。
なんで怒りながら、その瞳は濡れたままなんだ?
伊吹が俺の横を通り抜けていく。
「俺はお前の友達なんかじゃない」
俺の「揺らがないもの」を再び揺るがすには十分な言葉と、ただ立ち尽くすことしかできない俺を残して。
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