26曲目 繋ぐ手
“………なんでそう思うんですか“
先生に気持ちを見透かされてもなお、そんな生意気な口をきいている自分がいる。
“見てればわかるよ。光さん、大原先生に近づかれすぎると逃げるもんね“
確かに先生は嫌いだけど、大原先生はちょっと別格では?
先生云々以前に無駄にボディータッチ多いし、タバコ臭くて耐えられないから逃げてるだけなんだけど。
‘‘先生たちは、君たちが思っている以上に君たちを見てる。そういう日常の細かな仕草とか、ちょっとした癖とか。そういうところから、本当の君たちを知るためにさ“
“知って、どうするんですか。知ったところで、どうせ一年かそこいらで切れる縁なのに“
考えるよりも先に言葉が出ていた。
蒼井先生はちょっと驚いたような顔をした後、ふふっと声に出して笑った。
”一年で切れる縁とか考えないよ。今、君たちの先生でいる、その事実が一番大事。それに君たちのこと知りたがる理由は単純だ。いざという時、君たちの手を引くため。その手の引き方を知るためだ“
君たちは十人十色、性格も性質も違う。
やたら泣き虫な男の子も居れば、
やたらと世の中を達観してる女の子もいる。
そんな君たちがもし、大きく道を外れるようなことがあれば、先生たちはそれを正さないといけない。
連れ戻してあげないといけない。
その時、
この子はちょっと強めに引っ張んないと戻ってこないとか、
逆にこの子は優しく握るように引っ張んないとびっくりして逆に逃げちゃうとか、
この子は手を引くよりもむしろ抱きしめてあげるほうが効果的かもとか、
いやいや物理的に引っ張るより言葉で誘導したほうがこの子はついてくるとか、
引っ張り方にも方法があってね。
全部、君たちを知らないとできないことなんだ。
先生の仕事は学校の勉強を教えるだけじゃない。
君たちを正しい道に導くのもまた、先生の大切な仕事なんだよ………
蒼井先生はゆっくりと、温かい声色で言葉を紡いでいく。
自分の腕を見つめてみる。
………さっき、蒼井先生はちょっと強めに私の腕を引っ張った。
それはつまり、そういうことなのかな………
蒼井先生がそんな私に優しい眼差しを向ける。
“先生は知ってるよ、全部。君たちの強さも弱さも、何をどれだけ大切にしてるかも。その上で、言わせてほしい“
先生が、おもむろに左手の小指を立てた。
まるで「約束しよう」とでもいいたげに。
“君たちが無力だとは決して思わない。
もしかしたら、今悩んでる問題は君たちだけでも解決できてしまうものかもしれない。
………先生が介入しない方が、いいのかもしれない。
でも、君たちがもし道を間違ったとき………間違いも勉強だ、なんていう大人もいるけれど、それでも取り返しのつかない間違いをした時。
先生は絶対に君たちを連れ戻す。
必ず、君たちが幸せになれる方に導くよ。
だから、頼って。
数多の道を前にして迷った時、俺たちを頼って。
絶対に力になるから“
先生が差し出した小指に、私は無意識のうちに自分の小指を絡めていた。
蒼井先生の瞳に一つの灯りが灯る。
先生はその目を細めて笑った。
“これは約束だ。俺は必ず君たちの力になるっていう………そしてもう二度と、君たちだけで抱え込まないっていう“
★
「力技?」
「先生に頼ろう、ってこと」
そう告げた私を、明石が驚いたように見る。
「………なにその顔」
「いや、光がそうこと言うの意外だなって。全部自分でなんとかしそうなのに」
「最初はそうしようと思ってたんだけどね。
でも先生達って権力持ってるじゃん」
「言い方よ。まあでも言いたいことはわかる」
明石が掠れた裏声で叫ぶ。
「“だーめなんだだめなんだー、せんせーに言っちゃおー!“ってやつでしょ」
「………まあ、そういうこと」
低学年の頃は、こういうふうに先生の無条件な権力によく頼っていた気がする。
それがいつからか、全部自分でやりたがるようになった。
かつて私たちの「味方」のはずだった先生が、私たちの「敵」になったのはいつだったんだろうね。
明石が「よし!」と腕を振り上げた。
「そうと決まればいざ大原先生のもとへ!」
えっ、と思わず声が出る。
「なんでわかったの」
「何が?」
明石は心底不思議そうな顔をした。
自覚なしか。
「私が頼ろうとしてるの、大原先生だってこと」
「だって光が頼る可能性がある先生って一人しかいないじゃん?蒼井先生かなーっとも思ったけど、多分すでに蒼井先生には話してあるんだろ?」
恐ろしい。一緒に練習しすぎると、どうやら心の中まで見透かされてしまうこともあるみたい。
相変わらずフットワークだけは軽い私たちだ。
二人共競い合うように職員室へ向かう。
「失礼しゃああああす!!」
明石が職員室の入り口で運動部さながらの挨拶をかませば、中にいた先生達の視線が一斉にこちらに向く。
「大原、先生!居ますか!!」
「あら、軽音部の二人じゃない」
そう言って笑ったのは
宮下先生はその白く細い人差し指で、昇降口の方を指した。
「大原先生なら、さっき倉本先生と一緒に高等部の方に行ったからしばらく帰ってこないかも」
「ま、まじすか!」
明石ががっくりと肩を落とす。
「何か急用?私が伝言しといてあげようか?」
「いやー………いや、大丈夫です!」
ふむ。あの人は居なくていい時にいて、居てほしい時に居ないことが多い。
結局私たちは「後で少しお話したいことがあります」と、どうとでも取れる謎のメッセージを大原先生の机の上に残し、不完全燃焼のまま職員室を去ったのだった。
にしても、さっき宮下先生は「倉本先生と一緒に」と言った。
倉本先生と大原先生。
白衣の生真面目マンとニコチンミルクティーの顔が交互に脳内に浮かび上がる。
どうでもいいけど、すごい不穏な組み合わせだな………
★
「………なるほど」
俺………
細っかい文字で書かれた報告書だった。
いや、報告書の類ってどれもこんな感じだったか?
そんな俺の様子を見た大原はいやに深刻そうな顔をして「倉本先生、もしかして」と言葉をこぼした。
「老眼………?」
「いや、ただの眼疲労です」
眼疲労だと信じたい。
放課後の高等部は、部活動にい勤しむ学生で大変賑わっていた。部活道具を抱え、廊下を走っていく運動部員達。あれよこれよと話しながら楽しそうにそれぞれの教室に入っていく文化部員達。開け放たれた廊下の窓からは、ときおり風にのって管弦楽団のロングトーンが聞こえてくる。
日本一の超進学校の名を背負う白仙学園高等部だが、蓋を開ければ実情はそこまでガチガチの成績至上主義学校というわけでもない。
こんなふうに放課後は皆勉強から開放され、勉学と同じくらいの盛んな部活動に勤しむし、アルバイトだって許されている。校則もあるにはあるが本当に数えるほどだ。服装は制服さえ着てればあとは自由。過度でなければ着崩していても基本的にはとがめられることはない。
私立校らしい自由な校風のもとで学ぶ生徒達は、初夏の陽光に照らされて輝いていた。
俺はよくわからないが、これが俗にいう「青春時代」というものなんだろうな。
物理的にも内容的にも重い報告書から目を背け、そんなことを考えていた俺の視界にふと、隣で難しい顔をしている大原が映った。
………ああ、わかっている。
普段は脳内お花畑のコイツでさえ、こんな顔をする事態だ。現実から目を背けるのはやめよう。
報告書に目を戻す。
この報告書の作成者は大原だ。
報告書の内容は、簡潔に言えば第六学年内の「いじめ問題」だった。
またか。
そう冷静に思ってしまった自分に怖くなる。
俺がこういう類の問題にぶつかったのは今回が初めてではない。二十年近く白仙学園に勤めてきて、おそらく今回が八回目だ。
直近だと二年前。その時は最終的に被害者の女子児童が自殺未遂をおこす、という最悪な結末を迎えてしまったのだが。
でも、もう二度とあんな事態にはさせまい。
俺は「生活指導部長」という自分の肩書きを思い出し、ひそかに拳を固めた。
「報告書は上の先生方にも提出させていただきます。六学年の先生方にも改めて話を聞くとします。ここまで情報が集まっているならば、今度は学園側も無視できないはずです」
「………!よろしくお願いします!」
大原がそう言って勢いよく立ち上がり、俺に頭を下げる。
その行為は形だけのものではないと分かるから、普段の彼とのギャップでなおさら不自然だ。
「やめてください。頭を下げるなんて、貴方そういうキャラじゃないでしょう」
「なぬっ、まるで俺が頭も下げない態度でかい奴みたいな言い方やめてくださいよ!」
「事実じゃないですか」
俺は報告書を脇に抱え、廊下のベンチから立ち上がった。
毎度感じる。こいつと話してると時間がもったいないな、と。
「そうとなれば大原先生、さっそく動きますよ。………こういうのは初動捜査が大切ですから」
俺の声に、大原が騒がしく俺の後ろを追う音が重なった。
いじめ問題。
加害者と被害者の生徒だけでなく、我ら教師をも永遠と悩ませる問題だ。
何が正解で、何が間違いなのか。
多分この問題にはそういうはっきりとした線引きをすることはできない。どれを選んでも正解にすることができ、逆にどれをとっても間違いになってしまうことだってある。
だから、自分で見極めるんだ。
あの子達を救える最善の方法を。
あの子達の笑顔を、確実に守り抜ける手段を。
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