25曲目 「先生」という生き物
“ヴォーカルが俺で、ごめんな“
そう言った次の日、伊吹は部活に顔を出さなかった。
その次の日も、そのまた次の日も。
放課後は気づいたら居なくなっている。
明石はなんとか伊吹に部活に来てもらうために昼休みごとに彼を捕まえようとしていたけど、なにしろ伊吹は物凄く足が速い。一度逃げられたら二度と捕まえることが出来なかった。
そうして今日も、二人きりで音楽準備室の扉をくぐる。
「………なんか俺ら、大切なものを見落としてる気がする」
伊吹が来なくなって三日目の放課後。
サマフェスまで二週間を切ったある日。
さあどうやって伊吹を部活に来させようか、ここまで来たら勧誘の時のようにちょっと強引な手を使って無理やりにでも………なんて考えていた私の頭に、明石の言葉は鮮明に響いた。
「大切なもの?」
「うん」
明石は手のひらでドラムスティックをもて遊びながら答えた。
「校内ライブが終わってさ、やっと自分たちの課題が見えてきて。で、伊吹の声を邪魔しないようにって俺と光はいっぱい練習した。それと、伊吹のバレー部時代の話を優真くんから聞いたりして、どうやったら今伊吹が背負っているものを軽くできるか、なんて考えたりもしたよね。そうやって考えるとさ、校内ライブ終わってから俺と光、伊吹のことばっか考えてるなあって」
たしかに。
「でも、俺気づいたんだよね」
明石の手の甲を支点に回っていたドラムスティックが、カランカランと音を立てて床に落ちた。
「俺らはずっと伊吹のこと考えてたけど、伊吹の気持ちまでは考えてなかったなって」
「………気持ち?」
「うん。この前の合わせの時、伊吹は俺がヴォーカルでごめん、ってさ。俺それ聞いてびっくりしちゃって。だって、伊吹が俺らに引け目を感じてるなんて思ってなかったから。むしろ責められるかもしれないって思ってたくらいだし
あ、明石も私と同じことを考えてたんだ。
「そう考えたら、俺は今まで伊吹の気持ちなんてイッチミリも考えたことなかった。初めて話した日も、伊吹の過去なんて何も知らなかった俺は、ああやって庇うことで伊吹を高橋達から助けたつもりでいた。………昔の俺がされたかったことを、伊吹にしたんだ。けど、それは逆に伊吹を追い込んでいたかもしれない」
視線を感じて、音楽準備室の窓に泳がせていた視線を明石の方へ移す。
明石の目は、私を見ているようでどこか遠く………私の考えも及ばぬほど、遠くを見ているような気がした。
「普通はさ、怖いんだよ。誰かにいじめられるってのはさ、痛いほど惨めで、自分って人間を頭から否定されて、自分には誰も味方がいないって自覚し続けることだから。なにより、自分で自分を必要としなくなるのが怖いんだ。でも、伊吹にはそれを初めから受け入れてるような雰囲気があって………あの、初めて話した日もそう。なんつーのかな、なんか………真っ当に生きるのを諦めたような顔をしてた」
あの日。私が明石を軽音楽部に誘った日。そこで中庭でリンチされていた伊吹を見つけ、明石は迷わず(ちょっと迷ってたけど)そこに乗り込んでいった。
「優真くんの話を聞いて、事件のだいたいのことはわかったよ。百パーセントとは言えないけど、伊吹が原因だってことも。けれど、伊吹があの事件をどう受け止めているのかはわかんない。もしかしたら、自分をひどく責めてるかもしれない。………ひどく責めすぎるせいで、高橋達にどんなに酷いことされても、こうなったのは全部自分のせいだからって、間違った考えのまま受け入れてるかもしれない。いや、多分そうだと思う。
でもそれってさ、周りから見たらよくないことじゃん。 この世界にいじめられていい人なんているわけないじゃん」
明石はそこまで一気にしゃべると、ふーっと深呼吸をして、「だからっ」と声を張り上げた。
「ただ高橋達のいじめを止めるだけじゃだめだ。
そんなんじゃ伊吹を救い出せない。
伊吹はきっと、もっと暗い苦しい世界にいる。
俺らは、そこから伊吹を引っ張り上げてあげなくちゃならない!」
ぐっ、と拳を握る明石。
彼の姿がいつになく逞しく思える。
私が無駄口を挟む隙なんてなかった。
分かったのは、自分の見てきた世界がいかに狭かったかということ。いかに自分のことしか考えていなかったかということ。
………本当に、明石には敵わないな。
「そうだね」
私はそれしか言えなくて、でも明石は、私のその言葉を聞いて寂しそうな表情を解いて笑った。
「ああ、だから俺たちで………」
「でも、高橋達のいじめを止めるのは正直私たちだけじゃ限界あるかな」
別に水を差すつもりじゃなかったんだけど、「いや今の流れでそれ言う??」と明石はずっこけた。
「限界があったって関係ない、限界は超えるもんだ」
明石の脳筋発言に、私は言葉を挟んだ。
「高橋のいじめは、伊吹を恨んでのこと。伊吹も多分それを知ってて、いじめを受け入れてる節がある。他のバレー部員も黙認。それぞれが今の現状に納得してて、今の状況が一番正しいと信じてる。それは周りがいくらそれは良くないことだって言っても」
明石の眉間にシワがよる。
わかるよ。あなたはとっても正義感が強い人だ。それと同時に、正しくないことを黙認する居心地の悪さを、きっと人一倍強く感じてしまう人だ。
「だから、そこにどうしても割り込みたいって思うなら、どうしても力技に頼らざるをえないのかもね」
力技?と明石がきょとんとした声で呟く。
私は一つ、今日の昼休みの出来事を思い出していた。
★
“伊吹くんのこと、あまり二人で抱えこみすぎないようにね“
“………なんの話ですか?“
昼下がりの理科準備室。授業のプリントを郡司先生のところに提出した後、帰り際にそう声をかけてきたのは、たまたまその場に居合わせた蒼井先生だった。
振り返って見れば、蒼井先生は相変わらず眠そうな目をしばたかせながら、読んでいた星座の本から顔を上げた。
“何の話って、とぼけないで光さん。センセイは全部お見通しだよ“
星座の本をぱたん、と音を立てて閉じる。蒼井先生は微かにほほ笑んだ。
“大丈夫、俺も大原先生も、きちんと気づいてる。伊吹くんが今おかれている状況も、光さんと明石くんが伊吹くんを守ろうと必死になっていることも“
“だから、何の話ですか“
自分の声が意外にも大きかったことにおどろいた。
………今ならわかる。
私はその時、焦っていた。
先生たちに自分たちがこれからやろうとしていることを、悟られたことに。
私たちの問題に「先生」が介入してくる、その恐怖に。
私は昔から「先生」という生き物が嫌いだ。
蒼井先生は戸惑ったように呟いた。
“いや何って………“
入ってこないで。
私たちの問題に、介入してこないで。
何も、何もわからないくせに。わかろうともしないくせに。
分かってる。蒼井先生は何も悪くないし、蒼井先生が嫌いなわけでもない。
私は「先生」という生き物が嫌いなんだ。
‘‘今回は本当に大変だったね。でも、光ちゃんは強いから大丈夫‘‘
昔、そう言って私のことを突き放した先生がいた。
二年前、世界で一番大好きだった人に裏切られて独りぼっちになってしまった私は、すがる思いで当時の担任の先生に手を伸ばした。
その時の私は孤独と哀しみでつぶれそうだった。
たった一度でもいいから、手を握ってほしかった。抱き締めてほしかった。あなたは独りじゃない、先生がいるよって、そういう言葉を言ってほしかった。
でも、その先生は私の手を握ってなんてくれなかった。
貼り付けたような笑顔とその一言で、めんどくさい問題を学校に持ち込んだ私から目をそらした。
そこで、私は幼いながらも悟ることになる。
「ああ、先生は
先生は私たちと同じ生き物じゃない。
一つの教室の中で同じように生活していても、先生は先生で、私たち児童は児童で、きっと別の世界線で生きている。気持ちを通じ合わせることなんてできるわけない。きっと、通じ合わせる気だってさらさらない。
でも先生って生き物はずるくて、お給料とか学校内での地位とか、「先生」という自分の存在価値を揺るがされそうになった時だけ、甘いマスクを貼り付けて私たちに近づいてくる。
今回みたいな人間関係の話とかも、そう。
安易に踏み入ってほしくない領域に限って先生たちは積極的に近づいてくる。
だから今回私は、先生達には絶対に気づかれないようにってそれだけを考えて動いていていた。
今度は、踏みにじられたくなかった。
めんどくさいことには上辺だけの解決策をかぶせて見て見ぬふりする先生達には、絶対に介入してきて欲しくなかった。
だって伊吹が今までどれだけのものを背負って、どんな思いを抱えて生きてきたかなんて、先生達にわかるはずないでしょ?
私はうるさく音を立てる心臓を抑えながら、努めて冷静に答えた。
“伊吹のことなら大丈夫です。心配してくださるのは嬉しいですけど、これは私たちの問題なので。先生はお気になさらず“
蒼井先生の瞳が大きく揺れた。
私が構わず部屋を出ようとした、その時。
‘“待って!“
悲鳴に似たその叫びが、理科準備室を貫いた。
それが普段穏やかな蒼井先生のものだと気づくまでに、少しだけ時間がかかった。
“なにかっ、何か、あってからじゃ遅いんだ!!“
そう言って私の腕をつかんだのは、大原先生みたいに力任せな手のひらじゃない。優しくも力強い、蒼井先生の手のひらだった。
びっくりして振り返る。
蒼井先生は目を見開くと「ご、ごめん。つい」と私の腕を離した。
“………ごめんね。でも、今俺と光さんの間になんか距離が空いてしまったように見えて。
余計なお世話かも知れないけど、でも、ちょっとだけ俺の話聞いてくれる?“
蒼井先生は常に、私たちに遠慮してるような雰囲気がある。
いちいち謝罪が入るし、言葉の端々は弱々しい。
でもそんな蒼井先生が今、強い光を宿した瞳を私に向けている。
私は少し迷って、近くにあったパイプ椅子に腰を下ろした。蒼井先生も自分の椅子を少し引いて私に近づく。
‘‘………わかるよ‘‘
蒼井先生は体を私のほうへむけ、窓の外を眺めながら言った。
‘‘俺も先生は嫌い。何なら「先生」やってる自分のことも嫌いだ。先生って基本理不尽な仕事だからね“
“別に、先生が嫌いとか私一言も言ってませんよ“
“でも光さん、学校の先生嫌いでしょ?“
蒼井先生が笑う。
私の気持ちなんて、とっくに見透かされていたみたいだった。
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