24曲目 ベクトル
★
「そんな顔するくらいなら、最初から聞きたいなんて言わないでよ」
「だ、だってあんな事態が深刻だと思わなかったんだもん」
「なんだ、じゃあ最後に優真に言った“一緒に伊吹を救い出そう(?)“みたいのも強がりだったんだ」
「ち、違うし!あれは本心!ただ、ちょっと思ってたよりもハードルが高すぎたって言うか」
「おい光、明石?なにコソコソしてんだよ?」
私たちは第一体育館へやってきた。
今日は男子バレー部も卓球部も部活動はないらしく、ガラ空きだった。音を出して思い切り練習するにはうってつけの環境だ。
「あ、いやなななんでもない!!あー、作戦会議してた!!」
動揺を隠せない明石とヒソヒソ話していたら、またもや伊吹が不思議そうな顔をした。そして明石が下手くそな嘘をつく。作戦会議て、まるで今から伊吹vsリズム隊で戦うみたい。
「まあ、いいけど。はやく合わせようぜ」
三人で協力して準備室からドラムセットを運び込む。伊吹はすっかり手慣れた様子でギターをアンプに繋いだ。
「ひかるー、あかしー、準備できたー?」
「ベースは大丈夫」
「ドラムもチューニング完了!!」
「じゃ、明石カウントよろ!」
力強いドラムのカウントが狭い体育館に鳴り響く。
曲はもちろん、約二週間後にサマフェスで発表する、backnumberの【SISTER】だ。
三人で弾けるように、大原先生がアレンジしてくれた。
伊吹のギターが若干前のめり気味に走り出し、明石のリズムがそこに叩き込まれる。
私は二人の足音を数えて、そして一気に飛び込んだ。
遠くから、微かに海の匂いがする。
★
転がるように音楽は進み、伊吹のギターソロで私たちの初合わせは終わった。
最後の一音が壁に反響し、名残惜しそうに消える。
「………なんか」
明石が少し息を弾ませながら呟いた。
「………なんか、伊吹、歌い方変えた………?」
………やっぱり、明石もそう思った?
自分の感じた違和感が明石にもあったことに、私は少し安心した。
1番のAメロは良かった。
走り出しは少しリズム隊とヴォーカルがずれたような気がしたけど、すぐにそのズレは修正できた、と思う。
けれど、Aメロのサビに入った時………
三人の中の誰かが決定的な何かをやらかした、とかじゃない。
でも、明らかに何かが食い違った。
さっき修正したはずのズレが再発し、どんどんその溝を広げていく。
なんだ、なんだ、なにが気持ち悪い?
リズム隊と伊吹で、すれ違っていく。
見えない薄い膜が伊吹の声の周りに張られてるみたいで、私たちが手を伸ばして伊吹の音を捕まえようとしても、その膜が邪魔をする。
Bメロも、Cメロもその調子で続き、そして私は違和感の正体に気づいた。
あ、伊吹、歌い方変えたんだって。
明石は少し困ったような顔をした。
「校内ライブの時と違うっていうか、なんか………」
「なに?」
伊吹が明石の言葉にわざと被せるように言う。
その言葉の鋭さに、私は思わず彼の方を見た。
その顔は、普段表情豊かな伊吹にしては珍しく無表情だった。
あれ、伊吹、怒ってる?
伊吹の後ろから話してる明石にその顔は見えていないだろう。でも、明らかに演奏が始まる前………もっと言えば今までの伊吹とは違う何かを感じ取ったのか、明石は黙り込んでしまった。
普段より一段低い伊吹の声が、音の消えた体育館に響く。
「言いたいことあんなら、はっきり言えよ。お前らだって、」
その時だった。
「おーおー、三人ともお揃いで!!」
そんな甲高い馬鹿でか声と共に、ばいーんと大きな音を立てて体育館の扉が開いた。
………ああ。
タイミング、最悪だ………
誰が来たのかなんて、声でわかる。
思わず頭を抱える私の後ろで、
伊吹に何を言われるのかと表情を固くしていた明石が、「へぇ?」と気が抜けたような声を出した。
伊吹も険しくなりかけた表情を解き、ぽかんとしていた。
「?あれ?俺、来るタイミング間違った?」
三人の湿った視線を一斉に受けて、空気読めない日本代表・大原先生は狼狽えた。
この人はなんでこう、もっと良い感じに登場できないのだろうか。
ため息を飲み込んだ私の方に、つっかけをパタパタいわせた大原先生が走ってくる。
「もー三人で合わせるなら言えっつったじゃん。ただでさえ光と明石は最近二人でコソコソやってんだからさー、このまま省かれ続けたら寂しくて俺そろそろ死んじゃうよ」
「わざわざ言わなくても、私たちが合わせていれば大原先生は必ず聞きにくるじゃないですか。どうせ今だってずっと体育館の外で聞いてたんでしょ」
私の言葉を聞いた大原先生は、一瞬びっくりしたような顔をした後、
「んふふ、大正解!さすが光!」
満面の笑みでぐいっと親指を立てた。
そして、くるっと体の向きを変えて伊吹の方を見る。
「伊吹、お前いいじゃん、練習の成果出てるよ。次はも少し周りの音聴こうな」
伊吹が「あ、はい」と慌てて頷く。
「光と明石は、俺が見てない間にだいぶ練習したみたいだな。だんだん音が安定してきてる。その調子、その調子〜。………んで、おそらく今お前らはそんな言葉を望んでない、と」
先生に褒められても浮かない顔をした私たちをみて、大原先生はニヤリと笑った。
「お前ら三人とも、確実に上手くなってきてる。でも、なんか噛み合わねえ。それを今、気持ち悪く感じただろ」
なんだこの人、全部わかってるんじゃないか。
大原先生が腕を組んで私たち三人の立つステージを見渡す。その薄茶色の瞳は、きっと私たちの心の内まで全てを見透かしている。
私は、つくづくこの人を不思議人だな、と思う。
普段はだらしなくて、うるさくて、大雑把で、変人全開で、誰にも後を追わせない自由人。
けれど、音楽と向き合うときの先生には「誠実」という言葉がよく似合う。
めちゃくちゃ耳が良くて、私たちの一つのミスも変化も聞き過ごさない。普段の絶望的な大雑把さ加減からは考えられないほど丁寧に教えてくれるし、丁寧に聴いてくれる。
なにより驚くのは、その知識量。
伊吹のヴォーカルも、私のベースも、明石のドラムも、全部先生が見てくれる。教えてくれる。丁寧に、一個ずつ。確実に、確実に身につくように。
一体何年音楽をやれば、その膨大な知識が手に入るのか。
どれだけ音楽に真剣に向き合えば、そこまで音楽にどっぷり浸かれるのか。
大原先生は両手の人差し指を立てると、右手人差し指を上に、左人差し指を下に向けて、「ベクトルの向きだよ」と呟いた。
「今、なんか嫌だな〜、なんか気持ち悪い感じだな〜って感じたのは、ベクトルの向き、お前らの音の向いてる方向がそれぞれ違ってたからだ。もっと簡単に言えば、伊吹は今、飛びに行った。けれど、リズム隊二人は逆の方向………置きに行ったんだよ」
「………なんか余計わかりずらいんですけど」
「んー、難しいか。じゃあ明石、お前、今なに考えてドラム叩いてた?」
突然質問を飛ばされた明石が、俺?と自身を指差す。
「えっ、あーえーっと、光とずれないようにって。光と俺の息が合ってれば、伊吹もそれに合わせやすくなるようになるかなって思ったので」
そう、これは私と明石の共通意識だ。
校内ライヴの音源を二人で聴いた日、私は「私たち二人の音が伊吹の歌を邪魔している」と思った。
三人それぞれの音が揃ってないのも、そう。だがそれ以前に曲の土台を作るベースとドラムが不安定すぎる、と。
上手いバンドは、上手いリズム隊がいることが多い。土台がしっかりしてるから、その上でメロディーが思いきり飛ぶことができる。
だから私と明石はこの一週間「秘密の特訓」としてみっちり二人のコンビネーションを練習したのだ。
未知の可能性を秘めた伊吹の声が自由自在に飛ぶための、土台を作るために!
でも、大原先生は
「そこからもう、ずれてるわけ」
と笑った。
「伊吹はお前らが何をしようが何もしまいが、そんなの関係なしに飛びに行く。周りの音を全く聴いてないわけじゃない。でも、ほぼそれに等しい。伊吹みたいな感覚で歌ってる系の奴は、普通のヴォーカルよりちょっとだけ声のコントロールが効かないんだ。理論で歌ってないから。周りの音を聞いてそこに自分の声を合わせるなんて、器用なこと出来ねぇんだよ」
大原先生の言葉に、伊吹が「な、なんかすいませんね!こちとら不器用なんでね!」と口を挟んだ。
「つまり伊吹にとって最高の状態は、常にそこに音があること。自分が行く先に、音が常にある状態だ。全く贅沢なヴォーカリストだよ」
「じゃあ伊吹が私たちに合わせにいく、んじゃなくて、私たちが伊吹に合わせにいく、じゃないと合わないってことですか?」
「そういうことだな。でも、その方法の難しさはすでに校内ライヴで身に染みてるはずだけど」
そうだ。私たちはすでにその方法で失敗していた。
じゃあ、どうすれば?
大原先生が再びぴん、と二本指を立てる。
「お前らが合わせる方法は二つ。一つ、俺が今から“感覚で歌えちゃう“不器用な伊吹くんにできる限りの理論を叩き込んで、“器用な“ヴォーカリストにする。二つ、“誰かに合わせる“っていう思考を止める」
「“誰かに合わせる“思考を止める………?」
「そう、音を“合わせる“っていう認識を、音を“集める“に変えるんだ。さっきのベクトルの話も少し絡むけど、気持ちを揃えて、合わせようとしなくても自分が望むところに、常に残り二人の音がある状態にする。………ちょっとお前らにはレベル高すぎる話かもしんねぇ。気持ちの問題でもあるしな」
その後「大原先生、職員会議ですよ」と大原先生が蒼井先生に引きずられて行ったあとも、Bメロだけ、サビだけ、かと思いきや頭から丸ごと、と畳み掛けるように合わせ練習を続けた。
合わない、合わない………
焦ると余計合わなくなる。
そのうち腕が疲れてきて、汗で指が滑る。
明石の、特訓をするようになってから鳴りを潜めていた「焦ると走り出す」癖がひさしぶりに出現した。
私は太い弦を力一杯弾きながら考える。
気持ちを、揃える。
今、私と伊吹と明石の気持ちは、揃ってない?
いや、揃ってるはずだ。校内ライヴを経て、上手くなりたい、もっと上手くなりたいと思ったから、私は明石と、伊吹は大原先生と「秘密の特訓」をしたんだから。
皆が向いている方向は同じ。
じゃあ、なんで揃わない?
大原先生が来るまで、私と明石は揃わないのを「伊吹が歌い方を変えたせい」にした。
でも、それは違った。
伊吹の歌い方は確かに変わったけど、私たちはただ最初の合わせでずれた理由を探すのが面倒で、手軽なところに責任転嫁しただけだった。
やはり、気持ちがあってない、のか。
最初に合わせ終わった後、無表情だった伊吹の顔を思い出す。
他人と気持ちを、揃える。
音も気持ちも、見えないものをどうやって揃えろっていうの?
必死に追いかければ追いかけるほど、音と音の間は開く。
あんなに頑張って練習したドラムとベースの鉄壁リズムが崩れ始めた時、私は思わずベースを投げ出しそうになった。
短期間の集中的な練習で積み上げたものは、あまりにも脆い。
「………もうやめようぜ。こんなん一生できるようになんねぇよ」
結局夕方六時過ぎまで練習した後、伊吹のそのヤケクソ気味な一言でお開きになった。
三人とも無言で片付ける。
伊吹は怒っているようにも見えたし、明石は心なしか少し落ち込んでいるように見えた。
私も疲れた頭で考える。
ここまで苦痛に感じる練習は初めてだって。
さっさと帰ろうとベースを背負ったとき、伊吹がこちらに近づいてきた。
顔はさっきの怒ったようなまま。少し俯き加減で、視線は私の足元に向いている。
「………光、明石、ごめん」
その薄い唇から放たれた言葉が、私の頭を混乱させた。
「………俺らなんか謝られるようなこと、されたっけ?」
いつのまにか私の横にいた明石が、困ったように言った。
「あ、もしかして今日の練習の話?いや、それはこっちこそごめん!最初ずれたの伊吹が歌い方変えたせいにしちゃったもんな。いやー、合わせるって意外と難しいもんだな!俺も光も練習頑張ってきたんだけど、もっと頑張らなくちゃ」
「………違う………」
焦って早口でフォロー始める明石の言葉を、掠れた伊吹の声が遮る。
なんか、変だ。伊吹の様子がおかしい。
私がそう思ったそのとき、
伊吹の頬を一粒の涙が伝った。
「………ヴォーカルが俺で、ごめんな」
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