ケツを蹴る、あなたが走るまで

渡貫とゐち

ケツを蹴る、あなたが走るまで


 田頭(たがみ)達海(たつみ)――彼は義理の姉である御花(おはな)に好意を抱いている。家族なのだからもちろん好意はあるのだが……、つまり家族愛ではなかった。


 血が繋がっていなければ、姉のことが女性として好きなのだ。

 付き合って、キスをして……。

 血が繋がっていれば想像もできなかったことを想像できてしまうくらいには。


 あるかもしれない未来を想像してしまう。


 義理である。が、小さな頃から共に過ごし、血こそ繋がっていないが、ただそれだけである――本物とも言える姉弟関係。


 姉を好きになってしまうだなんて、そんなの……やはり世間に公にはできない、マズイこと、なのだろう……。


 だからこそ達海はこの強い気持ちを隠していた。


 単純に勇気が出ずに告白できない、というのもあったけれど。



「――あなた、隠しているつもりでも丸見えよ? たぶん周りにはバレているんじゃない? あ、安心していいわ、御花だけは分かっていないと思うから」


 周りは気を遣ってくれているらしい……だから話題に出さず見て見ぬフリをしてくれているわけだが……じゃあそれを遠慮なく指摘するお前はなんなんだよ、と、(年上だが)平気で人の心の中に踏み込んでくるコイツは、やっぱり苦手だった。


「さっさと告白しちゃいなさいよ。見てるこっちがストレス溜まるわ……隠すのも言わないのも疲れるのよ?」


「……いつも言っているが……告白しねえよ。したら、姉貴も困るだろ」


 ある日を境に付きまとってくるようになった腐った先輩である。ちなみに生徒会副会長で、外面は良く、家も裕福だ……、ややカールさせている黒い毛先が特徴的だった。


 腐った先輩。つまり腐女子で……これはあまり周りには知られていないことだ。

 完璧な生徒会長を補佐する中間管理職……それが彼女。


 秘密を握り合っている者同士(と言っても腐女子先輩の方は自分が腐っていることを特別隠したいわけでもなさそうだが……)、段々と遠慮がなくなってきていた。

 こうして先輩から、達海はずけずけと言われるようになっているのが証拠である。


「困る、ねえ……まあ確かに、実の弟から言われた困るかもしれないけどねえ――」


 でも、違うでしょう? と腐女子先輩。


 ……下駄箱までが長い。長く感じる。廊下で隣り合って歩いている最中、腐女子先輩が下から見上げるように、横からぬっと顔を出した。


「チャンスあるわよ。姉弟で恋愛している実例だってあるわけだしねえ」

「でも、気持ち悪いだろ」

「あなたは世間体を気にするのね。こういう時、あなたって男らしくない」


 腐女子先輩が体勢を元に戻して、早足になった。


 自然と、達海も歩く速度を上げて彼女を追いかける。……どうしてだ。このままいかせてもよかったはずだが……、やはり達海にも言い分があったのだ。


「じゃあなんだよ、ばしっと告白するのがいいのかよ。真面目な姉貴のことだ、オレのことを傷つけないように必要以上に悩むんじゃねえかな。ただでさえ毎日が忙しいのに……オレたちで迷惑をかけてるのに、これ以上の負担はかけたくねえよ」


「いくら御花でもあなたのことでそこまで悩むことはないわよ。もしかして、あなたが思っているような好意が御花にもあると思っているの? ……フフ。――思い上がらないでくれるかしら。あなたと御花じゃ人間としてのレベルが違うのだから」


 ……厳しい言葉だった。

 凶器として見たらナイフのようなものだった。


 先輩は言うのだ。弟へ向ける好意があっても異性に向ける好意はないものよ、と。


 分かっているけれど……想い人から直接言われたわけではないのだが、深く、痛く、突き刺さった言葉だった。


 ……思い上がるな――だ。


 分かっていたはずだったのに。


「学内では三馬鹿という不名誉な悪名を轟かせているでしょう? それに性欲にだって素直のようだしねえ? 見ている分には面白い素材よ。他人事だから楽しめる部分もあるわ――ええ、ええ、許容できるわ。でもね、悪いけど彼氏としては断固拒否するわ」


 あり得ないでしょう? と、言葉がどんどんと鋭くなってくる。


 コイツ、オレのことを嫌いだろ、とあらためて思う……すぐにでもこの場から逃げるべきだったが、既に達海は彼女の蜘蛛の巣の中だった。


 達海は身動きが取れなかった。その上で弱点を槍でつっつかれているこの感じ……。


「逃がさないわ」


「……おい、なに腕にしがみついてんだ。逃がさないなら他にいくらでもやりようはあっただろ」


 達海の高身長のせいで、形だけを見れば彼氏にじゃれる彼女である。


 仲睦まじく見えるが、女子が男子を言葉で責めているなど、果たして誰が言い当てられるだろうか。


「離せ」

「逃がさないと言ったでしょう?」


「だから、別に腕にしがみつく必要は――」



「どうせ脈なんてないでしょう? だったら――遠慮なくぶつかってみなさいよ。あなたはずっと御花のことを考えて、引きずって……尾を引いている。諦め切れずに未練たらったら。鬱陶しい。あー、鬱陶しいったらありゃしないわ。早いところスッキリさせなさい。これが続けば、私があなたの代わりに告白してしまいそうだわ」


「それは意味が分かんねえだろ」

「口答えしないでくれる?」

「口答え……?」


「とにかく、成功すれば満足、失敗すれば苦しいけど……でも、諦めることはできるわ」

「…………」


「あなたは諦めるための理由がないから無駄に足掻いてしまっているのよ。姉弟だから……挑戦権すらないと思って逃げている。逃げられる場所がある。……あなたは卑怯よね……このまま自然消滅することを望んでいる。そんなことできないのに。――ええ、できないわ。なのに、できるだけ傷つかないように気持ちを抑えているわ」


 ぐぐぐ、と見えないところで太ももの内側を強くつねられた。悲鳴こそ上げなかったが、達海は顔をしかめた。その顔を嬉しそうに見る腐女子先輩である……コイツ。


 達海は彼女の頭を鷲掴みにしてやろうと思ったが、寸前で止まった。

 腐っても先輩。先輩であり、女の子だ。そんなことをしてはいけなかった。


「見てる方はね、あなた以上にフラストレーションが溜まっているものよ」



「……お前には関係ないだろ」


「あるの。……だから言わない周りの代わりに私が――この私が代表して言ってあげるわね。――さっさと告白して砕けてこい!」


 ……なんだそりゃ。

 思っただけだったが、口から出ていたようだ。


「本気よ?」

「……分かってる」


 ――御花への気持ち。どれだけこれを抑え込んできたと思っている。


 なんにも知らないで……勝手なことを……。だけど、確かに男らしくなかったことは認める。告白するのは怖い、フラれたら傷つく。それはずっと消えない傷になるかもしれないだろう。これからの姉弟としての関係もぎこちなくなるかもしれない。


 それでも――


「大丈夫よ、御花はそういうところ、きちんとしているもの」


 知っている。気にしてしまうとしたら達海の方だ。

 だからこそ、成功でも失敗でも、スッキリさせることが大事なのだ。


「………………あー、分かったよ」


 達海は腹をくくった。高い身長、平均離れしたでっかい体。でも、実は臆病だ。

 だからこそ一歩下がって全体を見渡し、冷静に対処することを無意識にやっていた。

 彼は、今まで自分の人生を懸けるような大勝負をしたことがなかった。


 あの日、御花と出会った時。


 自分は懸けることができなかった。


 けど、御花は達海のために命を懸けて、こうしてひとりの命を掴み取ったのだ。


 惚れた時のことを今でも鮮明に覚えている……忘れるものか。


 御花に救われたようなものだ。


 彼女を手に入れるために。

 一世一代の大勝負をしてもいいのではないか?


 ……ここでしなければ、いつする。


 今しかない。



「……分かった、近い内に告白しておく」


「うわ、近い内に、と曖昧にして濁しているところが男らしくないわねえ」


 ……痛いところを突かれてしまった。そういうつもりがなかったとは言え、無意識に予定を先送りにしてしまったことは事実だ。

 日付を指定しなかったのは己の弱さだ。だって指定をしてしまえば、絶対にその日に告白しなければいけないじゃないか。


 突発でも、延期でもいい――告白するタイミングをいま決めたくはなかった。


 ……でも、一歩踏み出せた方だろう?


「ええ、頑張ったわね」


 身長差がある。彼女に頭を撫でられたわけではない。


 でも……撫でられたような……そんな気がした。



「大丈夫。フラれたら私のところにきなさい。フフ……いい遊び相手になってあげるわ」


「大きなお世話だ。それに、ただれた関係に見えるからやめろ」



 フフフフ、と微笑む腐女子先輩の横顔を見る。


 達海は自然と、彼女のように微笑んでいた。


 彼女も彼女で、御花と同じくらいには魅力的なお姉ちゃんだった。





 … おわり

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