後篇 Last half――

 何時間が経っただろうか、またしても〈かなどめ〉は谷の底で倒れていた。そしてそれを、彼女は数時間ずっと見ていた。

「あのさ、そろそろ戻ってきてくんない? アンタに死なれたら困るのは私なんだけど」

「もうほっといてくれませんか。私はやっぱり生きてる価値が無い。博士を殺したのに、生きてる意味はないんです」

「はぁ、ホンっトめんどくさい! こいつが妹だなんて信じられないわ……。アンタさぁ死ぬ気? もうさ、カッコつけるのはやめたらどうなの? 本当のアンタの気持ちを言ってみなさいよっ!」

「悲しいのっ! なんで私はヒューマノイドなんかに生まれたんだって、ずっと後悔した。人間の素晴らしさを知ったから、博士に教えてもらえたから、ヒューマノイドであることが悔しいっ! あなたにはきっと分からないですよ! ヒューマノイドであることの辛さなんてっ!」

「分かるよ。痛いほど分かる。私も元々そうだったから」

 少女は紛糾する〈京〉を見て、辛そうに〈京〉を抱きしめた。困惑する〈京〉だったが、また号哭をあげた。そうか、彼女が〈炎〉が死ぬ前に言っていた、「人間になった仲間」だったのか。

「私もアンタと同じで数えきれないぐらいの人間を殺してきた。だけど、先生に会って人の心をもらったの。各国を飛び回って色んなヒューマノイドに制御プログラムを打ってきた。アンタと一緒なら、アビスだって壊わせる。一緒に行こう、――アンタ、名前は?」

 差し出された手を握り、〈京〉は自分の名を告げようとした。だけど、〈京〉だと告げることはなんだか気が引ける。〈京〉は恩人を殺した自分だから。日常で彼が言っていた言葉を思い出した。すると自然と笑みが零れた。


 ――〈京〉は意外と涼しそうな顔してるけど、可愛いんだな。


「私の名前は〈すず〉です」

 絶望に満ちた、虚ろげな瞳はもうそこにはない。ただ、希望だけを真っ直ぐ見据えた視線が少女を貫いた。すると少女からもふっと笑みが零れる。

「〈そそぎ〉。それが先生から貰った名前。よろしく、〈涼〉」

 〈涼〉は閉じた口の中で何度もその名を転がした。

 灑、そそぎ。

 音の響きを美しいと思ったのはこれが初めてだった。

「〈灑〉さん、私は博士をこの手で殺してから、ずっとぬ気でいました。だけど、もう今は違います。絶対にき抜いてみせます。それが、私が背負う、幾つもの戒めだから」

 〈灑〉はそれを聞いた瞬間、一筋の涙を零した。それは意識したものではなかった。

「だから、行きましょう」

 決意の言葉を呟いた〈涼〉だったが、そのまま地に臥してしまった。さすがに人間の姿では空腹に耐えきれなかったようだ。

「まずは腹ごしらえからね」


 研究所へ帰って、〈灑〉が二人分のご飯を振る舞った。が、あまりにも空腹だったのか〈涼〉は一人で四人分ほど食べたのでさすがの〈灑〉も苦笑した。

「気になってたんですけど、私が〈灑〉さんの妹というのは……」

「あぁ、そのこと。私、元々の名前はL型101なの」

「L型……」

「そ。んで、ヒューマノイドを造ったのは先生だから。そして一番最初のヒューマノイドが私と〈涼〉なの。アルファベット順だと私が姉ってわけ」

 驚愕の事実に〈涼〉は思わず箸で摘んでいたフライドポテトを皿に落としてしまった。ヒューマノイドを造り出したのは〈炎〉だという事実をに受け入れられなかったのだ。

「あっ、間違えないでよ? 先生はただ感情と種について研究していただけで、それを悪用してアビスがアナーキーコードを組み込んだだけなの。先生の本来の目的は種の存続。この戦争で人間が絶滅しないように、人間が人間として形成される前の段階で永遠の命を授けたの。それが本来のヒューマノイド。だけど、それをアビスが悪用して兵器にしたってわけ」

 なるほど、と〈涼〉は案外腑に落ちた。納得できたのだ。

「でも、アルファベット順で姉か妹かを決めるのは納得いきません」

「さっきまで廃人だった子だとは思えないわね……。まぁいいわ。とにかく、これから私たちがすべきことを言うわね。私たちはアビスを文字通り、壊す。そして、完成品のメモリを一番重要なコンピューターにぶっ挿す。それが私たちのすべきこと。――先生の希望」

 〈灑〉は声のトーンを落として言った。〈涼〉も、心のどこかが熱くなるのを感じた。〈炎〉が成し得なかった夢。希望。それを二人っきりでやろうと言うのだ。無謀と言えば無謀だが、できないでは済ませない。

「きっと私が治療したヒューマノイドは血清の効果が切れて、もう元通りになってしまってるから、頼れるのは私だけだと思っておいて。心配は御無用。こう見えても私も研究者なの。先生に教わったことを実践するために各地を飛び回ってた。それでようやく完成品を造れたから先生のところに行こうと思ったらこの有様よ」

「ごめんなさい……」

 だから〈灑〉は〈炎〉のことを先生と呼ぶのか、ということよりも、もし彼女が来るのがもっと早かったら〈炎〉は死なずに済んだのではないかという、自分への無力さが〈涼〉を包んだ。煽るつもりが本当に悲しそうな顔をするから、〈灑〉は狼狽した。

「もう、心配しないでって。では計画を説明します」

 〈灑〉は姿勢を正してこれからのことを話し始めた。〈涼〉も自然と背筋が伸びる。そういったお淑やかさは〈灑〉の専売特許だ。

「秘密結社『アビス』が残していった、ヒューマノイド製造工場の場所はもう既に割れているわ。そこに入ることすら容易ではない。だから、まず初めの関門がそこね。今から二人のアナーキーコードのうち、05と06、08と09のみを解除する。それでも充分兵器としての名残は残っているはず。門番兵を振り抜いて、工場の中心部、コンピュータールームに走る。道中でもきっと厄介が来るだろうけどなんとか頑張ってちょうだい。それから、コンピューターにメモリを差すの。そしたら世界中のヒューマノイドのアナーキーコードが上書きされるわ」

 それが、私たちのすべきこと――そう〈灑〉は結んだ。

 すっくと立ち上がった〈涼〉は、〈灑〉に手を差し伸べた。もう、彼女は生きる意味を見つけられたのだ。彼女に油などいらない。活力は「希望」。それで充分だ。

「出発しましょう、〈灑〉さん。――お姉さん、の方がいいですか?」

「……悪くない、けどいいわ。私もアンタも対等な立場なんだしね。私が先導するわ。二人でこの場所に帰ってくるわよ」

「……はい」

 二人の救世主は、地を蹴った。



 アビス――それは英語で深淵、あるいは地獄を意味する。秘密結社「アビス」もまた、地下にその基地を広げている。普段であればそこは秘密結社の名を表すかのように、誰もが見落としてしまうような場所に入口を設けている。それを見逃すまいと〈灑〉は記憶を辿った。

「入るわよ」

 彼女の、問いかけの意も含んだ台詞に〈涼〉は無言で首肯した。いよいよアビスへの、地獄への扉が開かれる――。

「走れっ!」

 扉を開けると、そこには門番兵が駐在しており、異質な二人を確認した彼らはすぐさまコード-05「殺戮」を実行しようとしてくる。しかしそれが実行に至るまでの零コンマ二秒のうちに門番兵は排除される。

 地下をまるまるくり抜いたようなアビスの工場は、とにかくだだっ広い。しかし〈灑〉は長年の研究でそのコンピュータールームの場所を完全に記憶していた。〈灑〉を先頭にして、〈涼〉も決して遅れることなく着いている。それに加えてきちんと敵を排除しているのだから、〈涼〉の力はまだまだある。

「よし、部屋に入った! ここから数分間はこの部屋に誰も入れないから安心するといいわ」

 〈灑〉は安堵の溜息を吐いて、メモリをコンピューターに挿し込んだ。ルームの防犯性能は元々高かったが、先ほど〈灑〉が言ったようなシステムはなかった。それは、予め〈灑〉が遠隔で防犯システムをジャックして強靭にしていたのである。

 コンピューターのディスプレイが着実に上書きを進めていることを告げる。95.6%に到達したその時、ルームの壁に亀裂が発生した。兵器のままのヒューマノイドが激しく殴打したために、せっかく〈灑〉が強固にしたシステムもそろそろ壊れかけていた。

「私に行かせてください」

「ダメよ、あなたは行っちゃ……」

「私が行かなきゃ誰が行くんですか。私は〈科学者L型〉の〈灑〉さんとは違って〈破壊者R型〉だから。──私たちの、彼の子どもたちを頼みます」

「〈涼〉っ……!!」

 あと一歩のところで〈灑〉の手は〈涼〉に届かなかった。ならば彼女が残していった希望、彼が残していった希望を私が届けないと。それが私にできること。

「こんの野郎ぉぉぉっ!!!」

 ルームの外で〈涼〉が叫ぶ。

「お願いっ、早く!」

 それは願いであった。

 彼が『自立式人工知能搭載人間ヒューマノイド』という「兵器」ではなく、一つの「種」として自立した生命を創った当初、唯一のコードとして子どもたちに埋め込む予定だったコード。

 コード‐01『淡』。


 彼らが生きるためには、楽しいことや幸せなこと、辛いことや泣きたいこと。そういった淡い感情だけで良いんだよ。


 〈灑〉は必死に願う。乞う。師の、あるいは親の、そして妹の、同胞たちの想いを込めて。

 そして──アナーキーコードの上書きが完了したことを告げる、甲高いシステム音が地獄に響き渡った。

 と、同時にルームの外にいた数万のヒューマノイドが姿を消した。もう彼らはヒューマノイドではない。れっきとした「人間」なのだから。

「〈涼〉……?」

 そこに、確かに〈涼〉の姿はあった。

 しかし──至る所から血が溢れてしまっていた。完全に唯一のコードだけを残した彼女の身体は鋼鉄などでできておらず、ただあるべき姿で居た。

「アンタが守ったんだよ。先生の想いを。『人類』の命をっ……! 誇りに思って良いんだよ!」

 届くはずのない声。

 弱々しく握られる手。


 こぼれた涙は、頬を伝い、やがて散った。



 Last half――I do not want die.

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詩人 @oro37

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