詩人

前篇 First half――

 それは昔々、人類が殆どいなかった頃の話。

 いや――、それは。かつては、人類がいたはず。だけど、終わってしまった。

 その昔、人類は様々な問題を抱えていた。領土、差別、疫病、貧富差……挙げだせばキリがないくらいには問題の量は多かった。それ故、それぞれの国は戦争の兵器の一つとして「人類型機械戦闘兵器ヒューマノイド」を作りだしていた。そして、ヒューマノイドを柱として使用した戦争が勃発し、結果として人類と云う生命の環は殆ど途絶えたと言っても過言ではなかった。

 そして、現在でもヒューマノイド同士の醜い争いは絶えず、元々の地球の環境は大きく一変していた。地球はもう、ヒューマノイドによって占領されていた。


 とある地方――〈麗しい谷〉と呼ばれる場所の錆付いた研究所にて生き残りの人間が一体のヒューマノイドに追い詰められ、殺されかけていた。

「生き残りの人類ヒューマンを発見。コードA‐04『解析』より個体を『西国の研究者』と認識。これよりコードA‐05『殺戮』を執行する」

「ちょ、ちょっと勘弁してくれよ! お願い、まだやらなければいけないことがあるんだ!」

「排除する」

 白衣とボサボサの頭をさらに乱し、眼鏡は傾き、ヒューマノイドの左腕からエネルギーが光となって見え始めたその時だった。男はヒューマノイドの隙を突いて、その体に飛びついた。ガチャガチャと、特殊装甲と床の擦れる音がくうに響く。男が手に持っていたのは、USBメモリだった。それをヒューマノイドの首筋に挿し込もうとしていた。

「うわぁお!?」

 ヒューマノイドがそれを許すはずもなく、男を跳ねのけた。男の躯体は壁に衝突し、人中線を通る複数の骨が折れた。しかしそれでも男はヒューマノイドの首筋にメモリを入れたがる。首筋、とは言ってもそれは人間のように見せかけているだけであり、その疑似皮膚組織の奥には鋼鉄の鎧がある。

「――痛ッ!?」

 男がようやく首筋に触れた瞬間、その腕は風船の如く弾けた。しかしそれにいちいち臆している暇はない。ヒューマノイドのコードA‐05「殺戮」に微かなラグがあったのを男は確実に見逃さなかった。そして男は、その隙を逃すまいと右腕をヒューマノイドの首筋に突き刺した。メモリが無事に挿さり、ヒューマノイドの動きは止まった。ヒューマノイドは一体何が起こったのか見当もつかないと言いたげな表情をして、必死であえいでいる。

「コード改変、A‐05を緊急停止。制限は一定期間継続されます。……コード改変完了」

 ひとりでに動く口をヒューマノイドは抑えられなかった。自分が何を口走っているのかは理解できない。――意味を理解する能力はヒューマノイドのプログラムには組み込まれていないから。

「いやぁ焦った焦った。でもこれで僕も一人じゃなくな――」

 男は、自分の左腕が爆ぜていることに今の今まで忘れていた。眼球があちらへこちらへ行き、瞼が閉じられ、そのまま後方へと倒れた。


 男が目を覚めると、相変わらず床の上で寝そべっていただけだった。しかし左腕には血まみれの包帯が巻かれていた。応急処置も雑、だけどそれだけで男は良かった。上体を起こすと、痛みはやはりあったが大した問題ではなかった。問題なのはヒューマノイドの女だ。厳密に言えば女型のヒューマノイド。

 ヒューマノイドとのひと悶着は男の研究所ではなく、その隣にある、男が住処としている小屋で行われたことだった。それ故、日常の形が大きく歪められていた。ヒューマノイドは椅子に座って男のことを見下している。なんとなく面白くなかったのですぐに男は、ヒューマノイドに向き合うように座った。

「君、名前は?」

「人類型機械戦闘兵器、ヒューマノイド・R型101」

「物騒だよ。そうじゃなくて、普通に名前。それじゃあ僕は『人間です』って名乗ることになる」

「貴方の言う意味は理解できかねます。貴方は人間です」

「それはそうなんだけど……じゃあ、僕は〈ほむら〉。君にもあるでしょ、コードネーム的なの」

「それなら早く言えばいいじゃないですか。私は、〈かなどめ〉です」

 まったくの無表情。〈京〉は表情を崩さずに言った。普段は優しい性格の〈炎〉の顔も少しばかりか引き攣る。

「戦争は終わったんだ。もう〈京〉は戦う意味がない」

「ならばコードA‐09――」

「あぁ、もう! 自爆なんかしないで! それより、どうして僕を殺そうとしたの?」

「それなら私も質問があります」

「先に僕が質問した」

「はぁ……、それが命令だからです。はい、答えました。では……この首筋の異物を除去してください。あの異物のせいで私はなぜか貴方に殺意を感じない。そして、なんだか貴方を敬っている気がして不快です」

 無表情のまま〈京〉は言う。それを聞いて、かっかっかとフィクションみたいな笑いを〈炎〉は二人の狭間に放った。

「それはね……君に仕組まれた八つの忌々しいコード――『アナーキーコード』の一時停止プログラムを入れたメモリさ。君のお家、つまりアビスからすればただのウイルスだけど、僕はこれを希望だと胸を張れるよ。ちなみに敬語は僕の身勝手さ」

「何が目的なんですか……?」

「そんなの、決まってるじゃないか。君を、〈京〉を人間らしくすることさ」

「人間らしく……そんなの不要です。この一時停止プログラムが解除されれば、私はすぐに貴方を抹殺します」

「そうさせないためにも、僕は君のことを育てる。戦闘意識と多少の言語理解ぐらいしか君にはないからね」

 すると〈京〉は机をバンと叩いて椅子の上に立った。それに〈炎〉は全く臆することはない。

「それが『怒り』という感情だよ、〈京〉」

「これが、怒り……。人間には、どのくらい感情があるんですか」

「それは、君が自分で見つけていくんだよ。そうだねぇ……自分から設定してなんだけど、やりづらいから敬語のプログラムは解除しておくよ。今日はもう寝ようか」

「寝る、とはなんですか」

「人間にはね、三つの欲しいがあるんだ。いずれ君にも分かるさ。だって今の君は、不条理な『アナーキーコード』を停止されてるから、その特殊装甲や鋼鉄の体もない。完全に細胞から人間、衣服の下は人間の体さ。体の疲れを癒すために、人間は欲しがるんだよ。試しに、一緒に眠ってみよう」

 〈炎〉はリビングに布団を敷いて、寝転がった。そして〈京〉を手招きした。〈京〉は戸惑いを隠せなかったが、とりあえず〈炎〉の隣へ布団に入った。〈京〉は今は熱を持っている。微かに布団の中が熱くなる。それは新たな感情の芽生えか、知る由もない。

「そっと目を瞑ってみて」

「真っ暗です」

 暗闇への恐怖からか、〈京〉の声が微かに震う。

「そう。真っ暗。何もない世界。身を委ねるんだ」

「…………」

「何も考えず――」

「……すぅ。……すぅ」

「無理もないか。〈京〉はずっと戦ってきたもんな。――自分自身と」


 〈炎〉の目が覚めると、目の前で〈京〉が裸で布団にいたので〈炎〉は慌てて目を逸らした。

「なな、な、何で脱いでんの! 早く服着て!」

「変な気がするんです」

「それは、多分『暑い』とか『苦しい』っていう感情だね……じゃないの! 早く服着て! 欲情しちゃうから!」

「欲情、とは?」

「昨日言った三つの欲しいのうち一つだ」

「貴方は私が欲しいのですか」

「反応に困る」

 もうどうしようもなくなった〈炎〉は〈京〉のことを見ないようにしながら朝ごはんを作り始めた。敬語プログラムは解除して。

 〈炎〉は働かずにずっと人類とヒューマノイドの研究をしている。過去に大きな仕事をしたことがあり、財産は一生かかっても使い果たせないほどあるので何をしても問題は無い。こんな惨状の中で人類が外を出歩くなど自殺に等しい行為であるので、使い道はないのだが。

「〈炎〉、これはなんだ」

 昨晩は異様な雰囲気で二人に挟まれていた机は今日はありふれた日常感に挟まれていた。〈京〉がトーストを指差して首を傾げた。こんがりと茶に焼き目が付いたトースト。その上からたっぷりと蜂蜜がかかっている。

「これはね、朝ごはんって言うんだ。食事と言って、生きていくために必要なものなんだよ」

「口から食らうのか?」

「なんて物騒な。まぁそうだけど。……あぁ食べる前に礼儀として。『いただきます』を言ってから食べような」

「なんだそれ」

「食事は、他の生物を食べて成り立ってる。命のバトンを繋ぐって意味かな?」

 命のバトンを繋ぐ。

 〈京〉は心の中で〈炎〉の言葉を呟いた。〈京〉には分からない感情だ。しかし、言葉は〈京〉の心を少しづつではあったが解していった。慣れない言葉を紡いで、トーストを齧る。噛んで飲み込む。

「……凄く、心がいっぱいになる」

「それが『美味しい』とか『幸せ』だよ。食事は空いた穴を埋めてくれる。三つの欲しいは、夜にしていた寝ることと人間の生存本能と、この食事のことだ」

「……うん。〈炎〉は今、幸せなのか?」

 まさかそんなことを言われるとは微塵も思っていなかった〈炎〉はなんとなく誤魔化そうとしたが〈京〉のあまりにも真面目な顔を見て素直に言おうと思った。

「僕は幸せだ。それは他の誰でもなく〈京〉のおかげさ」

「そうか。人の感情は作れるものなのか」

「うーん、そうなものとそうじゃないものがあるよ。例えば同じ幸せでも、たまたま起きたことに幸せを感じることがあるし、こうして自分でご飯を作って食べてるってことが幸せだと感じることもある」

「そういうものなのか。ご飯、というものを私も作ってみたい。けど今の私には知識がない。〈炎〉、教えてくれ」

 目にも止まらぬ速さで朝食を食べ終わった〈京〉は、〈炎〉の目を見て言った。この時〈炎〉は確信していた。確実に〈京〉には人間としての理性や感情が芽生え始めている、と。長年の彼の研究は正しかったのだと、自分を鼓舞しているようでもあった。

「お昼ご飯の時に一緒に作ろうか」

「おひる?」

 たった三文字を区切るようにして〈京〉が呟く。

「普通、ご飯は一日に三回食べるんだ。その時になったらまた教えるよ。それまでは君に知識を与えよう」

 食べ終えて片付けに入った〈炎〉を余所に、〈京〉はただじっと静かに座って〈炎〉を見つめていた。その行動に特に意味はなく、どうしようもないから見つめている、というふうに見えた。

「よし、じゃあ今世界がどんな風になっているのか知ってもらう」

「外に出るのは危険。ヒューマノイドばかりから。というかそもそもこんな場所、普通に屋内で暮らしていても危険だ」

 〈炎〉は不思議に思った。人間としての言葉や常識はまだないにしても、一つの種としての生存本能は無意識にはたらいているみたいだ。〈炎〉が教えなくても、『アナーキーコード』の停止により表れ始めた、本来の人類型機械戦闘兵器のまま育てていけば人間のように生きられるかもしれない。〈炎〉が思っているよりも、元から〈京〉には人間としての心がある。

「そんな危険を冒してまで、〈炎〉はなぜこの場所にいるんだ」

「ヒューマノイドを本来の姿──人間の姿に戻すこと。それが僕の希望なんだ」

 〈炎〉は立ち上がり、徐に〈京〉の首筋に触れた。その時、〈京〉は初めて感情という未知のものが分かったような気がした。この感情を何と呼ぶのかは分からない。だけど、感情として自分に発生したのは本当だ。初めてのことに戸惑いを隠せず、〈京〉は昨日布団で眠った時よりも強く心臓が脈打ち、そして体が火照っているのを感じた。

 見るからに火照っている〈京〉の態度の移ろいにドキリとしながらも〈炎〉は続けた。

「昨日君の首筋に打ったメモリ。あれはまだ試作の段階の代物でね、いつまた君が『アナーキーコード』を再取得するか分からない。ヒューマノイドの製造元は秘密結社『アビス』。そのアビスの中枢機器に完成品のメモリを差せば、〈京〉含めて全てのヒューマノイドを人間に戻せる。君には難しい話かもしれないけど、ヒューマノイドというのは人間が人間としての形を持つ前の段階で遺伝子操作したものなんだよ」

「分かる」

 思わず〈炎〉は聞き返してしまった。どうせ〈京〉には分からないだろうと思って──それは決して見くびっているわけでもなく──言ったつもりだったのに、なんと〈京〉は理解しているのか、と不思議に思ったからである。ふざけて適当に言うなど〈京〉に限って有り得ない。

「私だってそれなりに〈炎〉の言葉を理解している。それは、きっと、『アナーキーコード』が制限された状態──ってことは人間に近い状態だからなのかもしれない。〈炎〉が思ってるよりも、私は色々学習してるぞ。だから──そのごめんなさい。私のせいで〈炎〉の腕が」

 〈炎〉は目を見張った。眼前には〈京〉が頭を垂れていたから。謝罪を覚えている。やはり〈京〉には元々人間としての知能があったのではないだろうかと〈炎〉は考えた。しかし今はそんなことなどどうでもいい。〈京〉が謝ってくれたことを最大限褒めてやらないと。〈炎〉は〈京〉の頭をそっと撫でた。

「なっ……」

「腕の一本くらい安いもんさ」

「えっと……なんだ、それは?」

「男が憧れる台詞の一つさ。でもね、本当に〈京〉を救えたことに比べれば安いもんだよ。君は人類再興の要なんだよ、〈京〉」

 撫でる手が優しい。猫を撫でる時のように〈炎〉は〈京〉の頭を撫でる。そしてその〈京〉もまた猫のように目を細めて、じっと座ったままだ。しかしふと思い出したように、「違う、そうではない」と我に返った。

「私も研究を手伝う。〈炎〉は完全な人間なんだから、ヒューマノイドにしか分からないことは私にしか分からない。これは、何もしないのは気分が悪いからだ。──だから、よろしくお願いします。博士」

「…………。ありがとう。〈京〉は意外と――」


 〈麗しい谷〉の研究所は多少なりと賑やかになった。

「そこは全部覚えた方が早い」

「覚えました」

「早っ!」

「元ヒューマノイドですから。作戦を覚えたりしてましたので」

 誇らしげに胸を逸らしながら〈京〉は微かに微笑む。


「どうですか……?」

「うん、今日も美味しいよ。毎日ありがとう」

「…………いえ、これも恩返しの一環なだけですから」

「でも僕はもうちょっと甘みがあった方が良い」

「でもたまにはご自分で作りましょうね」

「うっ……痛いとこ突くなぁ〈京〉は」

「ふふ」

 いつしか〈京〉は本当の人間のように豊かな感情を持っていた。〈炎〉の考えも読めるようになってきた。もはや「人間らしいヒューマノイド」ではなく、人間そのもののように感じられた。


 ──しかし、表だと思っていた面が裏面だったということはこの世の摂理である。そして、それは〈炎〉には分かっていたことだ。分かっていて、わざと目を逸らしていた真実。


 それはあまりにも不変的な日常になりつつあった〈京〉と〈炎〉の研究室での一コマ。いつものようにパソコンにプログラムを打ち込む〈炎〉と、そのプログラムの微調整に協力している〈京〉。何の変哲もない二人の日常。出会ってから数ヶ月が経ち、季節は夏へと変わっていた。

「あぁ、そうか」

 〈炎〉はふと呟いた。ケーブルに繋がれた〈京〉の情報は全て〈炎〉が見ているパソコンで確認出来る。それを見て、〈炎〉は察したのだ。

 ――何を?

 突然、〈京〉が呻き声をあげた。悶えるように、苦しむように。どうして、どうしてと叫びながら。

「時が、来たようだ」

「どうして、今なんですか! 私はもっと、博士と一緒に研究しなきゃ……」

「ごめんね、僕がもっとちゃんとした制御をできていればよかったんだ」

「嫌ですっ! だって博士言ってたじゃないですか。ヒューマノイドを人間に戻すって! まだ私しか戻せていないじゃないですか!」

 それは、あまりにも残酷な言葉だった。〈炎〉は悲しそうに眉を下げた。奇しくも、もう間もなく、その彼女さえもヒューマノイドと云う兵器に戻ってしまうことを知っていたから。

「大丈夫、〈京〉と同じように少しだけでも人間に戻せた子たちはまだいる。君が僕を殺したあと、必ずこの場所を訪れる。そして君を導いてくれる」

「嫌っ、いやです! 私、だって……だってぇ……!」

 目から零れるそれを、〈京〉はまだ理解できなかった。ただ、これが悲しいという感情だということしか、彼女はまだ教わっていなかったから。

「『アナーキーコード』復旧。対象物を確認。コードA‐04『解析』より個体を『西国の研究者』と認識。これよりコードA‐05『殺戮』を執行する」

 ひとりでに〈京〉の口が動く。そしてその腕は既に機械と化していた。指が全て鋭い刃に変形する。そして、それを〈炎〉に向かって振りかざ――そうとしたところで、ギチギチと機械同士が擦れるような音がした。見ると、〈京〉が必死で自分の腕を引っこめようとしていたのだ。「アナーキーコード」によって支配されたR型101と、〈炎〉と過ごし、人間としての心を持った〈京〉が葛藤している。

 無意味な生命体を殺すために生まれたR型101。

 人間と出逢い、感情と云う奇跡を授かった〈京〉。


 ――――。


 葛藤の終わりは、〈京〉の敗北を意味した。

 結局〈京〉の抵抗虚しく、〈炎〉は心臓を一突きされて呆気なく死んだ。完全に機械に戻れていなかった〈京〉は、両腕と両足だけが装甲で、その他の器官は全て人間のものと一致していた。それ故、体中から零れた紅は葛藤の最中で発生したものだった。〈炎〉を殺したあとも〈京〉は葛藤を繰り返し、ほぼ完成に近い状態になっていたメモリを自分自身に刺し、人間の状態で研究室で一夜を過ごした。

 一夜どころではなかった。

 二日経ち、三日経ち、四日が経ったところでいよいよ〈京〉は空腹に倒れた。後悔だけが募り、それ以外にも自分自身への憤怒、〈炎〉への贖罪・感謝が〈京〉の中を逡巡していた。そんな風に感情を持てるのも全て〈炎〉のおかげ。だからこそ、〈京〉は自分を殺したかった。だけど、そんな気力すらない状態。

「何してんの?」

 頭上から降ってきた声に反応できなかった。体が思うように動かない。〈京〉は、人間ってどれほど無力な生き物なのか知った。

「やっぱりアンタが……。そうか、そうなのね、先生。……先生、今までありがとうございました」

 何が起こっているのかは全く分からない。けれど、彼女が〈炎〉の知り合いだと云うことは分かった。そして、亡骸となってしまった〈炎〉を「先生」と呼び、悼み弔っていると云うことも。

「R型101ね。でも……ほとんど人間じゃない。制御プログラムを自ら打ったか。その様子じゃご飯も食べていないってところかしら? ほら、アンタが死ぬ前にご飯食べるわよ」

 女性が〈京〉の手を引くと、〈京〉はその全ての体重を彼女の腕に任せた。すると彼女は〈京〉のことを突き放した。

「あのさぁ、ちゃんとしなさいよ! 先生が託してくれた命でしょう!? アンタの命はもう、一人だけの命じゃないのよっ!」

 その言葉を聞いて、ようやく曇っていた〈京〉の心に微かな光が差した。もう自分だけの命ではなく、〈炎〉の命も背負っている。――しかし、そう思うと晴れかけていた心がまた曇ってゆく。

「殺したんなら、その罪も償え」

 殺した。

 この手で、殺した。

 四日も食事をしておらず、人間の生体構造にされるがままに倒れていた〈京〉だったが、その事実を受け止めきれず研究所を出て行った。外はヒューマノイドでいっぱいだというのに。一息吐いて、彼女は〈京〉を追いかけた。

 〈京〉が逃げ出したのは、まさにその地名通りの〈麗しい谷〉だった。言葉が心象を映すように、〈京〉の心は堕ちて行った。しかしそれはまるで「麗しい」なんてものではなかった。


First half――I do (not) want die.

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