最終話 避難所

 権田原は風間に呼ばれていた。風間は病の床に伏していた。鬼の攪乱である。

「おまえとゆっくり話す機会もなかったな」

「はい」

 二人はそれぞれに震災以降に歩んできた過去を思い出していた。

「国の法は…」

 風間は言い掛けて一度大きく深呼吸をした。

「国の法は、守る者に理不尽だが、里の掟は破る者にはこれ以上の理不尽はない。一ヶ月ほどの間に50人以上の人間が保護区の獣の餌になった」

 保護区は、風間が狼を放ってからその自然が安定した。鹿などに新芽が食い荒らされて立ち枯れる樹木もなくなり、異常発生する生態系も無くなった。今では青々とした深い森の繁みに覆われている。

 網元でもある善次郎は、バンガローで同居する太三郎らを従えてマタギのシカリとして生きて来た。風間の計画にほれ込んで山に入り、今の健康な保護区を築き上げた。保護区では、掟を守れない者は助けないばかりか、抹殺の憂き目に遭う。掟破りは、他の獣たちの生活圏の継続には危険な存在なのだ。それが例え人間でも同じである。いや、人間が最も危険生物と言っていい。生活圏を揺るがす者に人間界で言う“更生”の猶予を与える余裕は持たない。一旦一が通れば、なし崩しに百が通って行くことを獣たちは知っている。

「我々に責任はありません」

 権田原の言葉は冷徹だった。時世の死は一見理不尽に見えるが、正に保護区での獣らの掟と同じだった。捜索隊抹殺のいけにえであり、捜索隊は自らが撒いた種でその結果を招いたのだ。

「この里山は全てからの避難所だ。住まいは本来、所有するものの身を守る最後の砦となる避難所なのだ。何があっても外敵から守り、生き延びるための場所だ。多数決の利便性を優先し、安全を疎かにした結果、人は避難所が別にあるものだと勘違いしてしまった。行政の避難勧告を “誰かが勝手に出している” という感覚が残るのはなぜか…住まいを最高の避難所と思えばこそ、余所への避難には足が向きづらくなる。避難勧告を出しても避難に従う民が少ないのは行政に対して本能的に懐疑的だということを物語っている。“要請” に飽き足らなくなったり、歪んだ自己責任が優先すると、行政のコントロールは効かなくなる。しかし、その論理が成り立つには、今の住まいが本当に避難所の役割を果たしているか否かで大分違ってくる。行政がどこまで我々の安全を考慮しているのか…宅地への土砂崩れや浸水は乱開発の結果で、本来、宅地には適していない場所ですら行政の都合で認可していることを黙認してはならないのに、先人が残した石碑の警告を軽んじ、自然の脅威に因む土地名を不用意に変えたりする愚か者の自殺行為に無関心でいれば、いつかはこうして震災で大勢が命を落とす羽目になる」

 風間は後悔していた。もっと早く里山を建設していたら、被害を少なく出来たはずだ。しかし、里山建設には時代の理解がなかった。事故が起こってからでないと行政は動こうとしないように、この大震災が起こって初めて己の住まいの脆弱性と避難所の劣悪さに苦汁を飲まされた住民は、今更ながらに行政の無責任さに気付かされ、そしてすぐにご都合主義の己を忘れる繰り返し。その悪循環を断ち切って、もっと早く里山を建設出来ていたらと風間は己の無力感すら抱いていた。

「事故は無知から起こり、防げたはずの犠牲者が出る。先人の警告に耳を傾けることこそ身を守り、それを理解するために知識を身に付ける必要があるにも拘らず、守銭奴はその知識を黙認する。知識によってのみ命は救われる。知識こそ危険を予知し、身を守ってくれる。多数決ではなく、己の目で判断を下せるだけの知識を身に付けなければならない。被災後に起こる被害は、概ね先の見えない愚能の持ち主の撒き散らす不幸だ。その中でも、人間の未来を決定的に阻害する性犯罪は、バカの頂点にある者が起こす抹殺すべき愚行だ。バカどもに反省や更生の機会を与えるのは、善良な人間を危険に晒すことなのに、どうしても耳触りのいい偽善が罷り通る。そのリスクを考えれば、両者を同じ世界に置くことが如何に横暴なことかが分かるのに、どうしても世間体が過る。バカどもをまともにするというのは思い上がりであり偽善でしかない。彼ら自身がまともになりたいのであれば、愚能同士で暮らす中でその愚かさを知り、己自身でそこから自力で抜け出すしか術はないのだ。そこで悟れない者が、もしまともな世界に住むチャンスを得たならば、これ幸いと反省や更生の偽りの姿で、まともな人間たちの隙あらば、また同じ愚を繰り返すことは分かり切っている。狡猾な者に反省や更生を求めることが如何に危険で無駄なことだったか、その都度思い知らされる。彼らは彼らの生き方のスタンスがあり、真面な人間を単なる餌だとしか思っていないんだ。餌になりたくなければ、偽善の思い上がりを捨て、バカどもを見付けたら即抹殺することが賢明で、そのことが次の犠牲者を生まない最短の道なのだ。愚行を許す許さないの是非ではなく、未然防止のための抹殺しかない。反省や更生は希望する本人の決意であり、第三者が関与することではない」

 風間の気持ちは十分すぎる程理解できた。権田原は己を追い詰めて苦しむ風間を休ませたかった。そして風間の気持ちを代弁した。

「人の道の試行錯誤は本人の意志でさせることですよね。誰も介入してはならない」

 風間は満足げに権田原に振り向いた。権田原は話を続けた。

「導く者が必要であれば、本人の意志で捜し、本人の意志で支持してもらうしかない。水は低きに流れるの道理で、努力を惜しまないものだけが這い上がればいいんですよね。低きに流れるものを救おうとする必要はないし、確かなヒントは与えるべきでしょうが、それ以上関与すべきではない。応援はすべきだろうが、過保護は本人に堕落の誘惑を投げ掛けることと同じだという事も心得ねばならない。過保護に慣れた者は周囲に依存することが普通になるし、何れ万人に大迷惑な存在になる」

「そのとおりなんだ。バカどもはまともになることを望んでいない上、まともな人間どもこそバカだと思っている場合が往々にしてある。バカどもは真面に暮らす人間の隙を突くことに長けている。オレオレ詐欺、某国の戦狼外交などがその典型であろう。“なぜわたしが” ではない。油断と楽観が常に不幸を誘っている。バカの餌はバカなのだ」

 バカの餌はバカ…風間が辿り着いた答だった。働かざるもの食うべからずの如く、己の生きる役割に目覚め、自律できた者だけが淘汰された集合体に到達することが出来る。それが風間たちが理想とする里山に築いた“避難所” の姿だった。


 権田原は窓から見える保護区に目をやった。嫁入峠の頂上には時世が眠る墓地があり、草花園の花が絶えない。今は里山の聖地となって墓標が立つ。そこには “魂は弔い、ゴミは還元しなければならない” と彫られている。

                                (  完  )

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避難所 伊東へいざん @Heizan

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