淀みをすくう

朽縄ロ忌

淀みをすくう

 全部くだらない。ああそうだ。何もかもが滑稽だ。もう終わらせてしまおう。周囲そっくりまるごと抉って自分が存在していた事実をなかった事にするのは現実的じゃない。無くしてしまうなら、自分を中断してしまえば簡単でいい。

 全てから抜け出し、走って走って疲れ果てた矢先、ふらふらと鬱蒼とした森に惹かれる。深い夜の森を適当に彷徨うが、目的はあれど目的地はない。首吊りは醜い。肥大した舌をだらりと垂らし、着物を汚して他人にまた自分の痕跡を残してしまう。切腹も事故も服毒も、どれも斃れた俺を人々が見下ろして、そして何も知らない癖に憐れだと決めつけ噂しあうのだ。すっかり居なくなるなら見つからない場所へ。だが海は駄目だ。いずれ潮に乗って帰ってしまうかもしれない。それなら湖なんかがいい。それも二度と浮かんで来られない程の深い湖。

 果たして、人生の最後にいるかも解りやしない神か仏かは微笑んだ。いや、この場合は見放したと言うべきなのか。探していたのは死地なのだから。ふらついて発見したそこそこ広い沼地。程よく人里離れ、辺りには何もない。

 迷うことなく淵に近付いて座り込み、両足をつけてみる。思ったよりは泥というより澱んだ水だったが、すぐ足がつきそうな浅さではない。一思いに身を投げた。

 抵抗なく底の方へと誘われ、落ちていく。反射で息を止めていたが、それも意識して吐き出すと噎せる間もなく大量の泥水で肺も胃も満たされる。霞む視界に映った水面は向こう側が何も見えない。つまらない自分の最後の景色に相応しい。意識を手放す直前。手が勝手に藻掻き天の方を掴もうとする。此の先をまだ望むつもりなのか。今際の際までなんて浅ましい。口が動く。当然音になるはずもない言葉、本音かどうかも解らない、誰にも届かない。とうとう閉じる意識の端に映った視界に、何かが見えた気がした。


 ごぼりと嫌な音がする。暗転から急速に浮上した意識を認識するより先に、生理的な咳が何度かに分けて吸い込んでいた水を吐き出す。しかし一度出た水が口内に戻ってきて息ができない。苦しくて咄嗟に仰向けからうつ伏せになって背を丸めた。鼻も喉も全てが痛いし水は次から次へと溢れて土の上で溺れる。何度も背骨が跳ねるのをあやすように叩かれているのに気が付いた。そちらの方へ振り返ると、顔色の悪い少年とも青年ともつかない奴が不安げにこちらを窺っている。

 落ち着いてきて息を整えると、口許を拭って添えられている手を乱雑に払いのける。さして嫌な顔もせずに跳ね除けられた相手は良かったなんて口にしている。

「ふざけるな」

 自分と同じく濡れている服や髪を見るに、沼から引き上げたのはこいつで間違いないだろう。怒りを露わにした声色に肩を跳ね上げている姿にも苛々する。

「誰が救って欲しいなんて頼んだ。なぁ、それでなんだ。助けてやったと満足か」

「違う。いや、そうなのかもしれない。ごめん」

 しおらしく頭を垂れる少年に多少毒気を抜かれるが、誰にも見られないでいいから選んだというのに、ここも駄目だった。場所を変えるしかないかと立ち上がろうとして、失敗する。酸欠が長かったせいかしばらく動けないらしい。体勢を崩したのを支えようとする手を突っぱね、近場にあった岩に身を預けた。

 一人になりたい。去ってくれと告げようとした時、森の奥から木が擦れる音がした。何でもない、ただ風に揺れただけだが、少年は解りやすくそちらを気にして怯えているのが見えた。

「なんだお前。追われているのか」

「うん。多分、そうだと思う」

「はっきりしない奴だな。何かしちまったのか」

「…したね。してしまった」

 何を、聞こうとして悲壮を体現するような顔に黙する。小さな緊張を孕む声、聞き逃しそうになるほど微かなのにはっきりと耳に届く。

「人をね、沢山殺してしまったんだ」

 言って震える身体は俺よりも凍えていそうで、もう勝手に助けられた怒りは大分収まっていた。もう一度死ぬ前に、こいつが去っていくまで相手をさせてやろう。どうせ追われているならすぐにでも逃げていくだろう。隣に腰かけるように言うと、周りを気にしながら素直に従ってくる。経緯を話せと促すと誰かに聞いてほしかったのか、躊躇なく話し始めた。その内容は支離滅裂だった。

「最初は気付かなったんだ。でも、全部お前がやったんだってあの人が言ったから。最初は信じてなかったけど、確かめたら本当で。怖くて、どうしたらいいかわからなくなって」

 続く脈絡ない話をまとめてみると、少年が今まで出会ってきた人は自分と出会った事で死んでいったらしく、それを教えた男から逃げているのだという。男曰く、この世界は少年が全てを握っているらしい。なんだそれは馬鹿らしい、じゃあ今ここで生きている俺は何なんだと鼻で笑ってやると、話をしていてますます顔色の悪くなっていた少年は顔面蒼白ではあるが安心したように薄く笑った。

 話はよく解らないが、誰かを殺してしまって逃げているらしいということは解った。見ず知らずの俺を助けたのも得心がいく。こいつは罪滅ぼしのつもりで人を救った気になって自身の中の均衡を保とうとしているのだ。

「世界がお前を中心に動いていたとして、なら俺は何で生きているんだ。その男が言うにはこの世の全部は死んじまったんだろう」

「それは解らない。でも、何か理由があるのかもしれない。あなただけでも生きてくれていて良かった」

 こいつは俺が足を滑らせて沼に落ちたとでも思っているのか。死のうとしていたんだけどなと、伝えようとして思い留まる。仮に周りの奴が軒並みいなくなったとして、偶然見かけた俺なんかにも生きていて良かったと顔を綻ばせるこいつこそ、目の前で俺が死んだらその後すぐに死ぬんじゃないだろうか。自分が死んだ後なんて関係ないが、流石に二人もいなくなったとしたら誰かに遺体が見つかる可能性がある。そうでなくとも追われている身だと言うのだから。

 とにかくもう一度飛び込むか去るかするとしても、こいつをどうにかしないと。何処かへ行ってもらうのが良いだろう。なら適当に慰めて、ここから追い出そう。

「追われてるんだろう。ここにいていいのか。もっと遠くまで逃げてみたらどうだ」

「いいや駄目なんだ。今まで来た道はもう気付かれてると思う。あの人は全部知ってるって言っていたし、逃げだすまで僕の今までを正しく辿っていたから」

 闇雲に来たことがない道を走っていたら、ここで落ちていく俺を見つけたんだと笑う。青い顔で、生きてて良かったと繰り返して。余裕なく走り回る最中に見ず知らずの奴のことまで気遣う奴が本当に人を殺したのだろうか。

「こんな奴がお前の言う唯一生きていた奴で残念だったな」

「そんなことないよ。会えて嬉しい」

 どんな人間なのかも知らない癖に。話すほど何も知らない子供と話しているようで、もしかしたら見た目よりもっと若いのかもしれないと思う。

「それで、これからどうするんだ」

「どうしようかな。もう何処に行けばいいのか解らなくて」

 困っているのだろう眉根を寄せる姿がより寄る辺ない子供を思わせる。何となくその顔を見ていたくなくて、話題を逸らす。

「本当に皆死んでるのか、確かめてみたのか」

「うん。確かめたよ。確かめさせられたって感じなんだけど。だから他のどこにも行けないんだ」

「でもこんな所より良い場所があるだろ」

「どこも同じだと思う。それに、ここはあなたがいるから」

 まだ会ったばかりの、しかも先程まで溺れていた男にある種依存のような状態に、少年の精神の疲弊を強く感じる。これでは離れずついて回ってきそうだ。どうにかして放り出さないといけない。

「なら、俺みたいにまだ出会ってない奴を探しに行ったらどうだ。それならお前が行ったことない場所だろうし、追ってる奴からも逃げられるだろ」

「そうだね。確かにそうかもしれない。でも、考えたんだけどもうあなたと出会ってしまったから、それなら一緒に行ってくれないと駄目だと思う」

 どういうことかと聞けば、出会った奴は少年が離れて視認できない所まで行くと消えてしまうかもしれないらしい。少なくとも本人はそう思い込んでいる。なら願ってもない事だと動けるようになった足で無言で離れていくと、必死にしがみついてきて着物が乱れた。必死でしがみついてきて手が解けない。仕方なく元の位置に戻ってやったが、不安なのか袖を掴んで離さなくなってしまった。より引っ付かれてどうするのだ。埒が明かないと、溜息が零れる。ここから何処かへついて行ってやるには手間がかかる上に、あまりうろつくとこの沼に戻る道が解らなくなりそうだ。どこかに死に場所を移そうとしたが、やはりここは条件がいいし、また探すのは面倒だった。

「お前はそれで、俺が消えてしまうとしてこれからどうしたいんだ」

「…解らない。どうしたらいいんだろう。今までは行く場所が解っていたのに」

 ああ、と思った。こいつはずっと守られてきた側の人間なんだ。なにも疑問に思わず、迷わず、指し示された方へ流れていけばいいだけの。そんな生き方をしてきたのだろう。

「解らないなら、とりあえず寝てればいいんじゃないか」

 言うと、その間に俺が居なくなってしまうのではないかと不安がったが、ならこれを持っていろと身に着けていた物と着物の裾を握らせてやる。

「これは」

「俺が大切にしてるもんだ。見た目はまぁありふれてるがな」

 それは嘘ではなく本当だった。少年もそれを察したのか、安心したようで素直に目を閉じた。


 反吐が出る。浮かび上がってくる嫌悪感はこいつに向かっているものじゃない。自分自身に対してだ。あどけないが経験を積んだ青年のように疲れを帯びている寝顔を眺めながら、生きてきた今までを思う。

 誰かに指示されるまま手を汚してきた。何も疑問を持たず。いいや、本当は何かが違うのだろうと解ってはいたんだ。成長するにつれ顕著になっていく同世代との違いや向けられる奇異を見る目。解った顔で慰める大人達。完全に自分は間違えたんだと気付いたのは、憐みの目を向けられた時だった。憐れだと、可哀想にと見下してくるその気持ち悪い目が、手が、吐き出された安い言葉が俺が劣った存在だと知らしめる。

「お前は失敗作だよ」

 何か一つ失敗するたびに嫌そうに投げられる言葉が突き刺さる。

「違う。違う。黙れ」

 脳内を虫のように這いまわる言葉に背を丸め、顔を膝に隠して身体を揺する。打ち消すように違うと繰り返す。いつもの発作のようなものだ。欠陥品だからこうして役に立たなくなってしまうんだ。ああ、何をしていたんだ。もう見つかるとか、人がどうとかいいじゃないか。早く考えないよう、死んでしまわないといけないんだった。

 ぐっと引っ張られる感覚がしてそちらを見ると、寝ていた筈の少年がこちらを見つめていた。丸まって意味のない独り言を繰り返す薄気味悪い男が嫌になったか。それとも、お前も蔑んで可哀想にとその腹を満たすか。

「おいで」

 横たわっていた自分の隣へ俺を引き寄せ、守るように頭を抱かれた。視界が押し付けられた胸元で遮断される。柔らかだが確かな熱が通う他人の身体。

「一緒に寝よう。目を閉じてしまえば、何も考えなくていいよ。寝てればいいと教えてくれたじゃないか。また起きてしまうだろうけど、その時はまた一緒に寝なおそう」

 だからおやすみなさい。そういって背中を優しく規則的に叩かれ、抱かれた頭に吐息を感じる。

「はっ。これからずっと一緒に現実逃避して過ごそうってか」

「そうだよ。辛いなら、もう目を閉じてしまおう。一緒なら怖くないと思うから」

 こんな頭のおかしな奴と、寂れた沼地で二人。慰め合うように生きろと言うのか。こんな、ずっと誰かが居てくれたらなんて俗物と同じ安い考えは持った覚えはない。だが、熱が心地よくてもう何も深く考えられそうにない。沈んで溺れて冷えていたから、だから気持ちがいいと思うのは仕方ない。言い訳をして非力な赤子のように誰かの腕の中で眠りに落ちる。もう幻聴は聞こえなくなっていた。

 それから毎夜、とりとめのない話をしては同じように少年の腕の中で眠りに就く。これからどうするか決まるまでの暫定的処置だ。そう誰かに言い訳をして、童子より幾分か広い背中に手を回す。魘されなくなるから利用しているだけだと言っても、ただ少年は穏やかに微笑むだけ。しかしその顔は未だに青いまま。

「赦して」

 数日経った夜、ふと意識が浮上した俺に少年が声をかけた。赦しを請う言葉にぎょっとして腕から抜け出すと、まだ相手は夢の中にいた。出会った時に言っていた殺した全てに謝っているのだろうか。もしかしたら毎晩そうだったのだろうか。いつも寝るのは俺が先で起きるのは後だったから解らないが。

「お前はまだ魘されるのか。なんで」

 俺がいるのに。無意識に吐き出そうとした言葉を急いで呑み込む。いくら何でも絆されやす過ぎるだろう。少し優しくされたくらいで馬鹿らしい。でも、俺が死ぬかお前がどこかへ行ってしまうまでなら、付き合ってやってもいいと思ってるんだ。どうせなら、その道中は夢見が良ければいいのにな。熱を分けるように今度は俺がされたみたいに頭を抱き、朝まで止むことのない寝言を目を瞑って聞いていた。



「ここにいたのか」

 昼下がり、安寧としていた空気は突然終りを告げた。投げかけられた低い男の声、雑木林を掻き分け、不気味な白さが際立つ着物姿。どこも汚れることなく近くまで歩いてくる。

「誰だ」

「貴様こそ、いや、そうか。成程。それは見つからない訳だ。君は一番新しい子か」

一瞬、ぞわっと悪寒が走る。男が何か勝手に納得し、鋭さを収めると無感情な顔に戻るが、逆に感情を削ぎ落したようで先程の刺されそうな空気とは違った怖さがある。それに、確信できる。こいつは間違いなく、人を殺した事があるだろう。馴染みのある、一歩間違えば死んでしまう空気。みんなを殺してしまったと言っていた少年なんかより余程。思って少年の方を見て察する。目に見えて怯えた顔。がたがたと震える身体。この男は、少年を追っている奴だ。

「勝手に逃げ出して。探すのに苦労したが、中々見つからない訳が解ったよ。さぁ、戻ろうか。答えを聞かせてくれ」

「だって、全部元に戻せる訳ないじゃないか。そんなの嘘だ。もうずっとここにいると決めたんだ」

 少年が俺にしがみつく。言い合っていることは解らないが、男には着いていきたくないらしい。庇うよう後ろに隠してやると、相手が深い溜息を吐く。

「いいか。お前がそうやってずっと一所に留まるとどうなるか、言ってきかせただろう。進むか、戻るか。選択は常に二択しかない。選ぶといい」

「もし仮に進むとしても戻るとしても、僕はいなくなってしまうのだろう。そうやって選ばせる癖に答えは一つしかないじゃないか」

「いつも選んできただろう。いつだって選んできたんだ。それに、随分と仲良くなったみたいだが、その子も理の中に入っている。生かしたいなら進退を選ぶといい」

「確かに貴方が言ったように他のみんなは…でも、彼はいたじゃないか。このままでいたって」

「なら、ここから離れて進んでみるといい」

 音なく踏み出した一歩で少し先にいた男がすぐ目前に姿を現す。思わず仰け反るが、少年を庇っている手前、引けないと睨みつける。眼前で見るとますます人間とは思えない、そう、人形のように感情のない顔。生白い手が素早く少年の腕を掴む。嫌だと抵抗するのに強引に手を引こうとするから割って入って止めた。こちらに構うことなく少年を見る目が狐狸のように眇められ、薄い唇が弧を描く。笑っているらしいと解るが、それも笑顔という記号を知っていますよ、といった作り物そのもので恐怖を煽る。

「ほら、やっぱり解っているのだろう。お前はもうちゃんと理解できているんだ。この子だって消えてなくなる。このままずっと留まっているなんて出来ないんだよ」

 諭すような口振りだが、硬質で有無を言わせない空気を感じる。それに少年も気付いているようで、怯えて応えない。しばし三人ともそれぞれの腕を掴んだまま無言の時が流れた。やがて、つかえながらも少年が男に問い返す。

「このままだと、皆消えたまま、この人もいつか消えてしまうの」

「そうだね。いずれ必ず歪の代償は支払わないといけない」

「…解った。なら、選ぶよ。やり直したい。全部元に戻して」

 その答えに男は大袈裟に落胆した素振りを見せたが、何回問い直しても少年の答えは変わらないのを見て、諦めたとばかりに己の懐に手を差し入れる。取り出されたのは、赤い飾り紐のついた、小刀。

「なにをする気だ」

「ああ、君には悪いことをしてしまうね。先に謝っておく。もたもたし過ぎたようだ。時間がない」

 言うが早いか、先程までとは比べ物にならない強さで少年を引き寄せる。弾みで俺は吹き飛ばされてしまう。体勢を立て直して助けようとした瞬間、慣れた手つきで男は少年の胸に小刀を突き立てた。そのまま下腹部まで迷いなく一直線に切り払う。皮膚を裂く嫌な音が聞こえて、思考が停止してしまう。更に男は少年の切れ目に両手を入れ、傷口を大きく開く。血と臓物が飛び出すだろうと思ったが、違った。

 捌かれた腹からは真っ赤な椿が男に向かって吹き出してきたのだ。光景が信じられず、呆然としていると、次々吹き出した椿は一斉に何処かに霧散し、残された虚ろな顔をした少年の身が軋む音を立てて変形していく。

 やがて、少年だったものは一匹の大きな蛇の骨へと変わり果てた。

「今回は進むと思ったんだが、惜しいな」

「し、死んだのか」

「そうだとも言えるし、違うとも言えるな。まぁこれはもう動かないよ」

 そう言って何でもないことのように、呆然としている俺を置いて蛇を担ぎ背を向ける。何処かへ去っていくその背にどうして、とか細い声が漏れた。良かったじゃないか、どうあれ障害はなくなったんだ。俺は心置きなく死ねるじゃないか。たかが少しの間過ごしただけの奴に、なんでこうも。だって魘されていて、ずっといたいと願って、俺は全然優しくしなかったのに、いつも笑ってて。いつだって俺を責める記憶の蔑んだ声はもうあまり聞こえないんだ。代わりにお前の笑った顔や、熱が、言葉が繰り返し流れ続けるなんて。そんなの、そんなのはこの世で一番恐ろしいじゃないか。

 背中越しにこちらを流し見る男が何か言いかけて、驚いた顔をして止めた。だらりと弛緩していた蛇の骨がひくりと動いたのだ。そして男の手を脱すると俺の方へ這って、離れないとでもいうように巻き付いた。熱はなく冷たい、それでもその骨に巻かれていると確かに暖かい。こんな形になっても、少年なのだと解って思わずその身にそっと触れる。

「おい、まさかとは思うが、何かを分け与えたか」

その様子を見て黙っていた男が口を開いた。何かをなんて、別に着の身着のままの俺がやったものなんて何もない。そう返そうとしてはたと気付く。蛇が口の端に光る何かを咥えている。不安なら持っていろと手渡した、片方のピアス。俺が唯一自分で手に入れた物を片方預けたままだった。どうして今まで忘れていたのだろうか。あんなに大切にしていたのに。

「それでか。やってくれる。もう答えは出たんだ。大人しくついておいで」

 手を伸ばす男を拒絶するように更に巻き付く身を、俺も強く抱き返す。どんな姿になっても、少年は少年のままなのだから。

「私だって悪役になりたい訳じゃないんだがな。まぁ目の前で刺してしまった負い目がないわけじゃない。その形骸はここに置いていっても構いはしないが、その代わり、どんな影響が出るかは解らないぞ。それと形骸になっても蛇は蛇、記憶を喰らうと決まっている。絶える前に身体に残っていた君の物に宿る想い出が尽きたら、最後だと思うといい。では、畢りまで、君たちにとっての正しく良い日々を」

そう言って男は去っていった。残された蛇がじゃれるようにすり寄ってくる。撫でながら、自分から力が抜けていくのが解った。急な危機に遭遇し、少年を一度喪い理解する。

「お前がいたんじゃ、まだ死ねないじゃないか」

 未だ希死念慮は頭から離れる事はないが、それでも少年が生き続けるなら、やっぱり一人で死ぬのは叶わない。ここには確かに二人いるのだから。

「記憶を食べないといけないんだろう。なら、俺のをやるよ。碌なもんじゃないが、ないよりはましなんだろう」

 どうだ、と撫でてやりながら言うと、蛇が薄く笑った気がした。

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