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ダイエットの苦痛について考えてみた

仕事で寝ないといけないのに寝れない。私は一般平均的にやや不眠症なのだと思う。
しかし寝れない事に対する焦りやその後の疲労はあるものの不思議と怒りや自己嫌悪といったネバネバした気持ちは抱かない。これは生理現象と同じく「自分が生きていく上で起こる現象」であるからだと思う。

そこで唐突に、ならば他人との関係を含まない自分という枠のみで考えた場合、何に怒りや嫌悪を抱くだろうか、という疑問が生まれた。
仕事の遅れ、遅刻癖などあげれば切りがない自分の嫌な部分はあれど、これらは全て対人が含まれる事項だ。それとは別に、誰にも関係ない自分だけの問題点はなんだろうか。

そうして回転率が寿司屋のレーン以下の頭で弾き出した答えがそう、肥満である。
肥満は良くない。それは頭が良い人達が脈々と提唱している事実であり実際に今すぐ氷河期に到達でもしない限り不利益しかない。夏は暑いし冬は寒い(勘違いされやすいが、脂肪は体温がある訳ではないから冷えやすいし、動かない状態であれば人より寒さを感じやすい)
動きも鈍くなり汗は滝で内臓にも負担がかかる。そしてなりより一番問題なのはお洒落ができないことだ。
厳密にはどの体型であってもお洒落はできる。ただ持ち得るトルソーに沿ったものに限られるだけで、どんな人でも自身を認めて着飾る姿は美しいし格好良い。
なら自分の場合何が問題になるかというと、この体型ではカバーできない領域のファッションをしたいという事だ。すっとしたスーツや面のほっそりした線をなぞる詰め襟などが大好きなのである。
わがままボディをほしいままにして有余年、勿論ダイエットに何度も挑戦したし、その分野における知識は非わがままボディの方々からするとかなり多い方だと自負するところだ。
では何故持ち前の知識を実践するのは何度も頓挫してしまうのか。

ここを真剣かつ現在残された睡眠時間を意識しつつ考えた。こんな事をしているから寝れないのだという空想上の野次が飛ぶか、寝れないからこんな事をしているのだ。寝れるならほんと寝落ちしたい。めっちゃ寝たい。

で、まぁダイエットに勤しむ時に起こっている心理を思い起こすのだが、その前にまずは平時の心理を考える必要がある。
そもそもダイエットを意識すらしない日々の最中は当然自分の肉体についての感想は特にない訳である。痩せなきゃと嫌悪でいっぱいになる時と体重は変わっていないのに。
これは持論になるが、人が意識をしてない時や無言でいる時、それを私は現状を「肯定」した状態だと認識している。
特に思うことがない、または思わなくても進行している事柄に否がない。それは今置かれている環境、自身、手にしている物、あらゆる事についての肯定ともとれる。勿論それは洗脳状態や心が麻痺してしまっている極限の状態ではなく、日常がある程度滞りなく過ごせているとして。
その思考を前提として考える場合、平常時には私は今の身体を受け入れ良しとして日常を送っているという事になる。
そして着たい服や遠い昔の痩せていた姿を想い、ある日唐突に手塩にかけて甘やかした体に鞭を打ち始めるのだが、ここから日を追うごとに鬼のような勢いでストレス負荷がかかる毎日が開幕するのだ。
いつしか、ギリギリになった食事量と精神で「なんでこんな辛いことをしているのだ?」という行き止まりを建設し始め、ついには明確に辞めました!という宣言もなく自身を誤魔化すよう、なぁなぁにダイエットは終息していく。

この「辛い」が、私はてっきり食事制限や見え難い成果、または感じている苦労に見合うことなくお下がりにならない数字に対する絶望と苛立ちからきているのだと思っていた。

だが、どうやら違うのではないか。私は自分を否定している事が耐えられないのではないのだろうかという予測に辿り着いた。
前述通り普段を肯定した状態ととるなら、ダイエットはその状態からの変容、つまり否定する作業に移っていると言い換えられるのではないか。
自己否定を数ヶ月も続ける事になる。これは相当な意思がなければ精神の均衡が乱れて当然と言えた。
痩せた姿はきっと更に自己を肯定できるだろう。だがそれは結果論だ。現状は自分への肯定を端から否定していく作業が気の遠くなるほど続いていく。その道程が辛く耐え難い。

加えて私はとても自分が好きであるという誰にも迷惑をかけないが、若干おお…という空気を作り出す自己認識があるので、更にこの道程が耐え難く感じるのだ。

仕事までの睡眠時間が三時間を有に越えた今、一つの悟りを得た充実感で満たされている。あとタイプする親指の疲労にも満たされている。何してるんだろうぼく…

以上の結論から、結局登録したまま一度も行っていないスポーツジムのメルマガをぼんやり眺める作業を脱し、生活の質向上と健康上の理由を目的とした運動を取り入れるしか痩せる道は残されていない。
買ったままのスポーツウェアに袖を通す時が来たのである。何味でも最後には大豆の香りがするプロテインをしゃかしゃかするべく、次の休みには良い汗をかく事にした。


ちょっと大きいイベントでの露出や、初めて対面する人へ少しでもお洒落に見られたいという見栄を張るために。

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