御呪い

石海

御呪い

 今日もおまじないを唱える。神父様に教えてもらったおまじない。


 親のいない僕たちが、おなかを空かした僕たちが、将来誰よりも幸せになれるように、と教えてもらったおまじない。


 神父様に教えてもらった通り、僕たちは寝る前に必ず、孤児院の皆で手を繋いで輪になってこのおまじないを唱える。


「「外なるこくうに住まいしものよ、今ひとたび大地にあらわれることを、われはなんじに願いたてまつる」」


 先生たちも一緒に手を繋ぎ、輪になって、声をそろえて唱える。


「「じくうの彼方にとどまりしものよ、わがたんがんを聞き入れたまえ」」


 ひとつひとつの言葉の意味はわからないけれど、神様への祈りであることはわかる。だから今日もおまじないを唱える。


「「門にして道なるものよ、あらわれいでたまえ。なんじのしもべが呼びたれば」」


 僕たちが知っているのはここまで。いつか神父様が正しいおまじないを教えてくれると言っていた。だから僕たちはいつも神父様が孤児院来るのを楽しみに待っているのだ。みんなでいい子にしていれば神父様はその分早くやってくるから。


 ****


 一月ぶりに神父様が孤児院にやってきた。


 真っ黒な肌と刈り上げられた白い髪、濡羽の様な黒いローブと穏やかな微笑み。


 僕たちは神父様が大好きだった。


 神父様が来ただけで僕たちは大騒ぎする。そしてその元気を余す事なく神父様にぶつけても、神父様は穏やかに笑っているのだ。僕たちは一日中遊び続けて疲れ切って夜を迎える。


 みんなで灯りを囲んでうとうととしていると、神父様が子守唄のようにぽつぽつと話し始める。


 おまじないの続き、神様への目印、儀式めいたおまじない。


 朝になると神父様はいなくなっていた。けれど、神父様が教えてくれたおまじないの続きはちゃんと覚えている。


 その夜も皆でおまじないを唱えた。


「「外なるこくうの闇に住まいしものよ、今ひとたび大地にあらわれることを、われはなんじに願いたてまつる」」


 教えてもらった印を描く。


「「じくうの彼方にとどまりしものよ、わがたんがんを聞き入れたまえ」」


 もう一つの印を結ぶ。


「「門にして道なるものよ、あらわれいでたまえ。なんじのしもべが呼びたれば」」


 さらに印を結ぶ。


 昨日教えてもらったのはここまで。いつかおまじないを全部教えてもらえたら、その頃にはみんな幸せになれているのだろうか。


 ****


 神父様がやってきた。前回から数えて一年近くになる。


 ある頃から徐々に神父様の足は遠のいていった。会う度に顔はやつれていったし、あの穏やかな微笑みを見ることはなくなった。


 それでもおまじないの続きだけは欠かさず教えてくれた。


 そして遂に今日、おまじないが完成した。


 神父様は去り際にこう言った。


 「このおまじないで君達だけでなく、世界中の人々が幸福になれるように、世界中に『救い』が訪れることを祈っているよ」


 そう言った神父様の顔は微かに笑みを湛えていた。


 暗い、暗い笑みだった。



 ****



 今日は一日中晴れの日だった。夜になっても雲一つない綺麗な星空が広がり、満月の光が僕たちの顔を照らしていた。


 僕たちは輪になった。皆で南を向き、左回りに三回歩いた。そして、おまじないを唱える。


「「外なる虚空の闇に住まいしものよ、今ひとたび大地に現れることを、我は汝に願い奉る。時空の彼方に留まりしものよ、我が嘆願を聞き入れたまえ」」


 指先で龍の頭の印を描く。


「「門にして道なるものよ、現れ出でたまえ。汝が僕が呼びたれば」」


 キシュの印を結ぶ。


「「ベナティル、カラルカウ、デドス、ヨグ=ソトホート。現れよ、現れ出でよ。聞きたまえ、我は汝の縛めを破り、印を投げ捨てたり。我が汝の強力な印を結ぶ世界へと、関門を抜けて入りたまえ」」


 ヴーアの印、火の五芒星、そして意味も知らない言葉の羅列。


「「………ハガトウォス・ヤキロス・ガバ・シュブ=ニグラス。メウェト・クソソイ・ウゼウォス」」


 最後に龍の尾の印。


「「ダルブシ・アドゥラ・ウル・バアクル」」


「「現れたまえ、ヨグ=ソトホートよ。現れ出でたまえ」」



 ****


 最後の一節を唱え終わると同時に異変が起こった。


 さっきまで雲一つなかった空があっという間に微かに緑色の光を放つ分厚い雲に覆われた。遠く街の方に目をやるが、街の灯りはない。一瞬のうちに世界が暗闇に閉ざされた。



 次に太陽が雲の隙間から現れた。


 玉虫色に輝く球体。その眩い光が街を、大地を照らした。その玉虫色の太陽がゆっくりと街に降りていく。



 玉虫の光は破滅をもたらした。


 玉虫色の球体が大地に触れた途端に周囲の物が一斉に崩れ去ったのだ。


 そして、空を見上げると雲の隙間から無数の球体が次々と顔を出していた。


 玉虫色の破壊の雨が降り注ぎ、僕達の眼前で見る見るうちに世界が壊されていく。


 気付けば僕達の頭上にもあの球体が迫っていた。


 これが僕達が望んだことなのだろうか。この無慈悲にもたらされる「終わり」を僕達が願ったのだろうか。


 いや、きっとこの「終わり」こそが神父様の言う「救い」なのだろう。


 僕達の抱く将来への不安も、生活の苦しさも、他者への妬みも、嫉みも。そして僕達を捨てた親や、救いの手を持たない世界そのものへの恨みも、憎しみも。


 この球体だけが、この破滅こそが全てを消し去り、忘れさせてくれるのだろう。救いをもたらしてくれるのだろう。



 だから僕は玉虫色の光に包まれる中


 そっと笑った。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

御呪い 石海 @NARU0040

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ