操り人形

煙 亜月

操り人形

 からん、と硬質で軽い音がしてマリオネットはテーブルに崩折れた。こんな子供騙しの大道芸では、生活できない。疲れのためか、マリオネットを操るうえでの必要のためか、猫背気味の中年の女は裁縫箱から裁ち鋏を取り出す。マリオネットの糸を鋏でしゃくしゃくと切ってゆく。さあ、これであんたも自由だよ。あたしも、明日の晩には、明日の晩には――。


 明日の晩までに? 働き口を見つける? それとも、致死量の毒の調達? 女が向こうの部屋へ消えたあと、マリオネットは考えた。考えて、ぞんざいに投げ出された肢体の混沌を正す。まずは立とう。床からの起立は、人間の全ての動作のうちでもっとも大きな膂力を要す運動だ。ボディメカニクスを最大限に駆使し、糸の支配下――庇護下にないマリオネットは自力で立ち上がる。魔法でも、呪いでもない力がマリオネットにはあったからだ。


 流麗で自然、無駄のない動き。

 マリオネットは自らの動きの全てを、あの女芸師に糸伝いに教わった。じっさい、マリオネットは(やろうと思えば)芸師の女の力がなくてもどんな動きだってやってのける自信があった。膝の屈伸を例にとろう。膝は螺旋関節だが、機能的には蝶番関節に近い。その膝関節を――自発的でなくとも――ただ、屈伸運動という同じ動きをなんべんもなんべんも繰り返していたら、膝関節は自然と可動域もスムーズさも向上し、随意的な運動ができるようになるのだ


 夜。

 マリオネットは芸師の眠るベッドへ向かう。ほら、見て! あなたのおかげで、糸もなんにもなくたってこんなにじょうずに動けるんですよ。マリオネットは自身に、肺も声帯も、横隔膜もついていないことが悔やまれた。仕方なしにとはいえ、芸師からの最大の賜物であるダンスで謝意を表すことにした。芸師に糸をつけてもらった状態で練習を重ね、深夜にもひとり、関節の曲げ伸ばしや各挙動の正確性を向上させる練習をし、今やだれの助けも借りずにダンスを披露できるのだ。

 ね、先生? あなたのおかげでわたしはもう、文字通り独り立ちができたんです!


2301

 マリオネットを専門とする大道芸師の女性から、糸の切れたマリオネットがナイトテーブルのあたりにて動いていると通報。薬物か、それに準ずる精神の混乱を疑う。

2310

 当該女性の隣の部屋に住む男性より、隣で気の触れたような叫び声と大きな物音がしているとの通報。当該女性の精神失調はほぼ確定。精神科救急の緊急出動を要請。

2322

 警ら中の制服警官が駆けつけたところ、女性はマリオネットを金槌で粉々に叩き壊していた。落ち着くよう声をかけ、マリオネット(だったもの)は見えないところに隠し、錯乱がおさまるのを待つ。

0010

 搬送された精神科救急病院における容態だが、救急車の車中にいる時点ですでに落ち着きを取り戻し、受け答えにも問題はなかった。人形を粉々にしていた人物と同一なのか警察官が苦慮することもあり、また、当直医の診察、検尿結果からも、急性の精神失調、および薬物の所見はなかった。当該病院を一泊ののち、入院加療の必要なしとし、退院。


 なお、当該女性は今夜より自身の結婚式が控えているので、十全なる配慮をごく一部関係者に要請。


 また、マリオネットがひとりでに動いた、という点について医師が女性に尋ねると、「ああ、そんなこともあったかもしれませんし、なかったかもしれません。どのみち、わたしにはあまり関係のないことなんですよ」といい、指輪を愛おしく眺めた、とのこと。

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