「はじめまして」をもう一度。
「どうぞ」
ドアのノック音に気付いた彼女が入室を促す。ごくりと生唾を飲み、僕はドアを開けた。
「あら?あなたは……?」
「は、はじめまして」
きょとん、とする彼女。見覚えのない男が入ってきたのだから、当然の反応だろう。僕は持っていた花束を彼女に差し出す。
「桜木 晴斗といいます。僕、病室で貴女を見かけてから、どうしてもお見舞いをしたくて。これ、受け取ってください」
白を基調とした花束。かすみ草が僕の緊張を受け止めて揺れている。彼女は花束を見て、目を輝かせた。
「まあ!かすみ草ですよね、これ。私、この花が大好きなんです。わざわざありがとうございます」
「初対面なのに、すみません。気持ち悪い、ですよね」
「そんなことないですよ。それに……不思議ですね。貴方とは初対面のはずなのに懐かしさを感じるんです。どうしてでしょうね」
「それは、どうして……でしょうね……」
そう言って微笑む彼女。僕はなんでもないという風に言葉を返してやり過ごしたかった。けれど、込み上げる悲しみを抑えることが出来なかった。じわりじわりと零れる雫に、彼女は目を丸くして慌てだした。
「泣いているのですか?そ、その、ごめんなさい。失礼なことを言ってしまいましたね……」
「いいえ、そんなことは……。少し、昔を思い出してしまいまして」
「昔、ですか」
僕は涙を服の袖で拭い笑顔を見せると、彼女は少しばかり安心したようだった。
「はい。歳を取ると涙脆くなっていけませんね」
「私もそうなんです。私、事故にあって記憶喪失になったみたいで。記憶はないのに、悲しいという感情だけが残っていて、夜になると涙が出てくることがありまして」
「そうだったんですね。お気の毒に……」
「私、事故にあったせいか物覚えも悪くなってしまいまして。ええと……」
彼女はテーブルに置いてあったメモ帳を手に取る。
「覚えていられないので、こうしてメモを取っているんです。ええと、そうですね。私には娘と息子がおりまして、毎日面会に来てくれるんです」
彼女はメモの内容を読み上げる。娘と息子はそれぞれ成人しており、娘には子供がいるそうだ。
「こどもがいるだなんて信じられないのに、その上孫もいるなんて。おかしいでしょう?」
そう明るく話す彼女だが、心の内では悲しんでいるだろう。けれど、初対面の僕が踏み込んでいい距離ではない。曖昧に笑みを返す。
「でも、孫ってとても可愛いんです。私のことを『ばあば』って呼んでくれるんですよ」
「それはそれは。いいですね」
彼女は孫が本当に可愛いようで、メモを片手に暫く孫の話をしていた。
「ああ、すみません。身内以外と誰かとお話するのは久しぶりで。つい話し込んでしまいました」
「……。いいんですよ。僕もお話が出来てとても楽しかったです」
そろそろ、頃合いだろうか。僕は勇気を出して一歩、踏み出す。
「あの、……またここに来てもいいですか?」
「いいんですか?」
彼女は驚いたような顔で問いかけた。僕は気付かれないように、ほっと胸を撫で下ろす。
「ありがとうございます。とても嬉しいです」
「私でよければ、喜んで。また来てください」
「ええ、また伺わせてもらいます」
僕は小さくお辞儀をして、ドアを開ける。
「楽しかったです。花束も、ありがとうございました」
彼女は笑みを浮かべて僕を見送った。後ろ髪を引かれるような思いで、ドアを閉める。ああ、やはり彼女だった。
「お父さん、どうだった?」
待合室にいた娘が声をかける。
「多分……大丈夫だと思う」
「よし、その調子よ!」
娘に背中を押される。記憶喪失となった妻にもう一度はじめましてを言うのはとても緊張したが、久しぶりに感じる胸の高鳴りに愛おしさすら感じた。
Fin.
短編集(恋愛) 内山 すみれ @ucysmr
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